あなたを支配下に置こうとする人の理不尽な物言いに騙されないための論理思考・超入門

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 今回は、議論の作法入門として「トゥールミンモデル」というのを紹介します。 このトゥールミンモデルというのは、哲学者スティーブン・トゥールミンが作り上げたもので、「トゥールミンロジック」とも言われます。 ディベートの方法論として有名ですが、ディベートだけでなく日常にも使えます。 これを使えば、あなたに理不尽なことを言ってくる相手に対して「論理的かつ、ぐうの音も出ないような反論」を瞬時に行うことができます。 勝ちまくりモテまくり トゥールミンモデルの効果 トゥールミンモデルを使えば、あなたはこんな風になれます(たぶん)。   「減らず口が叩けるようになる」 「相手を論破できる」 「理不尽な言いがかりをシャットアウトできる」 「とっさに言い返せるようになる」 「感情的にならず、冷静でいられる」 「相手が自分の主張を押し付けようとしてくるのを回避できる」 「論理的思考能力が物凄い勢いで伸びる」 「議論に勝てる」   主だった効果はこんなものでしょう。 なんだか雑誌の裏についてる胡散臭い広告みたいになりましたが、実際にこういう効果があります。 では、トゥールミンモデルの簡単な説明を見ていきましょう。   超簡単・トゥールミンモデルとはなにか 日本人式論理思考 日本人はよく、こういう主張の仕方をします。 あなたの上司が、こんなことをドヤ顔で言ってきたと想像してみてください。 「子供の教育ってのは首根っこを押さえつけて、親の命令には絶対服従させる。そんなもの常識だろ。」 「徒歩30分以内なら歩いてくるのが常識だろ。車で来るヤツは非常識だ。」 「上司が2次会行くぞと言うなら最後まで付き合うのが当たり前だろ。」 (ヤフー知恵袋「“常識”“当たり前”を連発する上司が嫌われるのは、なぜ?」より引用)   つまり、「Aだから、B」という物言いです。 上の例では、「常識だから○○しろ」という形になって表れています。 「当たり前のことだから、子どもには絶対言うことを聞かせる」 「社会人として当然のことだから、徒歩30分くらいの距離なら徒歩で行け」 「常識だから、上司の二次会には付き合え」 いずれも、上司が言っていることの根拠となっているのは「常識」ですね。 この上司をぐうの音も出ないほど叩きのめすにはどうすればいいか? その手助けをしてくれるのがトゥールミンロジックです。   トゥールミンロジックと日本式論理思考との差 重要ですからよく聞いてください。   トゥールミンロジックでは、その「常識だから・・・」という部分が本当に妥当かどうかを疑うのです。 つまり、「常識だから○○しろ!」の土台に疑いの目を向けるのがトゥールミンロジックです。   なぜか? 日本式論理思考では「事実・前提」⇒「主張」(「データ⇒クレーム」ともいいます)という展開の仕方ですね。   一方で、トゥールミンロジックでは、「事実・前提⇒主張」「データ⇒クレーム」だけでは飽き足らず、 「では、なぜその事実・前提が、その主張の根拠となり得るのか?」「そのデータからそのクレームが導き出されるのはなぜか」を疑います。 これを、データ・クレームに加えて、「ワラント」といいます。   この考え方が効くんですよ。 「相手の主張を崩したいときには、ワラント(日本語にはこれに相当する語がないようです)を攻める」ということです。   「きみが主張の根拠として採用している事実・前提はそもそも正しいの?」 「その事実・前提があるとしても、あなたの主張のようにする必要はないよね」っていう機転の利いた切り返しができますから。   上司の例でいえば、トゥールミンロジックでは ①「その常識自体、本当に従うべきものなのか?」 ②「常識だからといって、必ず○○する必要はあるのか?」 といったツッコミを入れることができます。 おそらく、このように問われた上司は顔を真っ赤にして「自分で考えろ!!」とか「反抗するのか!!」と怒鳴り散らすはずです。 「常識」というのは代表的な思考停止ワードです。先日も記事で書きました(「洗脳され、思考停止した人」が好んで使う5つの言葉)が、「常識だ!!」と言ってしまえばその瞬間に「私は思考をやめました!!降参です!!」と宣言しているのと同じです。 常識とか当たり前とかいった言葉が出てきたら、ちょっと立ち止まって「待てよ、常識だからといって必ずしもそれに従う必要があるのか?その常識は本当に正当なものなのか?」と考えてみましょう。   よく「成功者は常識を疑う」とか「目の付け所が違う」とか言いますが、 それらの人々は本能的あるいは意識的にトゥールミンロジックを用いて思考しているのかもしれません。   これだけでは腑に落ちないという人向けに、もう少し例を出してみます。   超実践・トゥールミンロジックを使って理不尽な言いがかりを撃退しよう ①いじめっ子がバットを持って追いかけてくる場合 まずはこの例を見てみましょう。 どこかで見たような絵ですが、これもトゥールミンモデルで考えてみます。 加害者側の少年Gの言い分としては次の三つ。 事実・データ:「おれは新しいバットを手に入れた」(事実) 主張・クレーム:「おまえをバットを用いて殴るべきだ」(主張) 日本式論理思考だとこれでもよしとされます。よって、スネ夫はギタギタにされます。 なぜかこの二つだけで主張を完結させる人が多いのですが、それだとまったく論理的説得力を持ちません。   トゥールミンロジックで考え直しましょう。 「データとクレーム」はすでに出そろっています。 したがって、「なぜ、そのデータからそのクレームが導き出されるのか」=ワラントを考えましょう。   そのワラントですが、作中では省略されています。 このワラントを考える癖がないから言いくるめられるのだ、というのは何度も言っている通りですが、藤子F不二夫先生もやはり日本式論理思考のとりこになっているようです。 ワラント:「バットは人を殴るものであり、その威力を他人で試すべきものである」 すくなくとも形式的には、きちんと「データ」=「バットが手元に届いた」と「クレーム」=「おまえで威力を試させろ」の橋渡しができています。 これが少年Gのワラントです。   こうやって見るとわかりやすいですね。 このワラントはツッコミどころ満載です。 「バットの威力を試すのは他人じゃなくて野球ボールだろう」とか 「バットは人を殴るものじゃないだろう」とか。   こうやっていちいち「データ・クレーム・ワラント」の三位一体で考えるクセをつけておくと、ジャイアンがバットを持って追いかけてきても安心ですね。   ②「レジの代金が合わない! おいバイト、責任をもって弁償しろ!」 (「 【ブラックバイト対処法】レジの金額が合わず「弁償しろ」と求められた時は?」を参照) 私はレジの仕事を経験したことがないのでわからないのですが、これ、よくあるらしいのです。 「ミスしてみまった。私の責任だ・・・」という罪悪感から、つい支払ってしまうそうですね。   この場合、日本式論理思考だとまんまとレジ代を支払わされる羽目になります。 データ:「レジの金額が不足し、計算と合わない!」(事実) クレーム:「計算が合わない分はバイトが弁償しろ!」(主張) 「○○だから○○」だけで考えると、このまま相手の勢いに呑まれます。 でも、トゥールミンロジックを使っている人であれば、ここで、「ちょっと待てよ、レジの代金が足りないからってバイトが支払う必要あるのか?」というワラントに考えが至ります。レジ係が弁償する必要はない(これは労基法の「賃金全額払え」に違反します)当たり前のことに気付くことができます。   ちなみにこの場合、T/A(ターンアラウンド)という「ひっくり返し」の技法も使えます。 T/Aとは、相手の主張を利用して、そのまま相手にしっぺ返しを食らわせることです。 この場合、T/Aは、 「じゃあ、レジの合計金額がマイナスじゃなくてプラスだったら、余分にボーナスがもらえるってことですか」 でしょうか。   おそらく首が飛ぶか拳が飛ぶかの騒ぎになるとは思いますが、辞めるときのうさ晴らしには向いているのではと思います。「その言葉はそっくりそのままお返しします」みたいなものでしょうか。   ちなみに、 「罪の意識を感じる」とき、それはだいたい社会的洗脳の結果です。 「これこれこういう場合は恥ずかしいものなんだよ」 「ああいうことはしちゃだめだよ」といった親や周囲による刷り込みがされているからです。 罪の意識がない社会は破綻しますが、ありすぎるのも問題ですね。束縛されて動けなくなりますし、新しい取り組みも阻害されますから。動けなくなった時点でその人は囚人または奴隷状態にあるといえます。   まとめ + おすすめの本 さて、いかがでしたか。 今回紹介したトゥールミンロジックで、 「はいはい、データとクレームはわかったよ。じゃあ、なんでそのデータからそのクレームが導き出されるか説明してごらん」というワラントへの気配りをしてやると、簡単には騙されなくなります。 トゥールミンロジックの基本である「ワラントを突く」さえ忘れなければ、日本人の9割に議論で勝てます。 そのくらい使えるのです。   ぜひ、日常生活で出くわすいろいろな主張にたいしてトゥールミンロジックで対処してみてください。 思いのほか人間って「なあなあ」で考えてしまっているのだなとわかるはずです。 もっともっと賢くなって、他人に騙されない生き方を選んでください。 では、グッド・ラック!   ★おまけ 「頭を良くしたい人」のためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。この人の本を読むと、どんどん思考の盲点が外れて、今まで見えなかったものが見えてくるようになります。論理的思考力もガンガン伸びて楽しいですよ。 以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「すべてを可能にする数学脳のつくり方」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   また、「議論の方法論」を学びたいと思った人におすすめの本も紹介します。こちらは苫米地さんのものではありません。 ・「議論のレッスン」 (福澤 一吉) ・「大学で学ぶ議論の技法」(ティモシー・W. クルーシアス、 キャロリン・E. チャンネル) ・「反論が苦手な人の議論トレーニング」(吉岡友治)   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――

『思考停止という病』(苫米地英人)のあらすじと感想

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 今回は、このブログでたびたび登場している苫米地英人氏の著作の書評。 苫米地氏については、なぜか胡散臭い胡散臭いって言う人が多いので、この人の本が実際にはかなりきっちりしたものであるということを示しておこうと思います。 今回書評を書くのは「思考停止という病」。 現代日本にはびこる思考停止現象について鋭く考察した本です。 目次と、ざっくりとした中身の紹介 「思考停止という病」目次 Amazonの「思考停止という病」紹介ページから引用。 第1章 思考停止する社会 ビジネスの世界でも思考停止は平然と行われている/なぜ優秀な学生であっても、3年働くとダメになるのか? /「自分の頭で考える力」が身につくと、何が得られるのか?/思考を停める人は、進化を止めた人 ほか 第2章 なぜ日本人の思考は停止するのか? なぜ、自分の頭で考えられないのか?/学校の暗記教育の弊害/思考をしていない人=ゴールがない人/親が自分で考える力を奪う/頭のいい権力者ほど、思考停止を望む ほか 第3章 自分の頭で考える技術 疑うことこそが、考える第一歩/「自他ともに認める「ノットノーマル」になれ!/思考停止させないためのゴールのつくり方/他人のゴールでは意味がない/簡単すぎるゴールはゴールではない/圧倒的な知識を習得する方法 ほか 第4章 思考停止しないための論理力 バカの壁を突破しなさい/1日1分の瞑想で情動を切り離す/言語運用能力を高める/なぜ日本人はロジックがないのか?/情報は発信すると集まる/迷うくらいなら、ランダムで決めたほうがいい ほか 5章 ヒルクライミングする「考え続ける脳」 ヒルクライムする脳のつくり方/脳は並列思考が当たり前/仕事の知識は一気に、すぐに手に入れろ/全体を把握するだけで、知識量が変わる/並列思考の鍛え方/脳をいつも100%の状態にしておこう/最高の睡眠が、最高の脳をつくる ほか 6章 最高の人生を手に入れる考える力 生き方・働き方で悩むのは、ビジネスに自己実現を求めるから/大金持ちは本当に金持ちか?/ゴールは8つ持ちなさい/自分の人生の価値は、あなたが決めなさい ほか 以上の通り、この本で主眼とされているのは、 ・「思考停止とは何か」 ・「思考停止するのはなぜか」 ・「思考停止するとどうなるか」 ・「思考停止しないためにはどうするか」 など。 思考停止について書かれている他の著者の本で有名なのは、「フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる 」や、「"思考停止人生"から卒業するための個人授業」、「思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本」(これはちょっと堅いかも)あたりですね。   思考停止している人が厄介なのは、当人がそれを自覚してないため、自分では正論を言っているつもりになっていることです。 もちろん「こんなの社会の常識だろ!!」と怒鳴るのは個人の勝手です。 たぶん気持ちいいんでしょう。 思考停止というのは麻薬と一緒ですね。頭がどんどんダメになっていく代わりに、万能感が得られます。   印象的だった部分 知識がない人には世界が見えない 頭で考えるためには圧倒的な知識量がいるのです。(中略) 知識があれば自動的に答えは決まります。そこで答えが出なかったり、迷ったりするのは、単に知識・情報が足りないから、答えを決められないだけです。 まあその通りですね。 「○○」について述べよ、と言われたとき、「○○」についての知識がなければ答えようがありません。 そして、苫米地氏は「知識習得は楽しいものである」とも言っています。 その知識を大量習得するためには、やはり「本を読むこと」が一番である、と。 結局本を読むことが知識習得の一番の近道です。他人の話をどれだけ聞いても、それはあくまで他人の話であって、知識にはなりません。短時間で、すごい人たちの知識を得られる方法は、間違いなく本だけなのです。(中略) ではどうすれば、ラクに知識を手に入れられるのでしょうか。 それは、やはりゴールがあれば違うのです。ゴールがない勉強はつまらないものですが、あなたが本気で興味を持てることであれば、知識は定着しやすいのです。 ここでいうゴールとは、「自分が本当に達成したいと心から思っている目標」のことです。   なお、苫米地氏は、「読書をしても、そのまま素通りして記憶に残らない人は、読み方に工夫がいります。オススメの読書法は、いくつかあります。」と述べて、「4つの読書法」を紹介するのですが、これは実際に本を読んだ人のお楽しみということで。   思考をしないのは、ゴールがないからだ 思考の場合、ゴールがないというのは、問題意識を持っていない状態です。 「この営業のやり方で結果は出ていないけど、まあいいや」 と思う人と 「この営業のやり方で結果が出ないのはどうしてだろう」 と思う人がいます。(中略) どうすれば問題意識を持てるかというと、ゴールを持てばいいのです。現状を変えることや良くすることを本気で考えるからこそ、現状を疑い、問題意識を持つのです。 ふつうの人は、「目の前にある仕事をこなす」ことだけに意識を向けますが、これこそ思考停止のもと。 ゴールを持っている人であれば、「いま目の前にある仕事を、自分のゴール達成に結びつけるにはどうするか」という一つ上の次元で思考ができます。   ゴールを持っている人はつねに思考し、持っていない人は思考の軸となるものがない。 人生全体でみれば、充実度に大きな差が出てくるのも当然でしょう。   迷ったらランダムでいい 考え続けるためにオススメなのが、ランダム性を活用することです。(中略) 世の中には完全状態というのはあり得ません。あらゆるものごとに、ランダム性が内包されます。だから、意思決定における完全なる正解というものは存在しないのです。あくまで正解の確率が高いものを選ぶだけなのです。(中略) 答えがわからない状態であれば、ランダムに選ぶのも、考えて選ぶのも本質的には同じです。 たとえば飲食店で長々と「なにをたのもうかな~」と悩むのは、時間と労力の無駄です。 そういった「どうでもいいこと」は、パッと決めてしまうほうが良い。 時間も節約できるし、その労力をべつのところに投入できるし、さらにはランダム性ゆえに思わぬ発見をすることもあります。   目に映るものをすべて言葉に変える 苫米地氏は、言語運用能力を高める方法としてこんな方法を紹介しています。 目の前の情景を全部文字に換えるのです。川端康成や谷崎潤一郎になったつもりで、 「空気の流れが変わってきた。前から後ろに流れている」というように目の前の情景を言葉に換えていくのです。論理のある思考は短くていいので、目の前に映ることを全部言葉にしてみてください。(中略) たとえば、iPhoneが目の前にあったら、iPhoneと一言言うのではなく、 ・iPhoneをつくったのはスティーブ・ジョブズ ・iPhoneからどういった関連商品が生まれたか ・どんなことができるか ・どういった機能があるか ・appleはどんな企業で、どう評価されているか など、なんでも構いませんが、目の前に見えるものを、情報的に捉え、言葉にしていきましょう。(中略) これをできるだけ早口で行います。 今回の本で一番ハッとしたのはこれです。 音楽や芸術の分野を除いて、「人間が作ったものはすべて言葉からできている」のです。   私は、語彙力や知識量とは、「画素数」のようなものだと思います。 たとえば、ファミコンの256ドット×240ライン=61440という画素数では、画面はかなり粗くなります。 一方で、たとえばライカの2400万画素オーバーのカメラなら、とてつもなく鮮明な写真になります。より細かいマスが並んでいるから、世界を細やかに表現できるわけです。 それと一緒で、語彙力と知識が豊富な人は、世界をかなり鮮明に見ることができます。なぜなら、人間の認識の枠は語彙力と知識によってかなり規定されるからです。自分が名前を知らないものは「見えない」のです。   苫米地氏が言っていることはそういうことです。 目の前にあるものをすべて言葉で表せるようになれば、世界の認識の仕方が根本的に変わります。   ちなみに苫米地氏は「夢を言葉で見る」らしいです。映画の字幕か、小説がザーッと流れていくような夢を見ると言っています。大学時代にディベートを頑張りすぎた結果だとか。   この本は、こんな人におすすめ 「今の生活になんか不安というか、漠然とした物足りなさを感じるんだよな・・・」という人に ↑こんな感触がある人は、思考停止イエローゾーン。 まだ不安とか物足りなさを感じるだけ救いがありますが、このまま現状に浸っているとズルズルと思考力が落ちてきて、「これでいいや」となる可能性が非常に高いと言えます。 思考停止しそうな人を救うための本(本当に思考停止していればそもそもこの本を読まないはず)なのですから、ぜひ読んでください。 「あっ、そうか。いまの生活がなんとなく物足りないのは、いつの間にか思考停止してしまっていたからなのか」と気づくでしょう。   頭が良い人はどうやってあんなに多くの知識を得ているの? と思う人へ この本の、地味な推しポイント。 「思考停止しないためには」だけじゃなくて、 「本当に頭の良い人はどうやって知識を身につけているのか」 「どういう工夫をすれば圧倒的な知識が手に入るのか」 「凡人が天才になるためにはどういう道を進んでいくべきか」 ということが簡潔にまとめられています。 非常にシンプルながら説得力のある論理なので、一読の価値あり。   苫米地氏の本をけっこう読んでいる人にも 「いつも同じようなことばかり書きやがって」と思っている人におすすめかも。 チャイティンの超生物学とか、知識習得のための心構えとか、あまりこれまでの本で触れられてなかった内容がけっこう書いてあります。「この本がKindleUnlimitedに入っていないのはなんでだろう」と思っていたのですが、特に目新しい内容が入っている本は読み放題から外してあるんでしょう。おそらく編集者か何かの判断で。   ちなみに、これは私の推測ですが、同じようなことばかり書いているのは、一冊にすべてまとめてしまうと「はい、一冊読み終えた。もう読み返さない。終わり」となってしまって結局定着しないからだと思います。   まとめ + その他のおすすめ苫米地本 さて、いかがでしたか。 いまの日本人の多くが罹患しているのが実は「思考停止」という病であることを鮮やかに解き明かした本として、私はこの本を高く評価しています。読みやすいわりには革新的というか、斬新なアイディアが多数詰まっているのも◎。   作中で苫米地氏が述べていたように、 「知識量を身に付けるのに最適な方法は読書」です。   まずはこの本を読んでみて、「ああそうか、こうやって考えればいいんだ」というアハ体験をしてみてください。 では、グッド・ラック!   ★おまけ 「ぼっちに悩む人」のためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。 以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

「セルフ・イメージ」だけが、あなたという存在を100パーセント規定している

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 今回は、「セルフイメージのすばらしさとおそろしさ」について語ります。 スポーツをやっているとよく、「成功するためにはセルフイメージを高く持って~」と言われます。 セルフイメージセルフイメージと言われても、知識のない人にとっては「??」でしょう。 セルフイメージとは、どんなものなのか。 セルフイメージは、あなたにどう影響するのか。 そして、セルフイメージを変えるには、どうすればいいのか。 シンプルながら奥深い、「セルフイメージ」という概念について見ていきましょう。 セルフイメージとはどんなものか? あなたにどう影響を与えるのか? What's セルフトーク? セルフイメージを字義通りに解釈すれば、以下の通り。 セルフ=自己 イメージ=想像 「自己に関する想像」、つまり「自己像」です。 「○○するのは私らしい」「私は○○というスポーツが得意だ」「私は○○しているときが心地よい」など。   もっと具体的に言えば、 「おれは勉強が得意だ!」や、 「ぼくは異性にモテない」というのもセルフイメージ。 「わたしはなにをやってもだめなやつ。存在している価値がない」というのももちろん、セルフイメージです。   イメージ自体が良いか悪いかに関係なく、「それは、自分にとって当たり前になっていることかどうか」を判断するのが、セルフイメージというフィルターの役割です。 では、このセルフイメージによって人間の行動はどう左右されるのでしょうか。   セルフイメージは、「いまここにいるあなた」を完全に規定する   ①「自分らしいこと」「自分らしくないこと」を鋭く選り分ける たとえば、こんな例があるとします。 「自分はスポーツが不得意で、いつもみんなから笑われている」というセルフイメージの人がいるとしましょう。 その彼or彼女が、体育でサッカーをやる羽目になりました。 当然、彼or彼女はサッカーも不得意です。 お情けでもらったボールは相手に奪われるし、ヘディングで眼鏡を割るし、トラップはことごとく空振りします。   このとき、彼or彼女にとって「自分らしいこと」は、「ボールを奪われ、ヘディングもトラップもしくじる」というプレーです。 たとえプレーしている本人にとっては「情けないなあ、自分・・・」というマイナスの感情を引き起こすものであっても、それが当人にとっては「当然のこと」なのですからそこを出ようとはしないのです。「上手くプレーする」ことは、当人にとって「自分らしくない! 心地よくない!」と認知的不協和を起こすのです。 自分らしくない「ドリブルで敵陣を突破し、華麗なシュートを決める」というプレーをしようとは考えない、というよりそもそも考えることができないんです。   しかもこの「自分らしいか、らしくないか」を判断するのは、意識ではなく無意識の役割です。 「なんとなく、自分にふさわしくないな・・・」と無意識が判断すれば、それは自分にとってふさわしくないものとして遠ざけられます。 セルフイメージに基づくフィルタリングは無意識でやることですから、意識が「直接」コントロールすることはできないのです。   とにかくここでは、 「セルフイメージは、あなたらしいことと、あなたらしくないことを選別する。そして、あなたらしいことだけを残して、あなたらしくないことを遠ざける」 ということを理解してください。 自分自身の経験に照らし合わせてみても、おそらく心当たりがあるはずです。 サッカーの例だけでなく、「勉強が不得意である」というセルフイメージがあれば勉強が得意な状態を嫌いますし、「自分はコミュ障である」というセルフイメージがある限りコミュニケーションが不得意な状態から抜け出すことは難しいのです。   ちなみに、実は、この無意識の判断自体を変えてしまう方法が存在しますが、 それについては後述します。   ②すべての行動選択の基準になっている ①から発展して、もっと恐ろしい話をしましょう。 実は、セルフイメージは、あなたの行動を端から端まで規定しているのです。   たとえば、「人前で鼻をほじるかどうか」といった些細な行動から、 「なにかを目指して粘り強く辛抱を続けられるかどうか」といった大きな行動まで。   「人前で鼻をほじる」のが「あなたらしい」なら、あなたはそうします。 「なにかを目指して粘り強く辛抱を続けられる」のが「あなたらしい」なら、あなたはそうするでしょう。 もし仮に、人前で鼻をほじるというセルフイメージを持たない人がそうしてしまった場合、 「あっ、恥ずかしい」と思ってすぐにやめてしまうはずです。   同じように、 「今日の受験勉強、もうちょっと残っているけど、明日に回そうかな」という選択肢をどう処理するかも、 「魅力的な人間に対してアタックするかどうか」という一世一代の選択も、 「あなたらしいもの」だけが選択され、「あなたらしくないもの」は排除されます。   これって相当恐ろしく、かつ素晴らしいことだとは思いませんか。   人間がセルフイメージに従って行動するということはつまり、たとえば 「努力を続けられる人は成功する」の「努力を続けられれる人」になれるかどうかは、 あなたのセルフイメージ次第だということです。(努力という言葉はあまり使いたくないのですが・・・)   「努力することが自分らしい」人にとっては、「努力しないこと」はむしろ気持ち悪くて仕方がないのです。 プロ野球の名選手だった張本勲氏は「バットを振らんと気持ち悪くて眠れなかった」とすら言っています。   ③あなたの限界を決める セルフイメージの一つに、「自分はこんなものだ」というものがあります。 たとえば、「自分はメジャーリーガーとして活躍できる人間だ」とか、 「自分はこの程度のことしかできない人間だ」「自分は底辺の人間だ」といったものです。   たとえば仮に、まったく同じ学力を持つA君とB君がいたとして、 A君は「ぼくはテストの点数が50点。でも本当はもっと上のレベルにいるべき人間だ」と思っています。 B君は「ぼくはテストの点数が50点。でも本当はもっと低い点数しかとれないはずだ」と思っています。 この場合、A君は50点より上へ上へという形で試行錯誤していくでしょうが、 逆にB君はじりじりと点数を下げていくはずです。 A君には「もっともっと上へ行くための道」が見えてきますが、 B君は、少なくとも勉強ではこれ以上の向上は見込めそうにありません。 セルフイメージが限界を規定する、という良い例です。   もう一つ例を出しましょう。 もし仮に、「自分は、いまはまだ路上ライブしかできないけど、将来かならず武道館で満員ライブをする人間だ」というセルフイメージを持っている人がいるとしましょう。 彼に見えるのは、「武道館でライブをする自分になるための行動」です。   もちろんまわりの人は「なにを夢見てんだか」「さっさとまともな職に就け」くらいの反応でしょう(このような反応をする人のことを、コーチングの元祖ルー・タイスはドリームキラーと呼びました)。 実際、客観的に見ればまだ「路上ライブをしている、よくいる典型的な若者」にしか過ぎません。   ここで、「両方」の可能性を考えてみます。 つまり、「自分は将来、武道館を満員にするにふさわしい人間だ」というセルフイメージが備わっていた場合と、備わっていなかった場合です。この両方を考えます。   そうすると、まったく同じところからスタートしても、両者の達成可能性はまったく違ってくるはずです。 セルフイメージが「武道館ライブにふさわしい人間である」だった場合、 その若者は書店に行けばギターや歌のテクニック本を読み漁るでしょうし、 いま人気のあるグループや歌手やミュージシャンとなんとかしてコネクションを作ろうとするかもしれません。 間違いなく、まったく同じスタート地点に立っていたもう一方の「セルフイメージが低い方」よりもはるかに達成可能性が高まるはずです。   何が言いたいかというと、これです↓。 なんと、達成可能性そのものが、セルフイメージの強さによって影響されるのです。 もっと言えば、客観的に見た現在の能力や状況というものは、未来を志向する力の強さによって変動するというわけです。   逆に言えば、セルフイメージさえ上げれば、それまで「こんなものだろう」とおもっていた自分の限界を飛び越えて、ガンガン成果を出すことができるようになります。これまで弱みだと思っていたことを強みに変え、現在持っている能力を120パーセント発揮するためには、セルフイメージを上げることさえできればいいのです。   ④あなたの人生の充実感を決める あなたという生物は、いずれ死にます。   私は死んだことがないですから想像でしか言えないのですが、人間というのは理性を持っている生物ですから、おそらく死ぬ瞬間には自分の人生を総決算するはずです。 「ああ、良い人生だったな」と思うのか? それとも、 「ああ、もっと必死に自分のやりたいことを追求すればよかった。でも死んだらもう終わりだから、もうやり直しできないのか。悔しい・・・」と無念タラタラで死ぬのか?   それを分けるのも、セルフイメージでしょう。 「人生を満足に生き切った自分」「過去のことはすべてベストだと思える自分」というセルフイメージを持っていれば、あなたの脳にはそれを裏付ける情報ばかりが集められます。 「自分の意見を持たず、実質的な奴隷としてしか生きられない自分」「過去に後悔しまくりな自分」というセルフイメージを持っていれば、その通りの情報ばかりが集められます。   死ぬ瞬間にフラッシュバックする「情報の雪崩」がどのようなものかすらも、セルフイメージが決定しているといえるのです。   長くなったので、いったんここで切ります。 後編では、「セルフイメージを変えるための方法論」を紹介しましょう。   まとめ +  さて、いかがでしたか。 ここまで、セルフイメージの恐ろしさと素晴らしさについて、両方に配慮しつつ書いてきました。 後編をお楽しみにしていてください。   では、グッド・ラック!   ★おまけ 「セルフイメージを向上させたい人」のためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。セルフイメージを変えるには、この人の本を読むのをおすすめします。ちなみにこの記事では「セルフイメージ」と言っていますが、苫米地氏の本では「エフィカシー」に相当します。   以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――

何となく「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」人は奴隷である

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 あなたは、親や先生から「ちゃんと将来のことを考えなさい!」って言われた記憶はありますか? あるいは、自分自身で「将来は公務員とか正社員とか、なんとなく安定した職業に就きたいな・・・」と漠然と思っていますか? こんな言い方をすると、「そう思って何が悪い!」と言われそうですが、実はその「思っていること」は、あなた自身から出た考えではない可能性があります。 今回は「脱洗脳」「反常識」回です。 自分にかけられた洗脳を解かないと、一生「自分がやりたくもないことをやって生き続ける」羽目になる 「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」は奴隷のセリフ 今回記事のタイトルに使ったのは、最近のいわゆる若者(大学1,2年生を想定)がいかにも心の中で思ってそうな「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」というフレーズです。 どこかふわふわとした、漠然とした台詞ですね。 そんな感じの言い回しは、たぶんどこかで聞いたことがあるでしょう。   で、今回の記事で言いたいのは「それって奴隷のセリフじゃないの?」ってことです。 なぜか。   奴隷というのは、「自分がやりたくもないことを嫌々やらざるをえない人」。 古今東西問わず、奴隷というのは「自分が望まないことをやり続けなければいけない人」のことを指します。奴隷には意志の自由がありません。意志の自由がなければそれは奴隷(または囚人)としか言えないでしょう。   先の「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」という一文を分解して、その裏に込められた心理を分析してみましょう。 きっと、「現代の若者は、ここまで洗脳されているのか!」と驚くことになると思います。   「そろそろ」 第一、「そろそろ」というのがまずおかしいのです。 なぜなら、「そろそろ将来のことを考えねば」と言うとき、「将来のこと」の優先順位は明らかに低いからです。 本当に将来のことを重要だとを考えている人は、そもそも「そろそろ」なんて言葉を使わないはずです。もう既に考えているはずです。   「将来のこと考えなきゃ」とは口で言っているものの、実際のところ何も考えていないのです。 なぜ何も考えないままでいられるかというと、おそらく自分の周囲に合わせて何となく「自分もまあ、大丈夫だろう」と思っているからでしょう。大学生であれば、「他のみんなが大学院に行くなら、自分も行こう」あるいは「みんな就活するみたいだから自分もしよう」などと思っているからではないでしょうか。 そういう人は、きわめて自分の意志が薄いと言わざるをえません。   自分の意志が薄い人は、一生他人によって与えられた選択肢を選ばされ続けます。 まさに奴隷の生き方です。 自分で意志をもって、「みんなあれがいいと言うけど、自分はこれが良い」というぐらいの選択をしましょう。   「きちんと」 これは一体、何を基準にした「きちんと」なのでしょうか? 字面通り捉えると、「きちんと」とは「おかしくない様子」「恥ずかしくない様子」のことです。 ということは、「親や教師や同級生や世間からみて、おかしくない・恥ずかしくない」もののことを「きちんと」と言っているのでしょう。 これもやはり、奴隷の思考法です。   私は、「他人から見て恥ずかしかろうがおかしかろうが、自分の本当にやりたいことをやればそれで良いんじゃないの? だって他の人は自分の人生に責任をとってくれないし、自分のやることに責任を持てるのは自分自身だし」と思うのですが、どうでしょう。   自分にとってやりたいことを予定にしたがってやり抜くという意味での、自分を基準にした「きちんと」ならまだわかります。きょうはきちんとやりたいことをやった、という具合に。 でも、明らかにこの「きちんと」は自分自身を基準にしていないですよね。 自分自身の心の本音にフタをかぶせて、他人からみて恥ずかしくない「きちんと」した道へ行こうとする。 それでは、生きている楽しみが九割くらい減ると思いませんか。   「将来のことを」 「将来のこと」というのは、具体的にいつのことを指すのでしょう。 大学卒業後のこと?おっさんおばさんになってからのこと?老後のこと? 「将来」という言葉を使うとき、たいていは漠然としたイメージしかされません。 漠然としているということは、「将来自分はこれをやっていきたい!」という確たる物がないのです。   むしろ「将来」という言葉を使う人は、その将来というのが漠然としたイメージでないと不安になるのかもしれません。 自分はこう生きたい、と決定するのが怖いのかもしれません。   「考えなきゃいけない」 奴隷であることが一番顕著に出ているのがここです。 「考えなきゃいけない」ですよ。 「考えたい」じゃないんです。   自分が○○したい、という思考回路じゃないんです。 自分は○○しなきゃいけない、と思っているんです。 つまり、意志の自由がない。 「~したい」は自分が望むことですが、 「~なきゃいけない」は他人によって強制された(あるいは自分で勝手に自分を縛っている)ことです。   「気がする」 なんとなくそう思う、という意味の言葉です。 これの問題点は、「きわめて根拠薄弱な物言いである」ということ。   「と考える」でもなく、「と思う」でもなく、「気がする」ですよ?   その「気にさせている」のはおそらく、他者に過去に刷り込まれた言葉です。 「両親がこう言っていたから」、「教師がこう言っていたから」、「みんなそうしているから」、 といった、根拠になるはずがないものを根拠にして「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない<気がする>」と言っているのです。 自分の意見ゼロ。 独自性ゼロ。 なんとなく生きてきた人でないと言えない台詞です。   他人の尺度のことを、勘違いして自分の尺度だと思っているのでしょう。 何かあったらすぐツイッターでつぶやいて自分の周辺にいる人の承認を得ないと気が済まないようになると、かなり奴隷化が進行しています。     総括 以上見てきたように、「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」ということを言う人はどこからどう見ても奴隷化が完了してしまっている人です。どれだけ洗脳されているのか、どれだけ奴隷なのかがよくわかります。   奴隷であることの何が問題かといえば、 ①自分が奴隷状態にあるとわかっていないで、価値観を他人に押し付けるようになる ②自分の人生が他人の尺度によって束縛され、「やりたくもないことをやって生きて、老いて、死ぬ」というなんの生きがいもない人生になる ③なんとなくでしか行動できない人が増えると、衆愚政治になって国が暴走する というようになる可能性がきわめて高いことが問題なのです。   ・・・さて、ここまでこっぴどく叩いてきましたが、奴隷状態から脱する方法がないわけではありません。 そもそも、現代の日本に生きていれば、本来、「束縛」というのはきわめて少ないはずなのです。 生活保障はきちんと整備されていますし、共産主義国のような締め付けもありませんから、国民はみな、衣食住はきちんと確保できるはずなのです。衣食住さえ確保できるのであれば、自分の意志を左右するような外部要因は本来少ないのです。   束縛を作っているのは自分自身であり、 他者の意見を自分の意見として安易に取り入れるのも自分自身です。 これを忘れないようにしてください。   まとめ + 奴隷化から脱するための本 正直な話、すでに奴隷になっている人を洗脳から解くのは容易ではありません。 ですから、脱洗脳に役立つ本をたくさん読むことを勧めます。   奴隷状態にある限り、あなたの人生は「自分がやりたくもないこと」をやっているうちに終わります。なんともむなしい人生でしょう。 奴隷状態から脱して、本当の自由を手に入れましょう。 では、グッド・ラック!   ★おまけ 「奴隷状態から脱したい人」のためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。奴隷状態から脱するには、この人の本を読むのをおすすめします。   以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

【試験に苦しむ学生必見】最小の労力で最高の成績が獲れる! 「テスト前超音読」のススメ

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 つい先日センター試験が終わりましたが、私の大学でもこれからテストラッシュが始まります。 テストというのは典型的な「やらなきゃいけない」勉強なので、あまり好きではありません。 しかし、苦痛を最小限にするために最適なテスト対策法があります。 それが「テスト対策を音読で済ませる」という方法です。 そこで今回は、「なぜ音読がテスト対策として最適なのか」を語ります。 テスト対策として音読するメリット ①とにかく時間がかからない 授業で配られた、文字ビッシリのA3プリント裏表。 これ、わからないところにいちいち詰まりながら黙読していくと疲れますし、時間がかかりますよね。 「わかんねえなあ」「つまんねえなあ」と思いながらダラダラやっていると10分、20分、30分と時間が過ぎ・・・ 途中で「や~めた」となりそうです。   でも音読なら、あの「文字ビッシリのA3プリント裏表」が5~10分あれば一周できます。 半年かけてやった数多くの授業プリントを、音読で1~2時間で読めてしまうなどザラです。   音読はとにかく、時間がかかりません。 これまで数多くの勉強法を試してきましたが、間違いなく「音読で勉強する」のが時間効率ナンバーワンです。   テストの科目はいくつもあるでしょうから、黙読でチンタラやっている時間はありません。 音読でパッパとプリントの内容を頭に覚え込ませてしまいましょう。 音読で浮いた時間は、自分の好きなことをしていればいいのです。   ②ひたすら楽である 黙読では、「わからないところをひとまず飛ばす」ことが難しいですよね。 わからないところにウンウンとうなった挙句、そこで思考がストップしてしまって眠気が・・・という時間の浪費をしがちです。 (わからないので)辛いです。 黙ってプリントを読んでいると、どんどん気が滅入ってきます。   でも、音読は「ひたすら読み上げていく」だけなので、ストップしようがありません。 内容が全然チンプンカンプンでも、とりあえずは進んでいけます。音読で理解できないなら黙読したところで同じです。   一度読んでわからないところは、まず放っておいて、最後まで読み終えてからもう一度やるほうが良い。 全体像の中で推測しなおすのです。 「○ぬ」の○に何が入るか推測するのは難しいですが、「ポチという名前の○ぬ」という全体像がわかっていればだいたい見当が付きます。わからないところは放っておいて、あとから「ああ。あそこはああいう意味だったのだな」と納得するのを待てばいいのです。   そしてもう一つ、音読は「30分あれば30分バッチリ勉強できる」のです。 ふつう、「30分勉強した」というとき、実際には気が散ったりスマホをいじったり思考停止したりしているので実質的には10分とか15分しか勉強していないことが多いんですね。 でも音読なら、30分音読すればきっちり30分だけ音読したことになります。 「勉強したつもり」にならないのが音読なのです。   音読は、「ただ読み上げていくだけ」なので、黙読に比べて段違いに楽といえます。   ③なんかよくわかんないけど文章力が超ドーピングされる メカニズムはよくわからないんですが、音読すると文章力が爆上げされます。 これは私自身が実感しています。 一日三時間くらい音読していると、6000字くらいのレポートなんてクソ以下です。   音読しまくってからレポートに取り掛かると、 次々にポンポンと「次にこう書けばいい」という道筋が見えてきて、 「これを書いて、その後にあれを書いて、ここはこう説明して、こう結論して・・・よし、頭の中ではもう終わったな」という風に頭がフル回転します。 ものすごく気持ちいい体験です。   これは仮説ですが・・・ 音読は脳全体をものすごく使います。 特に、言語野と、論理的思考力をつかさどる前頭前野がバリバリ働きます。 また、「文章を声に出して読み上げる」と、人間の脳は「活字モード」みたいなスイッチが入るようです。   音読をひたすらやっていると、文章力も爆上げされる。これは保証します。   ④内容を理解しつつプリント丸暗記が可能 ①の「音読は時間がかからない」と、②の「音読は、わからないところで詰まったりしないからラク」を組み合わせて考えると、こういう結論になります。   「音読は時間がかからない」から、当然「テスト範囲を何度も繰り返すことができる」。 最初は内容がイマイチ理解できなかったプリントでも、何度も繰り返し読んでいればだいたい意味がわかってきます。だから、「わからないところに四苦八苦しながら黙読する」よりも「わからないところはひとまず置いといて音読しまくる」方が良いのです。   さらに、何度読んでも理解できないプリントなら、「音読で丸暗記してしまう」という手もあります。 丸暗記しようと思うのではなく、とりあえずわからないなりに何度も音読するのです。 この場合、テスト当日に解答欄を埋めるときになって「あれ? 理解してないのに覚えてる!」という体験をすることになります。   ・・・ついでに言っておけば、音読は「記憶力」も上げてくれます。 経験上、音読で上がるものは「文章力」「記憶力」「思考力」「高速で考える力」などです。   +α 音読のコツ ハイスピードツイートリーディングでやる 音読は「小さい声でつぶやく」かつ「なるべく高速で」でやった方がいいです。 理由はいくつかあって、 ①近所迷惑防止 ②のどにやさしい ③小さい声プラス高速音読だと、発声器官が細かい素早い動きをするので脳に刺激がいく ④高速でやった方が時間がかからない ためです。 目安としては、1日1時間は最低ラインかなと思います。 3時間くらいやれば物凄く脳が活性化するのを実感できるはずです。   手っ取り早く記憶に定着させるには「夜と朝に同じものをやる」 よく言われますが、人間は睡眠をとると記憶の整理・定着が行われます。 これをフルに活かしましょう。   プリントの音読は「夜にやって」から、次の日の「朝にもう一度」やるとガンガン記憶できます。 ④で触れた「プリント丸暗記」は、この「睡眠またぎ」を加えてやると簡単にできます。 前日まで何度か「睡眠またぎ」をやっておいて、テスト当日の朝イチで、丸暗記したいプリントをもう一度音読すれば良いでしょう。   音読が効くテストの種類と、逆に向いていないもの テストは、まず「穴埋め」「単語を選ぶもの」なら、音読で簡単に乗り切れます。 また、「授業で扱ったテーマについて、テスト当日に書き下ろす」タイプのものにも強いです。   音読は、 「プリントやレジュメ・パワポプリントに書いてあるものをある程度覚えておく必要があるもの」 「授業の知識をもとに論述するもの」 には抜群の効力を発揮します。 その一方で、当然ですが、レポート提出というタイプにはあまり役立ちません。   「音読すればテストに役立ちそうなプリントがあるかどうか」を基準に判断してください。   まとめ + もっと頭が良くなりたい人におすすめの本 さて、いかがでしたか。 テスト対策を音読中心に進めることのメリットは以下の通りです。 ①とにかく時間がかからない ②一般的なやり方に比べて、ひたすらラク ③なんかよくわかんないけど文章力(あと記憶力・思考力など)が超ドーピングされる ④内容を理解しつつプリント丸暗記が可能 の四点をおさえておいてください。   また音読のコツとして、 ①ハイスピードツイートリーディングでやる(小さな声でつぶやく、それを高速で)と、様々なメリットがあります。 ②睡眠による記憶整理・定着を利用するため、覚えたいものは「夜と朝」プラス「テスト当日の朝イチ」にやっておく。 ③「これを理解・記憶すればテストに役立つというプリントがあるかどうか」を基準に考える。 という三点。   この記事で私が述べてきたことを活かせば、まさに「最小の労力で、最高の成績」を獲ることができます。 音読という勉強法がいかに優れているかを体感してください。 では、グッド・ラック!   ★おまけ 「頭を良くする」ためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。うさんくさいのは、読みもしないひとが勝手に言っているだけです。この人のニコ生とか見たらわかりますよ。   以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

「おもしろさ」と「抽象度」の関係とは?

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 「おもしろい人は頭が良い」とよく言われますね。 そこで今回は、「頭の良さ」と「おもしろさ」の関係について考えてみましょう。 「抽象思考が得意な人は、おもしろいことを考え付く」? 前置き:「抽象度」とは何か? 「抽象度」という言葉を作ったのは、認知科学者・脳機能学者である苫米地英人氏です。 この言葉を説明するのは結構な労力が要るのですが、とりあえず簡単に触れておきます。   抽象度とは、「ある概念が、どれだけ普遍性を持っているかの度合い」です。 「抽象度が高い」「抽象度が低い」という言い方をします。   例を出すと、抽象度が「低い」ものとは、たとえば 「俺の中学の伝説になっている田中君」とか「近所の○○さんとこの息子」とか 「うちの家で飼っている柴犬のポチ」とか「いまここに生きている私という人間」とか、 狭い世界のなかでしか通用しない(=普遍性が低い)もののことです。   これらはいずれも、「具体的」で「限定的」であり、「つかみどころがある」ものです。 わかりやすいイメージでいえば、ヤンキーの世界みたいなものでしょうか。 「うちのグループのリーダーであるタク君(仮名)」といった、普遍性の低いもの(=その内輪でしか通用しないもの)を重視しますから。   逆に抽象度が「高い」ものとは、たとえば 「人間」とか、「生物」とか、「宇宙」とか、「学問」とか、「生と死」などといった、 世界中どこに行っても話が通じるもの(=普遍性が高い)のことです。   これらはいずれも、「抽象的」で「非限定的」であり、抽象度の高いことを考える習慣がない人にとってはモヤモヤとしてつかみどころがありません。 こちらのイメージは「数学者」でしょう。 つかみどころのないもの、フワフワしたものについてずっと思索しています。   この抽象度という概念を知っておくといろいろと便利なのですが、それは後日詳しく述べます。 とりあえずここでは、「抽象度」とは「ある概念が、どれだけ普遍性を持っているかの度合い」だということを覚えておいてください。 この「抽象度」という概念を使って、「おもしろいこと」とは何なのかを説明していきます。   抽象度を上げてやるとき、面白くなる   「ボケて」で多く見られるパターンに、「いままで気付かなかったけど、実はこれに似てるよね」があります。「冷凍庫から出したてのピノ」とか。 そもそも、ボケてが根強い人気を誇っている理由は何でしょうか? 私の考えを述べてみます。   それは、「ボケて」の回答者に求められるのが、 ある画像について「ありがち」「そのまま」な解釈をするのではなく(そういう回答は評価されません)、 「みんなが考え付かないけれど、言われてみると<そうか!>と思えるような解釈をする」 ことである、という一点に尽きると思います。 そしてこのときもれなく、普遍性が上がる=抽象度も上がる、のです。   ボケてでみられる「意外性があって、かつその着地点が絶妙なものを考えだそうという精神」は、そのまま「抽象度を上げる」ことにつながる、ということです。 どういう意味か?   上の例でいえば、写真を「そのまま」の解釈をすれば、「湯気を立てている黒人アメリカンフットボーラー」です。何も知らずにこの画像だけを見た人は、その程度の解釈しかしないでしょう。 ただ、この説明の仕方は、このお題の画像にしか通用しません。 つまり、「普遍性が低い」=「抽象度が低い」のですね。   この画像をボケてで面白くするためには、 「実はこの画像の中にあるモノは、これと似ているよね」という、 「意外性のある、しかし絶妙な」ものへの発想転換が必要です。 このとき必然的に、「普遍性が上がる」=「抽象度が上がる」ことになります。   先の例をもう一度見てみましょう。 「黒人のアメフトボウラー」という一枚の写真が、実は「冷蔵庫から出したてのピノ」に似ている・・・   おわかりいただけたでしょうか? まさにこの瞬間、「黒人のアメフトボウラーの写真」の普遍性が上がって(=抽象度が上がって)います。 この画像が、実は「冷凍庫から出したてのピノ」に似ている・・という解釈を考えだしたとき、「アメフトボウラーの写真」は「冷蔵庫から出したてのピノ」というもう一つの意味を含むことになるのです。   「狭い世界では一つの意味しか持っていなかったものが、思わぬ形で違う意味を持つ(=このとき普遍性が上がる)」。 このときアハ体験と一緒で、「あっ、それがあったか。ハハハ」という笑いが起こります。 これが、ボケてが面白い理由です。 (余談ですが、ニコニコでよく見られるような「ネタの派生」もこれとまったく同じ原理です)     だから、ボケての傑作を見て面白がることのできる人は、抽象度の高いことを考える素質があると言えるかもしれません。   なお、ボケてだけでなく、他にも「パロディー」「替え歌」「風刺」なども、「一段抽象度を上げてやる」ものでないと面白いものとはみなされません。 まとめると、 「狭い世界では一つの意味しか持っていなかったものが、思わぬ形で違う意味を持つ(=このとき普遍性が上がる=抽象度が上がる)」。 それが、「おもしろさ」と「抽象度」の関係です。   抽象思考が得意になるにつれて周囲からズレていく また、「おもしろさと抽象度の関係」についてはもう一言。   われわれは、「具体的に考える」のは得意です。誰にでもできます。 「俺の中学の伝説である田中君」とか「近所の○○さんとこの息子」とか 「うちの家で飼っている柴犬のポチ」とか「いまここに生きている私という人間」とか、 いずれも、視野が狭いというか、狭い世界のなかでの物言いです。 これらは特に訓練を必要としません。   その一方で、「抽象度の高いこと」「普遍性の高いこと」を考えるのは、訓練が必要です。 訓練が必要ということは、それだけ門前払いを食らっている人も多いということ。したがって、抽象度の高い思考ができる人は、絶対的に少ないのです。   非常に残念なことに、抽象度が高くなればなるほど少数派になっていきます。 「少数派である」ということは、つまり多数派からの圧力もそれだけ強くなるということをも意味します。   そのうえ、抽象度が高い人にとっての世界の見え方は、抽象度が低い人の世界の見え方とはまるで違っています。 おそらく史上最も抽象度の高い境地に達した釈迦にとってはこの世のすべてのものは「空」に見えています。空とは、実体がないということ。 それに比べると、お金という実体のないものにとらわれ、日々目の前の欲望に引きずりまわされているわれわれ現代人の世界観はかなりねばついたものでしょう。   世界の見え方そのものが違うのですから、抽象度の低い人から抽象度の高い人を見ると「なに考えてるかわからない」となります。 抽象度の高い世界に住んでいる人にとっての当たり前が、抽象度が低い人にとっては当然ではないのです。 したがって、必然的に両者の間には「ズレ」が生じます。   このズレが吉と出る場合には、抽象度の高い人の言っていることは「おもしろいこと」「ハッとすること」になります。逆に、凶と出る場合には「よくわからない・つまらない」で終わりです。 このことからすると、抽象度が高い人というのは、ある程度「おもしろい」ものであると言えるでしょう。   ただし頭が悪くなる"ユーモア"もある ただし、「おもしろいもの」がすべて「抽象度が高い」わけではありません。 例外があります。   たとえば、仲間内でしか通じないネタ。 内輪のネタは、言っている当人たちにとっては面白いでしょうが、狭い世界でしか通用しません。普遍性が低いのです。   また、人をいじったりからかったりしたときに発生する笑いも同様です。 その人が周囲から異なっていることを利用して笑いをとるとか、その人にとってはどうしようもないことをネタにするということは、やはり内輪ネタ=抽象度が低いネタ、ということになります。   抽象度が低い 普遍性が低いということは、実は「いくらでも取り換えが利く」ということでもあります。(逆説的なものの言い方になりますが)なぜなら、普遍性の低いことを考えるのは、「誰にでもできる」からです。誰にでもできるという   せっかくおもしろいことを考えるなら、抽象度の高い、普遍性の高いものにチャレンジしましょう。   おわりに さて、いかがだったでしょうか。 今回はちょっとゴタゴタした内容になってしまったのですが、言わんとしていることはもう一度言っておきます。 「狭い世界では一つの意味しか持っていなかったものが、思わぬ形で違う意味を持つ(=このとき普遍性が上がる=抽象度が上がる)」。 それが、「おもしろさ」と「抽象度」の関係です。   また、自分たちにとっては面白いと思っているネタであっても、それが普遍性の低い=抽象度の低いネタであれば、他に同じようなことを言っている人はいくらでもいます。自分たちにとっては唯一無二に思える「めちゃくちゃおもしろい友達の○○君」は全国で探せばいくらでも、それこそ掃いて捨てるほどいます。 ただなんにせよ、「おもしろいことを言える」ことと「抽象度が高い思考ができること」は何らかの共通点があるということは言えると思います。   抽象度を上げて、おもしろいことをガンガン考え付ける人になってください。 では、グッド・ラック!   ★おまけ 「抽象度を上げる」ためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。うさんくさいのは、読みもしないひとが勝手に言っているだけです。 今回この記事で書いたことは、抽象度という概念をはじめ、かなりの部分が苫米地氏の知見を基にしたものです。   以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

「洗脳され、思考停止した人」が好んで使う5つの言葉

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 今回は、「これを言われるとおしまいな言葉」について特集します。 たとえば、「そんなの常識だろ!」の”常識”、「みんなやっている」の"みんな"、「世間に顔向けができない」 の"世間"など、「その単語が出ると、途端にそれ以上追及してはいけない状態になる」という不思議なワードのことです。 いかに日本人が"洗脳"されているのか、日本語という言葉を分析しつつ読み解いていきましょう。 洗脳・思考停止ワードその① 「常識」 類義語としては、「当たり前」「マナー」「暗黙のルール」など。 用例は、 「徒歩30分以内なら歩いてくるのが常識だろ。車で来るヤツは非常識だ。」(教えてgooより拝借) 「上司が2次会行くぞと言うなら最後まで付き合うのが当たり前だろ。」(同) など。よくブラック企業で聞きそうなフレーズ。 「目上とされる人」が「目下とされる人」に対してなにかを強制しようとするときに頻出する言葉です。 先生から子どもへ、親から子どもへ、上司から部下へ、先輩から後輩へ・・という関係性のなかでかなり頻繁に使われます。 みなさんも耳にしたことがあるか、もしくは口にしたことがあるでしょう。   でも、残念なことに、大抵の場合、 「常識」というのは思考停止ワードです。 なぜなら、常識とは、「なぜそうするのか」について考えることをやめたときに頼りになる言葉だからです。   根拠が見つからないから「常識だろ?」でごまかすことが多いのではないでしょうか。 「これは、自分が考え抜いた末に結論した純度100パーセントの意見じゃないけど、そのようにみんなが思っている(気がする)から」という根拠のない希望的観測に基づいて「常識だろ!」で片づけてしまうことが多いのではないでしょうか。   論理的な根拠が見つからないとき、「常識」という言葉が格好の隠れ蓑になるのです。   上の例でいえば、 「徒歩30分」→「歩いていくべきだ」となっていますが、「→」が意味不明なのです。 「徒歩30分である」ことがなぜ、「歩いていくべき」であることの根拠になるのでしょうか?   同じく、 「上司が2次会行くぞと言うなら最後まで付き合うのが当たり前だろ。」の例では、 「上司が二次会行くぞと言う」→「最後まで付き合う」の、「→」が根拠薄弱です。 「上司が二次会に行くぞと言う」ことと「最後まで付き合う」の間には、なんの脈絡もありません。   日本人は論理的思考能力を鍛える機会が与えられていないに等しい(すくなくとも義務教育過程では全く触れられません)といわれますが、その発端はここらへんにあると思います。   ディベートでいうと、「事実」→「主張」を成り立たせるカギである「→」は、「論拠」といいます。 これをそのまま英語にすると「データ」→「クレーム」で、「→」は「ワラント」と言います。   上の例だと、本来であれば上司は、 「徒歩30分である」という「事実(データ)」が、なぜ「徒歩で行くべき」という「主張(クレーム)」につながるのか? を示さなければならないのです。 つまり上司は、「論拠(ワラント)」なき物言いをしてしまっているのです。 事実から主張を展開するための「論拠」がないからこそ、不安に駆られて「常識」という言葉の重りを担保にするのでしょう。   したがって、 例のような「常識だろ!」の物言いは、この「事実・主張・論拠」「データ・クレーム・ワラント」で対処できます。 繰り返しますが、 あることを説得力を持って言うときには、 「なぜその事実(データ)から、その主張(クレーム)が導き出されるのか?」という「論拠(ワラント)」が必要なのです。   ついでに言っておけば、常識とされていることが間違っていることなんてザラなんです。 たとえば、一昔前までの野球界では「練習中に水を飲んではいけない」が「常識」でした。 また、天動説が常識とされ、地動説は非常識とされた時代もありましたね。 今やどちらも非常識ですね。   「常識」という言葉を使う人には気を付けましょう。 往々にして、その人が言うことは、常識という皮をかぶった「あなたに要求していること」なのですから。   洗脳・思考停止ワードその② 「普通」 類義語としては、平凡、典型的、人並み、十人並み、なんの変哲もない、など。   普通という言葉について、村上龍の小説「希望の国のエクソダス」にはこんな一節があります。 "普通"の中学生である中村君が語った言葉です。 「ずっと言われてきたんですよ。親と話したことでよく憶えているのはそれだけです。普通というのがぼくはわからなかったし、今もわかりません。みんなと同じようにすることだと親が言ったこともあるけど、みんな一人一人違うじゃないですか」... 「普通という概念は一定のものじゃないとぼくは思います」... 「だから普通でいなさいと言われてもよくわからないんです」   「普通」を定義できますか? 自分にとっては普通でも、他の人にとっては普通でない可能性があります。 自分の国では普通でも、他の国では普通でない可能性があります。 普通というのは、どこまでいっても相対的なものなのです。   ぶっちゃけた言い方をすれば、世の中で言われている"普通"とは、「幻想」にすぎません。 あるような気もしますが、ないような気もします。空なんです。   つまり「普通」とは、解釈次第でどうにでも言えるわけです。 だから、自分の意見を正当化して人に押し付けるときに非常に役に立つんですね。 「それが普通だから、そうしなさい」というように。 思考停止していることを隠したいときにも使える言葉ですね。 用例としては、 「普通に就職して、普通の人生を送る」 「なにかにチャレンジするのはつかれるから、普通の人生を送りたい」 「わが子が普通に育ちますように」 など。   ちょっと怖い話をしましょう。 「普通」というのは、「作れる」ものです。 どうやって作るかといえば簡単で、テレビや新聞・雑誌などを利用すればいい。 しかもその時つくられる「普通」とは、権力のある人にとって都合のよい「普通」です。   たとえば、最近の日本の家庭は「核家族」が大半です。 核家族とは、「父と母と子ども」という、家族として成立する最小単位の核だけを持っている家庭のことです。 いまの日本で"普通"なのは、核家族です。 しかし、その"普通"は、数十年さかのぼると普通ではありませんでした。 今となっては、おじいちゃんやおばあちゃん、いとこなども一緒に住んでいるというのは少数派ですが、昔はそうではありませんでした。戦後間もないころの日本や明治・大正・昭和期の一般家庭を思い浮かべていただくと納得できると思います。   では、なぜ核家族化が進んだのでしょうか? おそらく、家電メーカーや車業界、住宅建築業界の要請があったのではないかと私はにらんでいます。   たとえば核家族が増えれば増えるほど、洗濯機はそれだけ需要が増えます。 テレビもそうですし、冷蔵庫も一家に一台ですから需要増です。 また核家族が増えるほど、車の需要も伸びます。 一戸建てに住む核家族が増えるほど、住宅需要も伸びます。 それらの業界にとっては、「核家族をもっと増やしてくれ」なのです。   これを陰謀論だと言うのは勝手ですが、事実それらの業界にとっては核家族化は利益になっているのです。   最近でいえば、大学生のイメージする普通の人生とは 「普通に就職する」 「公務員になって普通に暮らす」 「30代になったら普通に結婚する」 などでしょうか。   これらの「普通」も、"つくられたもの"である可能性が高いです。 普通に就職活動をすればリクルートがボロ儲けしますし、 普通に公務員になろうとすれば就職の大原が儲かりますし、 30代になって普通に結婚しようとすればブライダル業界と婚活業者がウッハウハです。   普通であろうとすること自体は悪いことだとは思いませんが、その「普通」とは、誰かに洗脳された結果「普通だ」と思っているのではないか? と疑ってみることをおすすめします。   洗脳・思考停止ワードその③ 「恥ずかしい」 「恥ずかしい」という言葉も、論理的に考える能力を衰えさせます。   アメリカの文化人類学者ルース・ベネティクトは、日本の文化を「恥の文化」と評しました。 それが正しいかどうかはともかくとして、日本人の行動原理には「恥ずかしいことは嫌だ」がガッチリ組み込まれているようです。 「恥ずかしい行いをしてしまった。人様に顔向けができない」 「授業で発言するのは恥ずかしい」 「こんなんじゃ恥ずかしくて同窓会に行けない」 「恥ずかしいからやめろ!」 とまあ、こんな使い方をします。   「恥ずかしい」というのは、「情動記憶」と深いかかわりがあります。 「恥ずかしい」が厄介なのもまさにここです。 「恥ずかしい」というトリガーが引かれると、人間は論理モードから情動モードへと切り替えさせられてしまうのです。   日本人であれば、小さいころから親や周囲の環境によって、「これは恥ずかしいこと」「あのひとは恥ずかしいことをした」「あれをするのは恥ずかしいことである」といった「恥ずかしいもの」の刷り込みが行われます。 そのうち子どもの方でも一般化する能力が身に付いてくると、「恥ずかしいもの」を自分で判断するようになります。 「授業で発言して間違えたら恥ずかしい」 「就職に失敗してニートになったら恥ずかしい」 といった判断をするようになります。   論理的に考えれば「授業で発言して間違えること」→「恥ずかしい」はまったく成立しないはずなのですが、情動記憶に結びついている分、脳が自動的に反応してしまうのです。 「ニートになる」ことが「恥ずかしい」というのも本来成り立たないはずなのですが、小さいころから地道に形成されてきた「これは問答無用で恥ずかしい」というパターンの中に入ってしまう。   だから厄介なのです。 論理が抑え込まれてしまって、情動が前に出てくる。 これを解除するにはけっこうな時間が要ります。   対処法としては、情動モードになっていないときに徹底的に論理でやっつけるほかないと思います。 一度情動モードに切り替わってしまうと対処が難しいので、冷静なときに「待てよ、ニートであることがなぜ恥ずかしいんだ?まったく根拠がないのになぜ?」といった問答をやってみることが近道でしょう。   洗脳・思考停止ワードその④ 「~してはいけない」 年末になるとやっている「○○てはいけない」シリーズは大人気ですが、これも思考停止ワード。要注意です。   たとえば、 「留年してはいけない」 はどうでしょう。一見もっともに聞こえますが・・・   これもやはり、論理的におかしいのです。 「留年すること」→「いけないことである」の「→」はかならずしも成立しませんから。 たとえば自分で学費を稼げるような人であれば、留年による経済的損失はそれほど大ダメージにはなりません。 また、ストレートで大学を卒業することにとくにメリットがなければ留年してもかまわないでしょう。   もちろん「親が出してくれるからいくらでも留年しよう」はそもそも倫理的にまずい(親には扶養義務があるとはいえ、親の幸福を妨げる可能性があります)のですが。   もちろん、「人を殺してはいけない」といった命題については、論理で片づけてしまえるような類のものではありません。社会を成立させるために必要な分の「○○てはいけない」を取り払ってしまうと治安悪化や秩序崩壊につながりかねないですから、保持すべきです。   しかしそれ以外の場合、「○○てはいけない」というのは、まったく根拠がない無条件の禁止であることで多いのです。 個人の責任においてやる場合、かつ他人に害を与えないような場合であれば、個人の行動は「○○てはいけない」にしばられる理由がありません。 「ホームレスになってはいけない」なんてこともありませんし、 「上司に反論してはいけない」なんてこともありません。   「○○てはいけない」は、個人をおとなしくさせておくための鎖としてかなり強力なものであるといえます。   洗脳・思考停止ワードその⑤ 「みんな」 「みんなやっている」と言われると無条件で硬直してしまう人は、多いのではないでしょうか。   人間は群れをなして生きる生物ですから、自分にはみんながついていると思えるだけで、途端に強気になれます。 「みんなそうしてるんだぞ」「みんな我慢してるんだ」「みんなつらいんだぞ」... たとえそれが「脳内みんな」であっても、これらの主張は一見、説得力があるように見えます。   集団で相互に助け合いながら生活するのは人間の本性ですから否定はしません。 しかし、「みんながそうしている」からといって自分もそうする必要があるのかどうかについては一度考えてみる必要がありそうです。 「みんなが逃げないから、自分も逃げない」という判断をして災害から逃げ遅れてしまう人もいます。   また、「自分は、"みんな"の一員である」=「自分が多数派であること」は裏返して言えば、 「自分が存在しなくても、他のみんなで事足りる」 「自分という存在は、いくらでも取り換えが利く」ということにもつながります。   自分がいなくても、ほかのみんながやってくれる。 これが多数派に属する人の強みであり、同時に弱みでもあります。   ・・「みんな」についてもう一言。   民主主義とは、「みんな」の合意に基づいてやる政治だと教えられますが、実際そうではありません。 むしろ逆。 なぜなら民主主義は、多数決を基本原理としているからです。   多数決で決まるということは、なにか意見を通そうとするときには、多数の人々を操る力を持っている人が有利ですね? 自分の意見に賛同する人をたくさん味方に引き入れるほど、勝つ可能性が高くなります。   そう、民主主義とは、「多数を操る手段を持っている人」のための制度なのです。 わかりやすくいえば、いまの民主政治は、マスコミに影響力を行使できる人々のためのものです。あきらかに大衆のためのものではありません。 新聞やテレビが主要な情報源である日本の国民を思いのままに動かすためには、その新聞やテレビを自分に都合の良いように動かせばいいのです。   ここでもやはり「みんな」というのは洗脳ワードです。 「みんながそう言っている」「みんなそう思ってる」というときの「みんな」とはいったい誰なのか。 「みんな」をコントロールしているのは誰なのか。   洗脳されている人は、自分が洗脳されていることになかなか気づけません、 「みんながそうしている」と言っている人を見たら、「ほんとうにそれは"みんな"なのか」「みんながそうしているからといって、自分もそうする必要はあるのか」を考えてみてください。   おわりに + "脱洗脳したい人"のためのおすすめ本 さて、いかがだったでしょうか。 基本的に、以下の言葉には気を付けましょう。 「常識」 「普通」 「恥ずかしい」 「○○てはいけない」 「みんな」   上に挙げた言葉を使ってしまったら、「あっ、俺、考えるのをやめている」と考えた方がよく、 上に挙げた言葉を使っている人を見たら、「ああ、この人は洗脳されて思考停止してる人なんだな」と思った方が良いです。   この記事で散々述べてきたように、どの言葉も「自分が思考停止しているのを隠して、もっともらしく聞こえるようにするため」に非常に都合の良い言葉だからです。 また、多くの人をコントロールできる立場にある人が利用している言葉でもあるからです。   これらの言葉に神経を張っておくことで、 自分がいかに洗脳されていたか、自分がいかに思考停止してきたかがよくわかると思います。 無駄なとらわれから脱して、自由自在に生きてください。   では、グッド・ラック!   ★おまけ 「脱洗脳のスペシャリスト」のおすすめ本★ 毎回恒例。   ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。うさんくさいのは、読みもしないひとが勝手に言っているだけです。 今回この記事で書いたことは、かなりの部分が苫米地氏の知見を基にしたものです。   以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

「テレビは見れば見るほど馬鹿になる」のはホント。その理由は?

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 あなたの部屋に「テレビ」ってありますか? 私の部屋には置いてないのですが、この間久しぶりに帰省して実家でテレビを見ていました。 最近、「米研究チームがテレビの見すぎで「バカ」になる医学的な根拠を発表」(Livedoorニュース)という記事を見つけたんです。 「テレビを見ると馬鹿になるよ」とはよく聞きますが(私も言われた気がしますが、もしかしたら「ゲームばかりやってるとバカになる」だったかもしれません)、「テレビは見れば見るほど頭が良くなる」とは聞いたことがありません。 そこで今回は、「テレビを見ると馬鹿になる理由」を、私なりに考えてみました。   「みんなが観ている」という意味を考えよう もしも「馬鹿」という概念を「自分でなにか独創的・斬新なものを考えつくような創造性がないこと」と定義するのなら、間違いなく、テレビを観ることによってヒトは馬鹿になります。 なぜか。   テレビというのは、「みんなが観る」メディアだからです。 日本全国どこでも、テレビとアンテナがあれば誰でも同じ情報を得ることができます。 したがっていまの日本では、画一的な肥料をバクバク食わされて肥え太った家畜のように、みんなが同じような情報を摂取しています。日本全国どこでも、テレビから垂れ流しになっている情報はほとんど同一内容です。   同じ肥料ばかり食べさせられる家畜たちがみな似たような太り方をしていくのと同様に、テレビという「みんながみるメディア」から多量の情報を摂取するタイプの人々は、みな同じような考えを持つようになっていきます。たとえば、テレビで好ましいように描かれている人物を好ましく思い、悪者として描かれている人間をわるいやつとして認識するようになります。テレビで納豆がダイエットに効果的という特集が組まれると、店頭から納豆が消えるのです。 やはり、どうしても「テレビを見る人」の思考は一定の方向に偏らざるをえないのです。 みんなと同じように考えることを「創造性がない」=「馬鹿」と言うのなら、テレビを見れば見るほど人間は「馬鹿」になっていきます。   また、「みんなが観ている」ということは、裏返せば、つまり「観ていないと、話についていけない」「置いてきぼりにされる」ことでもあります。たとえば3.11の日であれば、テレビもネットもせずに一日中本を読んでいた九州あたりの人はしばらく「え、地震?なにが?」という状態だったことでしょう。 人間は古来から群れを作る生活に慣れてきましたから、「みんなの話についていけない」ことは人間を不安にします。みんなと話を合わせるためにますますテレビを見て、ますますみんなと同じような考えしか持てなくなって・・・という落とし穴があるのです。   「みんなといっしょがいい」という価値観で生きることに納得しているならともかく、自分という存在の独自性を失いたくないのであれば、テレビをたくさん見ることは避けるべきだと言えます。   視覚情報のインパクトは絶大。大衆を効果的に洗脳する装置としてのテレビ 映画を見ていると、ショッキングなシーンでついつい「ビクッ!」と体が反応してしまうことはありませんか? テレビでも、なぜか人間は「実際に自分の目の前にいない人たちのやりとり」を見て笑っています。 よく考えてみると不思議ではありませんか?   なぜ、自分がいま存在している「ここ」ではなく、テレビのなかに描かれる「あそこ」を、現実のように錯覚してしまうのでしょうか?   私はそれに関して正確な答えを持っているわけではありませんが、推測はできます。 おそらく人間の脳は、「テレビと現実の区別がつけられない」のです。   ・・考えてみるとそもそも、「小説を読んでいて感情が呼び起される」のも不思議です。 小説のなかで描写されているものは、現実ではありません。 それなのに、なぜか私たち人間はそれに対して、泣いたり笑ったりといった反応ができるのです。   ただしひとつ付け加える必要があります。 小説の場合、「活字→イメージ」という変換を脳内で行う必要があります。 しかしテレビの場合、「そこに映されているものをそのまま現実として認識するだけ」なのです。   小説を読むのはそこそこ脳の体力を消費しますが、テレビはボーッと見ていればいいだけなのです。 実際にデータでも出ていますが、 NHK放送文化研究所の「2010年国民生活時間調査」によると、10歳以上の国民のテレビの平均視聴時間は平日で3時間28分、土曜日で3時間44分、日曜日で4時間9分だ。 とのことです。 三時間テレビを見るのは簡単ですが、三時間も読書を続けるというのはかなり体力を要します。 ついでに言えば、小説なら想像力や読解力、語彙力などが身につきますが、テレビを見てもそれらのものはほとんど身に付きません。   見るのに体力が要らないということは、いくらでも長い時間見続けられるということ。 そしてテレビは視覚情報という、五感の中でもっとも臨場感のある知覚に働きかけてくるものであるということ。   この二つを考え合わせてみるとき、 テレビとは、「粘り強い思考力を奪うもの」であり、かつ「そこに映し出されることを現実と錯覚させるもの」であるということが言えるでしょう。 まさに「国民を馬鹿にするためにつくられた装置」であるといって過言ではありません。   テレビは、権力者に都合の悪いことは決して言わない 「テレビに映し出されることを現実と勘違いする・・・と言っても、テレビのニュースは現実を報道しているんじゃないか?」と言われそうです。 残念ながら、テレビの映像というのは基本的にすべて「誰かの手によって編集されたもの」です。 現実は現実ですが、明らかに特定の意志のもとで編集された現実です。 テレビの情報を鵜呑みにしているかぎり、「いま自分が見ている映像は、特定の誰かに不利益をもたらさないように編集されたものである」という事実に気が付くことはありません。 (たとえば3.11のとき、いったいどのマスコミが原発の状況について正しい情報を報道していたでしょうか?)   テレビは権力者の悪口を言えません。 もっと具体的にいえば、テレビはスポンサーの悪口を言えません。 また、CMの枠を埋めてくれる広告代理店(電通や博報堂などが有名ですね)の悪口も言えません。 もっともっときわどいことを言えば、日本のテレビはかなりの割合の株式を外資系企業・外国人によって握られていますから、それらの人々に害のあるようなことも放送できません。 (このあたりの事情は、苫米地英人『電通 洗脳広告代理店』などに詳しく述べられています。)   「テレビが権力者の悪口を言えないことを知ったところで、結局自分たちにはどうしようもないじゃないか」と言う人もいますが、少なくとも「権力のある人に騙される」危機は減ります。 原発から飛んで行った放射性物質が本当は自分の町にも降り注いでいるのに、テレビで流れている「あなたの町は安全です」というお偉方の言葉を盲信すればどうなるでしょうか?   騙されて不利益を被ってから、「テレビに騙された!」と気がついてももうどうしようもありません。 テレビは権力者に都合の悪いことは決して言わない、ということを覚えておきましょう。   テレビじゃなくて何をみるべきなのか さて、以上述べてきたように、テレビを見るのは時間の無駄です。 「人生とは時間である」とするなら、テレビを見るのは自分の命を削ることだともいえます。   では、テレビをやめて何をみるべきか? このブログのタイトルでもうお察しでしょうが、一番いいのはやはり「本」です。 本を読みましょう。   本は読めば読むほど知識が身に付きますし、読解力、語彙力、想像力、新しいものを考え付く才能が伸ばせますし(才能とは伸ばすものなのです)、ほかの人との話題にもできます。 それに「読んでいる時間」が多いほど、すなわち「頭を使っている時間が長い」「想像力を働かせている時間が長い」ということにもなります。 本だけじゃ不安だと思うなら、自分の考えたことなどを一冊のノートにまとめて書くということもおすすめです。   おわりに + これを読むと頭が良くなるという本の紹介 さて、いかがでしたか。 テレビが完全な悪であると言い切ることはできませんが、少なくとも、始終テレビばかり見ているのはマイナスの結果をもたらすようにしか思えません。   個人的な考えですが、現代社会を動かしているのは、「金と人と言葉」だと思います。 言葉によって規定されているからこそ、国家は活動することができるし、我々は赤信号で止まるし、他人にうそをついてはいけないといえるのです。 人類が生み出した最高の発明品のひとつである「活字」を自在に操れる人になって、現代社会を思うままに生き抜いてください。   では、グッド・ラック!   ★おまけ 「現状を打破する」ためのおすすめ本★ 毎回恒例。 毎回やるだけの価値があります。   ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。うさんくさいのは、読みもしないひとが勝手に言っているだけです。 この人の本は、頭を良くして常識を飛び越えるためのヒントが満載です。 本当に面白いし、使えますよ。私がすすめるんだから間違いないです。 以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――    

年も明けたし、「本当に頭が良くなる目標設定の仕方」について解説します

あけましておめでとうございます! 栗栖鳥太郎です。 この季節になると「新年の抱負」というのをよく聞かれますから、今回は「本当に頭が良くなる目標設定の仕方」についてこれまで私が学んできたことを書いていきます。 「目標」には二種類ある ひとくちに"目標"と言っても、人によってそのイメージするところは全く異なります。 学級目標をイメージする人もいれば、極めて現実的であるべきものとして考える人もいれば、果てしなく遠くに設定すべきだという人もいます。   ですから、まずは「目標」とは何なのかを定義しなければ話が始まりません。 この記事では、「目標」を次のように考えます。 目標とは、「今の時点で、自分はそこへ向かって進んでいくのだという方向性を決めるための基準となるもの」であり、二種類ある。 ①「人生を通しての目標」(人間としての理想) ②「とりあえず今はこれを達成しようという目標」(現在の自分の行動を選択するために必要となる基準) では、この定義に沿って「頭が良くなる目標の立て方」を見ていきましょう。   「①人生の目標」は、「本当に自分が心からやりたいと思えること」であるべき 人生の目標は、「本当に自分が心からやりたいと思えること」であるべき、と言えます。 理由は簡単で、そうしないと人生なんのために生きているかわからなくなるからです。 自分にとって本当にやりたいことをやっていない人は、ひどく欠乏感に苦しむでしょう。   しかし、「自分が本当にやりたいこと」をわかっている人というのは案外少ないものです。   たいていの人は「そんくらい知っとるわ」って言うんですが、よくよく聞いてみると 「みんなが良いと言っているものを、自分も欲しいと思っている」 「親や友人や先生が良いと言っているものを、自分も良いと思っている」 「テレビや映画・ドラマに登場するようなものを、自分も良いと思っている」 といった、「自分ではないほかの人・物」による刷り込みであることが多いのです。   自分が欲しいのは、本当に 「良い企業に入って、年収は1000万くらいで、奥さんは誰似のこんな人で、子供は何人で、定年後はこう過ごす・・・」 といった人生なのでしょうか? この例でいえば、 「良い企業」(誰が決める?) 「年収は1000万くらい」(なんで一億とか100万じゃダメ?) 「奥さんがいる」(そもそも結婚する必要があるのか?) 「奥さんは誰似」(なんで似てる必要がある?) 「子供の人数」(何人でも良いのでは?) 「定年後の生活」(なんで定年もしてないのにわかる?) これらすべてが他人による価値観であり、メディアによる刷り込みです。 ある種の洗脳と言っても良いでしょう。 「みんなが良いから良いと思う」では、自分の考えがないのと一緒なのではありませんか?   目標設定でも同じです。 本当は達成したくないけど、みんなが・まわりがやっているから自分もこうかな・・・というような目標では、心の底から達成したいと思えるはずがありません。 他人の物差しや世間の評価ではなく、「自分が心の底からやりたいと思えること」を目標にする必要があります。それさえできれば、あとは「やりたいことをやる」だけですからとても楽です。   また参考までに言うと、人生の目標を設定する際には、「他者に貢献する」「社会のためになることをしている実感がある」という基準があります。 自分という存在は死ねば終わりですが、周りの人々はそれからも生きていきます。 自分という存在のはかなさを自覚したうえで、それでも他者や世界に対して働きかけるという姿勢があれば、「ああ、この世界に生まれてきた痕跡を残せたなあ。少なくともまったく無意味な人生ではなかったなあ」と思えそうじゃありませんか?   ついでに言っておくと、人生の目標は、「死ぬときに後悔しないように」という視点で考えると、比較的見つけやすいと思います。 スティーブ・ジョブズがやっていたのは有名ですね。彼は毎朝、鏡に向かって「今日やるべきことは、今日が自分の人生最後の日であってもやることだろうか」と言っていたそうです。   「これさえ成し遂げれば、もう思い残すことなく死ねる」というレベルのもの(≒絶対に完全達成はされないもの)を、人生の大目標にしましょう。 この大目標が、あなたの人生の方向性を決めていくのです。   長くなったので、この節の内容を簡単にまとめます。 "人生の大目標"を定めると、日々どう生きていくのがよいか、どうしたいのかが見えてくる。 このとき、その目標は ①他人の価値観ではなく、本当に自分がやりたいと思うことにする ②何らかの形で他者や社会のためになると思えるようなものにする ③これをすればあとは心置きなく死ねる、というくらいのものにする ことが重要。   「②とりあえずの目標」は「現状を否定するもの」にする ところで、なぜわざわざ目標を設定するのか、考えたことはありますか? それは、目標がなければ、「どう動いていいかがそもそもわからないから」です。   試験のテスト用紙が配られたはいいものの、そこに問題が何も書いてなかったら、答えようがないでしょう。 それと同じで、目標というものが無ければ、日々の生活で何をしていくかはわかりようがありません。   前節で、「人生の大目標」を立てることについて述べました。 この人生目標が立てられれば、自分が死ぬまでの長い長い間(本当は短いかもしれませんが)に、自分がいったい何をすべきなのか、したいのかがだんだんわかってきます。 つまり「長期的な方向」が定まるわけです。   これにプラスして、じゃあその長期的方向性に基づいて、 「いまの自分・今年の自分はいったい何をしていくのか」という「とりあえずの仮目標」を設置することが必要です。 この目標がないと、いまの自分・今日の自分がなにをするのかがハッキリしないからです。 やることがはっきりしていないと腰も重くなってきますから。   逆に言うと、とりあえずの目標さえあれば、 ①自分のあらゆる選択の基準になる(目標達成に関係があるかどうか?という尺度が使える) ②「こんなにぐうたらしてたらマズイ!」「これをやりたい!」という原動力になる(つまりモチベーションが勝手に上がる) のです。   まず「人生の大目標」を設定してから、「とりあえずの目標」で日々のことを決定する。 これだけで、日々の生活でなすべきことが明確になり、かつ行動のエネルギーが湧くのですから安いものでしょう。   (ちなみに、②の効果が発動するのは「目標が、本当にやりたいことであるとき」に限ります。 人生の目標は自分の本当にやりたいことにせよ、と述べたのはそういう理由もあってのことです) 以上を踏まえて、この節で言いたいのはこれ↓です。 「とりあえずの目標」は、「現状を否定するものであれ」ということ。 この場合、「現状」は、「今のままの自分であり続ける場合に起こり得るすべてのこと」まで含みます。   現状否定の仕方には、二つの軸があります(これがそのまま「目標が現状を否定するものであるべき理由」にもなっています)。 ひとつは、「今の世界にないもの」「今の自分にないもの」を志向する、ということ。 もう一つは、「今のままの自分では達成できそうにないこと」。   前者はつまり、「これまで見えていなかったものを見えるようにする」ためのものです。 人間には、現状にとどまる限りどうしても自分には見ることのできないものがあるのです。現状を否定するような「とりあえずの目標」を定めることによって、その盲点となっているものが見えるようになります。   後者は、いわゆるモチベーションとか行動変革とか、そういう言葉で表されるものです。 現状を否定するようなとりあえずの目標を立てることができれば、そこから逆算して「アレッ、今のままじゃだめだ! もっとやる必要がある!」と気付けるようになります。   まとめます。 「とりあえずの目標」は、現状(=今のまま変わらずに行ったら起こりそうなことも含む)を否定するようなものであるべき。 そうすることによって、 ①現状にとどまる限りは見えないものが見えるようになって、予想外の方法を思いつく。 ②「いまこんな状態のままじゃだめだ!もっと何かやろう!」という判断が下せるようになる。つまり行動力=モチベーションが勝手に上がる。 ③どういう行動をすべきかの選択が簡単にできるようになる。 というメリットがある。   目標の例 人生の大目標は、遠大であればあるほど好ましいといえます。 たとえば、先に挙げた「良い企業に入って、良い奥さんを得て、かわいい子供に囲まれて・・・」というのは全然小さい目標です。個人レベルですから。   もっともっと大きく、他人も巻き込むくらいの目標を掲げたほうが効果があります。 「世界から貧困と差別を無くす」とか、「理不尽な死に方を強いられる人が一人もいない世界にする」とか、「日本を世界第一位の経済大国にする」とか、そのくらい大きくて漠然としている方が良いのです。もちろん、「本当にそれを実現したい」と思えるのが前提です。   掲げた目標が理想として大きいほど、「自分に求められるもの」も大きくなります。それだけ自分も成長する必要があります。 また、現状の外にある目標を達成するには、様々な意味で視野を広げる必要があります。   「世界から貧困と差別を無くす」という大目標がある人を例にとれば、その人はまず、自身の国際的な影響力を強めるために各国の政府要人とコネクションを持とう、などと考えるかもしれません。そのために英語をネイティブ並みに操れるようになり、寄付もたくさん行って、自分からどんどんアクションしていくはずです。 あるいは、人を救うのにはカネがかかりますから、お金を稼ぐために数多くの事業を手掛けるかもしれません。   人生の大目標は、一生かかってもかなうかどうか、自分だけでなくほかの多くの人も巻き込むくらいのもので構いません。   「とりあえずの目標」は、たとえば「今はまだ自分が所属する野球部のBチームだけど、将来必ずメジャーリーグに行って活躍する。そのためにこの一年はこうする。だから今日はこれをやる」とか、「今は年収100万だけど、来年までに年収10億円にする。」とか、「今は学力テストで校内一位。だから、次は全国模試で一位を獲る。そのためには今週これをやろう」といったものです。   目標を「現状の外」に置くための簡単な方法として、「極端にする」ことがあります。 「今は年収100万だけど、来年までに10億円稼ぐ」ぐらい極端で良いのです。   以上挙げたのはあくまでも例ですが、このくらい遠大なほうがやりがいがあるでしょう? 少なくとも、なんの目標も持たずにブラブラしているよりはマシだと思いますが、どうでしょうか。   どちらの目標も、人に言わない方が良い 最後にひとつ、大切なことを言っておかねばなりません。 それは、「目標は人に言わないこと」です。 一般的には「目標は公言しよう。サポートしてくれる人が現れるから」と言われていますが、むしろ逆です。   たとえば、今はまだ野球部の補欠だけど、「将来メジャーリーガーになりたい!」と心の底から思って、目標として言い出した少年がいたとしましょう。   この場合、おそらく、 親は「この不況なんだから、もっと安定した職を・・・」 野球部の仲間は「あいつヘタクソだから無理だよ」 野球部の顧問は「まずウチでレギュラーにもなれないやつが何を言うんだか」 くらいの反応をされるはずです。   「他人から言われたネガティブな言葉」というものは、人間の心に大きなダメージを与えます。 おそらく周囲からこのような反応をされれば、少年は「そうなのか、自分はメジャーリーガーに本当になりたいんだけど、みんながいうから無理なのかなあ。才能がないとダメなのかなあ」とショゲること間違いなし。   現状の外に出ようというのですから、はたから見れば「無理」に見えるに決まっています。 目標を公言して周囲のサポートが得られる場合がある・・というのは、その目標がかなり現状に近いままであるからでしょう。無理に見えない(=現状から脱していない)からこそ、コネなり口利きなりが利いてくるはずです。   ついでに言えば、 ①この世界に絶対というものはない(この世で一番整合的に見える数学でさえも、矛盾を含んでいることがわかっています)。だから、周囲から「絶対無理!」と言われても、「いや、この世に絶対というものは存在しないのだから、可能性はある」と思えばよい。 ②自分がやろうとしていることはなんでも、人類史上これまで誰もやったことがないことである。誰もやったことがないのだから、もしかしたら、やってみて初めてわかる近道や抜け道があるのかもしれない。みんなやったこともないのにできるわけがないと言っているだけ。 ということも覚えておくべきです。 人間ってのは案外凄いもんですから、「絶対無理!」なことも、本人がやりたいと思ってやれば結構イケるものなんですよ。   まとめ + 現状打破したい人のためのおすすめ本 さて、長い記事でしたが、いかがだったでしょうか。 読むのにつかれた人用に、簡単にまとめておきます。 目標とは、「今の時点で、自分はそこへ向かって進んでいくのだという方向性を決めるための基準となるもの」であり、二種類ある。 ①「人生を通しての目標」(人間としての理想) ②「とりあえず今はこれを達成しようという目標」(現在の自分の行動を選択するために必要となる基準) そして、 "人生の大目標"を定めると、日々どう生きていくのがよいか、どうしたいのかが見えてくる。 このとき、その目標は ①他人の価値観ではなく、本当に自分がやりたいと思うことにする ②何らかの形で他者や社会のためになると思えるようなものにする ③これをすればあとは心置きなく死ねる、というくらいのものにする ことが重要。 さらに、 「とりあえずの目標」は、現状(=今のまま変わらずに行ったら起こりそうなことも含む)を否定するようなものであるべき。 そうすることによって、 ①現状にとどまる限りは見えないものが見えるようになって、予想外の方法を思いつく。 ②「いまこんな状態のままじゃだめだ!もっと何かやろう!」という判断が下せるようになる。つまり行動力=モチベーションが勝手に上がる。 ③どういう行動をすべきかの選択が簡単にできるようになる。 というメリットがある。 そして最後に、 「人生の目標」も、「とりあえずの目標」も、公言しないこと! 結果で示せばいい。   これだけ言えば十分でしょう。 目標なき日々のむなしさは耐えがたいですから、ぜひ今回の記事で述べたようなやり方を試してみてください。 「あっ、そうか。こうすれば楽だし、効果が出るんだ!」と実感できるはずです。   では、グッド・ラック!   ★おまけ 「現状を打破する」ためのおすすめ本★ 毎回恒例ですね、この宣伝コーナー。 毎回やるだけの価値があるってことです。   ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。うさんくさいのは、読みもしないひとが勝手に言っているだけです。 この人の本は、頭を良くして常識を飛び越えるためのヒントが満載です。 本当に面白いし、使えますよ。私がすすめるんだから間違いないです。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

「読書のメリットをひたすら挙げていく」だけの記事

こんにちは! 栗栖鳥太郎です! 今回はまさに、このブログのタイトルである「読書奴」についての記事です。 読書するヤツだけがあずかることのできる恩恵がある。 それを知ってほしいと思って書きました。 ひたすら読書のメリットを挙げていくだけの記事 読書のメリットその① 趣味にしても読書はお金がかからない 読書は、「他人から学ぶ」ツールとしては過去も今もナンバーワンです。 なぜか?それは・・・   「安い」   自分よりはるかに優れた頭脳を持った人の考えを教えてもらえるというのに、なんと一冊千円から。 高くてもせいぜい数万円程度。 もっと言えば、図書館で借りればタダで読めます。   この圧倒的コスパを武器にすれば、ほかの「頭をよくする手段」など霞んでしまいます。 圧倒的に安い値段で、歴史上の偉人や想像力豊かな作家たちと対話できるのですから(しかも何度でも同じことを繰り返し学べます)。   たとえば、たいていの「頭が良くなる!」みたいなセミナーにお金をかけるくらいなら読書した方がマシです。 私はそういうセミナーに行ったことがないのでわからないのですが、聞いたところによると高額なセミナーに通うと50万円とか100万円とか、あっという間に出ていくそうです。かなり安いものでも5000円とか10000円はザラだ、と。   「高いセミナーに行く金額があれば、自分の好きな分野・興味のある分野の本を500冊は買えるだろ!!」と思ってしまいます。 500冊読めばその分野の専門家になれます。 専門家になるということは、「自分にしかできない仕事がある」ということですから、希少価値が出て、お金を稼げる可能性が高くなります。高額なセミナーに行くぐらいだったら、バンバンお金を稼いでから、セミナーをやっている人に個人的に会って、教えてもらった方が良いのではないでしょうか?   とにかく、やろうと思えば限りなくタダに近い値段で知識が吸収できること。 これがデカい。 読書家は金がかかりません。 お金の心配がなければ、思う存分打ち込むことができます。   たいていの図書館には文庫新書コーナーや各専門分野の本が並んだ書架があり、ひととおりのラインナップがそろっています。よほど田舎に住んでいないかぎり、だいたい読みたい本は図書館に置いてあります。それを借りれば、タダ。嬉しいですね。 また、Amazonのマーケットプレイスや、ブックオフオンラインなどで買うのも魅力的。もともと1500円くらいのが100円とか1円とかになってますから。 とにかく読書はお金がかからない。 ちなみに(出版業界の人に怒られそうですが)裏ワザとして、自分が欲しい新刊本は図書館にリクエストして買ってもらう、ということもできます。 やりすぎると作家の印税が減って困るのでほどほどにしましょうね。   しかも、この記事のなかで散々触れるように、読書自体に「頭をよくする効果」があります。 知識を吸収し、同時に頭をよくすることができる。しかも、タダ同然で。 読書家は、節約しながら頭を鍛えることができるのです。   読書のメリットその② 読書は、「果てしなく有意義な時間つぶし」である あなたは時間が余った時、なにをしていますか? 「最近の若者」はだいたいスマホを取り出して、ネットニュースを見るか、ツイッターか、スマホゲームに興じる人が多いようです。 私の大学でもだいたいそうです。 いちおう旧帝なんですがね。きっと文科省の役人さんは、「日本の学生はこんなもんなのか・・・」と思われることでしょう。   空き時間に何をするかはまったく個人の勝手ですが、「もったいねえよな」と思います。 どうせ時間をつぶすのなら、本でも読んでりゃいいのに・・・   「読書はめんどくさい」「おもしろくなさそう」は、偏見です。 たとえば小説という大ジャンルのなかには、 青春、SF、スポ根、冒険、経済、純文学、エロ、グロ、 いろいろなジャンルがあります。 この世には、およそ人間が想像するほとんどすべての分野について本が書かれています。 どれほど読書に縁のないひとであっても、少なからず興味が湧いてくるような本が「絶対に」あるはずなんです。   そのなかから、自分にとっておもしろそうな、簡単そうな本からはじめればいいだけです。 いま難しい本を読んでいる人であっても、かつては本当に簡単な、自分にとって面白い本からスタートしているはず。   「面白い本を読む」ことにはいくつかのメリットがあります。   第一に、「スピーディーに、その分野について詳しくなれる」こと。 ある分野に関してモノを言おうとするとき、たくさん知識を持っているほうが断然有利です。   自分の興味がある分野の本であれば、脳はドンドン情報を吸収します。 自分が興味のある分野についてドンドン知識がついて詳しくなれば、その分野では人に負けないだけの能力が身に付きます。 そうなれば「この分野はこの人が詳しいから、やってもらおう」とも思われることができます。 本人としては「自分のやりたいことをやっているだけ」ですが、周りからすると「あのひと、すごい勉強熱心だな」と思われるレベルになります。   第二に、「関連する分野についても興味が湧いてくる」こと。 面白いことに、興味のある分野というのはジワジワと広がっていくものです。 野球についての本を読んでいる人は、武道やスポーツ科学にもそのうち興味を持つようになります。 ホラー小説が好きな人は、法医学とか、ホラー映画などにも興味が広がっていくでしょう。 繰り返しますが、当人としては「好きなことをやっているだけ」です。 好きなことをやるとドンドン伸びますから効率も良い。   そのうちどんどん興味の幅が広がっていくにつれて、いわゆる「博識」になっていきます。 知識量がスゴい人というのは、ひたすら「自分の興味のあることと、その周辺」から知識を吸収しつづけた人といえます。 最初から博識を目指すのは間違いです。 自分の興味のある分野をまず徹底的にやって、そこから広げていけばいいのです。 その方が断然速いし楽しいですよ。   なお、好きでもないことを嫌々やる場合、上記の二つの効果はまったく期待できません。 脳は、「これをやりなさい」と命じられると途端に能率をガタ落ちさせるようにできていますから。 その代わり、「自分は本当にコレをやりたいんだ!!」というものを見つけた時に、本当に生き生きと活動し始めます。   第三に、「読書にのめりこむ」という行為そのものが「IQを上げる」役に立つということ。 IQを自分なり(というか苫米地さんなり)に定義すると、「IQ=情報空間で自在に思考ができる力」です。   読書にふけるときって、「我を忘れ」ませんか? 本当に面白い小説かなにかを読むときは、椅子に座っているお尻の感覚とか、周囲の雑音とか、今何時だとか、そういう一切の現実感覚が遮断されて、本の筆者が書き連ねていく言葉の並びのなかに臨場感を持っているはずです。 実は、この「(言語によって記述・想起された)情報空間に身を浸す感覚」は、数学者が頭の中で問題を考えているとき、プロ棋士が頭の中で長考しているとき、小説家が作品を頭の中からひねり出すときと同じ感覚です。   つまり、読書をすることで「現実世界からいったん意識が離れて、情報空間の方に臨場感を持つ」訓練ができるのです。 いまはまだその感覚がわからなくても、長い時間読書をすればだんだんコツがわかってきます。   そしてこの「意識を情報空間に置く」という能力は、IQが高い人だけが持つ特徴です。 IQが並み以下であれば、おそらく「完全に思考空間に浸る」ことはできないでしょう。   そして第四に、時間を有効利用できます。 どんなときでも肩身はなさず本を持ち歩いては読み、あるいは休日は多くの時間を読書に割く。 行きたくもない飲み会に行くくらいなら本を読んでいるほうが自分のためになります。 読書は純粋に楽しいですし、自分への投資にも(勝手に)なります。   読書のメリットその③ 読書をすると色々有利になる 「読書する人が少なくなってきている」そうです。 大学生の約四割が、「一日に本を全く読まない」そうです。   これは日本にとっては損害ですが、読書家個々人にとっては僥倖そのもの。 なぜなら、ヘンな言い方ですけど、「大学生が10人いたら4人は、自分から勝負を降りてくれる」からです。 では、読書をする人と読書をしない人との間にできる差を考えてみましょう。   読書のクセがあると、自分のなかに「パターン」が増えていきます。 あの作家はこう言っていた、あの筆者はこの問題についてこういっていた、あの小説の中にはこういう面白い言い回しが出てきた、など。 これがそのまま、自分がなにかを創り出すときの原料になります。 「引用」してみたり、「組み合わせて」みたり、「裏返しのことを言って」みたり、いくらでも料理できます。 私自身も立場上けっこう文章を書く機会が多いのですが、小説の言い回しをもじって作文なんかを書くとたいてい「面白かったよ!」と言ってもらえます。 逆に、読書習慣のない人は、そもそも「なにかを創り出すための材料が少ない」のですから、圧倒的なハンディキャップでしょう。   また知識が多くなると、自分から情報発信することができるようになります。 有益な情報を発することのできる人のまわりには、当然人が多く集まります。 人脈づくりのパーティに参加するよりよほど近道でしょう。 私も、中学校のころから「勉強がもっとできるようになるにはどうしたらいいのだろう」「人生にはどういう意味があるのか」とう自分なりのテーマを設定して情報収集し続けてきた結果として、いまこのような内容のブログを書けているわけですから。   「世の中の動きや仕組みがだいたいわかる」のも読書のメリットですね。 小説を読んでいれば、そのうち「あ、こういう場合はこういうことが想定されるのね」「へえ、そうなってるんだ。知らなかった」という経験が蓄積されていきます。他の人や他の組織がどう動くかにまで気が回るようになります。 新書などを読んでいればその分野の概観が見渡せます。   また単純に、大きめの本屋さんや図書館に行けば、「この世界にはこういう分野があって、この分野はこの分野と関係していて、これくらいの人気がある」ということが一目瞭然です。   図書館なんかだと、本の分類がそのまま学問の見取り図にもなります。 たいていの学問は活字を中心にして学ぶことができますからね。   読書のメリットその④ 読書は、「自分ひとりで考え、感じる」能力を養う 私は「群れる」ことが好きではありません(というか単なるぼっちなんですが)。   群れるのは確かに「楽」です。 仲間がいると安心できるし、なんだか自分が強くなったような気がするし、ぼっちを気にしなくていいし、自分で物事を決定しなくていいし、時間つぶせるし・・・   ただし、「群れる」ことは「大勢の中のひとり」へと自分を堕とすことにほかなりません。 というのも、べつに群れのなかで自分の役割を果たすのは、自分じゃなくたっていいからです。 自分がいま担っている役割さえ果たせるのなら、そこにいるのは自分ではないほかの誰だってかまわないわけです。   「群れる」ことの代償は、そこにあります。 群れると多数派になれる。でもそのかわり、「多数派のなかの一人」としてのみカウントされることになる。 「名もなき群衆」のうちのひとりにわざわざなってしまっている、とも言えます。数字でしか計上されません。   ・・・話は飛びますが、クリエイターになろうとする人であれば、条件として「少数派」であることが求められると思います。 当たり前の考えしかできない人に常識外れのことはできません。 むしろ当人が常識から外れているほど、クリエイターに向いています。 当人が当たり前と思っていることが世間の非常識である、くらいのレベルでちょうどいい。   人類の歴史上、人類の文明の進歩にもっとも貢献してきたのは「いまとは違う価値観をつくる」という気概を持った人々です。 「今とは違う価値観のもの」は、旧制度に慣れ親しんだ人々によってはじめは拒絶されますが、やがて価値を認められて受容されていきます。 「少数派」「異端」「奇才」といった人々は、絶対に多数派とは馴染みません。   話を戻すと、読書というものは、まさに「孤独なひと」「少数派」のためにあるようなものです。 いったい、本というものがなければ、ぼっちの人間はどれほど寂しい人生を送らなければならないでしょうか?   ひとりになって、その時間で本を読んで、自分でも考えて、新しいものを作るための原動力にする。 その時間が濃密であればあるほど、「ひとりの人間」としての地力が育つ。   私はそう確信しています。   まとめ + 頭を良くするおすすめ本 さて、いかがだったでしょうか。 読書のメリットは、おそらく一般に言われているより10倍くらいあります。 とにかく言えるのは、「平和で便利な現代社会に生まれて、本を読まないのはもったいない」の一言。   読書のメリットを挙げろといえば本当はあと50個くらいは挙げられるのですが、今回の記事ではこれだけにしておきました。 また気が向いてこのテーマについて書きたくなったら書きます。   どうかもっともっと多くの人に、「本を読む」という行為じたいの面白さを知っていただきたいと思っております。 みんな本を読んで賢くなれば、もっとこの国もこの世界も平和になるでしょうから。   では、グッド・ラック!   ★おまけ 「頭を良くする」ためのおすすめ本★ 先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。 この人の本は、頭を良くして常識を飛び越えるためのヒントが満載です。 本当に面白いし、使えますよ。私がすすめるんだから間違いない。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――    

世界で一番頭が良い人はきっと「世界オタク」に違いない。

こんにちは! 栗栖鳥太郎です! 今回は、「世界一頭の良い人とは、いったいどんな人なのか」についての自分の考えを書いてみます。 世界で一番頭が良いのは間違いなく「世界オタク」だ 「世界オタク」とは? 私が勝手に作った言葉です。 文字通り、「この世界に関するありとあらゆることがら」に興味を持つことができる人です。   「この世界が、どういう風に動いているのか」 「この世界は、これまでどのように変化してきたのか」 「この世界に生きる人々は、どのようなことを考えているのか」 「この世界には、どんなすごい場所があるのか」 「この世界の中で、自分はどう生きるべきか」 「この世界はこれからどうなっていくのか」 ・・・などなど、 とにかく「いま自分が生きているこの世界に関することすべて」に関して「無尽蔵の・無制限の」興味を持てる人のことを、この記事では「世界オタク」と呼びます。   そして、(実際にそういう人がいるかどうかは別にして)私はこの「世界オタク」こそが最高の理想だと考えています。 いうなれば、ルネサンス期のレオナルドダヴィンチのような「万能人」のイメージです。   「○○オタク」の威力 まず、なぜ「世界オタク」という風なネーミングにしているのか?について簡単に述べます。   世の中には実にさまざまな「オタク」や「マニア」が存在します。 その証拠に、「○○オタク」「○○マニア」と呼ばれる人がなんと多いことか。   たとえば、「鉄道オタク」や「切手マニア」などが有名ですね。 「アニメオタク」も最近は市民権を得つつあります。 「自動販売機オタク」「無線マニア」「マンホールオタク」「アイドルオタク」「昆虫マニア」、などなど・・・おそらくあなた自身も、なんらかの「こだわり」「詳しい分野」をもっているはずです。   で、 彼らに共通することは、「その情熱の対象に関する知識が異常なまでに多い」こと。   たとえば、"鉄オタ"と略される「鉄道おたく」の人々は、座席の写真を見ただけで 「これは東京の○○線の車両で、車両の型番は○○だ」 とズバリ当てて見せたりします。   人間の脳は、「興味のない知識」「自分にとって重要でない情報」をザックザックと切り捨てる一方で、「これは面白いぞ」と思った知識は片っ端から覚えてしまうことができます。小さい子どもが生物図鑑に載っている生物をまるまる覚えてしまうのと一緒ですね。 脳は、「欲しい!」と思った情報については、きちんと覚えておいてくれるのです。   ・・・一般的に「おたく」というと、なんだか扱いづらい人々というイメージがあります。 が、これが学問になると一味違った見方をされます。   「数学オタク」は数学界にとって歓迎すべきものでしょうし、 「歴史オタク」がいなければ歴史研究は進みません。 「物理オタク」「解剖オタク」「文学オタク」など、自分の興味がある分野についてひたすら考え続けることができる人々は、とてつもない業績を残したりします。   それは当然といえば当然で、 人間の脳は、「やりたいことを思う存分やっているとき」に最も活性化します。   もともと自分が興味のある分野ならどれほど量が多くても自然に覚えてしまうこともあわせて考えると、 「○○オタク」というのは決して馬鹿にできないのです。   むしろ、「おたく」こそが人類の文明をここまで豊かに、複雑に仕立て上げた張本人だと言えるでしょう。   結論を言うと・・・ 「世界オタク」は、「この世にあるすべてのものに興味を持つことのできる」人だ、と先述しました。 そして、オタクは「興味のあるもの」に関して、ものすごい学習能力を発揮します。   つまり、 「世界オタク」とは、「この世に存在するありとあらゆる事象に興味を持ち、ものすごい学習能力でもってそれらの成り立ちや様相を明らかにしていく人」なのです。   学習の対象となる世界が無限大である以上、オタクとしての好奇心や知識欲も無限大になります。   好奇心や知識欲があるほど学習能力が上がることも考え合わせると、 「世界オタク」こそが世界でもっとも頭が良い人である、と断定できます。   「世界オタク」はどれくらい頭が良いのかのシミュレーション 私自身はまだまだ「世界オタク」の域にまでは達していませんが、彼らの見ている世界を想定することはできます。   おそらく、世界オタクである彼らは「どんなくだらないものからでも、この世界のすべてを知ることができる」「頭のなかで、この世界のなかのどこにでも行けるし、臨場感を持って体験できる」という境地にいるはずです。   たとえば、彼らが食事するとき。 世界オタクである彼らの目の前に、「ハンバーグ」が運ばれてきたとしましょう。 きっとその瞬間、世界オタクである彼らの頭の中では、こんなことが考えられているはずです。   ハンバーグとは何語か?国際音声記号で表すと?派生語は?ドイツのハンバーグ地方からとっているらしいがハンバーグ地方とはどんな場所か?ハンバーグ地方の歴史はどんな風で、それはドイツ史や世界史とどのようにかかわった地方なのか?ハンバーグという日本語を考えてみると「ハ」「ン」「バ」「ー」「グ」だが、これらの文字すべてにはそれぞれどのような歴史があって、どのような人々がこの文字を作ったのだろうか?ハンバーグに似ているハンバーガーの歴史は?ハンバーグの材料は?どのように飼育されたのか?環境への配慮は?挽肉の材料となったのは何肉と何肉?安全基準は大丈夫か?牛肉だとするとどこの国で作られたのか?アメリカ産だとするといまエアメリカにはどのような時事問題が発生していたかな?アメリカと自分の国との関係はどうだろう?どのような流通経路で、どのような輸送手段でもって運ばれてきたのか?どんな人が運んできたのだろう?肉を構成する物質は何だったかな?ハンバーグという食品が登場する文学作品を読んだことがあったかな?ハンバーグのカロリーはどのくらいだろう?カロリーという言葉は誰が作ったのだろう?ハンバーグを研究している人というのはいるのだろうか?栄養表示の基準でいえばこれはタンパク質や脂質などはどれくらいだろう?計算方法はどうなっているんだろう?ハンバーグと数学はどういう接点があるだろう?ハンバーグという存在をコンピュータに認識させるためにはどのようなアプローチがとれるだろうか?いまハンバーグを食べている最中の自分の脳はどこらへんがどのように活性化しているのだろう?自分の体はどのように変化するだろうか?食中毒は大丈夫だろうか?食中毒を起こす細菌にはどのようなものがあったかな?食肉の是非はどうだろうか?ハンバーグを運んできた店員さんはこんな表情をしていたけど、それはどうしてだろう?   ・・・などの目まぐるしい知識欲の連鎖が繰り広げられていると想定されます。実際にはたぶんこの100倍くらいの思考スピードと深さだと思いますが。   このクラスになれば、歴史学も数学も、法学も医学も、文学も工学も、情報学も倫理学も、すべての学問は「ぜんぶ同じことを言っている」ようにしか思えないだろうと考えられます。いずれも、この世界に関する事象の記述に過ぎませんから。   とにかく、世界オタクは「この世界に存在するものすべてを愛する」わけです(隣人愛どころの話ではなく、生物はおろか無機物や、空間そのものすら愛する)から、無限に知識がつながっていきます。   ちなみに、同じようなことが確か聖書にも書いてあった気がします。 「賢者は路傍の石からも学ぶ」みたいなことだったような・・・暇があれば探してみてください。   「世界オタク」になるには? では、世界オタクになるにはどうすればいいか?について考えます。   私の答えは単純で、 「抽象度を上げて考える」を極めることがその唯一の道だと思います。   「抽象度」というのは、このブログで何度も触れている苫米地英人氏の造語です。   定義するのが難しい概念ですが、 抽象度とは「その概念が、どの程度の情報量を潜在的に持っているかの度合い」だと私はとらえています。   ちょっと例を挙げましょう。 「○○工業の番長を張っているタク君」という概念は、抽象度が低い。 この抽象度を上げると、「日本人全体」になります。 もっと抽象度を上げると「人類」になり、さらに上げると「生物」にまで行きつきます。   このとき、「○○工業の番長を張っているタク君」は「具体的なひとりの人間」だけを指しますが、 「日本人全体」になると、いっきに一億人超にまで増えます。 さらに「生物」になると、人類はおろか爬虫類や微生物まで含まれることになります。   これが、「抽象度が上がった」=「概念に含まれる潜在的な情報量が増えた」ということです。     人類のなかでいままでの歴史上、もっとも抽象度を高く持つことのできた人はおそらく「釈迦」(と龍樹)です。 なぜなら釈迦は、「すべては空である」「すべては縁起の法にしたがう」と悟っているからです。   「すべては空である」(=すべてのものには実体がない)ということは、釈迦にとってはありとあらゆるものが「空」(実体がないもの)であると見えていた、ということです。   この「空」の概念は、すべてのものに適用されます。 つまり、空という思想は、潜在的な情報量のレベルがマックスである、ということ。   したがって、「空という概念は、潜在的な情報量がマックスである」ことからすると、「空という概念は、抽象度が最高レベルに高い」といえます。世界オタクと同様、抽象度が高いのです。   さらに「縁起」についても述べておくと、これまた抽象度がものすごく高い。 縁起の法とは、大ざっぱに言うと、「すべてのものは、相互の関係性によってはじめて存在する」「すべての存在は、互いに影響し合っている」ということ(釈迦は、縁起については『言葉では言い表せない』と言っています)。   「この世に存在するすべてのものは、相互に関係しながら成り立っている」というのですから、これまた「潜在的な情報量のレベルがマックスである」といえます。この世界に関するありとあらゆる事象を対象にしています。   釈迦の「縁起」と「空」の概念を本当に体得すると、「すべてのものが同じように見える」という境地に達します。 この「同じように見える」ことの対象は「すべてのもの」ですから、つまり「この世界に存在するありとあらゆる事象」ともとれます。   したがって、この世にあるすべての情報・知識・現象・存在について興味を持つ「世界オタク」になるためには、釈迦のようにとてつもない抽象度を操れるようになればよい、と結論づけることができます。   このように、抽象度を上げて考えることができれば、 「ああそうか、すべての学問は、この世界に関する情報を記述しているんだ」 「すべての学問は、たがいに相互関係しながら存在しているんだなあ」 という認識ができるようになります。   「世界オタク」は、世界を平和にする さらに踏み込んだ話をすると、「世界オタク」は世界の平和に多大な貢献をするでしょう。   単純な話ですが、「世界オタク」は、この世界が好きだからです。   たしかに彼らにとってこの世界はすべて「空」にすぎないかもしれませんが、 実体がない「空」であっても、あらゆるものは、ほかのものとのかかわりのなかでその役割を果たしています(縁起)。   彼らはすべてのものを等しく愛しますから、すべてのものを慈しみます。   鉄道おたくの人が鉄道をこよなく愛するように、世界を愛するはずです。   「創造することの難しさ」と「破壊することのたやすさ」を両方知っている彼らは、 より難しくて価値のある「創造」を志すようになると考えられます。   小さな自我にとらわれた結果破壊的行動を起こす、というようなことは、彼らにとってありえないことなのです。   まとめ + 抽象度が上がる本の紹介 さて、いかがだったでしょうか。   「世界オタク」は、この世界のすべてを愛する人々です。 われわれ人間は確かに不完全ではありますが、この境地になることを目指して日々邁進していくことはできるはずです。   すべてを愛する彼らにとっては、この世界にいられること自体が最高の幸せです。 世界オタクになって、もっともっと楽しい日々を送りましょう。   では、グッド・ラック!   ★おまけ:抽象度を上げて世界オタクになりたい人向けの本 先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。 この人の本は、自意識過剰な自分に別れを告げるためのヒントが満載です。 本当に面白いし、使えますよ。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」 大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   本はやだな~という人向けに、苫米地氏がしゃべっている動画を上げておきます。 [youtube https://www.youtube.com/watch?v=QbjuXkccynw]     ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――    

「抽象度を上げる例とその効果」について書いてみます

こんにちは! 栗栖鳥太郎です! 今回は、苫米地英人氏が言うところの「抽象度を上げる」ことについて、私なりに理解したことをざっくばらんに書いてみたいと思います。 かなり抽象的な記事になりますが、読んでいただければ「ああ、こうすればいいのか」ということがよくわかると思います。   抽象度はこうやって上げる 前書き~「抽象度」って何?~ まず、「抽象度」という概念について軽く説明しておきましょう。   「抽象度」とは、苫米地英人氏が広めた(たぶん、作ったわけではないと思います)概念です。   抽象度とは、「その概念が、どれだけ潜在的な情報を内包しているか」についての度合いである、と私は理解しています。 言葉の使い方としては、「抽象度を上げる」「抽象度を下げる」という言い方をします。   たとえば、「いま自分が飼っているゴールデンレトリバーのラッキー」という犬について考えてみます。 「いま自分が飼っているゴールデンレトリバーのラッキー」というのは、この世界に唯一の存在です。 このとき、「ゴールデンレトリバーのラッキー」は、非常に具体的=「抽象度が低い」存在です。   これを、ひとつ抽象度を上げると「ゴールデンレトリバー」になります。 すると、いまここにいるラッキーだけでなく、世界中にいるありとあらゆるゴールデンレトリバーが内包されることになります。 つまり、潜在的に内包されている情報の量が上がったといえるわけです。   これについてさらに抽象度を上げると、今度は「犬」という概念になります。 「犬」という概念には、「ゴールデンレトリバー」も「チワワ」も「柴犬」も「土佐犬」も入ります。 またしても、概念に内包されている潜在的な情報量が上がりました。   ・・・という具合に、「抽象度を上げる」と、「その概念に内包される情報量」がどんどん上がっていく、という具合になります。 以上が「抽象度」についての説明です。 要するに、抽象度を上げていくと、どんどん概念のカバーする範囲が広くなっていくよ、という話です。     今回の記事の内容は、人によっては「うさんくさいな」と思われるかもしれません。 ですが、「ああ、こういうやりかたがあるのね」という思考の材料にはなると思います。   「抽象度を上げていく」具体例 では、実際にどんどん抽象度を上げていきましょう。 今から私が抽象度を上げながら物事を考えますから、私のあとについてくる感じで、イメージを膨らませてみてください。   まずは、「いまここに存在している自分」という、非常に具体的(=抽象度が低い)なところからスタートしましょう。 いまあなたは、どこにいるかはわかりませんが、パソコンの前か、スマホを手にしてこの記事を読んでいます。 視界は目の前の液晶ディスプレイに集中し、ほかのことはあまり目に入っていません。   ↓地理的な抽象度を上げます。   「いま、自分がいるここ」という超・具体的な場所からもっと視点を高く持って、 「いま、あなたがいる国」というスケールから、「いま、あなたがいる場所」を眺めてみてください。   イメージとしては、グーグルアースで現在地のズーム→日本国へとマイナスズーム、という具合です。 いまあなたのいる場所は、あなたのいる国全体から見るとじつにちっぽけなものです。   ↓もう一段階、地理的な抽象度を上げます。   では、 いま自分がいる国は、地球全体というスケールで見て、地球全体のどれくらいの面積を占めていますか? イメージするのは、たとえば「日本という国が、地球という巨大な球体からするといかにちっぽけなものであるか」。 太平洋の端っこのほうに引っかかっている、取るに足らないとても小さな島々にすぎません。   ・・・こうやって見ると、地球全体というスケールからすると、「いまあなたが存在している場所」は、「地平線までつづく広大な砂漠の中の、たったひとつの砂粒」に似ています。   ↓では、次は、「時間」の抽象度を上げていきましょう。   あなたがいま生きている時間は、「20○○年○月○日○時○分」です。 一秒一秒がカチコチと時を刻みながら、ゆっくりゆっくり進んでいるように感じるでしょう。   ↓時間的な抽象度を上げてみます。   いま、あなたが存在している「具体的な」時刻は「20○○年○月○日○時○分」です。 それは、「人類が文明を獲得してから、どれほど経って」いますか?   人類が表象という能力を獲得したのは、約「10万年」前。 あなたがいままで生きてきた年齢を何回も何回も繰り返さないと足りないくらいの長い長い時間です。   しかし、その長い長いように思える「10万年」という単位は、 「宇宙が生まれたのは137億年前」という事実の前では、霞みます。   「人類が生まれてからあなたが生まれるまでの間の長い長い時間」を「137000回」も繰り返せるだけの時間が、宇宙の年齢です。   ↓さらに時間的抽象度を上げると・・・   いままでしてきた話は、あくまでも「過去~現在」の話です。 時間は、「現在から未来へ」向かっても続いていきます。 今まで流れてきたのは137億年ですが、あなたの寿命が尽き、人類が滅び去り、地球が太陽に飲み込まれ、太陽が消滅したあとも、何億年、何百億年、何千億年と宇宙は続いていくでしょう。   ↓ 今度は、目先を変えて「ものごと同士の関係性」の抽象度を上げていきましょう。   あなたはいま、レストランに来ています。 目の前には、おいしいハンバーグステーキ(ベジタリアンの方は豆腐ハンバーグ)が置いてあります。   ↓関係性の抽象度を上げます。   このハンバーグは、どのようにして「いま、自分の目の前にある」ようになったのでしょうか。 まず、ハンバーグを、調理する人がいたはずです。 シェフやコックさんなどが料理してくれなければ、そのハンバーグは存在しません。   ハンバーグを、自分のところに運んできてくれた人もいます。 レストランのウェイターだけではなく、原材料のお肉を運んでくれた船、レストランまで材料を運搬してきてくれたトラック。   ↓さらに抽象度を上げます。   ハンバーグの肉が、アメリカ産の牛肉だったとします。 もしもアメリカという国がイギリスからの独立に失敗していたら、 もしもアメリカ大陸がまったく不毛の永久凍土だったとしたら、 もしも日本が太平洋戦争に勝利してアメリカを滅ぼしていたら、 いまあなたの前にハンバーグはありません。   もっといえば、人類が経験した今までの歴史上の出来事のうち、ハンバーグにちょっとでも関連するものが、なにかひとつでも違ったように起きていたら、 いまあなたの目の前にあるハンバーグは存在しません。   当然、「自分のところに届く過程のなかで何らかの不手際が起きなかったこと」も、関係性に含まれます。 食肉工場が経営破たんしなかったこと。 冷凍船が座礁したり沈没したりしなかったこと。 あなたが今現在に至るまで隕石の直撃を受けて死ななかったこと。 あなたの今いるレストランが自爆テロの標的にならなかったこと。 そもそもあなたが、レストランに行こうと思い立ったこと。   たまたま今回はハンバーグという例を出しましたが、この「関係性の抽象度を上げる」は、ほかのあらゆるものにも言えることです。 いま目の前にあるハンバーグだけではなく、それが載っている皿、レストランの天井からぶら下がっている照明、 後ろの席でおしゃべりしている女子高生、テーブル、窓ガラス、窓の外を走っている車の数々、etcetc・・・   このように抽象度をどんどん上げていくと、   あなたを取り巻くすべてのものが、 あなたが経験したすべてのものが、 あなたが経験しなかったすべてのことが、 あなたが認識できるすべてのものが、 あなたの認識できないすべてのものが、 切っても切れない関係性の網のなかに存在し、変容しつづけていることがわかるのです。   これが、釈迦のいう、 「すべての物事はそれ自体では存在しえず、ほかのあらゆる物事との関係性の中ではじめてその存在が縁取られる」という「縁起と空」の法です。 釈迦のいうところの「縁起」は、このような無数の網目状の関係性のことを指します。   たとえささいなものであっても、なにかひとつでも欠けていれば、「いまあなたの目の前にあるハンバーグ」という存在は、存在しませんでした。   抽象度を上げたり下げたりすることによって、以上述べてきたように、 「ふつうは気づかない、ものごと同士の関係性」に思いを致すことができます。

KindleUnlimitedに上がっている苫米地英人氏の書籍約80冊を全部読み終えて思ったこと その①

洗脳や催眠について書いたりと女性向けの人生相談にのったりTPPに対して断固反対したりこんにちは! 栗栖鳥太郎です! 今回は、いつもこのブログの記事の末尾に本を紹介させていただいている苫米地英人氏についての記事です。 実は、今年の8/3に始まった、月額980円で対象の本が読み放題というKindleUnlimitedのサービスに苫米地氏の本が大量に登録されています。 で、読み放題なのをいいことに苫米地さんの本をかたっぱしから読んでしまいました。 登録されていたのは(たぶん)80冊程度。 9月の中旬くらいから読み始めて、ようやく今日の夜に読み終える予定です。 たしかに読み始めた当時は「うさんくさいなこの人」と思っていたのは事実ですが、たいして読みもせずに上辺だけ見て批判するような愚を犯すことはしたくなかったのです。 80冊を読み終えたいまだからこそ語れることを、いまのうちに語っておきます。   経歴・能力が異次元 まあ、苫米地さんを語るときに、彼の経歴は外せませんね。 以下、「苫米地英人公式サイト」からの引用です。 苫米地英人プロフィール 1959年、東京生まれ。認知科学者(計算言語学・認知心理学・機能脳科学・離散数理科学・分析哲学)。カーネギーメロン大学博士(Ph.D.)、同Cylab兼任フェロー、株式会社ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ株式会社CEO、角川春樹事務所顧問、中国南開大学客座教授、全日本気功師会副会長、米国公益法人The Better World Foundation日本代表、米国教育機関TPIインターナショナル日本代表、天台宗ハワイ別院国際部長、財団法人日本催眠術協会代表理事。 マサチューセッツ大学を経て上智大学外国語学部英語学科卒業後、三菱地所へ入社。2年間の勤務を経て、フルブライト留学生としてイエール大学大学院に留学、人工知能の父と呼ばれるロジャー・シャンクに学ぶ。同認知科学研究所、同人工知能研究所を経て、コンピュータ科学の分野で世界最高峰と呼ばれるカーネギーメロン大学大学院哲学科計算言語学研究科に転入。全米で4人目、日本人として初の計算言語学の博士号を取得。 帰国後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、同ピッツバーグ研究所取締役、通商産業省情報処理振興審議会専門委員などを歴任。 現在は米国認知科学の研究成果を盛り込んだ能力開発プログラム「PX2」「TPIE」を日本向けにアレンジ。日本における総責任者として普及に努めている。 著書に『洗脳広告代理店 電通』(サイゾー)『日本の盲点(スコトーマ)』(ヒカルランド刊)『経済大国なのになぜ貧しいのか?』『現代版 魔女の鉄鎚』『まずは親を超えなさい!』『残り97%の脳の使い方』『英語は逆から学べ!』 『英語は逆から学べ!実践トレーニング編』『頭の回転が50倍速くなる脳の作り方〜「クリティカルエイジ」を克服する加速勉強法〜』『脳と心の洗い方〜 「なりたい自分」になれるプライミングの技術〜』(フォレスト出版)、『本当はすごい私』(講談社)『年収が10倍アップする 超金持ち脳の作り方』(宝島社)『洗脳』(三才ブックス)、『ドクター苫米地の新・福音書』(講談社)、『スピリチュアリズム』(にんげん出版)、『心の 操縦術』(PHP研究所)、『洗脳原論』(春秋社)、『夢をかなえる洗脳力』(アスコム)、『洗脳護身術』(三才ブックス)、翻訳書に『CIA洗脳実験 室』(デジタルハリウッド)など多数。   ちなみに中学校は駒場東邦に通っていたそう。 イェール、カーネギーメロン、ハーバード(医学部の助教授としての招待を受けていた)といった名だたる名門校に在籍していたことから、「博士の知らないニッポンのウラ」で対談した水道橋博士氏曰く、「学歴バイキング」とのこと。   この経歴だけでも「少なくとも凡人では絶対ない」ことがわかりますが、 そのほかに明らかになっているエピソードとして、   「オウムの幹部クラスを脱洗脳した」 「スポーツも得意で、ニューヨークミリタリーアカデミー(トランプ氏も通っていた)にレスリングの奨学生で入ることもできるほどだった」 「上智大学在学当時、上祐史浩をディベートで言い負かしていた」(本人は「言い負かすっていうと対等みたいじゃん。最初からそういう関係じゃないから」とのこと) 「三菱地所に入社後、当時の社長のスピーチを聞いて、『おれ、明日から(社長の)代わりができる』と思った。配属希望にも『なりたい職種:社長』と書いて人事部にあきれられた」 「2014年のセンター試験の英語でホリエモンと対決し、194点を取って勝利(ホリエモンは162点)。徹夜明けの状態で、回答そのものは20分で終え、その後見直ししてから40分で途中退室」 など多数。   ほかにも、"日本のタブー"である電通を思いっきり批判したり、日本にサイバー軍を創設するように提案したり、TPPに対して断固反対したり、東電の原発依存体質を断罪したりなど、政治や経済・軍事といったスケールの大きいことに関する本もバンバン書いています。 ほかにもディベートの方法論を紹介したり、ギターのコレクションを自慢したり、パイプのコレクションを自慢したり、女性向けの人生相談にのったり、洗脳や催眠について書いたりと、ほんとうに多種多様な活動をされています。   ふつうの身の上話をするだけですべて自慢話になってしまうというくらいの正真正銘の「天才」です。しかも全然嫌味に聞こえないからさらに不思議です。 ちなみに「サイゾーのオーナー」でもあります。   苫米地氏は本当に「怪しい」のか? そんな苫米地氏ですが、批判もあるんですね。   よく聞かれるものは、 「セミナーやコーチングの代金が法外である」 「学者としての実績がない」 「そもそも経歴が本当かどうかが怪しい」 だいたいこのへんでしょうか。   これらの批判は一見もっともに見えますが、 どれも実は単なる言いがかりにすぎないと思います。 それぞれ簡単に見ていきましょう。   「セミナーやコーチングの代金が高い」ことに対しては、 苫米地氏はニコ生の番組のなかで 「その代金を払うかどうかは完全にクライアントの自由である」 「コンサルティング会社に頼むよりよほど安い」 「高めのお金を先に払っておかないと、コーチングの最終回になってクライアントの無意識が邪魔して急遽キャンセルされることが想定される」と述べています。   続いて、「学者としての実績が見当たらない」について。   脳科学者の久保田競氏(川島隆太教授の師匠にあたる)が「バカはなおせる—脳を鍛える習慣、悪くする習慣」のなかで、 「ドクター○○と自称するひとには気をつけた方がいい。その人が本当に大学できちんと博士号をとっていない可能性もある」 と言っていました。 これからすると「ドクター苫米地」というニックネーム(?)を使っている苫米地氏は怪しい! ということになりそうですが、苫米地氏はきちんとカーネギーメロン大学で博士号を取得しています。公式ブログにも書いていますが、 「学位:1993年 カーネギーメロン大学博士(Ph.D.)Ph.D., Carnegie Mellon University, 1993 」 とあるように、正式な「博士」です。   (ちなみに博士論文については、どの本だったか忘れましたが、博士論文のテーマはチョムスキー派閥のせいで内容変更を強いられ・・・みたいなことが書いてあったように記憶しています)   これは完全な余談ですが、本当のところは・・・ 久保田氏が言っているのは、ドクター中松氏(wiki)のことではないかと思います(笑)   いずれにせよ、苫米地氏はきちんとした学問的経歴を持っています。 海外の超一流大学の、それも博士課程を乗り越えてきた人ですから、経歴や能力の点において文句のつけどころはない(というか、勝手に怪しまれてるだけ)といえます。   論文云々という批判もありますが、これについてはぜひ苫米地氏本人とその内容の真偽をめぐってディベートしてほしいですね。間違いなく苫米地氏の圧勝になると思いますが。(注:苫米地氏) まとめ + 苫米地氏のおすすめ本 ちなみに、Amazonのレビューに相当的確なことが書いてあったので引用しておきます。 これ以後、著者が意思を持って読者を洗脳しているかが理解できる本 投稿者 ルマンド 投稿日 2016/10/31 苫米地ファンの方に叩かれるのは百も承知ですが笑 私自身、見識深い苫米地氏の本は好きなのですが、この本を読んではっきりわかったことは、氏は意識的に読者に対して洗脳をかけているということ。 まずは、難癖をつけ抽象度を上げる必要があるといい、呼吸法や意識を内向に向ける等の指示をだし、洗脳しやすいよう読者を変性意識下へ移行させる。 次に、著名人や難解なワードを使い自身の権威付けを刷り込み、未来に臨場感が必要といい、成功した自分を想像させて万能感や高揚感をイメージさせるながら著書を読ませる。→アンカー そして、日々のトレーニングが重要だからと 抽象度のトレーニングを行わせ、変性意識下へ移行させながら、ゴールのイメージをさせる。→トリガー 読者はもっと万能感、高揚感を得たいと感じ、 著書の本を読むが一回体験した内容でははじめてのときほど興奮せず、著書の中にかかれている他の本やセミナーを購入していく。 著者が意思を持って、以降の本で洗脳を行っていることは明らか。※いい、悪いでなく。 本書の内容が有用なことは、以後の氏の本を読んだファンの多さ、濃さに現れているというのは皮肉な結果ですね。 この本を読む限りは非常に真摯に向き合い書き上げた印象があるのですが、どこがで変わったのか、もともと銭ゲバなのかわかりませんが、 同名義の本が、同じ性格の方とは思えないですね。 この本自体は、非常に有用であり氏の原点であり良書であることは間違いないです。 というよりも、この本だけあれば氏のいいたいことは全部まとまってます。 私自身としては、苫米地氏の肩をもって、「彼は、戦争と飢餓をなくすという彼のゴールのためにできることをすべてやっているのだ。そのための崇高な資金繰りと知名度アップを図りながら云々・・・」と言いたいですが・・・   私もまあこの方の書かれているとおり苫米地氏の本にドップリ浸かっているのですが、まだお金はロクに払っていない(KindleUnlimitedの月額980円をアマゾンに払っている)ので、洗脳でいえば中期みたいなものなんですかね。   ただ、氏の論じる政治的経済的な内容は非常に的確かつ示唆に富んだものであることや、氏の提唱する方法論が優れたものであること自体は変わりません。というか非常に有用です。 私みたいにドップリ浸かるまではいかなくても、自分の興味のある本を手に取ることはおすすめできます。 ぜひ一度読んでみてください。 損はしないと思いますよ。   では、グッド・ラック!     ★おまけ:苫米地氏のおすすめ本 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「夢をかなえる PX2完全マスター」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

“授業を真面目に受ける”デメリットあれこれ

こんにちは! 栗栖鳥太郎です! 今回は、日本の教育現場で行われているいわゆる「授業」についての記事です。 授業を真面目に受けることのデメリットと、自学自習のメリットを考えます。 "授業を真面目に受ける"が時代遅れな理由あれこれ 講義形式で一冊のテキストをだらだらやる理由は「特にない」 いまの日本で行われている学校教育の基本形は、「講義形式」です。 「講義形式」とは、大人数の生徒に対して教師が一人で、テキストに沿って教えていくもののこと。 これは日本の教育が「義務教育」となって以来の伝統的方式です。 (余談ですが、"教育を受ける"のは子供の”権利”です。子供に教育を受ける義務があるわけではありません。義務教育という言葉は誤解を招きます。子女に教育を受けさせる義務があるのは、あくまでも「親」です)   実際に自分の学校生活を振り返ってみて、小中高いずれでもこの「講義形式」の授業が大半でした。 おそらく読者の方も、海外で育った人を除いては、大多数がこの「先生が、テキストに沿ってみんなに教える」という形式の授業を経験されていると思います。   さて、ここでちょっと考えてほしいのですが、「講義形式の授業」のメリットとして挙げられるものは、いったい何でしょうか? ・・・ 思い浮かびますか? 実のところ、少なくとも生徒の側からみればメリットは"ない"と思います。 次節で詳しく見ていきましょう。     「授業を真面目に受ける」 必要がない理由あれこれ まず、講義形式の授業は、「自学自習に比べて、圧倒的に進度が遅い」ことがデメリットです。   講義形式の授業では、生徒側になるべく脱落者を出さないように、スローペースで進むことが求められます。 本来はもっと早いペースで学習を進めていける生徒であっても、授業のペースに合わせることを求められます。 自分でやれば1週間から1か月で通読できるような内容の教科書を、講義形式では半年から1年かけてやるわけです。 これは単純に考えて、時間がもったいない。   アメリカと違い、日本には飛び級制度がありません。 横一列の教育が浸透しています。   教科書の内容を習得できた生徒は、どんどん先へ先へと進ませてあげるべきです。 また逆に、まだ習得ができていない生徒に対しては、そこでいったん立ち止まらせる必要があります。 講義形式というのは、そもそも「できる生徒」「できない生徒」の両方に配慮できるシステムではありません。 できる生徒・できていない生徒をいっしょくたのペースで管理しようとすること自体がおかしいのです。 できるやつは先へ。できていないやつはちょっとストップ。 それが本当のはずです。   さらに、「スローペースでやる」ということは、記憶の定着にとってはむしろ不利だとも言えます。 一見ゆっくり学習したほうが知識としてよく吸収されるように思えますが、逆です。 教科書は一気にガーッと勉強して、そのうえで勉強の中身を何度も反芻するほうが良い。   また、今ではわざわざ講義を受けなくても、書店・図書館にいけばいくらでも「わかりやすく解説する本」「本格的な内容に踏み込んだ本」が置いてあります。 講義に出席して先生の話を聞くより、何冊か入門書を読んだのちに専門書に当たるほうが得策です。 講義と違って、自学自習では「自分が理解できる最速のペース」で学ぶこともできます。 さらに、講義の題目として成立するようなポピュラーな分野の本は、かならず書店に入門書や専門書が置いてあります。 わざわざ授業に出席しなくても、書店や図書館に行けばその分野について勉強できるのです。   もっと言ってしまえば、「授業で一斉に教えられる程度の知識」なら、自分で本を読んで習得するほうが早い。 「先生の話を聞きながら」では、その先生による視点しか得られません。 しかし、特定の分野の本を何冊も読めば、さまざまな観点からの知識を得ることができます。 講義形式の授業で扱うテキストは、原則として一冊です。 教える先生も、一人です。 「この分野はこの先生に教えられながら、このテキストで勉強するんだ」という先入観を作るのではなく、図書館に行って、その分野に関する書籍がそろっている本棚を見てみるほうがよほど有意義です。   「指示待ち人間」にならないための能動的学習が必要 また、講義形式というのは本質的に「受動的」な学習です。 「先生やテキストが与えてくれる情報を一方的に受け取る」姿勢は、消極的な学習方法としか言えません。 消極的な学習方法を続けていると、「マニュアルによって情報が与えられるのを待つ」という姿勢が身に付くのではと思います。 いわゆる、「指示待ち人間」になってしまうのではないか。   指示待ち人間の悲しいところは、「いくらでも取り換えが利く」というところです。 マニュアルにしたがって受動的・消極的に動くだけの人材なら、いくらでも代わりがいます。 代わりが利く、ということはつまり「買い叩かれる」ということです。 できるだけ安く長くこき使ってやろうと目論む経済的強者に搾取されるだけの人生になりはしませんか?   むしろこれからの時代に必要なのは、「自分が興味を持った分野について、自力で調べて、自分で考えて、自分なりの考え方を構築する」という積極的な学習姿勢でしょう。 自分が好きでやる勉強は、「知識の吸収効率がいい」し、「いくらやっても疲れない」し、なにより「楽しい」でしょう。   仮に大学の学部生の場合、「つまらない」講義形式の時間が週に90分×10コマあるとすれば、合計で900分=15時間。 一年間でみれば、授業が30週あるとして、15時間×30週=375時間という莫大な時間になります。 これを4年間繰り返すとして、単純計算すると375×4=1500時間。   だいぶ大ざっぱな計算ではありますが、仮に授業中になにもしないで過ごす(スマホでソシャゲをやるとか、寝ているとか、友達と私語を交わすとか)場合、 4年間で1500時間をドブに捨てることになります。実にもったいない。   しかし、この1500時間を、ひたすら「自分の好きな分野についての勉強」に充てるとしたら、どうでしょうか? 1500時間も勉強すれば、それで商売ができるくらいの知識や情報を得ることができはしませんか? 自分の好きな分野ですから知識の吸収効率もいいし、やっていて楽しいし、そしてなにより「ほかのひとにはできなくて、自分にはできること」をつくることができます。 「この分野は、この人がいちばん詳しいよね」という希少価値が出ます。   1500時間近く勉強をすれば、自分の頭の中に相当な情報ネットワークが構築されるでしょう。 少なくとも、「やりたくもない勉強を嫌々やる」よりははるかにマシだと考えます。   「受動的に、やりたくもないものをやらされる」のは楽しくありませんし、非常に効率が悪い。   脳は強制を嫌います。 人間は強制されてなにかをやるとき、著しく手抜きをする傾向があります。 講義形式の授業という「真面目に受けなければならないもの」は、そもそもが脳にとって「ズレた」学習法であることは疑いようもありません。   さてここまで散々講義形式の授業の悪口を言ってきましたが、私はべつにすべての授業を否定するわけではありません。 たとえば、 「研究現場の最前線の情報など、希少価値の高い情報を伝えてくれる先生の授業」 「少人数形式でみっちり指導してくれる授業」 といった授業には、ぜひ参加すべきです。   あくまでも私が否定するのは、「先生が一人に対して生徒が大勢でテキストを使って行われる講義形式の授業」です。それは、以上見てきたように「百害あって一利なし」の方式だといえます。   授業はやめて、こうすればいい! さて、講義形式の授業を否定したからには代案を出したいと思います。   私が提案する学習の指針は、 ・自分の「やりたいこと」「興味のある分野」だけを徹底的に学習する ・能動的に、自分から情報を集めて、自分なりの考え方を養成することにつとめる。情報発信を試みる ・書店や図書館に足繁く通う。 この3点に集約されます。   このやり方であれば、まず「楽しい」し、「楽だ」し、「効率が良い」のです。 さらに、「マニュアル人間」からも脱することができます。 既存の古いやり方から脱却して、楽しく有意義な学習生活を送りましょう。   まとめ + 頭を良くしたい人向けのおすすめ本 さて、いかがでしたか。 今回の記事では、 講義形式の授業がいかに非効率か、 そして自分から能動的に学習することのメリットは何か、を述べてきました。   現行の教育制度は、いまの時代に明らかにそぐわないものです。 昭和の負の遺産と言ってもいいでしょう。   非効率的で足かせにしかならないような古臭い学習法を捨てて、 これからの時代に即した新しく楽しい学習をしていけば、あなたの人生はもっと彩り豊かで自由に満ちたものになるはずです。 一度きりの人生、どうせなら、楽しく、速く、有意義な勉強をしましょう。   では、グッド・ラック!     ★おまけ:もっと頭が良くなりたい人に贈るおすすめ本 苫米地さんは、いま日本でもっとも「頭の良い人」だと思います。 これからは、この人が「来る」と確信しています。   この人はたしかにうさん臭いですよ。 でも、「ほんとかいな」と疑ってみるまえに、Youtubeなどでこの人がしゃべっている場面をちょっとでも見てみるべきです。あるいはこの人が書いた本を書店で立ち読みしてみるべきです。批判する人の9割は、本も読まずにテキトーなことばかり言っています。 内容自体はぜんぜん難しくないうえ、とても面白いものばかりなので、ぜひ読んでみてください。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「夢をかなえる PX2完全マスター」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――

“できる”とだけ思うように自分を洗脳すれば、能力が3倍増しになる&滅茶苦茶元気になる

こんにちは! クリストリタロウです! 今回は、「どうせ自分なんか・・・」と思いがちな現代の日本人向けの記事です。 「自分はできる」とだけ思うことで得られる驚異的な効果をご紹介しましょう。   「"できる"とだけ思うように自分を洗脳する」理由と方法と効果 「お前はデキない人間だ」という自他の洗脳を解く 現代日本に生きる人を取り巻く環境は、ズバリ言えば「奴隷化の圧力」に満ちています。 いきなり奴隷ってなんだよ! とお思いになるでしょうから、ひとつひとつ解説していきます。   奴隷化の圧力とは、 「おまえはデキない人間だ」 「あいつは○○大学の出だから、これくらいの能力だろう」 「君は所詮この程度の人間だ」 「まあ、あんたはせいぜい頑張ってもこれくらいだよね。あいつにはかなわないよね」 といった、自分の向上心を萎えさせる刷り込みのことです。   こういった刷り込みは、あなたから確実に「自分の限界を突破するための活力」を奪い去ろうとします。 心当たりありませんか? 他人から、直接的にであれ間接的にであれこのようなことを刷り込まれた経験はありませんか? 自分自身に向けて、あるいは他人に向けて、「おまえはこの程度だよ」という態度を示してしまったことはありませんか?   実際、いまの日本社会においては以下のような要因がこの「奴隷化圧力」を強化しています。   ・インターネットが発達したこと …2ちゃんねるやまとめサイト、FacebookやTwitterの普及などによって、「自分よりはるか上にいるように思える人たち」の情報が容易に手に入るようになった。「リア充」「ぼっち」「勝ち組・負け組」といったレッテル貼りをするカルチャーが確実に浸透しつつある。   ・友人や親、テレビなどの"周囲から"の刷り込み …友人間での「空気を読む」精神的風土が根強くなってきており、チャレンジ精神を持つ人間に対する排斥の圧力が強いこと。大規模不況のなかで、親は子供に安定した進路を望み、子供はそれに応えて自分が本当にやりたいことを押し殺す。テレビでは「こういう人生が望ましいよね」「こういう生き方をする人はかっこいいよね」という無言の刷り込みが放映される。   ・自分で自分にかけた刷り込み …上記のような刷り込みを小さいころから何度も何度も念入りになされているため、その後の人生でも自分の考え方を補強するような情報にしか接しなくなる。「自分は○○な人間だ」という固定化した刷り込みが行われる。自分で自分に言い聞かせるような形で、「今までの経験からすると、自分ができるのはせいぜいここまでだろう」という根拠のない(しかし確実なように思える)洗脳が行われる。   こういった要因があるため、現代に生きる人のほとんどが「ほんとうはもっとできるのかもしれないけど、心の底からできるとは思っていないから、自分はこの程度だと安心できるような場所にとどまる」のだと私は思っています。    「自分はデキる」ではなく「自分はデキるとだけ思う」と間違えない このような状況から脱する方法を考えました。   巷でよく言われているのは、 「おれはデキる!というプラス思考を持ちなさい」ということ。 あの熱い熱いM岡さんとか、よくこんな言葉をかけてくれます。   が、これだと失敗します。 「私は、できる!」と思うのは、根拠あっての話だからです。 これまでの人生で何度も何度も念入りに「おまえはデキないのだ」という刷り込みをかけられてきた人は、いきなりそんなことを思えないでしょう。   ・・・だったら、その代わりに、ひとつ上の抽象度からこう思えばいい。   「自分は、"自分はできる"とだけ思う」という自己イメージを作れば良いのです。   「自分はできる」と、「自分は、"自分はできる"とだけ思う」の間にある差は、ズバリ後者のほうが「一段高い」目線から見ている・・・という点にあります。 実際の行動パターンも、両者ではちがいます。   前者の「自分はできる!」型のひとの心は、どこかウソくささがあります。 それは、「自分はできる!」の反例となるような経験を、これまでにたくさん繰り返しているからです。 明らかに「自分はできる!」という人間ではないのに、むりやり「自分はできる!」と思い込もうとしているだけです。 これでは精神回路がショート(自己矛盾)を起こして、うつ病になるかもしれません。   一方で、後者の「自分は、”自分はできる”とだけ思う」という自己イメージを持つ人間は、一味違います。 この場合の「自分はできる!」は、ウソではありません。 いままでの数多くの「できなかった経験」を踏まえたうえで、それでもなお「自分は、”自分はできる”とだけ思う」という選択をしているからです。   実際、「自分はできる、とだけ思う」ようにしておくと、自己の無力感にとらわれずに済みます。   たとえ失敗しても、「ああなるほど、これは"やってみた結果、できなかったとわかった"のだな」としか思いません。   やる前には「できる」とだけ思っておけばいいのです。 「できない」という言葉はだいたい無駄です。 あるのは「やった結果、できなかった」だけで十分だと思います。   前者の「自分はできる」型の人が”できなかった”ときと比べると、えらい違いです。 「自分はできる」というだけの自己イメージの人が"できなかった"ときには、自己が否定されたように感じ、大いなるストレスを感じる羽目になるからです。   「自分は、”自分はできる”とだけ思う」人は、自己矛盾も自己否定もしなくて済みます。     まとめ + もっとデキるようになりたい人向けの本の紹介 さて、いかがでしたか。 現代の日本の危うさは、「奴隷化の圧力」がどんどん強くなっている(陰謀論とか妄想とかではなく、実際に社会のシステムがそのように変質しつつある)ことです。   その奴隷の檻から抜け出すためには、「自分はこの程度の人間である」という無駄な縛りをいちはやく解くこと。 人間は絶対に、自己イメージ以上のものにはなれません。 「自分は、"自分はできる"とだけ思う」ことを心がけて、この息苦しい世の中でひとり気を吐いてください。   では、グッド・ラック!     ★おまけ:もっと頭が良くなりたい人に贈るおすすめ本 苫米地さんは、いま日本でもっとも「頭の良い人」だと思います。 これからは、この人が「来る」と確信しています。   この人はたしかにうさん臭いですよ。 でも、「ほんとかいな」と疑ってみるまえに、Youtubeなどでこの人がしゃべっている場面をちょっとでも見てみるべきです。あるいはこの人が書いた本を書店で立ち読みしてみるべきです。批判する人の9割は、本も読まずにテキトーなことばかり言っています。 内容自体はぜんぜん難しくないうえ、とても面白いものばかりなので、ぜひ読んでみてください。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「夢をかなえる PX2完全マスター」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――

【決定版】超効率的に脳を鍛え上げる音読の効果と方法【後編】

こんにちは! クリストリタロウです! 今回は、前回の記事「【決定版】超効率的に脳を鍛え上げる音読の効果と方法【前編】」のつづきです。 今回は、音読の「効果」を扱います。 音読に秘められた凄みを知らない人が多いのは、じつにもったいない。 ぜひ今日は、「よし、今日からすぐに音読してやるぞ!」という気持ちになってからお帰りください。   最短で最高の結果が出る音読の方法論 音読時に意識すること 音読するときに意識するのは、以下の二つ。   1.イメージをつくりながら音読すること 音読のときに気を付けなければならない第一のこと、それは 「文字」を「イメージ」に変換しながら読むこと です。   素人がお経を読むみたいに「形だけの音読」をするのでは意味がありません。 きちんと「文章→イメージ」への変換をすることが必要です。 理由はいくつかあります。   第一に、「音読でよくはたらくのは言語野をもつ左脳である。それだけじゃもったいない。同時に文章の内容をイメージすることによって右脳も使えますよ」ということ。   イメージしながら音読することによって、 個別的で詳細な言語処理・論理的思考をになう「左脳」と、 イメージや大局的な把握を得意とする「右脳」を、同時に使うことができるようになります。   第二に、「負荷を上げる」ため。 意味もわからずにダラダラ音読するのは、たしかに簡単ですが、音読によって得られる効果は半減してしまいます。 「文字を声に出す」という第一のタスクと同時に、 「文章をイメージに変換する」という第二のタスクもやることによって、脳に負荷がかかります。   二つの作業を同時並行してやるという難易度の高い作業は、まさに脳を鍛えるのにうってつけといえます。   2.できるかぎり高速でやること 音読は「高速」でやりましょう。 「高速」とは、「自分ができる限界を更新する勢いで音読する」という意味です。   つねに「もっと速く!もっと速く!」というチャレンジを続けていけば、脳はそれに応えてドンドン高速化されていきます。 逆に、「高速化しようとしない」人の脳は、一生高速化されません。   音読を「高速」でやることによって、頭の回転が速くなります。   現代社会で生きるうえで、「頭の回転が速い」ことは成功の必須条件といえます。 頭の回転が速い人は尊敬されますが、遅い人が尊敬されることは原則としてありません。   「会話でとっさにうまい答えを返す」ことができるひとが「こいつ、できるやつだな」と思われる一方で、 「とっさの切り替えしができず意味不明なことを言う」ひとは「あ、こいつだめだわ」と思われておしまいです。   もっと詳しい情報を知りたい方は、当ブログの過去記事に詳細な記述がありますので、 「ドン引きするくらい頭が良くなる! 「イメージしながら高速音読」の圧倒的効果」もご参照ください。   この節で述べたことをまとめると、 最短最速で結果を出す音読の方法は、 ①意味をイメージしながら音読する ②自分の限界速度を更新するのだという意志をもって音読する ことである、ということになります。   英語と日本語の併用 1.実学的メリット? 私は、最近もっぱら「英語」を音読しています。 一日2時間。音読1時間と、シャドーイング1時間です。 英語を音読することによって得られる効果は、だいたい以下のとおりです。 ・当然ながら英語のスキルが上がる。 ・英文の内容そのものが勉強になる。新しい知識が入ってくる ・「英語」という文化を学ぶことによって、相対的なものの見方を得ることができる ・日本語だけだと飽きるので、ひまつぶしになる   ただし・・・ここでちょっと考えてみてください。 そもそも、なんで英語をやる必要があるんでしょうか? あなたの"英語をやる理由"は何ですか?   そういう時代だから? TOEFLやTOEICを受けて就活のスキルにするため? いつか留学したいから? 職業上の理由で英語を学ぶ必要があるから?   ぶっちゃけ理由は、なんでも良いんです。 ただひとつだけ注意すべきなのは、「英語を音読することが、あなたの目指すものを手に入れるために役立つかどうか」だけ。 英語そのものは、原則としてゴールになりません。   なにかを始めようとするとき、「自分のゴールを達成するために役立つ」以外の理由なんて存在しないんです。 私の場合もそうです。 英語を学ぶことによって得られる、「知識がついて、頭の回転も速くなり、語学力も向上する」・・・という結果は、私にとっては「ゴールを達成するために役立つ道具」にすぎません。 ですから、このあとで紹介する「日本語話者が英語を音読する効果」は、「その効果が、自分のゴール達成のためにどう役立つか」を考えながら読んでください。     2.じゃあ、日本語と英語を併用することで得られる効果は? 英語は、日本語とはまったく違った言語です。 統語規則もそうですし、語彙、表音文字か表意文字か、縦書きか横書きか・・・など。   つまり、英語を音読するときには、ふだん使っている言語とは別の回路をつかう必要があるわけです。   さらに、音読を続けていくと「英語を読んで、それをそのままイメージでとらえる」ことができるようになります。「文字」から「イメージ」を引き出すという、「抽象化」の訓練にもなります。 これは、クラシック音楽を楽器で演奏するのが脳に良い、とされていることに似ています。 「演奏する」という行為は、つまり、クラシックの楽譜に書いてある抽象的な音楽情報を、楽器という物理的なものを使って現実化させるということ。 抽象的なもの→具体的な音 への変換がなされるわけです。 音読の場合は「抽象的な文章→具体的なイメージ」という関係になります。   また、発音やリズム、発声法も異なりますから、音読することによって「声を操る技術」が向上することも期待できます。歌を唄うのと同じです。英語を音読することによって、声帯や横隔膜を上手に使って発声するコツがつかめるかもしれません。   なお、「英語は論理的な言語だから、論理的に考えるクセをつけるために英語をやるべきなんだ」と言う人がよくいますが、これはちょっと「△」です。   英語をやったからといって、すぐさま論理的思考力が身につくと考えるのはあまりに短絡的。 論理的思考の能力をつけたいのなら、日本語でもできます。 日本語で論理的に考える下地ができていない人が、英語をやっていきなりロジカルに考えられるようになるか、という話です。   日本語は非論理的な言語だといわれますが、そんなことはありません。 それは単に、日本語を使っている人々の論理力の問題です。 日本語だろうと何語だろうと、論理的に書こうと思えばいくらでも書けますからね。   この節で言ったことは、だいたい次のとおりです。 ・英語を音読することには様々な効果がある。ただ、その効果が自分のゴール達成に役立つものなのかを考えてみること。 ・英語を「イメージしながら高速音読」することは、抽象化する能力を鍛えるのにうってつけ。 ・英語を学ぶことによってロジカルシンキングが身につくとはかぎらない。   音読は、いつ、何分やるのがベストか? 1.朝にやって目覚ましにする 音読をやる時間帯でオススメは、断然「朝」です。 やはり音読は、良い「目覚まし」になります。 音読は、脳のいろいろな箇所を使う運動なので、あさイチの活動としては最適です。   朝ごはんを食べたら、音読して、ちょっと散歩して・・・という朝の過ごし方をすると、頭も体もスッキリ覚醒します。   また音読は、声のウォーミングアップにもなります。 家で音読しておけば、会社や学校でほかの人と会話するときにもハキハキとしゃべることができるでしょう。   時間をとりやすい朝のうちに音読しておけば、その日すべてを「頭が冴えた状態」で過ごすことができます。 音読するのなら、朝がおすすめ。   2.音読を多くやりすぎるのは「手段と目的が逆転」する恐れがある つぎに「音読は何分やればいいのか?」ですが、   身もふたもない言い方をしますと、 「ひとによります」。   たまに、一日10時間とか音読をやりまくっている人もいますが・・・ 音読はあくまでも手段です。音読そのものは目的にはなりません。 音読によって脳の機能を上げることは良いことですが、それをなにかに役立てる必要があります。   自分が何分程度どんな教材を音読すればいいのかわからない、というひとは、 まず「自分の当面の目標」を設定して、それを達成するためには音読がいったい一日何分ていど必要なのかを割り出すのがおすすめです。   ただ、目安としては、毎日30~60分程度の高速音読を続けていくことによって、「アレ、なんか頭がスッキリしてるな」という感覚は得られるでしょう。   また、「音読によって、前頭前野の機能をガーッと向上させたい」という明確な目的がある人なら、一日10時間程度やるのも「アリ」でしょう。 実際に私も一日10時間ほど音読をぶっつづけでやった経験がありますが、自分史上かつてないほどものすごく前頭前野が活性化した記憶があります。 前頭前野が活性化しまくった状態をいちど味わってみたい人であれば、長時間音読をするのも良いだろうと思います。   後編まとめ + もっと頭が良くなりたい人のためのおすすめ書籍 さて、いかがでしたか。 音読の方法論を語るといっておきながら断定的な言い方をあえて避けたので、「物足りない!」と思われる方もいるかもしれません。   しかし、「音読は、あくまでも手段である」ことを考えるべきです。 大切なのは、「音読がなぜ自分に必要なのか」をきっちり考えたうえで、 「じゃあ、そのためにはこういう音読をすればいいよね」という自分なりの最適解を見つけ出すことだと思います。   あなたの音読のやり方に責任を持てるのは、あなたしかいません。 自分の責任の下で「自由に」音読をする楽しさを知っていただければ、幸いです。   では、グッド・ラック!     ★おまけ:頭が良くなりたい人に贈る 苫米地英人氏関連のおすすめ本 苫米地さんは、いま日本でもっとも「頭の良い人」だと思います。 これからは、この人が「来る」と確信しています。   「ほんとかいな」と疑ってみるまえに、Youtubeなどでこの人がしゃべっている場面をちょっとでも見てみるべきです。あるいはこの人が書いた本を書店で立ち読みしてみるべきです。 ほかの「知識人」とは正直くらべものにならない。   内容自体はぜんぜん難しくないうえ、とても面白いものばかりなので、ぜひ読んでみてください。人生が変わるといって大げさではありません。   ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「夢をかなえる PX2完全マスター」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――

APLICATIONS

”デキない人”が今すぐ「できる!」と自分を洗脳すべきただ1つの理由

こんにちは! クリストリタロウです。 今回は、「自分のことを”出来ない人”だとおもっている人」に向けての情報。 実のところ、 出来ない人が出来るようになるためには、たった一つのことをやりさえすればいいのです。 それをお教えします。 では、レッツ・進化。 デキない人は、自分に「デキない」という呪文をかけている。 結論から先に書いちゃいます。   今回、ぼくが声を大にして言いたいのは、 デキない人がいつまでもデキないままでいるのは、自分に対して「自分はデキない人間だ」という刷り込みをかけているからです! そして、 その刷り込みを消して、「自分はデキる人間だ」と思い込むことができれば、あなたの人生はあっという間に好転していきます!! というだけのことです。   ちょっと考えてみてください。 幼稚園や小学校のころからずっと、あなたは「クラスで一番上の立ち位置」でしたか? 中学・高校でもずっとナンバーワンでしたか? 自分自身に、なんらかのコンプレックスをお持ちですか? 容姿でも学歴でも能力でもなんでも、「それを言われると心に来る」という弱みがありますか? 「自分という人間が軽んじられた」と思った経験は、何度もありますか? どうでしょう。 「うっ、痛いところを突きやがって」と感じましたか? この記事のタイトルに惹かれたということは、あなたも自分のことを「デキない人間」だと思っているはずですから、思い当たるフシがかならずあるはずです。   周囲からの評価というのは、強烈です。たとえ実際には「上の下」ぐらいの能力を持つ人であっても、「自分はやっぱり、トップ層の連中にくらべると、できない人間なのだ」と思い込むと、ほんとうにダメになるんです。 ほとんどの人は、周囲の人間から「おまえはだめだ。パッとしない人間だ。がんばっても無駄だ」と何度も言われる(もしくは、態度で示される)ことによって、どんどん自分自身への評価を下げていきます。ブラック企業での洗脳と一緒です。   そして9割の人が、そんな「デキない自分」という自己像に見合った、低レベルな行動ばかりを選択するようになっていくのです。   たとえなにかをうまくやり遂げられそうなときでも、「デキない自分が、うまくいってはいけない」と無意識のブレーキを踏んでしまう。そして結局、イメージ通りに失敗する。失敗すればするほど、周囲からの評価も下がっていく。   「自分はデキない人間だ」という刷り込みがされているかぎり、一生かかってもその負のスパイラルから抜け出すことはできません。 だからこそ、 まずは「自分は、デキる人間なのだ」と自分を洗脳することが必要なのです。   まずは自分を「デキる」と洗脳することからはじめよう。 「自分はできるんだ、と思いましょう」なんてことを言うと、 「それができないから困っているんだ!」という怒りの声が聞こえてきそうです。   でも、方法はありますよ。 一番確実で、やりやすいものをご紹介します。   やり方は簡単です。用意するものは、「自分以外に誰もいない空間」だけ。要はあなたの部屋とか、トイレの個室でもいい。ブツブツつぶやいても誰も気に留めないようなところであればどこでもオッケーです。   いいですか? 用意できましたか?   自分を「デキる」と洗脳する第一歩は、これ・・・   「自分にしか聞こえないくらいの声で、可能な限り速いスピードで、『自分はデキる人間だ』とひたすら唱え続ける」   だけです。 「デキる」という、言語による刷り込みがいちばん効果的なのです。さらに、それを高速で唱えることによって、「自分はデキる人間だ」以外の思いが一切消えた状態になります。人によっては、フワーッと浮くような感覚があるかもしれません。   あ……たぶんいまあなた、「うっわ、キッモ!」と思われたでしょう。 正常な反応です。 実力は大したことがないのに根拠のない自信を持っているひとに対する拒絶反応ですね。   しかし、それをやっているところというのは、誰に見せるわけでもない。知っているのは自分だけです。べつに人前でやらないなら、いいじゃないですか。   この「自己洗脳」をやる理由となるのは、つぎの3つの事実です。 第一に、「すくなくとも、自分自身をデキるやつだと思わないと、本当にデキなくなる」こと。 第二に、「自分のことをデキると思い込んでしまうだけなら、タダである」こと。 第三に、「おれにはデキる、と自分を洗脳できると、これまで無意識にかけていた能力のリミッターが外れる」こと。   どうです、たとえキモくても、やるだけの価値があると思いませんか?   「自分はデキる」と洗脳できると、こんなにいいことがある 最近、「洗脳」「暗示」「催眠」といったものの可能性について興味がめちゃくちゃ湧いてきて、それ関連の本ばっかり読んでいます。 ブックオフとか、アマゾンとか、脳トレ関連のサイトとかを徘徊して、おもしろそうな本をかたっぱしから手元に集めているんです。 あ、いまあなた、「こいつ、アブないやつだ」って思いませんでした? わたしは正気ですよ!(笑) なぜそういう本ばかり読んでいるかというと、「洗脳の可能性」について知りたくなったからです。 ブラック企業で働くひとは、月100時間の残業をします。 カルト宗教にはまりこんだ人は、教団の教義をゼッタイに曲げません。 東大に受かるような人は、その気になれば一日10時間ぐらいは平気で勉強できます。 どれも、「ふつうの神経をしている人なら絶対にやらないこと」をやる人たちです。 そして実は、これらのどれにも、「洗脳」がかかわっています。 ブラック企業とカルトは他者による洗脳です。 そして、東大生のケースは「自分で自分を洗脳している」のです。 洗脳のパワーというのは、邪悪なつかいかたをすればとことん悪い効果を発揮します。 上の例でいうカルトとブラック企業はまさにそれです。洗脳によって、過労死するほどの激務すらこなせるようになります。   しかし、洗脳は、正しい使い方をすれば、これ以上ないほどの武器になるのです。上の例では、東大生がそれにあたります。 彼らの多くは、「勉強して、できなかったことができるようになるのは楽しい」「勉強して、結果が出るのは楽しい」という自己洗脳をおこなっているといえます。   ここからわかることは・・・   自分で自分を洗脳できる人は、最強です! ということ。   「自分はデキる」「〇〇は楽しい」という洗脳を自由自在にできるようになれば、どれだけ「努力」をしても平気です。 しかもその「努力」は、本人にとっては苦しいものではなく、「やりたいことをやっているだけ」なのです。   自己洗脳のスゴいところはそこです。 ものごとの好き・嫌いさえも、洗脳によって変わってしまうのです。   こんなにスゴい効果のある「自己洗脳」、やってみないのは損だと思いませんか!?   まとめ + おすすめの本紹介   今回みてきたように、 「自己洗脳」には、とてつもないパワーがあります。 みんなこれを知らないだけです。   あなたも、ちょっとずつでいいですから、「自己洗脳」を練習してみてください。 アッと驚くような効果が、かならず出ますから。   では、今回はこのへんで。 グッド・ラック!   ・おまけ おすすめの書籍 …「洗脳を使って自分を高める」方法については、苫米地英人氏の本が一番参考になると思います。 氏の書籍を、上から、とっつきやすい順に並べています。

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