「抽象度を上げる例とその効果」について書いてみます

   

こんにちは!

栗栖鳥太郎です!

今回は、苫米地英人氏が言うところの「抽象度を上げる」ことについて、私なりに理解したことをざっくばらんに書いてみたいと思います。

かなり抽象的な記事になりますが、読んでいただければ「ああ、こうすればいいのか」ということがよくわかると思います。
 

抽象度はこうやって上げる

前書き~「抽象度」って何?~

まず、「抽象度」という概念について軽く説明しておきましょう。

 

「抽象度」とは、苫米地英人氏が広めた(たぶん、作ったわけではないと思います)概念です。

 

抽象度とは、「その概念が、どれだけ潜在的な情報を内包しているか」についての度合いである、と私は理解しています。

言葉の使い方としては、「抽象度を上げる」「抽象度を下げる」という言い方をします。

 

たとえば、「いま自分が飼っているゴールデンレトリバーのラッキー」という犬について考えてみます。

「いま自分が飼っているゴールデンレトリバーのラッキー」というのは、この世界に唯一の存在です。

このとき、「ゴールデンレトリバーのラッキー」は、非常に具体的=「抽象度が低い」存在です。

 

これを、ひとつ抽象度を上げると「ゴールデンレトリバー」になります。

すると、いまここにいるラッキーだけでなく、世界中にいるありとあらゆるゴールデンレトリバーが内包されることになります。

つまり、潜在的に内包されている情報の量が上がったといえるわけです。

 

これについてさらに抽象度を上げると、今度は「犬」という概念になります。

「犬」という概念には、「ゴールデンレトリバー」も「チワワ」も「柴犬」も「土佐犬」も入ります。

またしても、概念に内包されている潜在的な情報量が上がりました。

 

・・・という具合に、「抽象度を上げる」と、「その概念に内包される情報量」がどんどん上がっていく、という具合になります。

以上が「抽象度」についての説明です。

要するに、抽象度を上げていくと、どんどん概念のカバーする範囲が広くなっていくよ、という話です。

 

 

今回の記事の内容は、人によっては「うさんくさいな」と思われるかもしれません。

ですが、「ああ、こういうやりかたがあるのね」という思考の材料にはなると思います。

 

「抽象度を上げていく」具体例

では、実際にどんどん抽象度を上げていきましょう。

今から私が抽象度を上げながら物事を考えますから、私のあとについてくる感じで、イメージを膨らませてみてください。

 

まずは、「いまここに存在している自分」という、非常に具体的(=抽象度が低い)なところからスタートしましょう。

いまあなたは、どこにいるかはわかりませんが、パソコンの前か、スマホを手にしてこの記事を読んでいます。

視界は目の前の液晶ディスプレイに集中し、ほかのことはあまり目に入っていません。

 

↓地理的な抽象度を上げます。

 

「いま、自分がいるここ」という超・具体的な場所からもっと視点を高く持って、

「いま、あなたがいる国」というスケールから、「いま、あなたがいる場所」を眺めてみてください。

 

イメージとしては、グーグルアースで現在地のズーム→日本国へとマイナスズーム、という具合です。

いまあなたのいる場所は、あなたのいる国全体から見るとじつにちっぽけなものです。

 

↓もう一段階、地理的な抽象度を上げます。

 

では、

いま自分がいる国は、地球全体というスケールで見て、地球全体のどれくらいの面積を占めていますか?

イメージするのは、たとえば「日本という国が、地球という巨大な球体からするといかにちっぽけなものであるか」。

太平洋の端っこのほうに引っかかっている、取るに足らないとても小さな島々にすぎません。

 

・・・こうやって見ると、地球全体というスケールからすると、「いまあなたが存在している場所」は、「地平線までつづく広大な砂漠の中の、たったひとつの砂粒」に似ています。

 

↓では、次は、「時間」の抽象度を上げていきましょう。

 

あなたがいま生きている時間は、「20○○年○月○日○時○分」です。

一秒一秒がカチコチと時を刻みながら、ゆっくりゆっくり進んでいるように感じるでしょう。

 

↓時間的な抽象度を上げてみます。

 

いま、あなたが存在している「具体的な」時刻は「20○○年○月○日○時○分」です。

それは、「人類が文明を獲得してから、どれほど経って」いますか?

 

人類が表象という能力を獲得したのは、約「10万年」前。

あなたがいままで生きてきた年齢を何回も何回も繰り返さないと足りないくらいの長い長い時間です。

 

しかし、その長い長いように思える「10万年」という単位は、

「宇宙が生まれたのは137億年前」という事実の前では、霞みます。

 

「人類が生まれてからあなたが生まれるまでの間の長い長い時間」を「137000回」も繰り返せるだけの時間が、宇宙の年齢です。

 

↓さらに時間的抽象度を上げると・・・

 

いままでしてきた話は、あくまでも「過去~現在」の話です。

時間は、「現在から未来へ」向かっても続いていきます。

今まで流れてきたのは137億年ですが、あなたの寿命が尽き、人類が滅び去り、地球が太陽に飲み込まれ、太陽が消滅したあとも、何億年、何百億年、何千億年と宇宙は続いていくでしょう。

 

↓ 今度は、目先を変えて「ものごと同士の関係性」の抽象度を上げていきましょう。

 

あなたはいま、レストランに来ています。

目の前には、おいしいハンバーグステーキ(ベジタリアンの方は豆腐ハンバーグ)が置いてあります。

 

↓関係性の抽象度を上げます。

 

このハンバーグは、どのようにして「いま、自分の目の前にある」ようになったのでしょうか。

まず、ハンバーグを、調理する人がいたはずです。

シェフやコックさんなどが料理してくれなければ、そのハンバーグは存在しません。

 

ハンバーグを、自分のところに運んできてくれた人もいます。

レストランのウェイターだけではなく、原材料のお肉を運んでくれた船、レストランまで材料を運搬してきてくれたトラック。

 

↓さらに抽象度を上げます。

 

ハンバーグの肉が、アメリカ産の牛肉だったとします。

もしもアメリカという国がイギリスからの独立に失敗していたら、

もしもアメリカ大陸がまったく不毛の永久凍土だったとしたら、

もしも日本が太平洋戦争に勝利してアメリカを滅ぼしていたら、

いまあなたの前にハンバーグはありません。

 

もっといえば、人類が経験した今までの歴史上の出来事のうち、ハンバーグにちょっとでも関連するものが、なにかひとつでも違ったように起きていたら、

いまあなたの目の前にあるハンバーグは存在しません。

 

当然、「自分のところに届く過程のなかで何らかの不手際が起きなかったこと」も、関係性に含まれます。

食肉工場が経営破たんしなかったこと。

冷凍船が座礁したり沈没したりしなかったこと。

あなたが今現在に至るまで隕石の直撃を受けて死ななかったこと。

あなたの今いるレストランが自爆テロの標的にならなかったこと。

そもそもあなたが、レストランに行こうと思い立ったこと。

 

たまたま今回はハンバーグという例を出しましたが、この「関係性の抽象度を上げる」は、ほかのあらゆるものにも言えることです。

いま目の前にあるハンバーグだけではなく、それが載っている皿、レストランの天井からぶら下がっている照明、

後ろの席でおしゃべりしている女子高生、テーブル、窓ガラス、窓の外を走っている車の数々、etcetc・・・

 

このように抽象度をどんどん上げていくと、

 

あなたを取り巻くすべてのものが、

あなたが経験したすべてのものが、

あなたが経験しなかったすべてのことが、

あなたが認識できるすべてのものが、

あなたの認識できないすべてのものが、

切っても切れない関係性の網のなかに存在し、変容しつづけていることがわかるのです。

 

これが、釈迦のいう、

「すべての物事はそれ自体では存在しえず、ほかのあらゆる物事との関係性の中ではじめてその存在が縁取られる」という「縁起と空」の法です。

釈迦のいうところの「縁起」は、このような無数の網目状の関係性のことを指します。

 

たとえささいなものであっても、なにかひとつでも欠けていれば、「いまあなたの目の前にあるハンバーグ」という存在は、存在しませんでした。

 

抽象度を上げたり下げたりすることによって、以上述べてきたように、

「ふつうは気づかない、ものごと同士の関係性」に思いを致すことができます。

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