「自分を客観的に見る」のは大間違いだから今すぐやめよう

   

こんにちは!

栗栖鳥太郎です!

就活などではよく「自分を客観的に見なさい」と言われますが、本当でしょうか。

「自分を客観的に見る」ことのワナについて解説します。

「自分を客観的に見る」のが間違いである理由

「他者の目に映る自分」を意識し始めると自意識過剰で心が病む

世の中で一般的に言われるところの「自分を客観的に見る」の意味することは、

「他者の目から見た自分の価値や外見を把握しなさい」ということです。

 

つまり、「自分という存在は、他者と比べてどうなのか」

「ほかの人から見て、自分のふるまいや見た目は大丈夫だろうか」といった「他者の視点」をもとにして分析せよ、という教えです。

 

しかし・・・

 

残念ですが、この通りに「自分を客観視する」と、どんどん精神を病んでいくはずです。

かつての自分がそうだったのでよくわかります。

 

まず、「自分は他者からどう見られているか」を気にする生活では、「自分が本当にやりたいこと」を我慢しなければいけないでしょう。

 

 

自分が「本当はこれをやりたい!!」と思った時でも、”客観的に見る”クセがある人は、「いや、自分の実力を客観的に把握すると、無理だろう。やめとこ」と諦めます。

そのうち「やりたいかどうか」ではなく、「できるかどうか」を基準にして考えていくようになります。それが”客観的に見る”ということの結果です。

 

また、”客観的に見る”人は、自分自身の価値というものを過剰に低く見積ろうとする傾向もあります。

なぜなら、常に自分と他者の能力を”客観的に”比較しているからです。

 

自分がいまテストで学年100人中50位あたりにいるとしましょう。

客観的に把握するクセのある人は、”自分は、学年50位くらいという学力を持っている”という客観的な数値にとらわれすぎることになります。

学年50位という現在の状況にとらわれすぎて、そもそも「学年1位」(あるいは、それを超えて学力全国一位)になるという道が見えなくなってしまいます。

 

客観的に見るということは、現状と過去に縛られることです。

現状と過去に縛られるのは、きわめて消極的な態度と言わざるをえません。

“客観的に見る”と、未来の選択肢を自分で狭めていることにもなります。

(ついでに言っておくと、過去の捉え方なんてものは未来の自分の状態しだいでいくらでも変えられるのです。いま刑務所に入っている人はかつての不良だった自分を後悔するでしょうが、いま社会的に成功している人はかつての不良だった自分を誇らしくさえ思うでしょう)

 

「他者の目に映る自分」ばかり気にする人のことを表した言葉に、「自意識過剰」というのがあります。

自分のことを客観的に見すぎると、自意識過剰になって「あれをしたら恥ずかしい」「○○している自分はカッコ悪い」といった縛りに苦しむことにもなります。

 

以上みてきたように、いわゆる「自分を客観的に見る」のは害毒でしかありません。

今すぐやめましょう。

 

 正しい「自分を客観的に見る」方法とは?

私はよく、人類が鏡やカメラというものを発明していなければもっと人々は幸せだったろうにと思うのです。

鏡は、「他者の目に映る自分はこうですよ」という虚像を強調します。

カメラは、「あなたはほかの人から見るとこんな感じですよ」という視点を強固にします。

鏡やカメラに触れてきた現代人は、自我というものの本質を見誤ったのではないかと思います。

“自我”を正しくとらえること

ここで質問ですが、

あなたは自分自身の「自我」をどう定義するべきかわかりますか?

 

少なくとも、なにか一つのモノをもって「これが自分だ」と示すことはできません。

「あれ、この体って自分じゃないの?」 → 体はあくまでも自我の一部にすぎません。

「じゃあ、自分の心って自分じゃないの?」 → 脳も心も大切ではありますが、それも自我の一部にすぎません。

「じゃあ、身体と心の両方を合わせて自我だ!」 → なにか「一つのモノ」をもって定義することはできないという前提に矛盾します。

 

なにか一つのものでもって「これが自分だ」と定義することはできません。

「自分を定義する」ために使うものは、あくまでも自分自身ではあり得ません。

 

たとえば、

「自分は、北大生である」 → 北大生は何千人もいますから、自分ではありません。

「自分は、北海道生まれである」 → 北海道生まれは何百万人もいます。

という具合に。

 

むしろ正しい自我の把握の仕方は、

「自分は、○○生まれで、○○高校に通い、一年間○○予備校で浪人して、○○大学の○学部に入学している」

「自分は、ロックとジャズが好きだ」

「自分の母親は○○という名前で、父親は○○という名前で、・・・」

といった数々の「自分にまつわる事柄の関係性をすべてかき集めたモノ」

 

「自分という確固たる存在」は、実在しません。

実在はしませんが、ほかのモノとの関係性のなかで定義することができます。

 

言い換えると、自我とは「これは大切だと思うものを集めた関係性そのもの」だと思います。

 

自我というものが単一の言葉で定義しきれない以上、自我とは複数のモノとの関係のなかで成り立っているものだ、ということは明白です。

 

・・・このように自我を把握することこそが、本当に「自分自身を客観的に見る」ことでしょう。

「自分という確固たる存在」は、実在しません。

だから客観的に見ても無駄です。

 

鏡に映っている自分はあくまでも「自分の一部」ですし、

カメラや他者の目に映っている自分も「自分の一面」に過ぎません。

 

つまり、「正しい客観視の方法」とは、

「自分という確固たる存在は実在せず、あくまでも自分と関係のあるものとの関係性のなかでのみ成り立っている」

という自我のあり方を自覚することです。

 

他者の目やカメラ、鏡に映った自分は、「自分」ではありません。

自分の一部ではありますが、自分そのものではありません。

 

まとめ + おすすめ本

このような自我の把握ができるようになると、精神的にかなりラクになります。

 

自前の物差しを持っているのに、わざわざ他者の物差しを使う必要はありません。

人間は自分自身の尺度でしか考えることはできないし、そうする責任があります。

 

自分を「客観的に見る」正しい方法を習得して、あなたを縛るすべてのものから自由になってください。

では、グッド・ラック!

 

★おまけ:自意識過剰に苦しむ人におすすめの本

先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。

この人の本は、自意識過剰な自分に別れを告げるためのヒントが満載です。

本当に面白いし、使えますよ。

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する

・「洗脳原論

・「「生」と「死」の取り扱い説明書

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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