「セルフ・イメージ」だけが、あなたという存在を100パーセント規定している

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 今回は、「セルフイメージのすばらしさとおそろしさ」について語ります。 スポーツをやっているとよく、「成功するためにはセルフイメージを高く持って~」と言われます。 セルフイメージセルフイメージと言われても、知識のない人にとっては「??」でしょう。 セルフイメージとは、どんなものなのか。 セルフイメージは、あなたにどう影響するのか。 そして、セルフイメージを変えるには、どうすればいいのか。 シンプルながら奥深い、「セルフイメージ」という概念について見ていきましょう。 セルフイメージとはどんなものか? あなたにどう影響を与えるのか? What's セルフトーク? セルフイメージを字義通りに解釈すれば、以下の通り。 セルフ=自己 イメージ=想像 「自己に関する想像」、つまり「自己像」です。 「○○するのは私らしい」「私は○○というスポーツが得意だ」「私は○○しているときが心地よい」など。   もっと具体的に言えば、 「おれは勉強が得意だ!」や、 「ぼくは異性にモテない」というのもセルフイメージ。 「わたしはなにをやってもだめなやつ。存在している価値がない」というのももちろん、セルフイメージです。   イメージ自体が良いか悪いかに関係なく、「それは、自分にとって当たり前になっていることかどうか」を判断するのが、セルフイメージというフィルターの役割です。 では、このセルフイメージによって人間の行動はどう左右されるのでしょうか。   セルフイメージは、「いまここにいるあなた」を完全に規定する   ①「自分らしいこと」「自分らしくないこと」を鋭く選り分ける たとえば、こんな例があるとします。 「自分はスポーツが不得意で、いつもみんなから笑われている」というセルフイメージの人がいるとしましょう。 その彼or彼女が、体育でサッカーをやる羽目になりました。 当然、彼or彼女はサッカーも不得意です。 お情けでもらったボールは相手に奪われるし、ヘディングで眼鏡を割るし、トラップはことごとく空振りします。   このとき、彼or彼女にとって「自分らしいこと」は、「ボールを奪われ、ヘディングもトラップもしくじる」というプレーです。 たとえプレーしている本人にとっては「情けないなあ、自分・・・」というマイナスの感情を引き起こすものであっても、それが当人にとっては「当然のこと」なのですからそこを出ようとはしないのです。「上手くプレーする」ことは、当人にとって「自分らしくない! 心地よくない!」と認知的不協和を起こすのです。 自分らしくない「ドリブルで敵陣を突破し、華麗なシュートを決める」というプレーをしようとは考えない、というよりそもそも考えることができないんです。   しかもこの「自分らしいか、らしくないか」を判断するのは、意識ではなく無意識の役割です。 「なんとなく、自分にふさわしくないな・・・」と無意識が判断すれば、それは自分にとってふさわしくないものとして遠ざけられます。 セルフイメージに基づくフィルタリングは無意識でやることですから、意識が「直接」コントロールすることはできないのです。   とにかくここでは、 「セルフイメージは、あなたらしいことと、あなたらしくないことを選別する。そして、あなたらしいことだけを残して、あなたらしくないことを遠ざける」 ということを理解してください。 自分自身の経験に照らし合わせてみても、おそらく心当たりがあるはずです。 サッカーの例だけでなく、「勉強が不得意である」というセルフイメージがあれば勉強が得意な状態を嫌いますし、「自分はコミュ障である」というセルフイメージがある限りコミュニケーションが不得意な状態から抜け出すことは難しいのです。   ちなみに、実は、この無意識の判断自体を変えてしまう方法が存在しますが、 それについては後述します。   ②すべての行動選択の基準になっている ①から発展して、もっと恐ろしい話をしましょう。 実は、セルフイメージは、あなたの行動を端から端まで規定しているのです。   たとえば、「人前で鼻をほじるかどうか」といった些細な行動から、 「なにかを目指して粘り強く辛抱を続けられるかどうか」といった大きな行動まで。   「人前で鼻をほじる」のが「あなたらしい」なら、あなたはそうします。 「なにかを目指して粘り強く辛抱を続けられる」のが「あなたらしい」なら、あなたはそうするでしょう。 もし仮に、人前で鼻をほじるというセルフイメージを持たない人がそうしてしまった場合、 「あっ、恥ずかしい」と思ってすぐにやめてしまうはずです。   同じように、 「今日の受験勉強、もうちょっと残っているけど、明日に回そうかな」という選択肢をどう処理するかも、 「魅力的な人間に対してアタックするかどうか」という一世一代の選択も、 「あなたらしいもの」だけが選択され、「あなたらしくないもの」は排除されます。   これって相当恐ろしく、かつ素晴らしいことだとは思いませんか。   人間がセルフイメージに従って行動するということはつまり、たとえば 「努力を続けられる人は成功する」の「努力を続けられれる人」になれるかどうかは、 あなたのセルフイメージ次第だということです。(努力という言葉はあまり使いたくないのですが・・・)   「努力することが自分らしい」人にとっては、「努力しないこと」はむしろ気持ち悪くて仕方がないのです。 プロ野球の名選手だった張本勲氏は「バットを振らんと気持ち悪くて眠れなかった」とすら言っています。   ③あなたの限界を決める セルフイメージの一つに、「自分はこんなものだ」というものがあります。 たとえば、「自分はメジャーリーガーとして活躍できる人間だ」とか、 「自分はこの程度のことしかできない人間だ」「自分は底辺の人間だ」といったものです。   たとえば仮に、まったく同じ学力を持つA君とB君がいたとして、 A君は「ぼくはテストの点数が50点。でも本当はもっと上のレベルにいるべき人間だ」と思っています。 B君は「ぼくはテストの点数が50点。でも本当はもっと低い点数しかとれないはずだ」と思っています。 この場合、A君は50点より上へ上へという形で試行錯誤していくでしょうが、 逆にB君はじりじりと点数を下げていくはずです。 A君には「もっともっと上へ行くための道」が見えてきますが、 B君は、少なくとも勉強ではこれ以上の向上は見込めそうにありません。 セルフイメージが限界を規定する、という良い例です。   もう一つ例を出しましょう。 もし仮に、「自分は、いまはまだ路上ライブしかできないけど、将来かならず武道館で満員ライブをする人間だ」というセルフイメージを持っている人がいるとしましょう。 彼に見えるのは、「武道館でライブをする自分になるための行動」です。   もちろんまわりの人は「なにを夢見てんだか」「さっさとまともな職に就け」くらいの反応でしょう(このような反応をする人のことを、コーチングの元祖ルー・タイスはドリームキラーと呼びました)。 実際、客観的に見ればまだ「路上ライブをしている、よくいる典型的な若者」にしか過ぎません。   ここで、「両方」の可能性を考えてみます。 つまり、「自分は将来、武道館を満員にするにふさわしい人間だ」というセルフイメージが備わっていた場合と、備わっていなかった場合です。この両方を考えます。   そうすると、まったく同じところからスタートしても、両者の達成可能性はまったく違ってくるはずです。 セルフイメージが「武道館ライブにふさわしい人間である」だった場合、 その若者は書店に行けばギターや歌のテクニック本を読み漁るでしょうし、 いま人気のあるグループや歌手やミュージシャンとなんとかしてコネクションを作ろうとするかもしれません。 間違いなく、まったく同じスタート地点に立っていたもう一方の「セルフイメージが低い方」よりもはるかに達成可能性が高まるはずです。   何が言いたいかというと、これです↓。 なんと、達成可能性そのものが、セルフイメージの強さによって影響されるのです。 もっと言えば、客観的に見た現在の能力や状況というものは、未来を志向する力の強さによって変動するというわけです。   逆に言えば、セルフイメージさえ上げれば、それまで「こんなものだろう」とおもっていた自分の限界を飛び越えて、ガンガン成果を出すことができるようになります。これまで弱みだと思っていたことを強みに変え、現在持っている能力を120パーセント発揮するためには、セルフイメージを上げることさえできればいいのです。   ④あなたの人生の充実感を決める あなたという生物は、いずれ死にます。   私は死んだことがないですから想像でしか言えないのですが、人間というのは理性を持っている生物ですから、おそらく死ぬ瞬間には自分の人生を総決算するはずです。 「ああ、良い人生だったな」と思うのか? それとも、 「ああ、もっと必死に自分のやりたいことを追求すればよかった。でも死んだらもう終わりだから、もうやり直しできないのか。悔しい・・・」と無念タラタラで死ぬのか?   それを分けるのも、セルフイメージでしょう。 「人生を満足に生き切った自分」「過去のことはすべてベストだと思える自分」というセルフイメージを持っていれば、あなたの脳にはそれを裏付ける情報ばかりが集められます。 「自分の意見を持たず、実質的な奴隷としてしか生きられない自分」「過去に後悔しまくりな自分」というセルフイメージを持っていれば、その通りの情報ばかりが集められます。   死ぬ瞬間にフラッシュバックする「情報の雪崩」がどのようなものかすらも、セルフイメージが決定しているといえるのです。   長くなったので、いったんここで切ります。 後編では、「セルフイメージを変えるための方法論」を紹介しましょう。   まとめ +  さて、いかがでしたか。 ここまで、セルフイメージの恐ろしさと素晴らしさについて、両方に配慮しつつ書いてきました。 後編をお楽しみにしていてください。   では、グッド・ラック!   ★おまけ 「セルフイメージを向上させたい人」のためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。セルフイメージを変えるには、この人の本を読むのをおすすめします。ちなみにこの記事では「セルフイメージ」と言っていますが、苫米地氏の本では「エフィカシー」に相当します。   以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――

【試験に苦しむ学生必見】最小の労力で最高の成績が獲れる! 「テスト前超音読」のススメ

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 つい先日センター試験が終わりましたが、私の大学でもこれからテストラッシュが始まります。 テストというのは典型的な「やらなきゃいけない」勉強なので、あまり好きではありません。 しかし、苦痛を最小限にするために最適なテスト対策法があります。 それが「テスト対策を音読で済ませる」という方法です。 そこで今回は、「なぜ音読がテスト対策として最適なのか」を語ります。 テスト対策として音読するメリット ①とにかく時間がかからない 授業で配られた、文字ビッシリのA3プリント裏表。 これ、わからないところにいちいち詰まりながら黙読していくと疲れますし、時間がかかりますよね。 「わかんねえなあ」「つまんねえなあ」と思いながらダラダラやっていると10分、20分、30分と時間が過ぎ・・・ 途中で「や~めた」となりそうです。   でも音読なら、あの「文字ビッシリのA3プリント裏表」が5~10分あれば一周できます。 半年かけてやった数多くの授業プリントを、音読で1~2時間で読めてしまうなどザラです。   音読はとにかく、時間がかかりません。 これまで数多くの勉強法を試してきましたが、間違いなく「音読で勉強する」のが時間効率ナンバーワンです。   テストの科目はいくつもあるでしょうから、黙読でチンタラやっている時間はありません。 音読でパッパとプリントの内容を頭に覚え込ませてしまいましょう。 音読で浮いた時間は、自分の好きなことをしていればいいのです。   ②ひたすら楽である 黙読では、「わからないところをひとまず飛ばす」ことが難しいですよね。 わからないところにウンウンとうなった挙句、そこで思考がストップしてしまって眠気が・・・という時間の浪費をしがちです。 (わからないので)辛いです。 黙ってプリントを読んでいると、どんどん気が滅入ってきます。   でも、音読は「ひたすら読み上げていく」だけなので、ストップしようがありません。 内容が全然チンプンカンプンでも、とりあえずは進んでいけます。音読で理解できないなら黙読したところで同じです。   一度読んでわからないところは、まず放っておいて、最後まで読み終えてからもう一度やるほうが良い。 全体像の中で推測しなおすのです。 「○ぬ」の○に何が入るか推測するのは難しいですが、「ポチという名前の○ぬ」という全体像がわかっていればだいたい見当が付きます。わからないところは放っておいて、あとから「ああ。あそこはああいう意味だったのだな」と納得するのを待てばいいのです。   そしてもう一つ、音読は「30分あれば30分バッチリ勉強できる」のです。 ふつう、「30分勉強した」というとき、実際には気が散ったりスマホをいじったり思考停止したりしているので実質的には10分とか15分しか勉強していないことが多いんですね。 でも音読なら、30分音読すればきっちり30分だけ音読したことになります。 「勉強したつもり」にならないのが音読なのです。   音読は、「ただ読み上げていくだけ」なので、黙読に比べて段違いに楽といえます。   ③なんかよくわかんないけど文章力が超ドーピングされる メカニズムはよくわからないんですが、音読すると文章力が爆上げされます。 これは私自身が実感しています。 一日三時間くらい音読していると、6000字くらいのレポートなんてクソ以下です。   音読しまくってからレポートに取り掛かると、 次々にポンポンと「次にこう書けばいい」という道筋が見えてきて、 「これを書いて、その後にあれを書いて、ここはこう説明して、こう結論して・・・よし、頭の中ではもう終わったな」という風に頭がフル回転します。 ものすごく気持ちいい体験です。   これは仮説ですが・・・ 音読は脳全体をものすごく使います。 特に、言語野と、論理的思考力をつかさどる前頭前野がバリバリ働きます。 また、「文章を声に出して読み上げる」と、人間の脳は「活字モード」みたいなスイッチが入るようです。   音読をひたすらやっていると、文章力も爆上げされる。これは保証します。   ④内容を理解しつつプリント丸暗記が可能 ①の「音読は時間がかからない」と、②の「音読は、わからないところで詰まったりしないからラク」を組み合わせて考えると、こういう結論になります。   「音読は時間がかからない」から、当然「テスト範囲を何度も繰り返すことができる」。 最初は内容がイマイチ理解できなかったプリントでも、何度も繰り返し読んでいればだいたい意味がわかってきます。だから、「わからないところに四苦八苦しながら黙読する」よりも「わからないところはひとまず置いといて音読しまくる」方が良いのです。   さらに、何度読んでも理解できないプリントなら、「音読で丸暗記してしまう」という手もあります。 丸暗記しようと思うのではなく、とりあえずわからないなりに何度も音読するのです。 この場合、テスト当日に解答欄を埋めるときになって「あれ? 理解してないのに覚えてる!」という体験をすることになります。   ・・・ついでに言っておけば、音読は「記憶力」も上げてくれます。 経験上、音読で上がるものは「文章力」「記憶力」「思考力」「高速で考える力」などです。   +α 音読のコツ ハイスピードツイートリーディングでやる 音読は「小さい声でつぶやく」かつ「なるべく高速で」でやった方がいいです。 理由はいくつかあって、 ①近所迷惑防止 ②のどにやさしい ③小さい声プラス高速音読だと、発声器官が細かい素早い動きをするので脳に刺激がいく ④高速でやった方が時間がかからない ためです。 目安としては、1日1時間は最低ラインかなと思います。 3時間くらいやれば物凄く脳が活性化するのを実感できるはずです。   手っ取り早く記憶に定着させるには「夜と朝に同じものをやる」 よく言われますが、人間は睡眠をとると記憶の整理・定着が行われます。 これをフルに活かしましょう。   プリントの音読は「夜にやって」から、次の日の「朝にもう一度」やるとガンガン記憶できます。 ④で触れた「プリント丸暗記」は、この「睡眠またぎ」を加えてやると簡単にできます。 前日まで何度か「睡眠またぎ」をやっておいて、テスト当日の朝イチで、丸暗記したいプリントをもう一度音読すれば良いでしょう。   音読が効くテストの種類と、逆に向いていないもの テストは、まず「穴埋め」「単語を選ぶもの」なら、音読で簡単に乗り切れます。 また、「授業で扱ったテーマについて、テスト当日に書き下ろす」タイプのものにも強いです。   音読は、 「プリントやレジュメ・パワポプリントに書いてあるものをある程度覚えておく必要があるもの」 「授業の知識をもとに論述するもの」 には抜群の効力を発揮します。 その一方で、当然ですが、レポート提出というタイプにはあまり役立ちません。   「音読すればテストに役立ちそうなプリントがあるかどうか」を基準に判断してください。   まとめ + もっと頭が良くなりたい人におすすめの本 さて、いかがでしたか。 テスト対策を音読中心に進めることのメリットは以下の通りです。 ①とにかく時間がかからない ②一般的なやり方に比べて、ひたすらラク ③なんかよくわかんないけど文章力(あと記憶力・思考力など)が超ドーピングされる ④内容を理解しつつプリント丸暗記が可能 の四点をおさえておいてください。   また音読のコツとして、 ①ハイスピードツイートリーディングでやる(小さな声でつぶやく、それを高速で)と、様々なメリットがあります。 ②睡眠による記憶整理・定着を利用するため、覚えたいものは「夜と朝」プラス「テスト当日の朝イチ」にやっておく。 ③「これを理解・記憶すればテストに役立つというプリントがあるかどうか」を基準に考える。 という三点。   この記事で私が述べてきたことを活かせば、まさに「最小の労力で、最高の成績」を獲ることができます。 音読という勉強法がいかに優れているかを体感してください。 では、グッド・ラック!   ★おまけ 「頭を良くする」ためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。うさんくさいのは、読みもしないひとが勝手に言っているだけです。この人のニコ生とか見たらわかりますよ。   以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

「おもしろさ」と「抽象度」の関係とは?

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 「おもしろい人は頭が良い」とよく言われますね。 そこで今回は、「頭の良さ」と「おもしろさ」の関係について考えてみましょう。 「抽象思考が得意な人は、おもしろいことを考え付く」? 前置き:「抽象度」とは何か? 「抽象度」という言葉を作ったのは、認知科学者・脳機能学者である苫米地英人氏です。 この言葉を説明するのは結構な労力が要るのですが、とりあえず簡単に触れておきます。   抽象度とは、「ある概念が、どれだけ普遍性を持っているかの度合い」です。 「抽象度が高い」「抽象度が低い」という言い方をします。   例を出すと、抽象度が「低い」ものとは、たとえば 「俺の中学の伝説になっている田中君」とか「近所の○○さんとこの息子」とか 「うちの家で飼っている柴犬のポチ」とか「いまここに生きている私という人間」とか、 狭い世界のなかでしか通用しない(=普遍性が低い)もののことです。   これらはいずれも、「具体的」で「限定的」であり、「つかみどころがある」ものです。 わかりやすいイメージでいえば、ヤンキーの世界みたいなものでしょうか。 「うちのグループのリーダーであるタク君(仮名)」といった、普遍性の低いもの(=その内輪でしか通用しないもの)を重視しますから。   逆に抽象度が「高い」ものとは、たとえば 「人間」とか、「生物」とか、「宇宙」とか、「学問」とか、「生と死」などといった、 世界中どこに行っても話が通じるもの(=普遍性が高い)のことです。   これらはいずれも、「抽象的」で「非限定的」であり、抽象度の高いことを考える習慣がない人にとってはモヤモヤとしてつかみどころがありません。 こちらのイメージは「数学者」でしょう。 つかみどころのないもの、フワフワしたものについてずっと思索しています。   この抽象度という概念を知っておくといろいろと便利なのですが、それは後日詳しく述べます。 とりあえずここでは、「抽象度」とは「ある概念が、どれだけ普遍性を持っているかの度合い」だということを覚えておいてください。 この「抽象度」という概念を使って、「おもしろいこと」とは何なのかを説明していきます。   抽象度を上げてやるとき、面白くなる   「ボケて」で多く見られるパターンに、「いままで気付かなかったけど、実はこれに似てるよね」があります。「冷凍庫から出したてのピノ」とか。 そもそも、ボケてが根強い人気を誇っている理由は何でしょうか? 私の考えを述べてみます。   それは、「ボケて」の回答者に求められるのが、 ある画像について「ありがち」「そのまま」な解釈をするのではなく(そういう回答は評価されません)、 「みんなが考え付かないけれど、言われてみると<そうか!>と思えるような解釈をする」 ことである、という一点に尽きると思います。 そしてこのときもれなく、普遍性が上がる=抽象度も上がる、のです。   ボケてでみられる「意外性があって、かつその着地点が絶妙なものを考えだそうという精神」は、そのまま「抽象度を上げる」ことにつながる、ということです。 どういう意味か?   上の例でいえば、写真を「そのまま」の解釈をすれば、「湯気を立てている黒人アメリカンフットボーラー」です。何も知らずにこの画像だけを見た人は、その程度の解釈しかしないでしょう。 ただ、この説明の仕方は、このお題の画像にしか通用しません。 つまり、「普遍性が低い」=「抽象度が低い」のですね。   この画像をボケてで面白くするためには、 「実はこの画像の中にあるモノは、これと似ているよね」という、 「意外性のある、しかし絶妙な」ものへの発想転換が必要です。 このとき必然的に、「普遍性が上がる」=「抽象度が上がる」ことになります。   先の例をもう一度見てみましょう。 「黒人のアメフトボウラー」という一枚の写真が、実は「冷蔵庫から出したてのピノ」に似ている・・・   おわかりいただけたでしょうか? まさにこの瞬間、「黒人のアメフトボウラーの写真」の普遍性が上がって(=抽象度が上がって)います。 この画像が、実は「冷凍庫から出したてのピノ」に似ている・・という解釈を考えだしたとき、「アメフトボウラーの写真」は「冷蔵庫から出したてのピノ」というもう一つの意味を含むことになるのです。   「狭い世界では一つの意味しか持っていなかったものが、思わぬ形で違う意味を持つ(=このとき普遍性が上がる)」。 このときアハ体験と一緒で、「あっ、それがあったか。ハハハ」という笑いが起こります。 これが、ボケてが面白い理由です。 (余談ですが、ニコニコでよく見られるような「ネタの派生」もこれとまったく同じ原理です)     だから、ボケての傑作を見て面白がることのできる人は、抽象度の高いことを考える素質があると言えるかもしれません。   なお、ボケてだけでなく、他にも「パロディー」「替え歌」「風刺」なども、「一段抽象度を上げてやる」ものでないと面白いものとはみなされません。 まとめると、 「狭い世界では一つの意味しか持っていなかったものが、思わぬ形で違う意味を持つ(=このとき普遍性が上がる=抽象度が上がる)」。 それが、「おもしろさ」と「抽象度」の関係です。   抽象思考が得意になるにつれて周囲からズレていく また、「おもしろさと抽象度の関係」についてはもう一言。   われわれは、「具体的に考える」のは得意です。誰にでもできます。 「俺の中学の伝説である田中君」とか「近所の○○さんとこの息子」とか 「うちの家で飼っている柴犬のポチ」とか「いまここに生きている私という人間」とか、 いずれも、視野が狭いというか、狭い世界のなかでの物言いです。 これらは特に訓練を必要としません。   その一方で、「抽象度の高いこと」「普遍性の高いこと」を考えるのは、訓練が必要です。 訓練が必要ということは、それだけ門前払いを食らっている人も多いということ。したがって、抽象度の高い思考ができる人は、絶対的に少ないのです。   非常に残念なことに、抽象度が高くなればなるほど少数派になっていきます。 「少数派である」ということは、つまり多数派からの圧力もそれだけ強くなるということをも意味します。   そのうえ、抽象度が高い人にとっての世界の見え方は、抽象度が低い人の世界の見え方とはまるで違っています。 おそらく史上最も抽象度の高い境地に達した釈迦にとってはこの世のすべてのものは「空」に見えています。空とは、実体がないということ。 それに比べると、お金という実体のないものにとらわれ、日々目の前の欲望に引きずりまわされているわれわれ現代人の世界観はかなりねばついたものでしょう。   世界の見え方そのものが違うのですから、抽象度の低い人から抽象度の高い人を見ると「なに考えてるかわからない」となります。 抽象度の高い世界に住んでいる人にとっての当たり前が、抽象度が低い人にとっては当然ではないのです。 したがって、必然的に両者の間には「ズレ」が生じます。   このズレが吉と出る場合には、抽象度の高い人の言っていることは「おもしろいこと」「ハッとすること」になります。逆に、凶と出る場合には「よくわからない・つまらない」で終わりです。 このことからすると、抽象度が高い人というのは、ある程度「おもしろい」ものであると言えるでしょう。   ただし頭が悪くなる"ユーモア"もある ただし、「おもしろいもの」がすべて「抽象度が高い」わけではありません。 例外があります。   たとえば、仲間内でしか通じないネタ。 内輪のネタは、言っている当人たちにとっては面白いでしょうが、狭い世界でしか通用しません。普遍性が低いのです。   また、人をいじったりからかったりしたときに発生する笑いも同様です。 その人が周囲から異なっていることを利用して笑いをとるとか、その人にとってはどうしようもないことをネタにするということは、やはり内輪ネタ=抽象度が低いネタ、ということになります。   抽象度が低い 普遍性が低いということは、実は「いくらでも取り換えが利く」ということでもあります。(逆説的なものの言い方になりますが)なぜなら、普遍性の低いことを考えるのは、「誰にでもできる」からです。誰にでもできるという   せっかくおもしろいことを考えるなら、抽象度の高い、普遍性の高いものにチャレンジしましょう。   おわりに さて、いかがだったでしょうか。 今回はちょっとゴタゴタした内容になってしまったのですが、言わんとしていることはもう一度言っておきます。 「狭い世界では一つの意味しか持っていなかったものが、思わぬ形で違う意味を持つ(=このとき普遍性が上がる=抽象度が上がる)」。 それが、「おもしろさ」と「抽象度」の関係です。   また、自分たちにとっては面白いと思っているネタであっても、それが普遍性の低い=抽象度の低いネタであれば、他に同じようなことを言っている人はいくらでもいます。自分たちにとっては唯一無二に思える「めちゃくちゃおもしろい友達の○○君」は全国で探せばいくらでも、それこそ掃いて捨てるほどいます。 ただなんにせよ、「おもしろいことを言える」ことと「抽象度が高い思考ができること」は何らかの共通点があるということは言えると思います。   抽象度を上げて、おもしろいことをガンガン考え付ける人になってください。 では、グッド・ラック!   ★おまけ 「抽象度を上げる」ためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。うさんくさいのは、読みもしないひとが勝手に言っているだけです。 今回この記事で書いたことは、抽象度という概念をはじめ、かなりの部分が苫米地氏の知見を基にしたものです。   以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

世界で一番頭が良い人はきっと「世界オタク」に違いない。

こんにちは! 栗栖鳥太郎です! 今回は、「世界一頭の良い人とは、いったいどんな人なのか」についての自分の考えを書いてみます。 世界で一番頭が良いのは間違いなく「世界オタク」だ 「世界オタク」とは? 私が勝手に作った言葉です。 文字通り、「この世界に関するありとあらゆることがら」に興味を持つことができる人です。   「この世界が、どういう風に動いているのか」 「この世界は、これまでどのように変化してきたのか」 「この世界に生きる人々は、どのようなことを考えているのか」 「この世界には、どんなすごい場所があるのか」 「この世界の中で、自分はどう生きるべきか」 「この世界はこれからどうなっていくのか」 ・・・などなど、 とにかく「いま自分が生きているこの世界に関することすべて」に関して「無尽蔵の・無制限の」興味を持てる人のことを、この記事では「世界オタク」と呼びます。   そして、(実際にそういう人がいるかどうかは別にして)私はこの「世界オタク」こそが最高の理想だと考えています。 いうなれば、ルネサンス期のレオナルドダヴィンチのような「万能人」のイメージです。   「○○オタク」の威力 まず、なぜ「世界オタク」という風なネーミングにしているのか?について簡単に述べます。   世の中には実にさまざまな「オタク」や「マニア」が存在します。 その証拠に、「○○オタク」「○○マニア」と呼ばれる人がなんと多いことか。   たとえば、「鉄道オタク」や「切手マニア」などが有名ですね。 「アニメオタク」も最近は市民権を得つつあります。 「自動販売機オタク」「無線マニア」「マンホールオタク」「アイドルオタク」「昆虫マニア」、などなど・・・おそらくあなた自身も、なんらかの「こだわり」「詳しい分野」をもっているはずです。   で、 彼らに共通することは、「その情熱の対象に関する知識が異常なまでに多い」こと。   たとえば、"鉄オタ"と略される「鉄道おたく」の人々は、座席の写真を見ただけで 「これは東京の○○線の車両で、車両の型番は○○だ」 とズバリ当てて見せたりします。   人間の脳は、「興味のない知識」「自分にとって重要でない情報」をザックザックと切り捨てる一方で、「これは面白いぞ」と思った知識は片っ端から覚えてしまうことができます。小さい子どもが生物図鑑に載っている生物をまるまる覚えてしまうのと一緒ですね。 脳は、「欲しい!」と思った情報については、きちんと覚えておいてくれるのです。   ・・・一般的に「おたく」というと、なんだか扱いづらい人々というイメージがあります。 が、これが学問になると一味違った見方をされます。   「数学オタク」は数学界にとって歓迎すべきものでしょうし、 「歴史オタク」がいなければ歴史研究は進みません。 「物理オタク」「解剖オタク」「文学オタク」など、自分の興味がある分野についてひたすら考え続けることができる人々は、とてつもない業績を残したりします。   それは当然といえば当然で、 人間の脳は、「やりたいことを思う存分やっているとき」に最も活性化します。   もともと自分が興味のある分野ならどれほど量が多くても自然に覚えてしまうこともあわせて考えると、 「○○オタク」というのは決して馬鹿にできないのです。   むしろ、「おたく」こそが人類の文明をここまで豊かに、複雑に仕立て上げた張本人だと言えるでしょう。   結論を言うと・・・ 「世界オタク」は、「この世にあるすべてのものに興味を持つことのできる」人だ、と先述しました。 そして、オタクは「興味のあるもの」に関して、ものすごい学習能力を発揮します。   つまり、 「世界オタク」とは、「この世に存在するありとあらゆる事象に興味を持ち、ものすごい学習能力でもってそれらの成り立ちや様相を明らかにしていく人」なのです。   学習の対象となる世界が無限大である以上、オタクとしての好奇心や知識欲も無限大になります。   好奇心や知識欲があるほど学習能力が上がることも考え合わせると、 「世界オタク」こそが世界でもっとも頭が良い人である、と断定できます。   「世界オタク」はどれくらい頭が良いのかのシミュレーション 私自身はまだまだ「世界オタク」の域にまでは達していませんが、彼らの見ている世界を想定することはできます。   おそらく、世界オタクである彼らは「どんなくだらないものからでも、この世界のすべてを知ることができる」「頭のなかで、この世界のなかのどこにでも行けるし、臨場感を持って体験できる」という境地にいるはずです。   たとえば、彼らが食事するとき。 世界オタクである彼らの目の前に、「ハンバーグ」が運ばれてきたとしましょう。 きっとその瞬間、世界オタクである彼らの頭の中では、こんなことが考えられているはずです。   ハンバーグとは何語か?国際音声記号で表すと?派生語は?ドイツのハンバーグ地方からとっているらしいがハンバーグ地方とはどんな場所か?ハンバーグ地方の歴史はどんな風で、それはドイツ史や世界史とどのようにかかわった地方なのか?ハンバーグという日本語を考えてみると「ハ」「ン」「バ」「ー」「グ」だが、これらの文字すべてにはそれぞれどのような歴史があって、どのような人々がこの文字を作ったのだろうか?ハンバーグに似ているハンバーガーの歴史は?ハンバーグの材料は?どのように飼育されたのか?環境への配慮は?挽肉の材料となったのは何肉と何肉?安全基準は大丈夫か?牛肉だとするとどこの国で作られたのか?アメリカ産だとするといまエアメリカにはどのような時事問題が発生していたかな?アメリカと自分の国との関係はどうだろう?どのような流通経路で、どのような輸送手段でもって運ばれてきたのか?どんな人が運んできたのだろう?肉を構成する物質は何だったかな?ハンバーグという食品が登場する文学作品を読んだことがあったかな?ハンバーグのカロリーはどのくらいだろう?カロリーという言葉は誰が作ったのだろう?ハンバーグを研究している人というのはいるのだろうか?栄養表示の基準でいえばこれはタンパク質や脂質などはどれくらいだろう?計算方法はどうなっているんだろう?ハンバーグと数学はどういう接点があるだろう?ハンバーグという存在をコンピュータに認識させるためにはどのようなアプローチがとれるだろうか?いまハンバーグを食べている最中の自分の脳はどこらへんがどのように活性化しているのだろう?自分の体はどのように変化するだろうか?食中毒は大丈夫だろうか?食中毒を起こす細菌にはどのようなものがあったかな?食肉の是非はどうだろうか?ハンバーグを運んできた店員さんはこんな表情をしていたけど、それはどうしてだろう?   ・・・などの目まぐるしい知識欲の連鎖が繰り広げられていると想定されます。実際にはたぶんこの100倍くらいの思考スピードと深さだと思いますが。   このクラスになれば、歴史学も数学も、法学も医学も、文学も工学も、情報学も倫理学も、すべての学問は「ぜんぶ同じことを言っている」ようにしか思えないだろうと考えられます。いずれも、この世界に関する事象の記述に過ぎませんから。   とにかく、世界オタクは「この世界に存在するものすべてを愛する」わけです(隣人愛どころの話ではなく、生物はおろか無機物や、空間そのものすら愛する)から、無限に知識がつながっていきます。   ちなみに、同じようなことが確か聖書にも書いてあった気がします。 「賢者は路傍の石からも学ぶ」みたいなことだったような・・・暇があれば探してみてください。   「世界オタク」になるには? では、世界オタクになるにはどうすればいいか?について考えます。   私の答えは単純で、 「抽象度を上げて考える」を極めることがその唯一の道だと思います。   「抽象度」というのは、このブログで何度も触れている苫米地英人氏の造語です。   定義するのが難しい概念ですが、 抽象度とは「その概念が、どの程度の情報量を潜在的に持っているかの度合い」だと私はとらえています。   ちょっと例を挙げましょう。 「○○工業の番長を張っているタク君」という概念は、抽象度が低い。 この抽象度を上げると、「日本人全体」になります。 もっと抽象度を上げると「人類」になり、さらに上げると「生物」にまで行きつきます。   このとき、「○○工業の番長を張っているタク君」は「具体的なひとりの人間」だけを指しますが、 「日本人全体」になると、いっきに一億人超にまで増えます。 さらに「生物」になると、人類はおろか爬虫類や微生物まで含まれることになります。   これが、「抽象度が上がった」=「概念に含まれる潜在的な情報量が増えた」ということです。     人類のなかでいままでの歴史上、もっとも抽象度を高く持つことのできた人はおそらく「釈迦」(と龍樹)です。 なぜなら釈迦は、「すべては空である」「すべては縁起の法にしたがう」と悟っているからです。   「すべては空である」(=すべてのものには実体がない)ということは、釈迦にとってはありとあらゆるものが「空」(実体がないもの)であると見えていた、ということです。   この「空」の概念は、すべてのものに適用されます。 つまり、空という思想は、潜在的な情報量のレベルがマックスである、ということ。   したがって、「空という概念は、潜在的な情報量がマックスである」ことからすると、「空という概念は、抽象度が最高レベルに高い」といえます。世界オタクと同様、抽象度が高いのです。   さらに「縁起」についても述べておくと、これまた抽象度がものすごく高い。 縁起の法とは、大ざっぱに言うと、「すべてのものは、相互の関係性によってはじめて存在する」「すべての存在は、互いに影響し合っている」ということ(釈迦は、縁起については『言葉では言い表せない』と言っています)。   「この世に存在するすべてのものは、相互に関係しながら成り立っている」というのですから、これまた「潜在的な情報量のレベルがマックスである」といえます。この世界に関するありとあらゆる事象を対象にしています。   釈迦の「縁起」と「空」の概念を本当に体得すると、「すべてのものが同じように見える」という境地に達します。 この「同じように見える」ことの対象は「すべてのもの」ですから、つまり「この世界に存在するありとあらゆる事象」ともとれます。   したがって、この世にあるすべての情報・知識・現象・存在について興味を持つ「世界オタク」になるためには、釈迦のようにとてつもない抽象度を操れるようになればよい、と結論づけることができます。   このように、抽象度を上げて考えることができれば、 「ああそうか、すべての学問は、この世界に関する情報を記述しているんだ」 「すべての学問は、たがいに相互関係しながら存在しているんだなあ」 という認識ができるようになります。   「世界オタク」は、世界を平和にする さらに踏み込んだ話をすると、「世界オタク」は世界の平和に多大な貢献をするでしょう。   単純な話ですが、「世界オタク」は、この世界が好きだからです。   たしかに彼らにとってこの世界はすべて「空」にすぎないかもしれませんが、 実体がない「空」であっても、あらゆるものは、ほかのものとのかかわりのなかでその役割を果たしています(縁起)。   彼らはすべてのものを等しく愛しますから、すべてのものを慈しみます。   鉄道おたくの人が鉄道をこよなく愛するように、世界を愛するはずです。   「創造することの難しさ」と「破壊することのたやすさ」を両方知っている彼らは、 より難しくて価値のある「創造」を志すようになると考えられます。   小さな自我にとらわれた結果破壊的行動を起こす、というようなことは、彼らにとってありえないことなのです。   まとめ + 抽象度が上がる本の紹介 さて、いかがだったでしょうか。   「世界オタク」は、この世界のすべてを愛する人々です。 われわれ人間は確かに不完全ではありますが、この境地になることを目指して日々邁進していくことはできるはずです。   すべてを愛する彼らにとっては、この世界にいられること自体が最高の幸せです。 世界オタクになって、もっともっと楽しい日々を送りましょう。   では、グッド・ラック!   ★おまけ:抽象度を上げて世界オタクになりたい人向けの本 先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。 この人の本は、自意識過剰な自分に別れを告げるためのヒントが満載です。 本当に面白いし、使えますよ。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」 大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   本はやだな~という人向けに、苫米地氏がしゃべっている動画を上げておきます。 [youtube https://www.youtube.com/watch?v=QbjuXkccynw]     ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――    

頭の良い人はみんなやっている。「三法界瞑想」で、自分の可能性に気付く

こんにちは! クリストリタロウです! いまぼくは、『思うままに夢がかなう 超瞑想法』(苫米地英人)という本を読んでいます。 タイトルがちょっと胡散くさい感じもしますが、確実にIQを高めるための瞑想ドリルが多数紹介されています。 今回はそのなかから、「三法界瞑想」なる瞑想法を紹介します。 今回は、確実に「頭を良くする」瞑想の特集です。   思うがままの存在になる! 「三法界瞑想」とは? 原始仏教で「瞑想」は重要な位置を占めています。 そもそも、仏教の開祖である釈迦が悟りを開いたのも、瞑想の最中だったくらいですから。   瞑想には、いろいろな方法があります。 とくに、「我というものが実在しないことを悟る」ために行う瞑想のなかには「六道瞑想」や「十法界瞑想」なるものが存在します。   仏教でいう"六道"とは、「天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」のこと。有名ですね。 で、この六道の上に「声聞、緑覚、菩薩、仏」の四界を加えたものが、"十法界"です。   (以下、『思うがままに夢がかなう 超瞑想法』より引用) 人によっては、六道や十法界を「生まれ変わり(輪廻転生)の法則」だと解釈していますが、そもそも釈迦は輪廻転生を否定しており、六道や十法界を輪廻転生と結びつけることは仏教的な考えではありません。 では、六道や十法界とは何かといえば、どちらもナートマン瞑想の方法論なのです。   (注:自我=アートマンに、サンスクリット語で否定を表す”n”をくっつけた言葉。つまりナートマンとは『自我が存在しないこと』を表す)   つまり、六道や十法界という考え方は、瞑想のときにだけ使うべきものである、ということですね。   そして、六道瞑想や十法界瞑想では、 「自分の中には餓鬼もいれば、仏陀もいること」 「自分のなかに、あらゆる可能性が存在していること」 「その可能性の中から、自分が『何を選ぶか』によって、自分という存在が決まること」 をしっかり認識し、最終的に「じゃあ、自分は○○を選ぼう」と、なりたい自分を自分の心(自分の意思)で選びます。   注意すべきなのは、人間という存在を「悪い人」「良い人」「犯罪をする人」「犯罪をしない人」といった単純なタグ付けでもって定義することはできない、ということです。 そういった判断は、「その人がえらんだ行動」によって左右されてしまうからです。   たとえば、ふだんは優しい人としてふるまっている人間が、凶悪な犯罪を犯したときのことを考えてみればわかりやすいでしょう。 そういう事件について聞いたとき、私たちは 「ふだんの優しい彼と、凶悪な犯罪を犯した彼。どちらが彼の本性なのか?」 と考えがちです。 しかし、その問いかけ自体がナンセンスです。 なぜなら、優しさも凶悪性も、どちらもその都度何を選んだかが、その人のあり方を決めているのです。 その選択の結果、あるときは「優しい人」になり、あるときは「凶悪な犯罪者」になってしまうだけなのです。 あくまでも、 「ひとりの人間の心に相反するすべての人間性があり、心が何を選んだかによってその人の存在や生き方が決まる」 のです。   ちょっと長くなったのでまとめましょう。   要するに、「自分という存在は、あらゆる可能性の中から選び取った行動・思考・言動といったものによって定義される」ということ。 で、その「選択可能性」しだいで人間は仏にも悪魔にもなれる――という事実を瞑想するのが、「六道瞑想」であり「十法界瞑想」です。   氏は言います。 あとは、あなた自身がどんな自分を選ぶのかの問題です。 餓鬼を選ぶこともできますし、人間を選ぶこともできます。仏陀になることだってできるのです。   ・・・しかし、六道瞑想や十法界瞑想は、仏教へのなじみが薄い一般人にとっては、正直言ってハードルが高いのも事実です。 正直言って、まだ地獄道や人間道はわかるかもしれませんが、緑覚や声聞など「ハァ?」って感じでしょう。   苫米地英人氏の「三法界瞑想」は、その難しい「六道瞑想」「十法界瞑想」をより一般向けに、カンタンにしたものです。   「三法界瞑想」のやり方と具体例 前置きが長くなりました。 ここからは単刀直入に行きましょう。   三法界瞑想とは、「異なる3つの世界で、まったく違った生き方をしている自分を思い描く」瞑想法です。   わかりやすいように、「貧乏人の自分」と「お金持ちの自分」と「仏陀になった自分」を例にとりましょう。   「貧乏人の自分」を瞑想する まずは、「貧乏人の自分」を想像します。 「銀行の預金口座に入っている金が現在の100分の1になった生活」をイメージしてみましょう。   たとえば、こんな感じ。 「当面の生活費をかせぐためにいくつかの仕事に就き、必死で働く自分」 「日々の生活費を工面するためにサラ金でお金を借りる自分」 「お金欲しさに窃盗や強盗などの犯罪に手を染める自分」 「公園のベンチに寝泊まりしているところを知人に見られてしまった自分」 などなど。お金がついに無一文になってしまったら、自分は一体何を思い、何を考え、どう行動するのか。 そこまで徹底的に思い描きます。   「お金持ちの自分」を瞑想する 次に、「お金持ちの自分」を瞑想しましょう。 わかりやすいように、「銀行の預金口座に1000億円くらい入っている」状態をイメージします。   さて、これだけのお金があればどういう生活ができるのか。 たとえば、 「仕事を辞めて、資産運用で不労所得を得ようとする自分」 「車や家などほしいものを買い、食べたいものを食べ、世界中を旅して、放蕩三昧の生活をする自分」 「世界中の恵まれない人々のために全額寄付したいと考える自分」 などなど。 とにかく徹底的にリアルに、五感を使って臨場感たっぷりにイメージしてください。 イメージは、リアルであればあるほど良しです。   「仏陀になった自分」を瞑想する さて、三法界のラストは「仏陀になった自分」の瞑想です。   3つ目の「仏陀になった自分」はこれまでの2つよりも抽象度が高く、金額そのものをまったく気にしません。 「仏陀」といわれると難しそうですが、実はこれがいちばん簡単です。   数字をまったく気にしない人ですから、預金通帳のゼロが増えようが、「それが何?」と思い、ゼロが減ろうが「それが何?」と考えます。 そして、預金通帳の金額に関わらず、自分がどんな生活を送りたいかを考えて、その通りの生活をします。 仏陀ならばお金になんて縛られないでしょう。 「貧乏人の自分」「お金持ちの自分」のどちらも、所詮はお金にがんじがらめにされた存在です。 悟りきった自分、お金云々という次元を超越した生活をしている自分を想像してください。   お金に縛られない発想ができるのは、この「仏陀になった自分」だけです。 この瞑想をやっていくうちに、お金が唯一の価値尺度になってしまっている現代資本主義社会の洗脳から脱することができます。   いままでは「金がなければ人生終わり」「年収〇○○万円はないと人生詰みだよね」といった迷信に陥っていたことでしょう。 でも、本当は「えっ、意外とカネがなくても生きていけるじゃん」「アレ、自分が本当にやりたいことは、お金でどうこうなるものじゃなかったんだ」――そういうものです。今までがお金に縛られすぎていただけです。   三法界瞑想のテーマは、別に今回見てきたような「お金のある-ない-関心がない」でなくても可です。 なんでも良いから、とにかく「自分の行動と思考しだいで、自分という存在が決まるんだ」という思考の柔軟性を獲得すること。 これが大事です。     まとめ + おすすめの苫米地本 さて、いかがだったでしょうか。 この三法界瞑想、授業中でも通勤中でも寝る前でもできます。 リラックスした状態で、じっくり「可能性としての自分」を瞑想することは楽しいものです。   とにかく、「自分の選択ですべてが決まるんだ」という事実をよく考えること。 当たり前すぎてみんな意識しないのですが、「今の自分は、過去の自分のした選択の積み重ね」であることを自覚すべきです。   それを自覚すれば、すくなくとも「ただなんとなく、惰性で生きている自分」から脱するための第一歩を踏み出せたことになるのですから。   では、グッド・ラック!   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ★おまけ:苫米地英人氏関連のおすすめ本★ この分類法を提唱した苫米地英人氏の本は、実利的なものが多く参考になります(すごすぎて胡散臭ささえ漂っていますが)。 IQを高くしたいなら、IQの高い人の本を読むのが一番です。 本の内容自体はぜんぜん難しくないうえ、内容的にとても面白いものばかりなので、ぜひ読んでみてください。   ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「夢をかなえる PX2完全マスター」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――

「いただきます」「ごちそうさま」でIQが上がる

こんにちは! クリストリタロウです! ぼくは現役の大学生なので「若者の生態」についてはかなり詳しいのですが、 どうも最近、「いただきます」「ごちそうさま」をきっちり言う人が少なくなったなあ、と感じます。 そこで、今回の記事では「いただきます」「ごちそうさま」をきちっと言うことの利点を、ぼくなりの視点から紹介します。   本題の前に:「IQ」の定義 今回、「IQを高くする」というフレーズを記事の題名に入れてみました。   まずは、日ごろ何気なく使っているこの「IQ」という言葉の定義をハッキリさせておきましょう。   IQとは、「抽象的に思考する能力を数値であらわしたもの」です。   よく言われる「この文章の意味がわかったらIQ120越えらしいぞ・・・」みたいな使われ方は、正確ではありません。 IQテストの結果が良い、というのはあくまでも「IQが高い=抽象的に思考する能力が高い結果、そうなる」にすぎないのです。   このIQの定義は、ぶっちゃけた話、まるまる苫米地英人氏の受け売りです。 受け売りというよりかは鵜呑みに近いんですが、いまのところこの定義で不都合は生じていないので、そのまま使ってしまいます。IQを上記のように定義すると、実にいろいろなことが説明できるのです。   たとえば、IQが高くないと就けない仕事の代表格である「数学者」は、高度な抽象的思考をします。高度な抽象思考ができる人でないと、数学的議論にはついていけないはずです。 目の前にある具体的な質感を持った世界から離れて、数式によって表象される高度な法則の世界のなかを泳ぎ回らねばならないのですから。   「いただきます」「ごちそうさま」を言うと、なぜIQが高くなるか? 「いただきます」は「プチ瞑想」である   日本の教育では、「いただきます」にいろいろな意味を持たせています。   たとえば、ぼくはかつて大人たちからこんな風に言われた記憶があります。   「お米を作ってくれた農家の人たちに感謝するために『いただきます』を言いましょう」 「世界には、食べたくても食べられない子供たちがいます。いま自分たちが恵まれていることに感謝して、『いただきます』をしましょう」   これは一種の文化的刷り込み(洗脳)ではありますが、要するに大人たちは、   『いま目の前にある食事は、農家や運搬業者、地球の環境、日本の平和といった、たくさんの"縁"のなかで支えられているんだよ。それを自覚するために、「いただきます」を言いなさい』   と言いたかったのだと思います。   「たくさんの縁」とは・・・?   そもそも「縁」は、仏教の用語です。 縁とは、「関係性」のこと。 仏教における縁とは、「”それ単体で存在するもの”というのは存在しないんですよ。ものごとはすべて、ほかのものとの関係性(=縁)のなかでのみ存在するんですよ」という意味です。   たとえば、仏教において「自我(アートマン)」は実体のないものとされます。 自我(アートマン)は、それ単体では存在しえない(空である)けれども、そのまわりにあるいろいろな「縁」のなかで役割を果たすもの/関係性をもつもの、として存在するといえます。   つまり、縁とは、「あらゆるものごとが、それをとりまく因果関係に支えられて存在している」こと。論理学でいう充足理由律(どんな出来事にも原因はある)みたいなものです。   ここからわかることは、   『「いただきます」というとき、目の前の食事にまつわるいろいろな"縁"に思いを馳せることになる。   一日三度の食事で毎回「いただきます」を言えば、目の前に存在する具体的な食事から離れて、食事にまつわるいろいろな縁という抽象的なものを考えるクセがつく』   ・・・これが、ぼくが「いただきますをしっかり言うと、IQ(=抽象的思考の能力を示したもの)が上がる」と主張する根拠です。   つまり、「いただきます」と言う瞬間に、人間は「目の前の食事を成り立たせている、数限りない縁」をプチ瞑想することになるということです。   一日三度の食事はすなわち、一日三度の瞑想をやるのと一緒です。   前出の苫米地氏も、「瞑想は、なにも考えないことではない。瞑想とは高度な抽象的思考を行うことだから、IQを上げる効果がある」という主旨のことを述べています。   「ごちそうさま」で記憶力アップ   「ごちそうさま」と言うときも同様です。 目の前の食事を支えている縁に感謝することを、食後にも行うというだけのことです。   ただ、「ごちそうさま」を言うのは食事を済ませたあとなので、 「ごちそうさま」を言うことは、いましがた終えた食事の内容を思い出す訓練になる とも言えますね。 「いまなにを食べたかな」ということを「思い出す」訓練になるのです。   記憶力を上げるためには、「覚え方を工夫する」こともたしかに重要ではありますが、 それ以上に「思い出す訓練をする」ことも必要です。   「ごちそうさま」を言うだけで記憶力が上がるトレーニングになります。 しかも、一日三回。一切手間はかかりませんしタダです。 やらない手はありません。   ついでにこんなメリットも   「いただきます」「ごちそうさま」を言うメリット(というより副次的効果)、まだまだあります。 冗談半分ですが、並べておきます。   ・毎日が(多少)すがすがしくなる   ・より健康になる…感謝の気持ちは体に間違いなく+にはたらきます。逆に、ブチ切れながら食べるごはんは不味いですし、何より循環器系に負担がかかります。   ・注意力がつく…食事にきちんと注意を向けることになるため。   ・育ちがいいと思われる…いただきます&ごちそうさまも言えないような人はそう判断されても仕方ありません。   まとめ + IQを高くしたい方のためのおすすめ本   さて、いかがでしたか。   今回の内容を簡単にまとめると、 「いただきます」と言うとき、目の前の食事を超えた因果関係に思いを馳せることになるから抽象的思考能力が上がる。 「ごちそうさま」も同様の効果あり。ごちそうさまには記憶力を高める作用も。 ということになります。   ふだん何気なく言っている「いただきます」「ごちそうさま」には、こんなに良い効果がたくさんあるんですね。   面倒くさい? え、そうかな・・・   すくなくともやって損はないですから、毎日の習慣にしましょう。 毎日やっていると、確実にあなたのIQは向上していきますよ。   では、グッド・ラック!   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――   ★おまけ:IQを高めたい人におすすめの本(の宣伝)★ ・「トリーズ(TRIZ)の発明原理40 あらゆる問題解決に使える思考支援ツール」(高木芳徳) ・「立ち読みしなさい! 美しいほどシンプルな成功術」(苫米地英人) ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」(苫米地英人) ・「脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める」(築山節) ・「東大家庭教師が教える 頭が良くなる思考法」(吉永賢一) ・「東大家庭教師が教える 頭が良くなる読書法」(吉永賢一) ぜひ参考にしてください。

なぜ「よく歩く人」は圧倒的な成果を出せるのか?

こんにちは!クリストリタロウです! 今回は、ぼくが生活の中に取り入れている「1日1時間歩く」という習慣から得たことをお話しします。 この習慣は、わりと最近はじめたのですが、とても脳に良いと感じています。 歩くことが、これほど「頭を良くすること」に効果的だとは、ちょっと思ってもみませんでした。 たくさん歩くメリットと、歩くことでなぜ脳が活性化するのかのメカニズムについて詳しく見ていきましょう。   なぜ歩くと、「うまくいく」のか? 頭のキレが良くなる 頭の中で、複雑な物事をスルスルと処理できるようになりました。 思考力が付いて、我慢強く粘り強くなった気がします。   実際、「リズミカルな有酸素運動は、脳の前頭前野(=思考や理性をつかさどる部位)の機能を高める」という報告が数多くされています。 (「脳を鍛えるには運動しかない!」ジョン・J・レイティより)   毎日1時間歩くようにしてからというものの、じわじわと「頭の地力」みたいなものがついてきた感じがあります。 「歩く」というのは、「前頭前野を物理的に鍛える」方法といえるのかもしれません。 また次の節で見るように、昔から多くの人が「考えることと歩くことは相性がいい」と感じてきたようです。   偉人には、「散歩」の習慣があった人が多い ・古代ギリシャの哲学者の一派に「ストア派」という学派がありました。 まあ簡単に言うと、めちゃくちゃ頭の良い人の集団です。 ストア派という名の由来は、かれらが「壁画で飾られた柱廊(ストア)を歩きながら議論した」ことからきています。現代風に言うなら、「ウォーキングしながらディスカッションした」というところでしょうか。   ・「Appleの故スティーブ・ジョブズは何か重要な話をする時や考えをまとめる際にはとにかく公園や道路など、あちこちをよく散歩していた」ことが知られています。 ・小学校に銅像が飾られている二宮金次郎も歩きまくってたそうです。実際彼は歩きながら読書していた(というより、せざるをえなかった)とのこと。 ・ドイツの偉大な哲学者カントも毎日規則正しく生活し、散歩の習慣があったことが知られています。   ・また、こんな報告もされています。 人間は歩くと心臓の鼓動が速くなり、座っている時よりも多くの血が体内を循環することになるので、血中の酸素が筋肉だけでなく体中のあらゆる器官に行き渡るようになり、脳にも酸素がたくさん供給されるようになります。この結果、運動中や運動後に記憶や注意力に関するテストを行うと、座っている際よりもパフォーマンスが向上することが分かっているのですが、これはとても軽い運動でも十分に効果を発揮するそうです。 また、定期的な運動は脳細胞間の新しい連結を増やすことにつながり、脳組織が年齢と共に退化していくことを防ぐことにもつながります。さらに、海馬の量を増やしたり、新しいニューロンの成長を刺激したり、ニューロン間での信号のやり取りを行うレベルを上げてくれたりもするそうで、運動が脳に与える影響がいかに大きいかもよく分かります。 (参考:なぜ歩きながらだと考えがうまくまとまるのか? Gigazineさんから)   そもそも人間は運動するようにできている 進化心理学には「サバンナ仮説」という考え方があります。   人間という種は、100万年前~1万年前あたりまでアフリカのサバンナで進化し自然淘汰を受けてきました。 ヒトが都市に住むようになったのは、たかだかここ100年近くのことです。   したがって、人間の機能は 「現代の都市ではなく、アフリカのサバンナに適応するようにできている」 と考えるのが自然ですね。 この考え方を、サバンナ仮説といいます。ミスマッチ仮説とも、進化遺産仮説とも呼ばれます。   このサバンナ仮説からすると、人間の運動機能というものは、ほんらい「サバンナで活発に動き回る」ことを想定してできているといえます。 人間は、めちゃくちゃ動き回る生活を太古の昔から続けてきた。 おそらく昔の人間は、1日に5キロとか10キロとかの距離を、獲物や果実を探して歩き回っていたでしょう。   では、現代都市に住む人の運動量はどうでしょうか? 大自然の中で活発に動き回っていた時代に比べると、まさに雲泥の差です。 現代人は、運動不足で当たり前といえます。   だから、意識して運動しないかぎり、本来人間にとってベストであるはずの運動量は確保できません。   日常に「歩く」を取り入れよう 健康にもよく、脳にも良いのですから、なんとかしてウォーキングを日常生活の一部にしたいものです。まったく歩かない寝たきりの生活というのは、脳にとっても体にとっても「最悪」なのです。 築山節氏の名著「脳が冴える15の習慣」には、こんなことが書いてあります。   運動系の機能を使うのが思考系の活性化のためにも有効なのは、次のように考えてみても分かりやすいかも知れません。 足や手や口を動かす運動系の機能は、脳の表面中央付近に分布しています。その脳領域を十分に働かせるということは、そこに至る脳の血流を良くすることとイコールです。 特に足を動かすための機能は、頭頂部に近いところにある脳領域が担っているので、よく歩いているうちに、血液が脳の高いところまで汲み上げられます。歩くというのは、足を中心とする全身運動ですから、脳全体に血液が巡りやすくなる。散歩をした後に脳が働きやすいのは、そういう理屈からも説明することができます。 本文26ページから 散歩をすると、物理的に「頭のてっぺんに血液が集まる」わけです。 で、そのおすそ分けをもらうかたちで他の部分にも血流が回る・・・という話ですね。   余談:ぼくの歩き方 ふだんは大学構内を歩くようにしています。 公道だと自転車や車にぶつかる可能性が高くなってしまうためというのもありますが、 キャンパスのなかにはさまざまな植物や建物があるので、見ていて飽きないのです。   歩くスピードは、意識してちょっと速めのペースにしています。東京の渋谷を歩いている人くらいかな。 歩くスピードと頭の回転の速さは、どうも比例するんじゃないかな・・・と思ってのことです。 せかせかしているように見えるかもしれませんが、これが意外と心地良いんですよ。 慣れてしまえばどうということもありません。   たいていの場合、アマゾンのAudibleでオーディオブックを聴きながら歩いています。 3倍速で聴いているので、1日1時間歩くと、だいたい3時間分のオーディオブックを聴けます。 新書1冊がだいたい3時間分なので、歩きながら新書を1日1冊読んでいる(聴いている)という勘定になりますね。 耳から入ってくる情報というのは、意外と頭に残りやすいので、おすすめです。 Audibleのおすすめ本も後日紹介しますね。   まとめ・参考文献 最後に、今回書くにあたって参考にした書籍を紹介しておきますね。 「脳を鍛えるには運動しかない!」(ジョン・J・レイティ) 「脳が冴える15の習慣」(築山節) 「病気の9割は歩くだけで治る! ~歩行が人生を変える29の理由~」(長尾和宏) 「人生のモヤモヤは歩くだけで消える」(猪狩 大樹) 「医師がすすめるウオーキング」(泉 嗣彦) 「ウォーキング考―最短距離で最大効果を生み出す「正しい歩き方」 」(デューク更家)   ・・・さて、いかがだったでしょうか。 われわれが日々なんとなく行っている「歩く」という行為は、あらためて見直すと「自分の能力を向上させる大きなチャンス」なのです。   ほかの人の知らないウォーキングの効果を知って、もっともっと「デキるひと」になりましょう! では、グッド・ラック!     ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただきたいと存じます――

知っておきたい! デキる人・成功者の『読書量』はどれくらい?

こんにちは!クリストリタロウです! 「成功者は読書量がちがう」って、よく言いますよね。 そこで、「頭が良くなるブログ」として、今回は・・・ 「実際に成功者がどれだけ読書していたのか」 「最低限これくらいの量は読むべき」 「読書量にまつわるぶっちゃけ話」 についてまとめてみます。 これを読めば、もう読書量にまつわるいろいろな情報に惑わされることもなくなります。 では、レッツ・読書。   有名どころの読書量・本の虫エピソード いちばん気になるのは、「日本人のトップクラスはどれくらい読んでいるのか?」だと思います。 ですから、まずはそこから見ていきましょう。   あの作家の読書量と保有冊数、購入費より一部引用。 佐藤優・・・蔵書4万冊、(速読・超速読含めて)一月300~500冊ペース 立花隆・・・7~8万冊。 井上ひさし・・・20万だか30万冊だか。一日30冊。 林修先生・・・中学時代には1000冊の本を読破。同じく中学時代、ちくま日本文学全集シリーズを読破したそうです。 勝間和代・・・「勝間(和代)さんの例を見ても、2007年ころには毎月10万円本を買っていると言っています。ところが最近では、本の購入額が15万円に膨れ上がっている。」とのこと 成毛 眞(もと日本マイクロソフト社長)・・・『自宅に置いてあるのは手元に置いておきたい本と、資料として利用できる本である。大体1万5000冊ぐらいあるだろう。別荘にはその倍の本が置いてある。』とのこと 日垣 隆(えらいひと)・・・『私は懲りもせず1ヵ月に100冊以上の本を読んでいます。』とのこと   いま日本の”トップ層”である人々は、これまでの人生で読んだ本が5ケタになるくらいのケースが多いようですね。 「ご、5ケタ~?」と思うかもしれないですが、日本はかりにも先進国で、しかも本好きな人はいくらでも読めるようなシステムになっているのです。ホンモノの読書好きはそれくらい読んでいて当然といえるかもしれません。   じゃ、日本のトップ層がどれくらいかわかったところで・・・ 「アメリカの学生は、日本の学生の数倍勉強する」とよく言われる、アメリカ合衆国の場合。 どうなんでしょうか。   アメリカの学生(ハーバードなど)・・・四年間で最低1000冊は読まされる(流し読みの不可能な類の本です) ハーバード、イェール、カーネギーメロン大学などの大学院博士課程・・・二年間で2000~3000冊を読む必要がある。単純計算で1日30~50冊。   競争社会アメリカのトップ層はやはり相当読んでますね。「ハーバードで学部~院修了まで学んだ」というくらいのガッチガチのエリートたちは、だいたい二十代中盤くらいまでに3000~5000冊といったところでしょうか。   また、「読む量がもっとも求められる」といっても過言ではない「作家の読書量の平均」はどれくらいでしょうか。これもデータがあります。 「作家であるということ」より引用。  作家と呼ばれる人の読書量はやはり半端ではありません。で、講師として出講なさったプロ作家の先生に、プロデビューの時点で、蔵書は何冊位持っていたかという質問をしてみました。結論としては、三千冊から四千冊というところでした。  平均で三千冊から四千冊ではありません。多い人は、七、八千冊というケースもありました。プロとアマの境界線が、大体それ位かなということです。それ以下の数字を答えた方は居なかったという意味です。  この三、四千冊というのも、読んで処分した本や、人から借りたり図書館を利用した本は計算に入りませんから、実際の冊数はもっと増えるでしょう。個人的に、五、六千冊と考えています。つまり、プロとしての文章センスを養うには、その程度の読書が必要だということです。  もし仮に、今まで一冊も本を読んでいない人がプロ作家を目指したとします。平均、二日のペースで本を読んだとして一年約百八十冊。このペースで読んでいくと、約三十年前後掛かります。逆に言えば、全くの素人でも、三十年読書にいそしめば、プロ作家に迫ることが出来るということです。  時々、二十歳そこそこでプロデビューとか、十代でプロデビューという人が居ますが、こういう人は、プロ作家として最低限必要な読書量を、二十年前後でこなしてしまったということなのだと思います。  今現在プロ作家を目指している人は、一般の人よりも当然沢山の本を読んでいるはずです。ですが、もし五、六千冊の本を読んでいる自信が無い人は、原稿用紙を埋めるのに忙しくて読書の時間が取れないような生活を続けるよりも、読書に重点を置いた生活を考えた方が良いように思います。  勿論、五、六千冊のラインをクリア出来ればもう本を読まなくてもよいという意味ではありません。プロ作家は本を読み続けています。ベテランの中には、蔵書何万冊という方もざらにいらっしゃいます。物書きで生きていくつもりなら、一生読書人ということでしょう。    つまり、日本人作家の平均は、アメリカのトップ学生よりちょっと見劣りするくらいでしょうか。それでも、相当な読書量であることには違いありません。   また、長いので引用ができないのですが、 「圧倒的な読書量を平然とこなす友達」のエピソードが載っているサイトもあります。   また、 大学の教授もやはり相当な読書量を求めます。 某○○○大教授の橋本努先生が、学生時代の読書量についてこう振り返っています。   大学院に進学すると、しかし求められる読書量はケタ違いだった。哲学者廣松渉先生の講義に熱心に参加したのだが、廣松先生は、「一日、六百ページを読まないとダメだ」という。しかも先生は、「学部二年生までに、岩波文庫の白帯をすべて読み終えていないと、哲学を志すことはできない」というのだ。   ・・・一日600ページ。いわゆるライトな本は数えないで、です。 大学の学部生で日本のトップクラスになりたいなら、それくらい読めばいいということですから、わかりやすいですね。   現実的に考えて、これくらい読めば成功できる! というライン いまの日本人は、「活字」からどんどん離れていっているようです。 このテーマに関しては、苫米地英人氏の「ほんとうに頭が良くなる「速読脳」のつくり方」でわかりやすく述べられていますから、引用します。 「1ヶ月に1冊も本を読まない」と答えた人が全体の46.1%にものぼっている (中略) ・いまの日本人のほぼ半数が月に1冊すら本を読んでいない ・いまの日本人の中では月3~4冊読めば、読書量トップ10%に入る (中略) ・年収と読書は正比例する   なんだか拍子抜けしちゃいますね。いまの日本では、「読む人はほんとうにたくさん読むけど、読まないひとはぜんぜん読まない」という傾向が強化されているということになりそうです。   ・・・ここまでの例をふまえると、「どれくらい読めば成功者になれるのか」には、ある一定の基準が見いだせそうです。 つまり、 文章を扱う仕事・クリエイティブな仕事・ビジネスの世界で「大」成功したいなら・・・まずは「1日1冊」以上読めばいい。最初のころは1日1冊でもキツいだろうが、活字慣れ+知識量が増えてくることによって、1日何冊でも読めるようになる。 ひとつの目安は、20代の中盤までに「3000~5000冊」読破すること。 それが達成できれば、日本どころか世界でもトップクラスです。   そこまでは望まないなら・・・月に3,4冊でもいい。望ましくは、10冊。これで日本のトップ10%。   読書はつまり、「自分以外の人の意見を聞いてみる」ということですから、まあ、自分のためになるということは間違いないはずです。読書量を増やすことにあまりとらわれすぎずに、まずは自分のできる範囲でがんばりましょう。   読書量にまつわる、ぶっちゃけた話 ・どんな世界にも、自分を大きく見せたがる人はいるもんです。「〇〇? ああ、読んだよ。おもしろいよね」(読んでない)とか、「1日1冊読まないと気が済まなくてさ」(マンガばかり読んでいる)という感じで、読書量を「盛る」ひとも多いですから気を付けましょう。   ・読むジャンル・・・堀紘一氏の「自分を変える読書術」によると、ビジネスパーソンがかならず読むべき本のジャンルは、 ・生物学 ・哲学 ・軍事学 ・歴史 だそうです。小説以外でどんな本を読めばいいかわからないひとは、参考までに。   まとめ + 読書量を増やすために参考になりそうな本 さて、いかがでしたか? ネットで本を買ったり電子書籍を読んだりできるいまの時代、読む人はガンガン読むようになっています。読まない人はスマホのニュースやまとめサイトばかりで、情報を与えられる側にどんどんまわっていきます。 変化が速い世の中になってしまったからこそ、読書量がものをいうと思うのです。 この記事に書いてある量を目安にしながら、どんどん読んでいきましょう。 では、グッド・ラック!   ・おまけ・ ・・読書法関連の本のおすすめ。読書法についてかいてある本は腐るほどありますが、本当に良い内容の本だけを集めました。参考にしてください。   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただきたいと存じます――

”デキない人”が今すぐ「できる!」と自分を洗脳すべきただ1つの理由

こんにちは! クリストリタロウです。 今回は、「自分のことを”出来ない人”だとおもっている人」に向けての情報。 実のところ、 出来ない人が出来るようになるためには、たった一つのことをやりさえすればいいのです。 それをお教えします。 では、レッツ・進化。 デキない人は、自分に「デキない」という呪文をかけている。 結論から先に書いちゃいます。   今回、ぼくが声を大にして言いたいのは、 デキない人がいつまでもデキないままでいるのは、自分に対して「自分はデキない人間だ」という刷り込みをかけているからです! そして、 その刷り込みを消して、「自分はデキる人間だ」と思い込むことができれば、あなたの人生はあっという間に好転していきます!! というだけのことです。   ちょっと考えてみてください。 幼稚園や小学校のころからずっと、あなたは「クラスで一番上の立ち位置」でしたか? 中学・高校でもずっとナンバーワンでしたか? 自分自身に、なんらかのコンプレックスをお持ちですか? 容姿でも学歴でも能力でもなんでも、「それを言われると心に来る」という弱みがありますか? 「自分という人間が軽んじられた」と思った経験は、何度もありますか? どうでしょう。 「うっ、痛いところを突きやがって」と感じましたか? この記事のタイトルに惹かれたということは、あなたも自分のことを「デキない人間」だと思っているはずですから、思い当たるフシがかならずあるはずです。   周囲からの評価というのは、強烈です。たとえ実際には「上の下」ぐらいの能力を持つ人であっても、「自分はやっぱり、トップ層の連中にくらべると、できない人間なのだ」と思い込むと、ほんとうにダメになるんです。 ほとんどの人は、周囲の人間から「おまえはだめだ。パッとしない人間だ。がんばっても無駄だ」と何度も言われる(もしくは、態度で示される)ことによって、どんどん自分自身への評価を下げていきます。ブラック企業での洗脳と一緒です。   そして9割の人が、そんな「デキない自分」という自己像に見合った、低レベルな行動ばかりを選択するようになっていくのです。   たとえなにかをうまくやり遂げられそうなときでも、「デキない自分が、うまくいってはいけない」と無意識のブレーキを踏んでしまう。そして結局、イメージ通りに失敗する。失敗すればするほど、周囲からの評価も下がっていく。   「自分はデキない人間だ」という刷り込みがされているかぎり、一生かかってもその負のスパイラルから抜け出すことはできません。 だからこそ、 まずは「自分は、デキる人間なのだ」と自分を洗脳することが必要なのです。   まずは自分を「デキる」と洗脳することからはじめよう。 「自分はできるんだ、と思いましょう」なんてことを言うと、 「それができないから困っているんだ!」という怒りの声が聞こえてきそうです。   でも、方法はありますよ。 一番確実で、やりやすいものをご紹介します。   やり方は簡単です。用意するものは、「自分以外に誰もいない空間」だけ。要はあなたの部屋とか、トイレの個室でもいい。ブツブツつぶやいても誰も気に留めないようなところであればどこでもオッケーです。   いいですか? 用意できましたか?   自分を「デキる」と洗脳する第一歩は、これ・・・   「自分にしか聞こえないくらいの声で、可能な限り速いスピードで、『自分はデキる人間だ』とひたすら唱え続ける」   だけです。 「デキる」という、言語による刷り込みがいちばん効果的なのです。さらに、それを高速で唱えることによって、「自分はデキる人間だ」以外の思いが一切消えた状態になります。人によっては、フワーッと浮くような感覚があるかもしれません。   あ……たぶんいまあなた、「うっわ、キッモ!」と思われたでしょう。 正常な反応です。 実力は大したことがないのに根拠のない自信を持っているひとに対する拒絶反応ですね。   しかし、それをやっているところというのは、誰に見せるわけでもない。知っているのは自分だけです。べつに人前でやらないなら、いいじゃないですか。   この「自己洗脳」をやる理由となるのは、つぎの3つの事実です。 第一に、「すくなくとも、自分自身をデキるやつだと思わないと、本当にデキなくなる」こと。 第二に、「自分のことをデキると思い込んでしまうだけなら、タダである」こと。 第三に、「おれにはデキる、と自分を洗脳できると、これまで無意識にかけていた能力のリミッターが外れる」こと。   どうです、たとえキモくても、やるだけの価値があると思いませんか?   「自分はデキる」と洗脳できると、こんなにいいことがある 最近、「洗脳」「暗示」「催眠」といったものの可能性について興味がめちゃくちゃ湧いてきて、それ関連の本ばっかり読んでいます。 ブックオフとか、アマゾンとか、脳トレ関連のサイトとかを徘徊して、おもしろそうな本をかたっぱしから手元に集めているんです。 あ、いまあなた、「こいつ、アブないやつだ」って思いませんでした? わたしは正気ですよ!(笑) なぜそういう本ばかり読んでいるかというと、「洗脳の可能性」について知りたくなったからです。 ブラック企業で働くひとは、月100時間の残業をします。 カルト宗教にはまりこんだ人は、教団の教義をゼッタイに曲げません。 東大に受かるような人は、その気になれば一日10時間ぐらいは平気で勉強できます。 どれも、「ふつうの神経をしている人なら絶対にやらないこと」をやる人たちです。 そして実は、これらのどれにも、「洗脳」がかかわっています。 ブラック企業とカルトは他者による洗脳です。 そして、東大生のケースは「自分で自分を洗脳している」のです。 洗脳のパワーというのは、邪悪なつかいかたをすればとことん悪い効果を発揮します。 上の例でいうカルトとブラック企業はまさにそれです。洗脳によって、過労死するほどの激務すらこなせるようになります。   しかし、洗脳は、正しい使い方をすれば、これ以上ないほどの武器になるのです。上の例では、東大生がそれにあたります。 彼らの多くは、「勉強して、できなかったことができるようになるのは楽しい」「勉強して、結果が出るのは楽しい」という自己洗脳をおこなっているといえます。   ここからわかることは・・・   自分で自分を洗脳できる人は、最強です! ということ。   「自分はデキる」「〇〇は楽しい」という洗脳を自由自在にできるようになれば、どれだけ「努力」をしても平気です。 しかもその「努力」は、本人にとっては苦しいものではなく、「やりたいことをやっているだけ」なのです。   自己洗脳のスゴいところはそこです。 ものごとの好き・嫌いさえも、洗脳によって変わってしまうのです。   こんなにスゴい効果のある「自己洗脳」、やってみないのは損だと思いませんか!?   まとめ + おすすめの本紹介   今回みてきたように、 「自己洗脳」には、とてつもないパワーがあります。 みんなこれを知らないだけです。   あなたも、ちょっとずつでいいですから、「自己洗脳」を練習してみてください。 アッと驚くような効果が、かならず出ますから。   では、今回はこのへんで。 グッド・ラック!   ・おまけ おすすめの書籍 …「洗脳を使って自分を高める」方法については、苫米地英人氏の本が一番参考になると思います。 氏の書籍を、上から、とっつきやすい順に並べています。

脳科学者直伝!アイディアを100%確実に出す方法

こんにちは、クリストリタロウです。 今回は、現代人の大いなる悩みの種である「アイディアを出すこと」についての記事です。 「なんかアイディアを出せ!!」と要求されることは、年齢が上がるにつれてどんどん多くなっていきます。 学生ならレポートや卒論のアイディア、社会人なら企画書やプロジェクトのアイディア・・・「アイディアをバンバン出せる人」は、周囲から「頭が良い」と思われます。人とはちがった見方を簡単にできるのは、天性の頭の良さからくるものだな、と。 しかし、実はアイディアは簡単に「湧いて出てくる」ようにすることができるのです。脳科学者のお墨付きのアイディア量産法を、今回は伝授します。 では、レッツ・ひらめき。   アイディアを確実にひねり出す、2つの方法 ・これから紹介する2つのアイディア出しの方法は、いずれも私自身が実行して「こいつは効果があるな!」と実感できたものです。これにならってやれば、間違いなくアイディアマンになれます。 ・最終的には「自分は、こうすればかならず、アイディアが出る!」という自己流の方法を確立することができればベストです。「自分は本当に発想豊かな人である」というセルフイメージができてしまえば、あとはもういくらでも斬新な考えを出していけるようになります。 ・では、ご紹介していきましょう。   ①脳科学者おすすめの方法 ・脳科学者として多大な功績を上げている日本人研究者である池谷裕二氏は、大ベストセラーになったその著書『脳には妙なクセがある』のなかで、創意工夫に満ちたアイディアの出し方を紹介しています。 アイデアをひらめいたり、創意工夫に満ちた着想を得るためには「王道」があると言われています。グレアム・ウォーラスによれば、それは4つのステップからなります。つまり、 Ⅰ 課題に直面する Ⅱ 課題を放置することを決断する Ⅲ 休止期間を置く Ⅳ 解決策をふと思いつく  です。とくにステップⅢが重要です。これは「怠惰思考」と呼ばれる行為です。当面の問題を放置することは勇気のいる行為ですが、創造のためには相応の熟成期間が必須なのです。(中略) 「〆切が先だから」と放置するのではなく、とりあえず一度目を通してから放置するほうが、思いつくチャンスが高いと信じて、私は実行しています。 つまり、「いちど自分の中で熟成期間を置く」ことが秘訣です。 学生なら、レポートの課題については「よし、これをどう書くか考えておこう。ただし、自分でウンウンうなりながらすぐにアイディアを出そうとするのじゃなくて、しばらく放置してアイディアが降ってくるのを待とう」というやり方になりますね。 実際、私も数多くのレポートを書いてきましたが、毎回この方法を使ってきました。 いちど目だけ通しておいて、あとは放置。レポートが10個あったら、10個とも、課題だけ読んで、あとは放っておく。 自分の脳みそに「これ、考えておいてね」とお願いするだけです。 そうしていると、ふとある瞬間に「あっ、これ、あのレポートのネタに使えるな」という神の啓示が降りてくる・・・そういう経験が何度もありました。 私の頭が特別いいからとかそういうのじゃなくて、人間の脳にはそういう機能があるというだけの話です。あなたにもできます。   十分に時間がない場合は、「ちょっと、一回寝てみる」だけでもいいのです。 人間のメカニズムとして、寝ている間に頭の中がドンドン整理されていきますから、目が覚めると「ああ、こういうやり方がいいのかな」というメドが立つようになっています。潜在意識が勝手にやってくれる、といえばいいのでしょうか。   ②東大理三の作家おすすめの方法 東大理三出身の作家である吉永賢一氏は、その著書『東大家庭教師が教える 頭が良くなる読書法』のなかで、「自分なりのアイディアの出し方を持つことが先決だが」と前置きしたうえで、独自のアイディアの出し方を提案しています。   アイディアを出すための本の読み方には、6つのステップがあります。 STEP1 目的の明確化 …「3日後のレポートのために」「一週間後の企画書のために」など、アイディアを出す目的を明確に。 STEP2 関連知識の大量インプット …関連する情報をどんどんインプットしていく。丁寧に読まないで、流しながら読んでいく。 STEP3 雑多な感覚刺激 …分野を超えて、興味のある本を読んでいく。本だけでなく、映画や漫画、散歩、運動、シャワーも良い STEP4 熟成 …寝る。寝ることによって、インプット同士のつながりを促す STEP5 アウトプット …「この時間はアイディア出し」と時間を決めて行うのが理想。出てきたものはどんどん書き出す。 STEP6 整理 …全体の流れを整えたり、論理の抜けを補ったり、要・不要を選別したりする。   「すべてのアイディアは、結局、既存のものの組み合わせに過ぎない」という、よく使われる表現があります。これは実際その通りでしょう。どんなに斬新に見えるアイディアでも、かならず「下地」となっているものがあります。 「既存のものの新しい組み合わせ」「既知のもの同士の斬新な結合」こそがアイディアだとすると、結局のところモノをいうのは「インプット量」です。 たくさん読んでインプットして、寝て考えて、新しい結合の仕方ができるのを待つ。それがベストだろうと感じています。 「熟成」がこちらにも入っているのは、興味深いですね。やはり人間は、睡眠の間に考えをまとめるという性質があるみたいです。長時間睡眠の人ほど面白いアイディアを思いつきやすいというのは、ここからきているのでしょう。   読むとアイディアを出せるようになる本の紹介 アイディアを出す人の必携書といわれているのが上の三冊。 読んでおくだけで、確実にアイディアの増産が可能になります。周囲の人々からの羨望の目線が待ち遠しいですね。 いきなり自己流を構築せよ、といってもキツいでしょうから、まずはこういう本や、この記事で述べている方法を参考にしましょう。 ほかにも「アイディアの出し方」を教える人々はたくさんいると思いますが、この本はこのブログでしか紹介されていないと思いますよ。みんな知らないけれど、「穴場」なんです、この本は。 トリーズの発明原理、聞いたことある方は少ないと思います。 もともとは旧ソ連の特許庁で使われていたメソッドで、国家機密でした。 この本には、旧ソビエト連邦の国家機密が書いてあります。 なんで、イマイチ産業のふるわなかった旧ソ連が、アメリカよりも先に衛星を打ち上げたりすることができたのかの秘密がコレです。「トリーズの発明原理」という「アイディアの出し方」が緻密に整理されていたのです。   …書店で見て即買いしました。こいつはとんでもない本だな、と直感しました。 実際めちゃくちゃ役に立ちます。なんせ、「アイディアの引き出しが、すぐに+40増える」という本なのですから。他の人々が1つか2つの側面からしか解決できないようなときに、自分は40以上のやり方から選べるんです。差がついて当然だとは思いませんか?   まとめ さて今回は、「アイディアの出し方」という、現代人にとっての悩みの種への処方箋を出しました。 アイディアを出すコツは、やはり「たくさんインプットすること」に加えて、「寝ること」「熟成させること」。 これさえできればいくらでもアイディアが出てきます。 アイディアを出しまくれる人というのは、知的に優れているように見えてカッコイイものです。ぜひあなたも、明日からとはいわず今日からでも「アイディアマン」になってください。   では、あなたの知的創造性がもっともっと高のぼりしていくことを願って。 グッド・ラック!   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひツイッター等で共有していただきたいと存じます――

全集を読め。「全集」を読まないヤツは成功しない! 「全集読破」で差をつけろ!

「全集」って、読んだことありますか? 今回のアイキャッチ画像にも使いましたが、「大学教授にインタビューするときに、背後の本棚にぎっしり並べてある、同じような背表紙の本たち」のことです。たいてい「〇〇全集」というタイトルが入っています。 実は、アレには秘密があるんです・・・ あの「〇〇全集」を読みまくると、あなたは、超ものすごく「成功」に近づくんですよ!! 本当です。 今回は「全集パワー」のナゾを探っていきましょう。では、レッツ・読破。   全集って、どんな本なの? ・あまりにも名前通りですが、「全部集めた」本のことですね。 ・「全集」には、大別して2つのタイプがあります。   ・タイプ1 ・・ある作家や思想家がその一生に作り出した、すべての「作品」が全部集まった本のこと。 <例>夏目漱石全集、三島由紀夫全集、太宰治全集、ゲーテ全集、カント全集 など。 三島由紀夫全集 完全版(全44冊)   ・タイプ2 ・・あるジャンルに関する主な書籍・作品を、全部もれなく集めた本のこと。 <例>「世界の名著」シリーズ、世界SF全集、新日本古典文学大系シリーズ、ちくま日本文学全集、現代日本思想大系 など。 世界の名著シリーズ   ・1960-70年代に、いろいろな出版社が競うようにして「全集」を出版していました。大学紛争前後で、「学生が全集を読み、知識(=力)を身につけることによって、この国の将来を変えていくのだ」という意気込みがあったのでしょう。 ・全集は、「古書店」にたくさん置いてあります。東京の神保町の古本屋街は有名ですね。一万円あればなんらかの全集をシリーズ買いできます。   「全集」を読むことの圧倒的メリット あの偉人が「家庭教師」になってくれる! ・個人全集には、「ある作家/思想家が、一生のあいだにやった全仕事」が、ギッチリと詰め込まれています。 ・いま軽く言いましたけれども、「全部の仕事」ですよ? 「偉人が全生涯でなしとげた、全部の仕事」です。 ・軽いもんじゃありません。むしろとてつもない重みをもったものです。 ・全集を読むことによって、「全集を残すほどの業績をのこした偉大な人間が、一生のうちに成し遂げた、全部の仕事」を学ぶことができるんです。当然のことながら、とてつもない量があります。しかも、全集が残るような人間の書いたものは、とてつもなく「骨太」です。生半可な覚悟ではとても読破なんてできません。量も多いし、ハードだし・・・何度も何度も、投げ出してしまいたくなるでしょう。でも、キツい分だけ、「質」も「量」も両方鍛え上げることができるんです。 ・個人全集をシリーズ全巻読み終えるころには、その作家の思考のリズムや文章の流れ、考えの本質などが「血肉化」されています。概説書を読んだだけでわかった気になっている人間との決定的な違いはそこです。全集を読破すれば、「からだのなかに、その作家の思考法が染みつく」んですから。完全に「モノにした」という征服感とともに。 ・それが、個人全集のよさなんです。   ・個人全集を読んでみようかなと思うまえに、まずは「この作家の作品なら、全部読んでもいい!」という目星をつけておきましょう。たいして知識もない人が最初から「これよさそう」といってカント全集とかに手を出すと大失敗します。   ・また、「ちくま日本文学全集」のような、いろいろな作家の特に優れた作品ばかりを集めたタイプ2の全集も読むべきです。 ・「この分野をマスターしたいなら、これらの作品を読めばOK!!」という目的のもとに編纂されているのが、タイプ2の全集です。タイプ2の「〇〇全集」を読破することによって、特定の分野にかなり自信が付きます。根拠のある自信が付きます。「おれは、〇〇全集を読破したんだぞ。どうだ」という感じで。   読書の経験値がググググーンと一気に上がり凡人との差がつく ・いまの時代に生きる人の傾向として、「軽い本ばかり読みすぎている」ことがあると思います。 ・ライトな内容の「文庫や新書」ばかり読むのは、RPGゲームでいえば、「ゲーム序盤に出てくるスライムなどの雑魚敵とばかり戦う」にあたります。まあ全く無益ではないかもしれませんが、あまりにもレベルが上がらないやり方だし、達成感も少ないでしょう。 ・それに対して、骨太で量のある「全集を読む」ことは、「RPGを最初から最後まで手ぬかりなく遊びたおす」のに相当します。もうまったく経験値のたまり方が違うんです。経験値ばかりでなく、達成感も段違いです。征服感も半端じゃない。 ・ちなみに、「全集読破」と、「全集に収録されている本をぜんぶ文庫で買って読む」こととの間には相当な開きがあるように思います。全集読破のほうが「やった感」ありますよ。征服感が違うよ征服感が。     また、「鈴木邦男をぶっとばせ!」には、実際に数々の全集を読破してきた経験を持つ鈴木邦男さんと高木尋士さんの、「全集読破トーク」が載っており、とても刺激になります。全集読んでみようかな、どうしようかなという人におすすめします。   みんながやらないことを徹底してやれば、必ず頭角を現せる ・多くの人々のなかから簡単に抜きんでる・目立つ方法があります。それは、「常識と逆のことを全力でやり抜く」ことです。 ・「全集を読破する」のは、現代において「常識的でない」ことの一つです。 ・いまの時代、「全集」まで読んでいるひとは、決して多くありません。なぜなら、全集を読破するというのは「め・ちゃ・く・ちゃ・タイヘン」だからです。 ・いまの人たちの99.5%くらいが読むものと言えば、スマホのまとめサイトか、よくて新書か、たいして興味もない大学の教科書くらいでしょう。   まとめ ・「全集を読み終える」ときの達成感は格別です。感動的な読書体験ですから、ぜひあなたにも味わってほしいと思います。 ・全集は、いまの時代ひじょうにコスパが良いです。文庫本で買いそろえるよりよほど安い。ぜひジャンジャン買ってください。古書店が近くになければブックオフオンラインとかアマゾンのマーケットプレイスでもいいでしょう。   ・あなたが全集を読んで、人生に文化大革命を起こしてくれることを願っています。 では、グッド・ラック!   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひツイッター等で共有していただきたいと存じます――  

勉強できないのに…「体育会系」に「頭が切れる」人が多いワケ

自分自身ガッツリ体育会系の部活に入っていた人間なのですが、何度も何度も不思議に思うことがありました。 部活の主軸クラスのチームメイトに対して、「こいつら、頭が本当に切れるなあ。かなわねえなあ。なんでこんなに気が回るんだろう」と。 世渡りがうまくて、コミュ力が高くて、よく気が利いて、おもしろいことを言える・・・ 今回は、「勉強はできなくても社会で成功する」タイプの人間について考えてみます。 レッツ・体育会系。   勉強はできないけれども… ・たしかに、ガッチガチの体育会系というのは、勉強なんてできないんですよ。甲子園に出るような強豪校の四番が、分数の計算もできないというのは、実は、よくある話なんです。というか実話です。いや、むしろそれがデフォルトです。 ・というのも、彼らは「彼らの世界での価値観」にしたがって生きているからです。 ・「スポーツでナンバーワンになるやつがかっこいい」「勉強なんてカッコワルイからやらない」というような価値観です。ROOKIESみたいな感じ。まさに狩猟時代の男みたいな、ワイルドな行動方式です。「強い・かっこいい」が絶対の価値観になります。不良がやたらガンを飛ばすのも、教師に反抗するのも、「自分の強さ」を尺度にして行動するからでしょう。 ・そういう世界のなかで勝ち残るためには、「コミュニケーション能力」がまず高くなければなりません。先輩とのコミュニケーション、大人とのコミュニケーション、同級生とのおしゃべりなどがそつなくこなせる人間でないと、「あいつはダメだな」とナメられてしまいます。実際、スクールカーストの成因を研究している社会学者の多くは「スクールカーストを決定づけるもっとも重大な要因は、コミュニケーション能力である」と述べています。   「目」がいい ・不思議なもんですが、あきらかに陰キャには目の機能が悪いやつが多い。眼鏡やコンタクト常用の人間が多いこと多いこと。目から入ってくる情報に自信がないせいか、キョドキョドしてるし、キョロキョロしています。 ・一方で、体育会系の主力クラスには、「目の悪い」やつが、まちがいなく少ないです。さらにいえば、目だけでなく、「物事に対する反応」もいいですね。ささいなものごとにもパッと気が付きます。目がいいと、より多くの情報を取り入れることができるからです。彼らからしてみると、「目が悪くて、反応もいまいち」な陰キャのことはどうしても「トロくさい」というふうに見えてしまうのではないでしょうか? ・「目が悪い」だけだと些細な事のように思えますが、周囲の情報をうまく把握できないというのは、予想以上に高負荷なストレスです。自分自身への信頼を失うきっかけとなるには十分です。   「テストステロンが濃い」 ・「テストステロン」とは、男性ホルモンの一種です。これが出ることによって、筋肉が発達して脂肪が減ったり、自分自身への肯定感が高まったり、女性に対して積極的になったり、リスクを積極的にとるようになったりします。とりあえず男にとって「なくてはならない」ホルモンです。勝ち組ホルモンとすら言われます。   ・有名な話ですが、「自分の所属するチームが勝つ」と、その「テストステロン」というホルモンがドバドバ出ます。逆に、負けると一気に分泌量が落ちます。 ・そして、スポーツの場合、「日本一」になれるのはたった一校・あるいは一人だけです。 と、いうことは・・・ テストステロンが一番出るのは「日本で一番勝ったチームのメンバー」であり、逆に一番出ないのが「早々と負けてしまったチームのメンバー」ということになりますね。 ・さらにいえば、テストステロンの量は、普段の生活の中での「勝ち負け」にも左右されます。みんなから「あいつはダメだ」「たいしたことないな」と評価されることで敗北感が生じ、テストステロンの分泌量が下がります。逆に、普段の生活から「スゲー!」「かっこいい」という評価を受ける機会が多ければ多いほど、テストステロンがもっともっと出るんです。正のスパイラルによって、確実に人生が上向きになっていきます。   体育会系の主軸でいると、周囲への気配り能力が鍛えられる ・私自身はとても主軸というタイプではなかったのですが、それでもわかるのが、 チームの中心選手は、自分のことばかり考えていちゃ務まらない んですよね。   ・特に、集団競技のキャプテン・主将。 ・「キャプテン」は、選手のなかでの最高責任者です。ちょっとふざけた言い方をすると「ボス猿」です。 ・キャプテンは、自分のことにだけ集中するということを許されません。チーム全体の責任が重くのしかかってきますし、同級生や後輩への声掛け、監督とのコミュニケーションも必然的に多くなります。周囲の期待がいっぺんに重圧となり、とてつもない重荷です。 ・そういう生活をしていると、「自分だけじゃなくて他人のことも」考えるようになっていくのは必然です。   ・またキャプテンでないにしても、最上級生にもなれば、後輩全体・チーム全体への目配りが必須です。普段の練習から「周囲をよく見る」訓練を積んでいくことによって、「気が利く」ようになっていきます。   ・陰キャはどうでしょうか? ・彼らの多くは、基本が単独行動です。集団の外側から客観的に眺めることができるというメリットもたしかにありますが、「周囲に人がいない」状況が長く続くと、人間は必然的に自己中心的になっていきます。気配りすべき相手がいなければ、気配りする能力は発達しません。もちろん例外もありますが、「周囲に人が少ない」という状況に慣れてしまうと、だんだんと「気が利かないやつ」になっていきます。協調性がない人間は嫌われます。   まとめ ・体育会系の人間が「社会的に成功しやすい」のには、①コミュ力の高さ ②目をふくむ身体的反応のよさ ③周囲への気配り能力の発達 ④テストステロンが濃い この4つが大きいでしょう。 ・体育会系の人は、やっぱり眩しいです。人間としての魅力が底光りする人が相対的に多いように思います。プロ野球があれほど繁栄しているのも、サッカー選手があれほど人気なのも、納得できそうです。 ・運動習慣だけでも、ぜひ生活の中に取り入れてみて下さい。体育会系じゃなくても、「身体は資本」なんですから。 ・では、今回はこの辺で。 グッド・ラック!   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひツイッター等で共有していただきたいと存じます――

人間関係・お金・周囲の評価…ハァ? あらゆることに「どうでもいい」を突き付ければ、世界が変わる

今回はちょっと哲学的な、人生訓的な話になります。 私が普段から心がけていることでもありますが、だからこそ断言できます。 「心をラクにする」ために、そして「人生を思い切り楽しむ」ために、「すべてはどうでもいい」以上の思考法はない。 では、「すべてはどうでもいい」の世界へと足を踏み入れてみましょう。レッツ・解脱。   「すべてはどうでもいい」って、どういう意味? ・文字通りです。 ・「すべてはどうでもいい」のです。お金も、異性も、世間体も、人間的つながりも、学歴も、身分も、親の仕事も、社会的地位も、努力も、他人も、すべては、「どうでもいい」のです。 ・もう少しわかりやすく言葉を補ってやると、「自分にとって、すべてのことは、本来、どうでもいい。そう考えてよい」となります。   「すべてはどうでもいい」のだ ・「えっ?」とか、「はぁ??」と思われた方、多いでしょう。おそらくたいていの人は反射的に、「すべてがどうでもいい? ンなわけ、あるか、ぼけ」と思われるでしょう。でも・・・ ・ちょっと考えてみてください。 ・現代の日本人は、「こういう状態でなければならない」という理想に縛られすぎではありませんか。たとえば、こういうの。   「大企業に内定しなければならない」 「無職は負け組だ」 「異性にモテないやつはダメだ」 「リア充になれないやつは一生負け組だ」 「有能でなければならない」 「コミュニケーション能力が高くなければならない」 「収入が少ない奴は負け組」 「負け組になるのは、人生の終わりだから、勝ち組のなかに入らねばならない」 「他人から嫌われるのではなく、好かれなければならない」 「スポーツは、得意でなければ恥ずかしい」 「イケメンじゃないと負け組だ」 「上位グループに所属していなければならない」 ・・・こういう類の。どれも、「一般的な価値観」です。 ・でも! でも・・・ちょっと冷静に考えてください。   ・上に挙げたもの、すべて、よく考えてみりゃ、「誰がそう決めたんだ」という話じゃありませんか?   ・ただみんななんとなく、「ほかのひとがこう言うから、自分もそうじゃなきゃいけないなのかな」という、「右に倣え方式」の「思考停止的固定観念」じゃありませんか? ・ほんとうに、誰が決めたです、そんなこと? 本当に、「そうでなきゃいけない」んですか? ・みんな気づいていない、あるいは気づいていないふりをしているだけで、ほんとは、上に挙げたこと全部、「どうでもいい」ことなんじゃないですか? ・だって、自分の人生って、自分以外の誰のものでもないでしょう? 自分の価値観じゃなくて社会の価値観に従わされたまま生きるなんて、それ、本当に、自分の人生って言えますか? 本当に、いったい、誰がこんなことを、いつの間に、われわれに勝手に刷り込んだんでしょう?   ・・・ですから、いったん頭を冷やしましょう。 ・呪縛から、洗脳から、思い込みから、自由になる薬をさしあげます。 ・「すべては」、「どうでもいい」のです。上にリストアップしたことも全部、本来、どうでもいいことです。 ・さらにいえば、自分自身の心がどう感じるかさえも、本来は「どうでもいい」ことなのです。 ・もちろん、周囲の人間がどう思うかということも、それを受けて自分の心がどう反応するかさえも、「どうでもいい」。   仏教も認める「すべてはどうでもいい」のパワー ・仏教の考え方に近いですね。チベットあたりの出家僧は、「子供を作らない」し、「名声を求めない」し、「お金も求めない」し、「死ぬことを怖いと思わない」ように長年にわたって修行します。日本人の真逆ですね。 ・「すべてはどうでもいい」は、仏教にも通じる考え方なのです。 ・「すべては空しい」とブッダは説きましたが、これは「宇宙全体の流れのなかで考えると、この世にあるすべては苦である」という意味です。思うに、ここでの「苦」は、「苦しい」というより「空しい」の意味に近いものです。「すべてのことは、どうにもならない。だから、どうでもよい」というロジックです。 ・ただ、ちょっと気を付けてくださいね。「すべて〈が〉どうでもいい」ではないんです。「すべて〈は〉どうでもいい」であることに注意してください。 ・「すべてがどうでもいい」は、いわゆる捨て鉢、単なる無気力、現実逃避、リアルから目を背けているだけです。いったんはすべてから解放された気になるかもしれませんが、やがてかならずしっぺ返しを食らう羽目になります。クレジットカードを使いまくって月末に青ざめるのと同じです。 ・「すべてがどうでもいい」と言う人は、行動することを放り投げているだけです。しかも、一時的に。なにも変わっていやしません。「すべてがどうでもいい」と開き直ろうとはしていますが、単なる「強がり」に過ぎないのです。 ・それに対して、「すべてはどうでもいい」というのは、物事の本質を確実に捉えた表現です。不変ですし、すべての事柄に適用できますし、後悔も生まない考え方です。   知らず知らずの間にかけられていた「洗脳」を解く効果がある ・陰謀論めいてきますが、現代日本に住む人の99%は「洗脳」されています。 ・誰に? ……「経済的強者」「社会的強者」にです。 ・資本主義社会では、たくさんの消費者がたくさん買ってくれないと、多くの会社がつぶれてしまいます。そうならないように、バカにどんどんお金を出させているのです。そして、バカばかりのほうが搾取に都合がいいので、たとえば公立の学校教育も「バカを量産する」ようにしています。「強者」は、みんな進学校の私立へと自分の子供を通わせます。子供を「負け組」にしないために。 買わなきゃハド損 ・「流行しているものを買ってしまう」のは、「買わないと恥ずかしい」と洗脳されているからです。「流行しているものを買わなければいけない」なんて、誰が決めたんですか? ・「大手企業に就職しなければならない」のは、「学生の就活をエサにする人々」に洗脳されているからです。なんで大手じゃないとダメなんですか? ・同様に、「ソシャゲについ課金してしまう」のも、「食べ過ぎてはいけないとわかっているのに、ついたくさん食べてしまう」のも、「芸能人やスポーツ選手のスキャンダルに過剰反応してしまう」のも、「洗脳」されているからです。だって、買ったり、消費したりされないと経済が回らないんですもの。   「すべてはどうでもいい」思考を身に着ける、おすすめの方法 ・「そんなこといっても、理屈はわかるけれども、実行できないよ」という人のために、私なりのやり方を紹介しておきます。 ・難しいやり方ではありません。 目を閉じて、心の中で、「すべては、どうでもいい」と、最大限できる速さで繰り返しつぶやく これともう一つ、 自分が執着していることを思い浮かべ、「どうでもいいどうでもいいどうでもいい…」というラベルを心の中でペタペタ貼り付けて見えなくする これだけです。 ・ちょっとやってみてください。二秒あればできます。しかも効果抜群です。 ・一番目のやり方では、「ほかに考える余地がなくなる速さで」、「すべてはどうでもいい」とつぶやきます。 ・ものすごい速さで唱えることによって、プチ催眠状態に入ることができます。人によってはちょっと「フワッ」とするかもしれません。心のなかに、強烈にインプットできる方法です。これは効きますよ。 ・二番目のやりかたは、「すべてに貼ってあるラベルをはがす」のではなく、「その上から、『どうでもいい』のラベルをペタペタペタペタ貼っていくイメージである」ことがミソです。この方法だと、簡単に執着を断ち切ることができます。   「すべてはどうでもいい」の見方をすれば、人生が楽しくなる―まとめ― ・「すべてはどうでもいい」の思考法が身についてくると・・・「自分にとって、本当に価値のあるもの」が見えます。 ・先ほど述べたブッダについて言えば、彼にとっての「本当に価値があること」は、「自分を含め、なるべく多くの衆生を、解脱へとみちびくこと」でした。「すべては空しい」と説いたブッダにとって、その「みんなを救う」という使命だけが、「ほんとうに大切なもの」だったのです。 ・だから、「すべてはどうでもいい」は、決して「自己中心的な生き方」とイコールではありません。「すべてはどうでもいい」という視点からすべてをとらえなおすことによって、本当に大切なものがハッキリします。その「本当に大切なもの」は、かならず「自分だけでなく、周囲の人にもいい影響を与える」ものになるでしょう。 ・どうしても「すべてはどうでもいい」に納得できない人は、逆に、「なぜどうでもよくないのか? 本当にどうでもよくないことなのか? どうでもいい、と考えるほうが筋が通っているんじゃないのか?」というテーマを考えてみてください。やがて納得することになります。   ・今回は、「すべてはどうでもいい」という思考法について述べさせていただきました。 ・自分で自分の首を絞めているひとが、本当に多いんです。「すべてはどうでもいい」ことを心に刻むだけで、もっともっと楽しい人生を手に入れることができます。ぜひすべてのことに「どうでもいいのだ」と突き付けてやってくださいね。 ・では、グッド・ラック!   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひツイッター等で共有していただきたいと存じます――    

「抽象的に考える力」を養うと、確実に頭が良くなる

頭が確実によくなる方法、知りたいですか? 私は腐るほど知ってますけれども、今日はひとつだけわかりやすいのをご紹介します。   頭を良くするには、「抽象度を上げて考える」こと 「抽象度を上げて考える」って何ぞ? ・頭を良くするには、「抽象度を上げて考える」ことが絶対に必要です。頭のいい人でこれができない人はいませんし、これができない人は絶対に「頭がいい人たち」の中へは入っていけません。とにかく「マスト」なものです。 ・頭が悪かろうと良かろうと、人間はというものは「思考」をしますね? ・その「思考の中身」が、IQの高い人間と、IQの低い人間との間で、大きくかけはなれているのです。で、そこを分かつ基準となるものが、くだんの「抽象度を上げて考えることができるか」あるいは「できないか」というラインなのです。   どういうことが「抽象度が高い」の? ・抽象度の高いものとは、「頭の中でカチカチとパズルのように操ることができるもの」です。目には見えにくい、法則や論理的筋道のことと言ってもいい。包括的な思考です。 ・抽象度の高いものは、頭の中で規則的な処理ができます。そして、様々なことに応用が利きます。   ・もうひとつ。抽象度が高いと、いろいろなことをいっぺんにまとめて処理できます。 ・例えば、飲食店経営の場合を考えてみましょう。飲食店の現場で実際に働いている従業員は、日々の仕事、目の前にある仕事をこなすことに追われている。これは「抽象度が低い」状態です。 ・では、その飲食店のオーナーはどうでしょうか。オーナーは、その「抽象度が低い」作業をしている従業員を多数雇うことによって、飲食店を回しています。さらには、個々の従業員の視野では見ることのできない「経営状態」「顧客の満足度」などにも目を配らなければなりませんね。そのかわりといってはなんですが、オーナーは「現場仕事」はしなくていい。オーナーは、「抽象度が低い」ものはやらず、飲食店を経営するという「抽象度の高い」仕事に専念することが求められます。 ・賃金でいえば、個々の従業員よりも、オーナーの方がはるかに高いはずです。 ・従業員はアルバイトなどを雇えばいくらでも代わりが利きます。でも、オーナーは代わりが利きませんね。現代社会でどちらの方がより有利かといえば、明らかにオーナーのほうです。オーナーは「抽象度の高いこと」をできるだけの能力があるゆえに貴重であり、逆に従業員のほうは「抽象度の低いこと」しかできないがために「雇われる側」に回らざるをえません。 ・言葉でいうなら、「抽象度が高い」に関連する語群は・・・ ・普遍的 ・原理 ・法則 ・変化しない ・視野が広い ・応用が利く ・国際的に通用する ・速い ・便利 ・学問的である ・論理的である ・演繹法と帰納法に関連する ・分析 ・抽出 ・統合 ・難しい ・難しいものを扱う あたりでしょうか。これだけだと、わかる人とわからない人が両方出てきてしまいますので、もうちょっとかみ砕いて説明するために、わかりやすい例をみてみますね。   「抽象度」が高いものと低いものの例 抽象度が低いもの ・基本的に、世の中に存在する「簡単で」「単純で」「誰でもできる」ものは、すべて「抽象度が低い」ものです。つまり、具体的な個人を対象にするものや、特定の集団について言ったものです。個々の物事を直接的に、なんの分析も思慮もなく言い立てたり決めつけたりするものすべてが「抽象度が低い」といえます。   ・内輪ネタ ・感情的な物言い ・2ちゃんねるでの誹謗中傷やデマ ・ライトノベル ・田舎の噂話 ・不満・愚痴・妬み・ひがみ・そねみ・悪口 ・ヤンキーの武勇伝の類   ・総じて、抽象度の低いものは「誰にでもできる」、「芸のないもの」で、要するに「価値がない」のです。誰でもバカでもできるものには価値が少なくなってしまうのです。抽象的に考える力が低い人は、これからの社会で間違いなくどんどん窮地に立たされていきます。   抽象度が高いもの 地球で最も抽象度の高い数式 ・「抽象度が低いもの」をみるより、こちらの方がわかりやすいかもしれません。   ・学問的なものほとんどすべて ・文豪の書いた小説 ・その発想があったかというものすべて ・ユーモアのあるもの ・するどい切り返しや、うまいこと言ったもの ・論理的に戦うもの(ディベートや、将棋・囲碁・チェスなど)   ・抽象度の高いものは、どれも「難しい」ものばかりです。相当な訓練を積まないと上記のようなことはできませんし、ハードであるがゆえに、できる人が少なく、したがって価値があります。 ・現代の情報化社会で「強者」になるためには、間違いなく「抽象度の高いことを扱うことに慣れている」ことが必要です。その方がいろいろなことに手を出せますし、処理速度も段違いに速いのです。   どうやれば「抽象度を上げる」ことができる? 自分用のノートを一冊作って、そこに自分の考えを書く ・では、抽象的に考える力を養うにはいったいどうすればいいのか・・・? ・誰でも簡単にできる方法をひとつご紹介します。 ・「日記」か、あるいは「自分の考えたことを書くノート」を一冊用意しておくとよいでしょう。何に使うのかといえば、「自分のなかにある考え」「自分が感じたこと」を、他人の目線で見つめなおすために使うのです。これも、抽象的に考える力を養います。 ・書くテーマは自由でよいのです。自分が発見した「○○の法則」とか、日常生活のなかで自分が感じたことなどなど、本当に自由です。大切なのは「自分の思考を、紙に書き出してみる」こと。 ・そのなかで、「分析」を多めにしてみてください。分析すると、必然的に抽象的になります。自分なりの「○○の法則」をたくさん見つけてください。 こんな本もある ・自分の頭の中にあるものを紙に書きだすと、自分では正しいと思っていたことが案外しょうもないことだったりするのに気が付きやすくなります。醒めた目で自分の思考を把握できる訓練になるのです。 ・書いていくにつれ、どんどん抽象的思考力が付いていきます。   裏技:食欲をセーブしてみる 断食仏陀 ・これは完全に個人的な経験からくる法則であって、科学的な裏付けはまだとれていないものなのですが…   ・「食欲が満たされた状態」では、頭が働かないのです。昼食後の異様な眠気がその証拠です。内蔵の方にエネルギーがまわってしまって、脳の方に来ない。 ・つまり、「食べれば食べるほど頭が悪くなる」気がするのです。 ・「筋肉バカ」「体育会系は脳筋バカ」も一理あると思います。肉体の保持や発達のためにガンガン食物を詰め込んでいると、確実に思考の粘り強さが失われていく感じがあります。   ・ですから、「あまりたくさん食べないようにする」(=小食)ことが必要でしょう。それに加えて、「食事の回数」も可能な限り減らした方がよさそうです。ビタミンとミネラル、そしてタンパク質を多めに取るとよいでしょう。バランスのいい小食がベストなのでは? と思います。 ・少なくとも、カップ麺やジャンクフードやお菓子ばかり食べているようでは頭は働きません。   まとめ 抽象度が高いとこういう発想ができる ・今回、抽象度の高い思考をすることのメリットと、抽象度の低い思考をすることのデメリットと、抽象度を上げるためにはどうすればよいかを扱いました。この「抽象度を上げる」能力が高くなると、確実に「その他大勢」の人々と差が付きます。お金を稼ぐのも容易になるでしょう。   ・抽象度の上げ方のほか、頭の回転を速くする方法や、情報処理の速度を向上させるためのノウハウは、苫米地英人先生の『全速脳』に詳しく載っています。苫米地先生の本は、すくなくとも五冊くらいは読む価値があると思っています。批判も確かにありますけれど、頭のいい人なのは本当ですから、参考になります。   ・もともとあまり作業の速い方ではなかった僕自身、抽象度を上げる努力をしたことによって、物事をスムーズに、しかもいっぺんに手早く処理することが得意になりました。 ・抽象的に考えるということは、そもそも「楽しい」のです。ぜひこの楽しさを、あなたにも味わってほしいと思います。   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひツイッター等で共有していただきたいと存じます――

高学歴大学に棲息する「頭がいい人」には、2種類ある!

私はいま、大学生として生活しています。 これを書いているのは夏休みの終わりです。 受験戦争を勝ち抜き、カースト戦線でも何とか生き抜き、部活に終われる日々を送っております。そんな自称多忙な私が、大学にきて一番感じたのは・・・ 大学には本当にいろいろな人種がおり、まさに万国博覧会の様相を呈している ことです。 そして、 あまりレベルが高くないとはいえ仮にも旧帝大に在籍しているので、否応なしに「頭がいい人たち」に会う(または遭う)ことになります。 きょうはその中でも「頭がいい人」について、自分が思ったこと・考えたことをぶちまけます。     ①.「ふつうにできる、温和な優等生」タイプの、「温室栽培型」 ※イメージです ・比較的経済事情に恵まれた家庭の出身である …親が退職間近の公務員とかの場合が多い。「学費は自分で稼いで出せ」とか言われない家庭に育つ。   ・ふつうのことをふつうにできる。バイト等も無難にこなす ・だいたいのことを同じくらいのレベルでこなす …この「温室栽培型」の一番の特徴。「ふつうのことを、ふつうにする」能力がとてつもなく高い。「指示されたことを覚えていない」とか、「気が利かないやつだと怒鳴られてしまう」というようなことがほとんどない。なんでもソツなく、とにかくふつうに無難にこなす。   ・高校までの友人が「デキるやつ」ばかりだった ・比較的穏やかな性格、協調性もあり、人好きのする感じ …「自分よりはるかにデキるやつ」と日常的に接触してきたため、「こいつらにはかなわないな」という線引きが自分の中でできている。自分の実力に関して、高望みしない。変なコンプレックスやしがらみはとうの昔に捨て去っているので、心中もおだやか。お人よしすぎてカルトなどに引っかかりそうになることもある。内面の平和さが外面に反映され、「良い人そうなオーラ」が出る。   ・・・総じて、「平和な人生」を歩んでいけそうな感じのする人々はこの「温室栽培型」に入ります。   ②「人に流されないのは素敵なんだけど、ちょっと近寄りがたいかも」タイプの「下剋上」型 アイシールド21の一コマ ・「自己啓発能力」「努力」「メタ認知能力」をフルに使ってのし上がってきた …自分の部屋の壁に「○○絶対合格!」「かならず○○になる!」などという張り紙をしているタイプ。書店に行けばなんとなく自己啓発本のコーナーに入ってしまう。   ・偏差値でいえばあまり頭がいいとはいえない高校の出身である ・高校のなかでは上位クラスだった …「まわりはデキないやつだらけ」の環境でも頑張れるだけのガッツを持っているが、いかんせんお山の大将で、プライドが高め。大学に入るとさまざまな地域から学生が集まってくるため、「世の中にはこんなにできるやつがいるのか・・・」と衝撃を受ける。学歴コンプレックスをこじらせやすい。   ・ネタキャラになりやすい ・ふつうのことをするべき場面でとんでもないことをしでかす場合がある …「周囲と違った行動をとる」ことに長けているのがこのタイプで、「温室栽培型」とは真逆。みんなと違うことをやりにいってしまうので、周囲からネタキャラとして扱われ、物真似のえじきか飲み会の話のネタになる。「重宝される」か、「馬鹿にされる」かはその人の人柄しだい。   ・コンプレックスを原動力にする ・初見でちょっと近寄りがたい印象がある …コンプレックスというのは非常に強力なエネルギーになるのだが、コンプレックスばかりに頼りすぎると「ひねくれた」人間になる場合も多い。なにかを猛烈に敵視するのもこのタイプの特徴。「イケメンでスポーツマンでコミュ力抜群で勉強もできる」タイプにいちばん嫉妬するのが「下剋上型」のさだめです。嫉妬してばかりで内面がすさみ、それが外面に出てしまって「なんとなく近寄りがたいオーラ」を出してしまう。   まとめ ・ちなみに私自身はあきらかに「下剋上型」で、コンプレックスや嫉妬にまみれながら生きるタイプです。 ・こうやって、周囲にいる人々を観察して共通項を見つけだす作業はなかなかに楽しいものです。ぜひ自分でもやってみてください。周囲の人々にありがちなことは、意外と簡単に見つかるものですよ。     ――この記事をちょっとでも面白いとお思いになれば、ぜひツイッター等で共有していただきたいと存じます――  

頭が良い人は、自分自身を客観的に見る「メタ認知能力」に優れている

「メタ認知能力」っていったい何? 定義 ・Google先生に「メタ認知能力ってなんですか」と聞いてみました。  メタ認知能力とは、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力のことを指します。 つまり、自分の中のもう一人の自分が、自分の行動や思考を対象として客観的に把握して、自分のことを監視・コントロールする力といえます。 ・つまり、「自分自身のやることなすことを、一歩引いた視点から眺める」という能力のことです。 ・「自分を客観的に見よう!」というフレーズをよく耳にしますが、要するにそれは「メタ認知能力を高めよう!」と言っているのと同じなんですね。   ・自分自身という殻から抜け出して、もう少し高い場所から自分を捉えなおすというスキルは、就活や受験や恋愛など、人生のあらゆる場面で必要とされます。 ・メタ認知能力は、ほかの動物には備わっていないと考えられています。高度な理性を発達させた人間だけが手にした能力です。   メタ認知能力が低いとどうなってしまうのかの代表例―『痛い人たち』 中二病患者は・・・ ・中二病患者は、「メタ認知能力が低い人」の代表例でしょう。ちょっと例を見てみましょうか。中二病の有名なコピペです。 中学生の頃、妹は二重人格だった。 なんでも、火を見ると「影羅(エイラ)」という魔族の人格が現れるそうで、 真っ暗な部屋の中で唐突にマッチを擦っては、 「……ヘヘ、久しぶりに外に出られた。この小娘は意思が強すぎて困るぜ(笑)」 などと乱暴な口調で叫んだりしていた。 ・「自分は二重人格を持った特殊な人間である」という設定をでっちあげて自分に特殊な価値をつけようとする言行は、周囲から見ればあきらかに「痛い」ものです。でも、本人は「痛い」ことに気づいていません。自分自身を客観的に見ることができておらず、明らかに「メタ認知能力が低い」といえます。 ・中二病を発症している間、本人はそれらの行動を「痛いもの」として認知することができません。むしろ当人にとっては得意の絶頂、自分は「すごいこと」をやっているのだという充足感に満たされた状態です。   ・まれに例外もありますが、ほとんどの中二病患者は、大人になっていくにつれてメタ認知能力を発達させていきます。自分自身を客観的に見る力を発達させ、「痛い行動」はとらないようになっていきます。 ・上のコピペには、続きがあります。 ある日、夕食の時に「影羅」が出たことがある。 突然おかずの春巻きを手掴みでムシャムシャと食べ始めて、 「久々の飯だぜ(笑)」と言った。 食べ物関係のジョークを一切許さない母が、 影羅の頭にゲンコツ振り落とすと影羅は涙目になっておとなしくなった。 それ以来、食事時に影羅が出たことは無い。 そして別人格とやらは、妹が高校に入った辺りでパタリと出なくなった。 最近になって、大学生になった妹にその頃のことを尋ねたら、 クッションに顔を埋めて、手足をバタバタさせてのた打ち回っていた。   「意識高い系」になってしまう ・遅れてやってくる中二病(?)とも言えるのが「意識高い系」です。 ・現代の日本に生きている人は、「メタ認知能力が低い人」を見ると、なかば本能的に「痛いなあ」と感じてしまう。意識高い「系」の人は、その格好の対象になるみたいです。   ・「意識高い系」がなぜ馬鹿にされるかといえば、 1.「自分自身を客観的に見る能力に欠けているように思えるから」...例えばビジネス用語を連発してドヤ顔など 2.「口ではデカいことを言うし、人脈も自慢するけど、実際は大したことがないというギャップがあるから」 の二つが主要因では? と思います。どちらも自己像の形成に失敗している点では共通しています。   ・ただし、意識高い系の人をあまりコケにすると「意識高い系をバカにするやつって本当に性格悪いよね。自分が一番すごいと思ってそう」と手痛いしっぺ返しを食らうかもしれません。経験者は語る。       メタ認知能力が高いと何ができるのかの具体例 計画性が高く、勝負事に強い ・「自分がいま、何をやっているのかが把握できている」・・・それはつまり、「努力しているつもり」の罠に陥りにくいということに他なりません。 ・たいていの「努力しているのに、結果が出ない」人は、無駄な努力を一生懸命しているパターンか、あるいは、やっているつもりだけで、実のところ全然努力していないパターンに陥っています。 ・メタ認知能力が高ければ、自分がやっていることに対して批判的な目で検討を加えることができますから、そのような落とし穴に引っかかることを避けることができます。   ・メタ認知能力が高ければ、「自分がこれから何をすべきなのか」(計画性)や、「あのときなぜ自分は失敗したのか、それを踏まえて、これからはどうしていけばいいのか」(勝負強さの獲得)をよく考えることになります。 ・メタ認知能力が高いことはすなわち、「計画性が高い、準備が周到である」ことに直結するのです。   自分自身をどんどん向上させていける ・自分の能力を向上させようと思うなら、必ず「自分を批判的に見る」という行為が必要です。 ・東進の林修先生は、自分がしゃべっている様子をカメラに記録して、自分の中での自己像と、ほかの人から見た自分の像とのズレを修正していたそうです。   負の側面 ・メタ認知能力ばかりが高く、その他の能力に乏しい人は、「自意識過剰な人」になっちゃいます。「他人の目に映っているであろう自分の姿」に対する恐怖心が強いからです。   ・なお、メタ認知能力が高くて、その他の能力もバランスよく発達している人は、「スキのない人」になります。参考までに、三秋縋の「ステーティング・オーヴァー」から一節引いてみましょうか。 本当に自意識過剰な人間ってのは、『周りを気にしてきょろきょろする姿』なんて、他人に見せたりしませんよ。むしろ、不自然なほど自然な行動をとっちゃうくらいなんです。   ・身に染みますね。メタ認知能力が高いのにほかの能力が低いままでは、「恥ずかしいことをしてしまう自分」に苦しめられることになります。ただし、その恥ずかしさを原動力にして「足りていない能力を高める」行動をすることも可能です。   メタ認知能力を高めるには? 自分の感じていること・考えていることを紙に書く ・これに勝るものはありません。 ・「紙に書く」ことで、「自分の頭の中にあるもの」を、「他人のこととして、客観的に見れる形にする」ことができます。紙に書いた自分の思いは、他人事としてとらえやすくなるということです。この「紙に書いて、自分の事を他人事として見直す」を繰り返していると、どんどん「自分を客観的に見る能力=メタ認知能力」が鍛えられていきます。   ・日記が一番おすすめです。自分の感情や、行動パターン、どんなときにどう感じたかを仔細に記録していくことで、メタ認知能力が育っていきます。自分を静かに振り返る習慣が、やがて強固な自省力を育てます。   メタ認知能力まとめ ・ここまで、「メタ認知能力とはなにか・どういう例があるのか」、「メタ認知能力が高い人はなにができるのか」「メタ認知能力が低い人はどうなってしまうのか」「メタ認知能力はどう鍛えればよいのか」を見てきました。 ・私自身、中二病を発症した経験がありますが、今は何とか「過去の自分よりは成長できているな」と実感しております。 ・メタ認知能力は、鍛えれば鍛えるほど伸ばすことのできる能力です。これを持っている人と持たざる人との間には、やがて大きな差が出てくるでしょう。 ... 今回の記事がお役に立ちましたら幸いです。メタ認知能力を高めて、より「強い」自分を手に入れましょう。 グッドラック!

APLICATIONS

「意識」と「無意識」を上手に使い分けると、勉強がとてもはかどる

「意識」と「無意識」を上手に使い分けると、勉強がとてもはかどる 意識と無意識を使い分けるメリット 自己啓発界隈では、よく「無意識」とか「潜在意識」といった言い方をします。 「人間の無意識はすごい」とか「潜在意識の力を使えば成功できる」とか。 聞いたことがある人も多いと思います。   でも、 ・「具体的に、無意識と意識をどう使い分けるのか?」 ・「無意識と意識との違いとは何か?」 ・「無意識と意識を使い分けるとどういうことができるのか・どんなメリットがあるのか?」 まで考えたことのある人というのは意外と少ないんじゃないか? と思います。 今回は、それを考えてみましょう。 東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法 posted with ヨメレバ 吉永 賢一 中経出版 2008-08-01 Amazon Kindle   そもそも「無意識」ってなんだ? さて、まずは「無意識」という言葉の意味をはっきりさせておく必要があります。   一応定義を試みてみると、無意識とは… 無意識とは:人間の脳(=心)のはたらきのうち、「意識していないことすべて」を無意識と呼ぶ と言葉で説明できます。しかしながら、これだと説明になっているような、なっていないような… 「人間の脳(心)のはたらき」は、まだわかります。精神的活動全般・脳が指令して行われるor起こるものすべてを指すのでしょう。   でも、「意識していないこと」の「意識」とはそもそも何なのでしょうか? 意識云々というのは、かなり哲学的に深遠なテーマのようですし、何より抽象的で、意味が漠然としすぎています。そこで、とりあえず「無意識・意識を論じるためにやりやすい形で『意識』という言葉を定義してみる」必要があります。   さて、私なりの定義では、 意識とは「志向性・指向性を持つこと」=つまり、ある対象に向かって注意を向ける ことが第一義です。 (ということは、注意を向ける対象がない場合はそもそも意識は生じません。 たとえば「意識不明状態」とは、現実の物理空間に注意が向けられない状態を指します。ただし、外部から見て無反応でも、本人の内的世界に注意が向いている場合はあります→ex.臨死体験)   ……小難しい話になりましたが、要は 「意識=注意を向けること」 であり、ということは、 「無意識=注意を向けないものすべて=意識していないものすべて」 と表現できます。   たとえば、自分がPCに向かって文章を打ち込んでいるとすると、 ・意識:注意が向いていることすべて → パソコンの画面と、自分の頭の中 ・無意識:意識が向いていないことすべて → 座っている椅子の感触、体の感覚、周囲の雑音、流しているBGM、パソコンの画面以外の風景、「原稿を書くために必要な脳領域以外全て」、明日の天気、今日の晩ごはん、心臓の動き、未提出のレポート課題 など というふうに区別できます。 もちろん、「なんか座り心地が悪くなってきたな」ということに注意が向けば、「座っている椅子の感触」は無意識の領域から意識の管轄へと移動することになります。逆もしかりで、座っている椅子の感触に注意が向いている間はパソコンの画面から注意が外れているので、「パソコンの画面」は意識の領域から無意識領域へと移動します。   あくまでも「意識=注意を向けていること」「無意識=注意が向いていないことすべて」です(意識と無意識は排反の関係)。 そこで、以下この定義を使って話を進めていきます。 洗脳原論 posted with ヨメレバ 苫米地 英人 春秋社 2000-02-15 Amazon Kindle   意識と無意識をくらべてみると…? 「意識=注意を向けていること」 「無意識=注意が向いていないことすべて」 と定義しましたが、ここでちょっと考えてみてほしいのです。   「意識」による情報処理と「無意識」による情報処理とでは、どちらのほうが情報処理能力が高いでしょうか?   答えは明らかで、先ほどの例でみてみると、 ・意識:注意が向いていることすべて → パソコンの画面と、自分の頭の中 ・無意識:意識が向いていないことすべて → 座っている椅子の感触、体の感覚、周囲の雑音、流しているBGM、パソコンの画面以外の風景、「原稿を書くために必要な脳領域以外全て」、明日の天気、今日の晩ごはん、心臓の動き など… このように、「トリプルスコアで無意識の圧勝」です。 しかも、無意識の方は最後に「など」と書いてありますので、本当はもっともっと多くのことを同時に処理しています。意識と無意識を比べてみると、明らかに無意識のほうが圧倒的な情報量を処理できるのです。   なぜこうなるのかというと、無意識には「並列度に優れており、同時にいくらでも並列的に情報を処理できる」という特性があるからです(逆に、意識が同時に処理できるのはせいぜい2-3つです)。 そもそも、脳にある神経細胞の数は「大脳で数百億個、小脳で1000億個、脳全体では千数百億個」とされています。それらの神経細胞間には無数のシナプス結合が存在するので、もともと「超分散的・超並列的」に情報処理を行うことが可能なのだ――と言われています。脳は構造からして、もともと直列的な処理よりも並列的な処理が得意なのです。   この「情報処理能力:無意識>>>>意識」は、以下のような日常的体験からも実感できるでしょう。 ・「家を買いたい」と思い始めた人の目に、これまで全く気が付かなかった家販売の広告などが急に飛び込んでくる。世の中にはこんなに家の広告があったのかと思ってしまうくらいに。 →無意識レベルで「家に関する情報を拾おう」という動きが起きている ・ずっと考え続けていた難問の答えが、ある時ふとしたきっかけで突然ひらめく。 →意識レベルでは考え続けていなくても、無意識レベルでは考え続けていた。 ・ずっと忘れていた提出物を、締め切り直前になって突然思い出して、慌てて終わらせる。 →意識レベルでは考え続けていなくても、無意識レベルでは考え続けていた。 ・難しい課題が出てウンウン唸ったが結局わからなかったが、一晩寝て朝になると不思議と解決策が浮かんでいる →寝る前の意識的な取っ組み合いで無意識にスイッチが入り、寝ている間に無意識が処理してくれた。 など。どれか一つくらいは、皆さんにも心当たりがあると思います。 この例からわかるように、無意識の特性としては、「並列的である」ということ、そして「意識が休んでいる間でもずっと働いてくれる」ということが挙げられます(私が思うに、無意識の力というのは過小評価されすぎで、逆に意識の力が過大評価されすぎていると思います)。   ……ただし、このように無意識は並列処理が得意=情報処理能力が高い ですが、あまり「難易度の高いもの」を考えるのには向いていません。逆に、意識は直列処理が得意=情報処理能力は低い 代わり、「難易度の高いもの」を考えるのに向いています。 たとえば、試験の時などは無意識が完全に解いてくれるわけではなく、肝心なところや、本当に難易度の高いところだけは意識的に考えることになります。このとき、勉強が得意な人であれば、「意識に難易度の高いところを処理させながら、無意識のほうには難易度の高いところ以外を一気に並列で処理させ」ます。イメージとしては、意識レベルで「よし、無意識くん、これとこれとこれとこれ(いくつでもOK)を処理しておいてくれよ」と頼んでおくイメージです。   意識と無意識の違いをまとめると、だいたい以下のようになります。 意識 比較項目 無意識 人間の集中力の限界は15分-90分などと言われる 集中力 24時間365日フル稼働 多くて2-3つ 並列度  実質的にいくらでもいける 難易度高いものでもOK 扱えるものの難度 難易度の比較的低いものだけ扱える 高速化可能だが、けっこうエネルギーを持っていかれる 高速化の余地 比較的簡単に高速化・ブーストできる。比較的簡単に高速化・ブーストできる。普段の生活習慣やゴール設定でかなり変わる。瞑想・音読・運動などでも活性化する 直列処理メイン。単純な速度で稼ぐ 情報処理形態 並列処理メイン。並列度で稼ぐ スイッチは起きている間ずっと入っている スイッチの入れ方 意識レベルで「これを処理しよう」と決めると動き始める or 「まだ意味がわからないものを毎日インプットされる」と動き始める   では、このような「無意識と意識の特性の違い」をどのように実際の生活や勉強に活かせばよいのか? 実例を挙げながら考えていきましょう。 世界記憶力グランドマスターが教える 脳にまかせる勉強法 posted with ヨメレバ 池田 義博 ダイヤモンド社 2017-03-10 Amazon Kindle   実例でみる:「意識にまかせる⇔無意識にまかせる」を使った勉強法 勉強のときは「意識的な勉強3割:無意識的な勉強7割」くらいがいい 試験勉強でも受験勉強でも趣味の勉強でも、「学習のペースは、できる限り早い方が良い」はずです。 そして、「学習ペースを高速化する」ためには、 「意識と無意識を上手に使い分けながら勉強する」ことが大いに役立ちます。   勉強で「意識と無意識の使い分け」をしてみる 具体的には、以下のようにやります。   ・意識を使って、無意識に「これを処理しておいてね」とお願いしておく。つまり、「○月○日に△△の試験があって、自分はそこで素晴らしい成績を収めているはずなので、無意識くんよろしくネ」とはっきり意識しておく。 ・「詳しくなりたい分野に関する本を10-20冊程度集めて、それを10分でサーッと読み切る」を毎日続けることで、無意識の活動を促す。具体的には「書名→目次流し読み→中身パラパラ→(あれば)索引・用語集流し読み」を繰り返す。たとえば、「高校~大学教養レベルの理系科目に詳しくなりたい」なら、以下のように本を揃えて(借りてきても可)、それを毎日10分かけてパラパラとめくって読む。もちろん、じっくり読みたくなったらそのまま読んでも良い。 毎日読むことによって、 ①無意識に「なんだこれ、わからない知識が毎日インプットされる。気持ち悪いぞ。処理しなきゃ」と活動を促す ②用語や概念・考え方に慣れていく。記憶への定着効率が上がる ③教科の全体像を「なんだ、こんなもんか」と思える。「こんなもんなら、自分はできて当然だな」と思えてくる という効果が期待できます。また、これをやらない場合と比して数倍の学習速度が得られます。無意識の情報処理能力はものすごいんだな~と実感できることでしょう。   ・「どうしても達成したい・考えるだけでびびりあがるくらい高いゴール」を設定して、「そのゴール達成のためにはこのくらいの勉強はできて当然だよね」という思考回路を構築する。たとえば「地球が滅んだ時のために、宇宙の他の星に人類が植民できるようにする」とか。 ・勉強そのものに関する高いゴールを設定する。たとえば「数学を極めたい」とか「すべての学問を極めたい」とか。   …無意識と意識を使い分ける際の注意点としては、 ・意識的に「がんばらなきゃ」と思うのはおかしい。努力感が出ること自体が無理をしている証拠であり、本来であれば「ただひたすら夢中になってやっている」境地こそが合理的 ・無意識レベルではたらきかけてやれば、「がんばらなきゃ」とすら思わない。息を吐くように勉強するようになる。勉強していないときでも無意識の処理ができるようになる。理想の境地は「机に向かう時間は極端に少ないのに、学力・知識量はグングン伸びていく」というもの ということです。   勉強にがんばり感など本来必要ではありません。 よく言われるように「脳は、<やらされる>ことが大嫌い」であり、がんばり感≒やらされ感 と言えます。 努力感と結果は反比例する、というのが私の実感です。日本ではなぜか「苦痛の対価=結果」だという考えが根強いですが、どう考えても「やらされてやった・やらなければならない勉強<<<ひたすら夢中になってやっている勉強」です。   DSにはまり込む子ども・ソシャゲに課金しまくるガチ勢のように勉強する、 あるいは息をする・食事をするくらいのテンションで勉強にのめり込むというのが理想である、 と私は考えています。   この没頭を生み出すには、上述したような方法で無意識レベルにはたらきかけて「勉強はやって当然・やらないと落ち着かない」という状態を作り出すこと……こそが最も適した方法だと思われます。 このような方法でやっていると、結果的には「無意識による勉強=7割、意識を使ってやる勉強=3割」くらいの比率になるはずです。 ちなみに、無意識を使えるということは超並列分散処理ができるということでもありますから、物理的な時間限界が来ない限りは何教科にでも詳しくなれるはずです。何か国語もしゃべることができる人や、何科目かでPh.Dを取得している人は無意識をうまく使っているのでしょう。 速読で脳と仕事が変わる! (宝島SUGOI文庫) posted with ヨメレバ 別冊宝島編集部 宝島社 2011-09-06 Amazon Kindle   おわりに:無意識のはたらきをブーストさせるためには? 今回の記事では「無意識と意識の違い」「無意識と意識の使い分け方・実際の事例」を紹介しました。 まとめると以下のようになります。 「意識=注意を向けること」 「無意識=注意を向けないものすべて=意識していないものすべて」を指す。   意識と無意識の違いを比べると以下のようになる。 意識 比較項目 無意識 人間の集中力の限界は15分-90分などと言われる 集中力 24時間365日フル稼働 多くて2-3つ 並列度  実質的にいくらでもいける 難易度高いものでもOK 扱えるものの難度 難易度の比較的低いものだけ扱える 高速化可能だが、けっこうエネルギーを持っていかれる 高速化の余地 比較的簡単に高速化・ブーストできる。比較的簡単に高速化・ブーストできる。普段の生活習慣やゴール設定でかなり変わる。瞑想・音読・運動などでも活性化する 直列処理メイン。単純な速度で稼ぐ 情報処理形態 並列処理メイン。並列度で稼ぐ スイッチは起きている間ずっと入っている スイッチの入れ方 意識レベルで「これを処理しよう」と決めると動き始める or 「まだ意味がわからないものを毎日インプットされる」と動き始める   また、無意識と意識を使い分けて勉強するには以下のような方法が推奨される。   ・意識を使って、無意識に「これを処理しておいてね」とお願いしておく。 ・「詳しくなりたい分野に関する本を10-20冊程度集めて、それを10分でサーッと読み切る」を毎日続けることで、無意識の活動を促す。 ・「どうしても達成したい・考えるだけでびびりあがるくらい高いゴール」を設定して、「そのゴール達成のためにはこのくらいの勉強はできて当然だよね」という思考回路を構築する。 ・勉強そのものに関する高いゴールを設定する。   このような方法を駆使すれば、無意識レベルで勉強への注意が向くので、 「まるで努力感がないのに勉強がサクサク進んでいく」ようになる。   この方法は特に、 「勉強のモチベーションが上がらないなー」と悩んでいる人や、 あるいは、そのモチベーション低下を打破しようとしてカフェインを摂ったり勉強のご褒美を設定したりキッ○カッ○を山のように食べたり人生の名言集を読んでみたりしているが、いまいちやる気が出ないなーと思っている人におすすめです。 そもそも「モチベーションややる気が出ない」「勉強にご褒美が必要である」ということ自体がおかしいのです。そのような「意識的な頑張り」「やる気やモチベーション」は長く続くものではありませんし、そういう無理のあるやり方では無意識も大して活動しませんので効率的とは言えません。結果もあまり出ないはずです。理屈から言って不合理なので、当然といえば当然です。   無意識をうまく使えば、「勉強=娯楽」「学問=ご褒美」「学習=趣味」「息をするように勉強する」くらいの変態になれます(私はこちらのほうが自然だと思っていますが)。そういう境地に達した人にとっては、東大受験だろうがどんな難関資格だろうが「得点を競いあう楽しいゲーム」に変わることでしょう。     最後までお読みいただきありがとうございました。 今回の記事があなたの役に立てば幸いです。 ぜひTwitter・Facebookでのシェアをお願いします。 「言葉」があなたの人生を決める posted with ヨメレバ 苫米地英人...

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