小説『走れウェーイ』

走れウェーイ

栗栖 鳥太郎

第一章 ウェーイ

 ウェーイは激怒した。


 留年通知が送られてきた。

 必ず、かの冷血無慈悲の教授を除かねばならぬと決意した。

ウェーイには大学の勉強がわからぬ。
 ウェーイは、大学の一年生である。

キノコみたいな髪型で、茶髪で、だっせえ黒縁眼鏡をかけ、THE NORTH FACEのバックパックを背負い、ユニクロのスキニーパンツと、灰色のチェスターコートに身を包んで暮らしてきた。

けれども留年に対しては、人一倍に敏感であった。

きょう未明ウェーイは学生会館を出発し、地下鉄を乗り継いで、ワンチャンワンチャンと叫びながら此のキャンパスにやって来た。

ウェーイは、きょう、何とか留年を免れる起死回生の手段はないかと、血眼で大学にやって来たのだ。

先ず、大学の資料コーナーで、ロクに目を通したことのなかった「学生便覧」をぱらぱらとめくった。

 そこには、
 「一年次に取得した単位数が33に満たない場合、如何なる理由があっても、二年次への進級は許されない」

と書いてあった。

 ウェーイは愕然とした。

 なんたることだ。


 ウェーイには、「竹馬の友」など一人としていなかったが、「ウェーイ系の友達」ならいた。
 あれほど一緒に騒ぎ合ったかれらは、いま何をしているのだろうか?

 もしかして、自分と同じように、留年通知が送られてきたのではないだろうか?

 みな、「ヤバイヤバイ留年するかも」と言っていたのをウェーイは記憶している。

 本当に留年したのは、自分だけではないのではないか。
 もしも誰か留年した友達がほかにいれば、そいつと一緒にまた一年生をやりなおせばいい。一学年下の学生たちの間で浮いて”ぼっち”になること、それだけは何としても避けたかった。

ウェーイは汗ばんだ手でiPhoneを取り出し、

 Twitterのタイムラインを見た。

 

 そこには喜びと安堵の声が満ちていた。
「なんとか進級できた笑」
「大学って、ゆうて安パイじゃね?」
「教授ありがとう、フォーエバー教授」
「留年ギリセーフだった!!!!!!!!」
 お仲間たちはみんな無事進級を決めたようであった。

 もう取り返しが付かないという黒い光が、ウェーイの未来を貫いて、一瞬間にウェーイの前に横たわる全大学生活を物凄く照らした。

そしてウェーイは、大学の事務室の前にやってきた。 
 ウェーイは、事務室の「学生相談窓口」の奥にいる職員たちの様子を訝しく思った。

ピリピリしている。


 もう既に授業期間も終わって、窓口を訪ねてくる学生の数は少なくなっているはずなのに、彼らの目にはどこか対象を探してやまない敵意が宿っているように見えた。殺めるべき誰かを待ち構える刺客のような。

 のんきなウェーイも、だんだん不安になって来た。


 窓口のガラスを開けて、ウェーイが

「おつかれー」

と大声でがなり立てると、奥の方から、中年の、冴えない小太りの事務職員がやって来た。


「なんでしょうか」

「単位欲しいんすけど。このままだとワンチャン留年するんで」

するとその事務職員はたちまち、「やってきやがったか」とでも言いたげな、面倒くさそうな表情になって、露骨に顔を顰めた。不機嫌な声で、

「で、どうしたっていうの」

「ワンチャン進級したいんすけど。ゆうて頑張ったんで」

ウェーイがそれを言い終わるか終わらないかのタイミングで、ヒステリックな怒鳴り声があたりの空気を震わせた。

「きみは、大学を、何だと思っているんだ」

「ウェ?」

「第一いったいきみは何のために大学に来たのかね? 勉強するためじゃないのか? オ前ノ父母兄弟ハ留年トナルノデ皆泣イテオルゾ」

 事務員は何かに憑かれたように説教を始めた。

「これだから最近の若者は柔弱なゆとり世代の終末論、軟弱根性無しのもやしみたいな女々しくてひょろひょろがりがりの気持ち悪い歩く放射性廃棄物、群れを作ってすべて万々歳になると思ったら大間違いだ! われわれが若いころはだな、プロレタリア革命革マル中核民青ストライキゲバ棒担いでエッサッサホイサッサ、甘えやがって近頃の若者みんな死ねくたばっちまえ進め一億火の玉だきさまは大学を舐めているのだ留年落第すべて自分で蒔いた種だ正当な応酬だそうに違いないのだ教育勅語を暗誦しろ国歌を歌え反省文を書けマスをかけ死ね死ね死ね死ね死んでしまえ死んで地獄に落ちて針千本呑まされて苔むす屍になれけけけけけけけけけけけけ」

 ウェーイは窓越しに、正気を失った中年の事務職員のからだをゆすぶってさらに質問を重ねた。

「留年しない裏技、ないんすか!?」


 事務職員は、あたりをはばからぬ大声で、こう答えた。

「再履修の手続きは済ませたか? 両親にお詫びは? あの人留年らしいよと噂されながら学食のスミでガタガタ震えてボッチ飯をする心の準備はOK?」

「ウ゛エ゛エ゛エ゛エ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛エエエエエエエエエァァァァァァァァァァァァァ」

ウェーイは発狂しながらその場を駆け去った。


 ここに至ってウェーイは、かくなるうえは自分に不可を与えた教授どもを全員ぶっ殺すしかないと悟ったのである。
 教授が死ねばその講義をとっていた生徒全員に無条件で単位が降りるとどこかで聞いたのである。
 成績が確定し、取り返しがつかなくなるまでに、やってしまわねばならぬ。
 大仕事になるはずだった。

第二章 ウェーイウェーイ

 「あきれた教授どもよ、ワンチャン生かしておけぬ。」
 「ウェーイ、それな」
 「ゆうて楽勝っしょ、あんなジジイ共。代返されても気づかない難聴のバカだらけだし、元バイトリーダーの俺に勝てるもんか」

 ウェーイが、ブツブツ独り言を呟きながら大学構内を闊歩している。
 灰色のチェスターコートが、風に揺れている。


 ウェーイは、単純な男であった。
 「学生便覧」に[教授が死ねば、無条件で単位が降りる]という意味のことが書いてあると知るや否や、さっそく近くのホーマックで包丁を購入し、教授大虐殺を遂行すべく一念発起した。

 かれはTHE NORTH FACEのバッグを、背負ったままで、のそのそ教授の研究室にはいって行った。

 たちまち彼は、サービス残業していたたちに捕縛された。
 調べられて、ウェーイのTHE NORTH FACEの中から抜き身の包丁が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。

 ウェーイは、教授の前に引き出された。

 「この短刀で何をするつもりであったか、言え!」

 と格好良く言うのは暴君ディオニスの言葉であって、実際には、

 「えーとね……きみね、なんて言ったかな、あのね、まあいいや、あのね、きみね、こんなね、いわゆるね、ほうちょ……いやね、えー、学業の場にふさわしくないね、凶器をね、こういうね、そのね、あの、場所に持ち込むとはね、それはね、どういう目的がね、そのね、あったのかね?」

 と、象牙の塔に立てこもって出てこない学者独特の、あの批判を避けるためにする迂遠なしゃべり方で尋問が行われた。
 それに対して、

 「市を暴君の手から救うのだ。」

 と格好良く見栄を切るのはメロスの特権であって、やはり実際には、

 「エット……アノ・・・・・・サセン、そ、それは、たたたったたたたまたま持ち歩いていたと、いうだだだだだけで、ウェー、単位、なんですけど、ウェー、不可、だたんで、ゆうて、留年回避、ワンチャン、ないかな、なんて思ったりも、したんすけど……サセン」

 「えーっとね、学生番号とね、あのね、名前とね、教えてくれないかな、とね、思うん、だけ、どね、うん。あの、いろいろね、親御さん……とかにね、連絡とかね、あとね、こういうことをね、やろうとしたからにはね、いろいろね、今までの単位のね、全部ね、取り消しとかのね、手続きとかがね、あるからね」

 ヤバイ。

 とっさにウェーイは嘘を付いた。
 「が、学生証……家におお、置いてきたんすけど、サセン」

 「じゃ、取りに行きなさい……なんてね、言ってしまうとね、君はね、逃がした小鳥がね、帰ってこないのと一緒でね、戻ってこないだろうからね、えーとね……オイそこの気が利かねえ博士課程一年、顔写真で照合すっから、学生課から生徒名鑑持って来い。早くすんだよバカ! 使えねえなお前は。言う前に動けっつってんだろ。どんだけトロいんだよ、そんなんだと社会で通用しねえぞ。さっさと行け! ポスドクなれなくすんぞ」

 教授にかまわず、ウェーイはひたすら、許しを乞うた。

 「ずみ゛ま゛ぜん゛でじだあ゛あ゛あ゛あああ許し゛て゛く゛ださいいい゛いい゛い゛い今゛ま゛で゛の゛おおお゛単位だけ゛はああああああ単位だけ゛は゛あ゛ぁぁ゛ぁあぁお゛許しを゛お゛おおおおおおおう゛ぇえええ゛えええ゛い゛」

 地面に這いつくばり、命乞いならぬ単位乞いを繰り返すウェーイに、教授は、残虐な気持で、そっとほくそ笑んだ。

 そうだ、身代わりを差し出させてやるのもいいな。

 三日間だけ猶予を与えて、学生証を取りに行かせて、身代わりの男もついでに、三日目に留年にしてやるのも気味がいい。これだから大学生は信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代わりの男もろとも、もういちど一年生させてやるのだ。

 「それともね、どうしたね、友達をね、あのね、何か身代わりにでもしてね、この場をね、切り抜けるね、つもりかね?」

 「……ウェ?」

 「誰かね、君のかわりにね、来てね、くれるね、友達がね、もしね、いるならね、その子をね、保証人にね、しておいてね、君が学生証を取りに戻るのをね、許してね、あげてもね、いいかもね」

 「ウェッ!?」

 ウェーイはつかの間、救われたという気持ちになった。

 学生証を取りに帰るふりをして、そのまま逃げればいいのだ。

 誰かを犠牲にすることになるが、非常事態だからしょうがない。

 そして、ウェーイは気付いた。

 自分には、身代わりになってくれるような友達などいないことに。

 いるのは代返を頼んでくる「友達」と、

 二限終わりのころに「学食の席とっといて」とLINEしてくる「友達」と、

 あとはせいぜい、

 テスト前になると急にどこかから湧いてきて、友達なんだろ範囲を教えろと迫ってくる「友達」だけである。

 ウェーイは悲しかった。

 ウェーイは泣いた。自分の人脈の薄さに泣いた。

 奇声じみた声で泣いた。

 「ウェ、ウ゛ェ、ウ゛ェ゛、ウ゛ェ゛エ゛エ゛エエエエエエ゛エエエエエエ゛エイ゛……」

 「ゑっ、もしかして……君、友だちいないのかね」

 「ウ゛エエエエエ゛エ゛エ゛エエエエエエエイ゛」

 泣きながら、ウェーイは、あることを思い出した。

 そうだ!

 初回の講義で、いきなりきょどりながらLINE交換を持ちかけてきて、それっきり話しかけてくる様子のない大学デビュー丸出しのぼっちがいたじゃないか。あいつを騙して連れてくればいいんだ。そうだ。その手があった。ぼっちは人の愛に飢えているから、きっと受けてくれるはずだ。

 「チョ、待テ、クダザイ、イマ、呼ビマズガダ」

 「……そうかね」


 教授は黒い腹の底からこみあげてくる笑いをこらえながら言った。

 LINE通話の呼び出し音ののち、聞き覚えのある声が出た。

 例のぼっちの声だ。
 ウェーイはカラ元気を出して、取りつくろった声で答えた。

 「はい? なんか用?」

 「よっ! 久しぶり。ちょっとさ、今から遊べない?」

 「今からバイトだから、行けたら行くよ」

 バイトと言ってはいるが、その後ろで「ねえ誰ー?」と女の声がしていた。

 ぼっちに彼女ができていて、デートの最中だったらしい。

 バイトというのはでまかせに違いない。
 なお、行けたら行くというのは、要するに「行かねえよ死ね」ということである。

 そして無慈悲に通話が切られた。

 「…………」

 教授はウェーイを見た。
 ウェーイの目が据わっていた。
 教授はギョッとした。

 何て闇の深い眼をしているのだ、と。

 「……で、で、ど、んっ、とね、どうだったかね」

 「ウェヒイイイイイイイイイイイイイイイイイイエ!!!」

 ウェーイは号泣しながら駆け出した。
 学生名鑑を持って帰ってきた大学院生を五郎丸さながらのタックルで吹き飛ばし、発狂したウェーイは脱兎のごとく走り出し、研究室から逃げおおせた。

第三章 ウェーイウェーイウェーイ

 もう、進級なんかどうでもいいという、大学生にお似合いなふてくされた根性が、ウェーイの心の隅に巣喰った。

 俺は、これほど努力したのだ。
 ちゃんと勉強してね、という両親との約束を破る心は、みじんも無かった。
 神も照覧、俺は精一ぱいに努めて来たのだ。
 俺は不信の徒では無い。
 ああ、できる事ならこの胸を截ち割って、真紅の心臓をお目にかけたい。
 けれども俺は、この大事な時に、精も根も単位も尽きたのだ。
 俺は、よくよく不幸な男だ。

 という、自らの怠惰が招いた危機であることを綺麗さっぱり都合よく忘れたうえでの回想は、ウェーイ特有の思考回路から織りなされる一種の特産品である。

 研究室訪問に疲れ果てたウェーイは、自らの部屋に戻り、だらしない恰好でベッドに寝転んで、スマホを取り出した。

 かれはtwitterに向かって、「留年したっぽい ヤバくね?笑」と打ち込んだ。

 十分経っても何の反応もなかった。

 三十分経っても同じだった。
 リプライはなく、リツイートもなく、「いいね」すらされなかった。
 故障してんじゃねえか、そう思ってウェーイは一分間に平均六回twitterを開きなおし続けたが、結果は同じだった。

 おれにセリヌンティウスはいないのだ。

 ウェーイは、枕に顔を押し当てて涙を流した。

 大学生活終わった……。
.
.
 
.
.
.
 ふとウェーイの耳に、さらさらと、単位の流れていく音が聞えた。
 そっと頭をもたげ、息を呑んで耳を澄ました。
 すぐ足もとで、単位が流れているらしい。

 よろよろ起き上って、見ると、壁の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら、単位が湧き出ているのである。ウェーイはそのかすかな囁きに耳を傾けた。

[教授を殺せば天から単位が降ってくる]
[
教授を殺せば天から単位が降ってくる]
[
教授を殺せば天から単位が降ってくる]
[
教授を殺せば天から単位が降ってくる]
[
教授を殺せば天から単位が降ってくる]
[
教授を殺せば天から単位が降ってくる]
[
教授を殺せば天から単位が降ってくる]

[キョウジュヲコロセバテンカラタンイガフッテクル]
[
キ ョ ウ ジ ュ ヲ コ ロ セ バ テ ン カ ラ タ ン イ ガ フ ッ テ ク ル]

 ああ、そうだ。
 そうすればよかったんだ。
 ウェーイはすんなりと了解した。


 それから、うんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんと何度も何度もうなずいた。

 枕元を見ると、そこにはいつの間にかスコーピオン短機関銃と、刃渡り約30センチのボウイナイフ、長さ約45センチの両口のハンマー、そしてM67破片手榴弾が三つ、置いてあった。


 ウェーイはナイフを腰に装着し、手榴弾をズボンのポケットに突っ込んだ。
 そして仕上げに、THE NORTH FACEにスコーピオンとハンマーをしまい込んだ。

 それから、彼は自分の「制服」に着替えた。
 まず灰色のチェスターコートに袖を通し、髪型を茶髪のプリンにセットし、ユニクロのスキニーパンツを穿き、黒縁のメガネをかけ、THE NORTH FACEを背負った。

 それから、スマホをミキサーにかけて粉々にしてから、それをミルクに溶かして一気に飲み干し、ウェーイは猛然と部屋を出た。

 そうだ。これが天啓だ。

 これは聖戦だ。

 私のなかの内なる神が戦えと言っている。

 満月に怪しく照らし出された学生街を、ウェーイは走り出した。


 私は、信じられている。
 私の命なぞは、問題ではない。
 両親に死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。


 私は、信頼に報いなければならぬ。
 いまはただその一言だ。

 走れ! ウェーイ。

第四章 ウェーイウェーイウェーイウェーイ

 満願成就の夜が来た。

 研究棟は、静まり返っていた。

 ウェーイは、昼間かれをこっぴどい目に遭わせた教授の研究室の前に、安全装置を外し、フル装填したスコーピオンを抱えて、息を殺して立っていた。
 研究室にはまだ誰かが残っているらしい。
 ドアの向こうから、椅子のきしむ音や、咳払いの声がかすかに聞こえてくる。

 廊下にはウェーイただひとりである。見回りの警備員も近くにはいない。

 コンコンコン、と軽くノックする。
 「どうぞー」
と間延びした声が返ってきた。あの教授の声に違いなかった。

 ウェーイは静かにドアを開け、軽やかにその部屋に踏み入った。
 部屋のなかにいたのは、あの教授ひとりだけだった。
 教授はウェーイを見て、転げ落ちるような勢いで椅子から立ち上がった。

 「き、き、ききききききき、きみは」

 ウェーイが構えているスコーピオンを見て、顔からサッー! と血の気を失ったその初老の教授に、

 「おつかれー」

 とウェーイは爽やかに微笑んでみせた。 

 「お、お、お礼参り、な、ね、な、なの、かね」

 「それな」

 ウェーイは答えずに、天井に向けて一発ぶち込んだ。
 タァン、という軽やかな音がして、パラパラと天井の破片が教授の頭に降りかかった。

 教授は腰を抜かして床にへたり込み、膝をガタガタ震わせながら失禁した。

 そして、がちがちがちと噛みあわない歯の根で不協和音を奏でながら、かれは例の迂遠な言い回しで命乞いをはじめた。
 「きききき、ききっききみね、あああのね、ね、、ど、ど、ど、ど、どうて、どうするね、つもりね、ね、なのかね、そそ、そういう、ね、こと、ね、ね、あのね、やると、ね、よくない、ね、から、ね、ね、警察とか、ね、刑務所とか、ね、いろいろめんどうなことに……君のね、将来をね、案じてね、い、言うんだよ、これは、ね」

 ウェーイは、教授にゴマをするのが上手な学生の如くニンマリと笑って言った。

 「あーね、ゆうてそれな」

 ウェーイの顔は、教授からすると羅刹に見えたことだろう。

 「ほ、ほら、ほら、ぼ、ぼくは君の味方だよ、ね、ね、なんでもね、心のなかに、ね、悩みとかね、あるんならね、ね、ね、ね、ほら、ね、単位もね、と、と、取り消さない、こともね、考えてるん、ね、ね、だけど、ね」

 教授が、物わかりのよい初老の男を演じ始めた。この演技は、長年のあいだ、学生を恨みそして恨まれ続けてきた経験が結晶してできた、教職に就く人間特有の虚構である。こういう人間を信用すると高くつく。決して信用してはならない。


「単位の取り消しはしないでくださいと言ったな」 

 ウェーイは目と口の端を釣り上げて言った。

「あれは嘘だ」

 無機質な発砲音が研究棟に何度も何度もこだました。

 ウェーイの一週間の時間割並みに穴だらけになった教授は、

 「ね、ね、ね、ね、ね、ね、ね、ね、ね、ね、ね、る、ね、る、ね、ね、る、ね」

という奇妙な断末魔とともに、全身に空いた穴という穴から知をまき散らしながらのたうち回ったすえ、哀れ、やがて息絶えた。

 「とりま、こんなもんか」
 ウェーイはそう吐き捨てたのち、
 もはやただの肉塊と化した教授には一瞥もくれず、

「さしたる用も無かりせば、これにて御免」

などとブツブツ言いながら夜の闇に駆け去った。

第五章 ウェーイウェーイウェーイウェーイウェーイ

 物音を聞きつけた夜警が警察に通報し大騒ぎになっている頃、ウェーイは大学近くのとあるマンションに来ていた。

 教授を虐殺したウェーイが次に足を向けたのは、新旧祝いという名目で宅飲みをしていたかれの「友達」のところであった。

 無論、一緒に騒ぐためなどではない。
 ぶっ殺しに来たのである。

 室内では、ウェーイ系の大学一年生たちが、未成年飲酒と未成年喫煙をたしなみながら大声で会話をしていた。彼らはウェーイよりも少しずる賢く、テストの日になると集団連携でカンニングをして急場を凌ぐタイプの輩であった。

 「ウェーイ、もう一杯!」

 「おっ、いっちゃうの?」

 「そーれ、いーっき! いーっき!」

 「ギャハハハ」
 「そういやさー、こないださ、クラスのぼっちのスマホ後ろから見たらさ、そいつ、リア充爆発しろとかウェーイ死ねとか、ツイッターで言ってんの。で、俺が見てるのに気付いたらスマホ急いで隠して『ど、ど、ど、ど、どうしたの?』だってさ。ま、オレっち心広いから、見逃してやったけどね。高校時代だったらシメてたねありゃ。にしてもぼっちって自業自得のクセにネット弁慶だよなあー。自分がモテる実力ないからっつって、『あいつらが女の子を独占するからボクたちがモテないんだ!』って、俺らに責任かぶせてんの」
 「それな。マジきめえよな」
 「安心しろ、そういう奴に限ってワンチャンないから! ありませーん! ギャハハ」
 「根暗は就活でギョクサイするらしいよ」
 「おれらみたいな要領良いヤツの方が成功するってよ」
 「ソースは?」
 「2ちゃん」
 「クソじゃねえか」

 「そーれ、粗相、粗相」

 「ギャハハハ」
 「てか、眠くね」
 「それな」
 「今何時」
 「二時半」
 「俺なんか昨日急にシフト入っちゃってさ、朝四時までバイトだった。三時間しか寝てないけどむしろ元気元気」
 「俺も四時間しか寝てない」
 「起きたの何時?」
 「十時。一限ネボった。でもまあ、ぼっち使って代返させてるから出席扱いだけど」
 「ぎゃはははは、ガチで?」
 「ほんとうでございます」
 「青春してるねえ」
 「おっ、ここらで四本目いっちゃいますか」
 「ウェーイ」
 「ウェエエエエエエエエエイ」
 「ウェイ、ウェイ、ウェイ、ウェエエエエエエーイ」
 「ぎゃははははは」
 「おっ? なんだなんだ、こっちの部屋から壁ドンしてきたぞ」
 「となり誰? 怖い人?」
 「大学生」
 「どんな?」
 「たぶん一年。見るからにぼっちかキモオタ」
 「調子乗ってんな」
 「しばいちゃおうぜ」
 「やれやれ、やっちまえ」
 「オラッ出てこい! ぼっち風情が調子乗んじゃねえぞ死ねっ死ねっ」
 「いいぞ、もっと叩け!」
 「ぎゃははは」
 「突撃しちゃう? インターホン鳴らして俺らでアツかけるべ。で、それ録画してようつべに上げて、と。ツイッターで拡散して二十万再生くらい稼げば何万円か入ってくるからまた飲み会できるんだな、これが」
 「まじで? 永久機関じゃん。飲み会して壁ドンされて突撃して」

 「ま、ぼっちには絶対できませんけどねこういう芸当は。俺らみたいに要領良くないと無理無理」
 「まじすげー」

 「よし、行くか。鉄は熱いうちに打て」
 「切り込み隊長だれよ」
 「あっ、きょうアイツいねえのか。プリン頭」

 「本名なんつったっけ。テストの時しか使わないから忘れた」

 「代返係のアイツね」
 「いざって時にいねえんだから使えねえよな」
 「てかあいつ今日大学の中めっちゃ走ってたけどキモすぎ吐いた」
 「ひとりだけ浮いてんのにまったく気付かないよな。大学デビュー君にはウェーイなんて無理なのに」
 「ディスりすぎだろ、ぎゃははは」
 「いやほんと、陰キャみたいな顔に、いっちょまえに流行取り入れてんだから笑い止まらん。びっくりするほど大学デビューって感じでさあ、頭悪いし、めっちゃキョドってない?」
 「マジそれ」
 「あいつはもう呑みに呼ばない、な。テストの時だけパシろう。表面上は仲良くしてあげること」
 「はい決定ー」 

 当のウェーイ本人が、両手に手榴弾を持って乱入してきたのはまさにそのときだった。


 あの「壁ドン」は、実は、ドアノブがウェーイによってハンマーでたたき壊される音だったのである。

 扉に耳をくっつけて中の会話を盗み聞きしていたウェーイに、大量虐殺への躊躇いは一切なかった。

 「よっ。人生おつかれー」

 そう言いながら、ピンを抜いた手榴弾を二つ、唖然とした顔が並んでできた輪の真ん中に向かって軽く放り投げた。


 悲鳴が上がり、続けざまに二度轟音がひびきわたる頃にはすでに、ウェーイは非常階段を駆け下りていた。


最終章 ウェーイウェーイウェーイウェーイウェーイウェーイ

 ウェーイはいったん自宅に退却しようとしたが、いまの爆発音を聞きつけて早くも道路には野次馬が集まっていた。爆発の起こったマンションから血相を変えて飛び出してきたその姿を、見られてしまったのである。

 当然のことながらウェーイは異常な興奮状態にあったので、次の標的は彼ら野次馬だった。人の不幸を見て憐れむふりをしながらスマホで動画撮影をする偽善者どもに同情の余地はない。

 ウェーイはワンチャンワンチャンと叫びながら、スマホで動画撮影をしている野次馬の群れに突っ込み刃渡り30センチのボウイナイフを力任せに振り回した。ズボズボズバズバドクッドクッガチンガチンガギガギといやな感触があった。

 ウェーイが血走った目であたりを見回すと、群衆の中に、昼間かれをさんざんに罵ったあの中年の大学事務職員の顔を見つけた。

 向こうも同時にウェーイを認識したらしく、悲鳴に近い声で
 「あっ、お前は……」
 と叫んで逃げ出そうとした。

 「気の毒だが進級のためだ!」

 ウェーイがそう叫ぶなり、フルオートのスコーピオンが火を噴いた。

 哀れ、中年の大学職員は銃撃をまともに喰らい、サンバを踊るようにくるりくるりと回転してから崩れ落ちて側溝に頭を突っ込み、ビクビクと四肢を痙攣させながらそのまま絶命した。

 次いでウェーイがあたりを見回すと、バイトがあるからと虚偽の申告をして彼女とのデートに行きウェーイの誘いを断った元ぼっち・現彼女持ちリア充の同級生の顔も見つけた。横に彼女らしき女もいたのでウェーイはなおさら逆上した。

 あきれた奴だ、生かしておけぬ。

 まず元ぼっちとその彼女、両方の足をスコーピオンで狙い撃ちした。

 ぎゃんぎゃんと犬のような叫びを上げてふたりがひっくり返ったので、ウェーイはまず女のスカートの中にピンを抜いた手榴弾を突っ込んでそのまま側溝の方に思い切り蹴飛ばした。
 女はぎゃろんぎゃろんと転がっていってそのまま側溝にフィットした。

 スコーピオンが弾切れしたので、ウェーイは元ぼっちに抜き身のボウイナイフをかざして躍りかかった。
 ウェーイはマウントポジションをとってそのまま元ぼっちの喉を掻っ切ろうと試みたが、そのときちょうど側溝で手榴弾の爆発が起こり、ウェーイのナイフが吹っ飛ばされた。

 それに構わず元ぼっちへの鉄拳制裁が開始された。
 まずウェーイは腕に唸りをつけて元ぼっちの頬を殴った。現場一ぱいに鳴り響くほど音高く元ぼっちの右頬を殴った。
 パンチはえぐるように打つべし、打つべしと呟きながら元ぼっちの顔面に容赦なく拳を叩き込んでいく。

 元ぼっちも必死に抵抗した。 
 三回に一回はかれも同じくらい音高くウェーイの顔をぶった。

 されど嗚呼哀しいかな所詮元ぼっちと運動系サークル所属のウェーイの差、元ぼっちたちまち劣勢となり、殴り返す力も弱まり、ついに力尽きその命を儚く散らせ英霊となった。

 一気に元ぼっちを撲殺したウェーイは、流石に疲労し、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を負った。全ての仇敵を誅し終えたいま、立ち上る事が出来ぬのだ。

 天を仰いで、ウェーイは泣き出した。

 その後、怒り狂った市民らの手によってウェーイは衣類を全て剥かれ、メロスが途中であきらめた場合のセリヌンティウスよろしく全裸で磔にされた。

 陽が、ゆらゆら地平線から、まさに最初の一片の暁光を放ち始めた。
 ウェーイは、呆然と夜明けを見ていた。

 自分の大学生活とはいったい何だったのか。

「輝かしい未来」「若き力」「努力すればなんとかなる」……そういった美辞麗句は、ウェーイの辞書からはとっくに消えていた。希望も、未来も、すべてが泡沫となった。

 なにも知らないちいさな女の子が、地面にかなぐり捨てられていた、ウェーイの着ていた灰色のチェスターコートを持ってきて、

 「ねえママ、あのおにいちゃん、さむそうだよ。きせてあげ」

 言い終わる前に、母親らしき女があわてて、その女の子を連れ去っていった。

 「勉強しないとあんな人間になっちゃうわよ。ルミはそんな子じゃないわよね」と言いながら。親子連れが去ったあとには、チェスターコートだけが残った。

 「ウェーイ、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのチェスターコートを着るがいい。あの可愛い娘さんは、ウェーイの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しかったのだ。」

 どこかから、そんな幻聴が聞こえた。

 処刑は朝日が昇ると同時に行われた。


 最後の一言が許されると、

 「真面目に勉強しときゃよかった」


 ウェーイは、朝の日差しを浴びながら、おいおい声を放って泣いた。

 死神が、「それな」と言って、ウェーイの肩を叩いた。

 ウェーイの行方は、誰も知らない。

 

<走れウェーイ 了>

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