何となく「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」人は奴隷である

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

あなたは、親や先生から「ちゃんと将来のことを考えなさい!」って言われた記憶はありますか?

あるいは、自分自身で「将来は公務員とか正社員とか、なんとなく安定した職業に就きたいな・・・」と漠然と思っていますか?

こんな言い方をすると、「そう思って何が悪い!」と言われそうですが、実はその「思っていること」は、あなた自身から出た考えではない可能性があります。

今回は「脱洗脳」「反常識」回です。

自分にかけられた洗脳を解かないと、一生「自分がやりたくもないことをやって生き続ける」羽目になる

「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」は奴隷のセリフ

今回記事のタイトルに使ったのは、最近のいわゆる若者(大学1,2年生を想定)がいかにも心の中で思ってそうな「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」というフレーズです。

どこかふわふわとした、漠然とした台詞ですね。

そんな感じの言い回しは、たぶんどこかで聞いたことがあるでしょう。

 

で、今回の記事で言いたいのは「それって奴隷のセリフじゃないの?」ってことです。

なぜか。

 

奴隷というのは、「自分がやりたくもないことを嫌々やらざるをえない人」。

古今東西問わず、奴隷というのは「自分が望まないことをやり続けなければいけない人」のことを指します。奴隷には意志の自由がありません。意志の自由がなければそれは奴隷(または囚人)としか言えないでしょう。

 

先の「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」という一文を分解して、その裏に込められた心理を分析してみましょう。

きっと、「現代の若者は、ここまで洗脳されているのか!」と驚くことになると思います。

 

「そろそろ」

第一、「そろそろ」というのがまずおかしいのです。

なぜなら、「そろそろ将来のことを考えねば」と言うとき、「将来のこと」の優先順位は明らかに低いからです。

本当に将来のことを重要だとを考えている人は、そもそも「そろそろ」なんて言葉を使わないはずです。もう既に考えているはずです。

 

「将来のこと考えなきゃ」とは口で言っているものの、実際のところ何も考えていないのです。

なぜ何も考えないままでいられるかというと、おそらく自分の周囲に合わせて何となく「自分もまあ、大丈夫だろう」と思っているからでしょう。大学生であれば、「他のみんなが大学院に行くなら、自分も行こう」あるいは「みんな就活するみたいだから自分もしよう」などと思っているからではないでしょうか。

そういう人は、きわめて自分の意志が薄いと言わざるをえません。

 

自分の意志が薄い人は、一生他人によって与えられた選択肢を選ばされ続けます。

まさに奴隷の生き方です。

自分で意志をもって、「みんなあれがいいと言うけど、自分はこれが良い」というぐらいの選択をしましょう。

 

「きちんと」

これは一体、何を基準にした「きちんと」なのでしょうか?

字面通り捉えると、「きちんと」とは「おかしくない様子」「恥ずかしくない様子」のことです。

ということは、「親や教師や同級生や世間からみて、おかしくない・恥ずかしくない」もののことを「きちんと」と言っているのでしょう。

これもやはり、奴隷の思考法です。

 

私は、「他人から見て恥ずかしかろうがおかしかろうが、自分の本当にやりたいことをやればそれで良いんじゃないの? だって他の人は自分の人生に責任をとってくれないし、自分のやることに責任を持てるのは自分自身だし」と思うのですが、どうでしょう。

 

自分にとってやりたいことを予定にしたがってやり抜くという意味での、自分を基準にした「きちんと」ならまだわかります。きょうはきちんとやりたいことをやった、という具合に。

でも、明らかにこの「きちんと」は自分自身を基準にしていないですよね。

自分自身の心の本音にフタをかぶせて、他人からみて恥ずかしくない「きちんと」した道へ行こうとする。

それでは、生きている楽しみが九割くらい減ると思いませんか。

 

「将来のことを」

「将来のこと」というのは、具体的にいつのことを指すのでしょう。

大学卒業後のこと?おっさんおばさんになってからのこと?老後のこと?

「将来」という言葉を使うとき、たいていは漠然としたイメージしかされません。

漠然としているということは、「将来自分はこれをやっていきたい!」という確たる物がないのです。

 

むしろ「将来」という言葉を使う人は、その将来というのが漠然としたイメージでないと不安になるのかもしれません。

自分はこう生きたい、と決定するのが怖いのかもしれません。

 

「考えなきゃいけない」

奴隷であることが一番顕著に出ているのがここです。

「考えなきゃいけない」ですよ。

「考えたい」じゃないんです。

 

自分が○○したい、という思考回路じゃないんです。

自分は○○しなきゃいけない、と思っているんです。

つまり、意志の自由がない。

「~したい」は自分が望むことですが、

「~なきゃいけない」は他人によって強制された(あるいは自分で勝手に自分を縛っている)ことです。

 

「気がする」

なんとなくそう思う、という意味の言葉です。

これの問題点は、「きわめて根拠薄弱な物言いである」ということ。

 

「と考える」でもなく、「と思う」でもなく、「気がする」ですよ?

 

その「気にさせている」のはおそらく、他者に過去に刷り込まれた言葉です。

「両親がこう言っていたから」、「教師がこう言っていたから」、「みんなそうしているから」、

といった、根拠になるはずがないものを根拠にして「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない<気がする>」と言っているのです。

自分の意見ゼロ。

独自性ゼロ。

なんとなく生きてきた人でないと言えない台詞です。

 

他人の尺度のことを、勘違いして自分の尺度だと思っているのでしょう。

何かあったらすぐツイッターでつぶやいて自分の周辺にいる人の承認を得ないと気が済まないようになると、かなり奴隷化が進行しています。

 

 

総括

以上見てきたように、「そろそろきちんと将来のことを考えなきゃいけない気がする」ということを言う人はどこからどう見ても奴隷化が完了してしまっている人です。どれだけ洗脳されているのか、どれだけ奴隷なのかがよくわかります。

 

奴隷であることの何が問題かといえば、

①自分が奴隷状態にあるとわかっていないで、価値観を他人に押し付けるようになる

②自分の人生が他人の尺度によって束縛され、「やりたくもないことをやって生きて、老いて、死ぬ」というなんの生きがいもない人生になる

③なんとなくでしか行動できない人が増えると、衆愚政治になって国が暴走する

というようになる可能性がきわめて高いことが問題なのです。

 

・・・さて、ここまでこっぴどく叩いてきましたが、奴隷状態から脱する方法がないわけではありません。

そもそも、現代の日本に生きていれば、本来、「束縛」というのはきわめて少ないはずなのです。

生活保障はきちんと整備されていますし、共産主義国のような締め付けもありませんから、国民はみな、衣食住はきちんと確保できるはずなのです。衣食住さえ確保できるのであれば、自分の意志を左右するような外部要因は本来少ないのです。

 

束縛を作っているのは自分自身であり、

他者の意見を自分の意見として安易に取り入れるのも自分自身です。

これを忘れないようにしてください。

 

まとめ + 奴隷化から脱するための本

正直な話、すでに奴隷になっている人を洗脳から解くのは容易ではありません。

ですから、脱洗脳に役立つ本をたくさん読むことを勧めます。

 

奴隷状態にある限り、あなたの人生は「自分がやりたくもないこと」をやっているうちに終わります。なんともむなしい人生でしょう。

奴隷状態から脱して、本当の自由を手に入れましょう。

では、グッド・ラック!

 

★おまけ 「奴隷状態から脱したい人」のためのおすすめ本★

・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。奴隷状態から脱するには、この人の本を読むのをおすすめします。

 

以下におすすめの本を挙げておきます。

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「ディベートで超論理思考を手に入れる

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「洗脳原論

・「思考停止という病

・「「生」と「死」の取り扱い説明書

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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