こんにちは、栗栖鳥太郎です。
今回は、このブログでも何度か触れている「音読で頭がよくなる」というテーマを扱います。
何度も何度も「根本的に脳みそを変えたいなら、音読すりゃ良いよ」と言ってきましたが、そもそも、音読で頭が良くなるのはなぜなのか? 本当に頭が良くなっているのか? このあたりについては書いたことがなかったと思います。
そこで今回は「音読は脳にどう作用するのか」を理屈で考えてみます。といっても私はプロの脳科学者ではありませんから科学的な話をする訳ではなく、経験と、知っている限りの知識を総動員させて考えることにします。
目次
音読で頭が良くなるのはなぜなのか
人間の脳がいちばん強く速くなるのはおそらく「限界速度で複雑な運動をすること」であり、音読はその典型
人間の脳には可塑性があります。
可塑性があるとは、変形変更を加えることができるということです。脳は一度決まった形から不変であるわけではないのです。
脳の性能については、先天的遺伝的に決まっている部分ももちろんありますが、それよりも、後天的に意識的に鍛えることのほうが重要です。脳はトレーニング次第で際限なく強く速くしていくことができます。百メートル走の選手が、遺伝的に優れているだけでトレーニングを全くしない一般人に負けることがまずないのと同じです。
したがって、脳を後天的に鍛えるためには何をすればいいか? が重要になるわけです。
そこで「脳を鍛える」ためにはなにがベストなのかという話になります。
私が言いたいのは、まず
「脳がいちばん強く速くなるのは、限界速度を超えるつもりで複雑な運動をすること」
であるということです。
「頭の回転の速度」というのは、鍛えない限り高速化されてはいきません。「もっと速く!」という指向性を持っている人の脳と、「この程度でいいかな」と言って限界突破を試みない人の脳との間には、かなりの差が開いていきます。
この「速度を上げること」に加えて、もうひとつ「複雑な運動をこなす」ことも同時並行してやると、脳に最高の負荷がかかります。
少なくとも現時点では、この「限界速度を超えるつもりで複雑な運動をする」こと以上に脳に負荷がかかるものを私は知りません。そうやって脳に負荷をかけてやると、最初は辛くとも、段々適応してきます。脳の可塑性です。
限界速度を超えるつもりで複雑な運動をすることで脳に負荷をかけ続けると、そのうち「思考速度が速く」なり、かつ「精密に考える」ことができるようになります。こうなれば占めたものです。
そして、音読というのはこの二種類の負荷をかけるのにもっとも適した方法なのです。たとえば、「高速音読」であれば、限界速度を更新するのはもちろん、複雑さも十分確保されています。「複雑なことを高速で処理する」原則にかなっているわけです。
しかも、音読というのはいくらでも時間がある限りできますから、量をこなすことも容易なのです。1時間ずっと高速音読しつづけてから執筆作業に入るということもできます。
総括します。
脳は負荷をかけてやらないことには強くなりません。逆に、負荷をかけてやることによって脳の能力は確実に上がっていきます。
そして、その負荷をかけるときの手段として最高なのが「高速で複雑なことをこなす」ことであり、これには高速音読がうってつけである、ということです。
人間の思考の基礎は「言語」
音読は言語野と前頭前野に強く働きかけます。
音読すると、多くの人(特に内向的で、人としゃべる機会に乏しい人ほど)が、「人としゃべるときに、言葉がすらすら出てくるようになった」と感じます。
これは、音読が「言語野と前頭前野」を強く刺激し開発するために起きることです。音読によって、脳の中にある「言語を操るためにある部位」が総動員されるのです。
脳は使えば使うほどそれに応じて適応していきますから、音読をよくする人(音読に準ずるものとしては、他人とのおしゃべりも挙げられますが)は、言語を使うことにどんどん長けていくということになります。
そして何より、私たちが思考するとき、かなりの割合を「言葉」に頼っているという事実があります。
言語を持たない動物は貧弱な思考力しか持ちませんが、人間は言語という思考のためのツールを持っているがゆえに、複雑で抽象的なことであっても難なく思考処理できるのです。
つまり、思考の基礎が言語であるということは、その言語運用能力をダイレクトかつ効率的に劇的に改善することができる音読という勉強法こそが、「思考力を上げるための最良の手段」であると言えるのです。
限界速度が上がると、通常速度も上がるので、普段の生活が相対的にスローになる
音読は「深く物事を考えることはできるんだけど、とっさの反応が鈍いせいで、よくおしゃべり終了後に“ひとり反省会”をする羽目になる」ような人(内向的な人ほどこの傾向が強い)に劇的な変化をもたらす可能性があります。
なぜなら、そういう人は「とっさに頭をパーっと回す瞬間速度」を鍛えればいいからです。深く考えることはできている(つまり、精密に思考することはできる)のですから、あとはスピードの問題でしょう。深い思考を驚異的な速度でこなすことができれば、鬼に金棒です。
で、その「思考の基礎速度」を上げるために最適なのも、やはり音読であると私は思います。
音読(特に高速音読!)では、思考の限界速度がガンガン上がっていきます。「限界速度を上げる」というトレーニングを続けていると、思考の基礎速度もあがっていきます。
「100メートルを限界速度で駆け抜ける」というトレーニングを積み重ねた100メートル走のトップランナーが7割で走るのと、一般人が全力で走るのとが同じ速度になるのとおなじです。「限界速度」の高い人ほど、「平常運転速度」も上がっていきます。
よく「かつては内向的だったが、今は必要に応じて外向的にふるまうことができる」というタイプの人がいますが、この場合はまさに「思考の基礎速度が上がった」ケースが大半なのです。そして、かつて内向的だった(つまり、深い思考に慣れていた)ぶん、いざ外向的にも振る舞えるようになると、他の人が及びもつかないような頭の回転速度を発揮するようになる、ということです。
音読で本当に頭は「よくなって」いるのか?
ここまで、「音読で頭はこう変わる」という話をしてきました。
この記事で取り上げたことだけを列挙しても、
・高速で複雑に思考できるようになる
・言語能力の向上=思考力の増強
・日常の基礎生活速度が上がる=頭の回転が速くなる
といったメリットがあります。
ここで、音読をする意義をより深く理解してもらうために、「希少価値という尺度」についての話をしておこうと思います。
考えてみると当たり前のことなのですが、一般的に、「できる人が多いことは、買い叩かれるか、高く評価されない」という原則があります。
たとえば、コンビニの店員の時給がなぜ安いのかを考えてみると、それは「マニュアルを覚えたらだいたい誰でもできるから」でしょう。誰でもできるということは、希少性が低いということでもあります。希少性が低い=誰でもできるということは、買い叩かれるということに直結します。
これは裏を返せば、「希少性が高ければ、高く評価される」ということです。
ここでなにが言いたいかというと、「音読で能力を伸ばせば、あなたはどんどん希少性が高い方へとシフトしていきますよ」ということです。
というのも、「高速でやる」「大量にやる」「創造性を出す」「深く考える」といった能力は、音読で効率的にのばすことができるからです。どう伸びるかはこの記事で見てきた通りです。
世の中のことを考えてみればわかりますが、「頭が良い」というのはなかなかの希少価値です。頭がよくなることは難しいですから。逆に、「頭が悪くなる」のは簡単です。誰でもできることですから。
なお付言しておくと、希少性を高めるためには主に「大量にやる」「高速でやる」「抽象度を上げる」「エントロピーを減少させる」「快楽を増やす」「うまい表現を見つける」「苦痛を減らす」「ポジティブな感情を引き起こす」といった方向性が考えられます。いずれも「人の役に立つ」ものでもあります。
ここまで述べてきたように、音読というのは広い意味であなたの人生を豊かな方へと持っていく力があります。ぜひ音読というツールを使って、人間の奥深さを探求していってください。
[…] 「速音読で、脳の回転速度が速くなる」 「そもそも、音読で頭が良くなるのはなぜなのか」 […]