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レベルアップのための7カ条 その2
メジャーリーグを上回るには、「合理性を突き詰める」という点において完全に圧倒しなければならない
3.「無意識レベル」にまで落とし込めてはじめて本物になる。本物になりたいなら、「寝起きでも試合に出て打てるレベル」に持っていく必要がある
バッティングもピッチングも、
「いかに意識に頼らず、無意識だけですべてを済ませられるか」
と
「いかに上手に、意識を使って無意識を導けるか」
という勝負だと思っています。
一見、相反するようですが、前者は「試合のときの話」で、後者は「練習のときの話」です。
つまり、
「練習の時点では徹底的に無意識化できるまで仕込んでおいて、試合では意識に頼らずできるだけ無意識だけで処理できるようにしておく」
わけです。
そうする理由の一つは、「意識的にできることというのがたかが知れているから」です。
特に、独特の緊張感がある試合の時なんかは意識に頼っている場合じゃありません。
よく「甘い球が来て、もらった! と思ったら引っ掛けてゲッツーになった」といった話を聞きますが、本来無意識だけで済ませるべきところに意識が入ってくるとこうなるのです。榎本喜八氏が体感したような「無の境地」に辿りついていれば、そんなことはまず起きないでしょう。
その意味で、一つの理想はたとえば「寝起きでそのまま打席に入ってホームランを打つくらいまで高める」こと。
このレベルにまで持っていければ、緊張していようがアウェーだろうが緊迫した場面だろうが何だろうが打てますよね。
バッティングなら、インコース、真ん中、アウトコース。
高め、真ん中、低め。
左投手、右投手。本格派、変則派。
ファストボール、スライダー系の変化球、シュート系の変化球、落ち球。
こういったものに対して、一つ一つ丁寧に「無意識レベルで身体が動く」ようになるまで仕込みます。
私がよく「全コース最低限の対処はできるようにしておくと良いよ」とか「たいていの選手は圧倒的に練習不足だよね」とか言うのは、この「無意識レベルで対処できるようになるまで練習を重ねる」ことがかなり大切で、たいていの選手はそこの面での詰めが甘すぎる(しかも自覚していない)と考えているからです。
かのバリーボンズ選手は「おれに投げたボールはすべて失投になる」と言ってのけましたが、バリーボンズ選手はそのレベルにまで無意識化することに成功していたということです。
何にせよ、「どのくらいまで徹底的に無意識化できるか?」が一流と二流を分けるのです。
4.「フィジカル・動作・マインド」で考えると、日々やるべきことがわかりやすい
これについては、以前
という記事のなかで紹介しました。
「自分はどうやって練習・トレーニングしていくべきか?」「今日自分は何をやるべきか?」を決めるときには、
「フィジカル」「動作」「マインド」という区分で考えると良いでしょう。
・「動作」:実際に物理空間で繰り返し表現される競技動作のこと
・「フィジカル」:その選手の身体面に関するすべてのこと。物理空間のこと全般を指す
・「マインド」:その選手の精神面に関するすべてのこと。物理空間よりも一段上のこと=情報空間のこと全般を指す
例えば、
・今日の「動作」…インプット系:正対打ち30球、アウトプット系:置きロングティー50球・正面ティー100球 など
・今日の「フィジカル」…食事:5000kcal、タンパク質200g etc、トレーニング:ベンチプレス4set など
・今日の「マインド」…アファメーション朝夜、読書●ページ、野球日誌書く、瞑想●分 など
こういう感じです。
選手個人としての成長を考えるなら、かなり使える方法だと思います。
最近考えていること
最近考えていることは
「圧倒的であること」
です。
たとえば、メジャーリーグを上回りたいなら「メジャーリーグすらかすんで見えるほどまで高いレベルに到達する」ことを目指すのです。私立大学に勝ちたいなら、「私立大学がかすんでみえるレベルに到達する」ことです。
要するに、「本当に成功したいなら、同じ土俵で戦っちゃダメでしょ」ということ。同じ土俵で戦うと、ジリ貧になります。平たく言うと、消耗戦になってしまいます。
「メジャーリーグに勝ちたい」と言っているうちは、「メジャーリーグに勝とうとしている自分たち」がコンフォートゾーン(居心地のいい状態)になっています。それでは一生勝てません。一生置いてけぼりです。
「メジャーリーグ? ああ、とうの昔に追い越したよ」
くらいになればいいのです。
正確に言うと、「自分はもうすでにそうなっている」という状態だという刷り込みをかけること。そうすることによって、「もうメジャーはとっくに追い越しているはずなのに、現実はまだそうなっていない」ということを脳みそが感じ取り、慌てて「とっくに追い越している」状態を作ろうと頑張り始めます。
まずは「圧倒的である」こと。
それが今後の指針です。