「やる気」や「モチベーション」に頼ろうとするのは完全な間違い

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

今回は、「やる気」や「モチベーション」というテーマで記事を書きます。

私もよくクラブ活動などで「やる気がないなら帰れ」と言われた記憶がありますが、日本人であればだいたいの人が「やる気やモチベーションは重要である」と思っているはずです。

しかし、本当に「なぜやる気が必要なのか」を考えたことはありますか?

今回は、「一般的なやる気に対する考え方がなぜ怪しいのか」「やる気が無くてもうまくいく方法」についてお話します。

やる気やモチベーションに関する一般的な考え方

「やる気があるから努力する」?

「あの人はやる気がある」

「あいつはやる気がない」

「最近はモチベーションか上がらなくて」

「質のいい練習のためには高いモチベーションが要る」

・・・こういった言い方をよくしますね。

つまり、「やる気がある」→「努力できる」という論理の繋がりがある、と。

 

やる気がなければ努力できないし、努力していないのはやる気がないからだということですね。

この考え方は、学校、社会、家庭、いろいろなところで真理として扱われています。親や先生、多くの大人たちが「やる気がなければ~」と言っています。実際、私の記憶では、学習塾の自習室の壁にも「努力は必ず実を結ぶ」といった格言が張られていることがあります。

こういった「元気があればなんでもできる」式の考え方は、当然のように通用していますが、それはちょっとおかしいんじゃないかと思います。

 

この考え方の落とし穴

というのも、この論法でいくと、「成功できないのはやる気がないからだ」「やる気がない、モチベーションが低い奴はダメ」になります。これは、「努力していない」 → 「やる気がない、ダメな奴」ということを言っているのと同じです。

実際、一度始めた努力が苦しくなってきてやめてしまった場合、かなりの罪悪感や自己否定感が残ります。

 

「努力しない=悪」という刷り込みがあるので、努力を休む→やる気がない、というつながりが生まれてくるのです。「やる気がないやつは成功しない」「モチベーションが低ければ何もできない」といった刷り込みによって、

 

そもそもこの論法を採用するにしても、「やる気が出るとき」と「出ないとき」の二通りがあるはずです。「やる気があればなんでもできる」の裏側はそのまま「やる気がなければなにもできない」になっています。

つまりこの場合、やる気がなくなってしまった場合のリスクが高すぎるのです。

 

もう一度整理しますが、「やる気が出る→努力できる」という思考法を採用している限り、

①努力しない自分に対する否定感が強くなる

②やる気が出ないのであればなにもできないということになる

という落とし穴にはまる可能性が極めて高いのです。

こういったワナに引っかからないのは、「遺伝的・環境的に恵まれており、自分に要求されるものの高さを自覚している人」か、後述の「そもそもやる気とかモチベーションとか努力といった言葉をアテにしない人」だけだと考えられます。

 

やる気もモチベーションもいらない

「やりたいことをやる」を徹底すべき理由

まず大前提として、人間は「やりたいことをやる」べきです。

とても幸運なことに、現代日本に生まれた人は、基本的に「やりたいことをやって生きていく」という生き方が許されています。アフリカやインドなどの貧しい国に生まれたのならともかくとして、日本では経済的自立さえ果たせば「自分のやりたいことを自由にやれる」のです。

「やりたいことをやる」ということは何が良いのかといえば、「脳が勝手にどんどん加速していく」点にあります。自分の興味のあることなら脳はいくらでも集中してくれます。しかし、他人に強制されたり、やる必要性があったりといった「本当はやりたくないこと」をやるときは脳はサボりにサボります。

 

さらにいえば、「他人から薦められたこと、命令されたこと」というのは十中八九「本当はやりたくないこと」になります。たとえ勉強が好きな人でも、親から「勉強しなさい!」と命令されることによって勉強がだんだん嫌いになっていくパターンも十分ありえます。

人間は元来、他人によって強制されたことの作業効率ががた落ちするようになっています。自分のやりたくないことをやるためには相当なエネルギーを使います。でも逆jに、自分が本当にやりたいことであればいくらでもできるのです。自分がやりたくないことをやるのであれば、確かに「やる気」は必要かもしれません。もともとやらないつもりなのですから、やる気はたしかに必要でしょう。

 

「やりたくないことをやる」を防ぐには、ストレートですが「自分がやりたいことだけをやる」ことを徹底するのがよいでしょう。

 

つまり、なにをするに当たっても、自分がやりたいことだけをやる、というフィルターを設定してやるということです。たとえば、自分が普段やっていることであっても「待てよ、これって本当に自分が心からやりたいことなのか」を考えてみる。他にも、他人に依頼されたことであれば、「この人を自分は助けてあげたいと思っているか」を吟味しておくべきです。「心からやりたいと思う気持ちがあるかどうか」というフィルターを通してやることが一番必要だと思います。

 

「やって当たり前」のレベルを上げていけばそれでよい

では、具体的にはどのようにして「やる気がなくてもやれる」ようになるのでしょうか?

答えはとても簡単で、「やって当たり前」にすれば良いのです。

たとえば、毎朝英単語を新しく30個覚える人であれば、30個を覚えることはすでに習慣になっていますから、やって当たり前のことになっています。むしろ、やらないと気持ちが悪いくらいでしょう。この場合、「やる気がある・ない」などハナから関係ありません。その人にとっての「このくらいはやって当然」「このくらいやるのが自分らしい」といったラインに沿った形で努力が行われるのです。

つまり、わざわざ「○○大学絶対合格!」といった張り紙を机の前に貼っておかなくても、本人にとって「まあ、この程度はやって当然だから」と認識されていれば、自然にやることになります。こういったやり方こそが「やる気がなくても努力する人」特有の思考回路であり、いわゆる一流の人々がみんな揃ってやっているであろう心の持ち方なのです。

 

ここで、「でも、やって当たり前といっても、きついものはきついんじゃないの?」と思われる人がいると思います。それはそうでしょう。たとえやりたいことをやっているときであっても、肉体的にも精神的にもキツくなってくるのは当然です。たとえば野球が大好きな人であってもキツい練習はキツいものです。

これについては、従来のやり方だと「やる気があれば乗り切れる!」とか、「苦しみを耐え抜いたらだいたい良いことが待っている」といったことを言い聞かせるという対処の仕方しかできていなかったのです。

 

キツいものをキツいとなるべく感じないようにすれば良いのですが、それには一体どうすればよいのでしょうか?

そのコツは、このブログでも再三言及している「遠くにあって、かつ本当に実現させたいゴールを設定する」ことと、「その未来のゴールに対する臨場感を強くする」ことです。

この二点さえ抑えておけば、「いま、肉体的にも精神的にもメチャクチャキツい」というときであっても、

「いや、いま苦しいのは、ゴールが実現するまでのタイムラグに過ぎない」

「あの高いゴールを達成するためには、このくらいの努力はやって当然」

といった感じで処理することができます。

 

ここで結論ですが、「やる気が~」式の思考法だと、肉体的精神的にキツいときに出口が見えなくなってしまいやすいのですが、この「ゴールを設定して、そこに臨場感を持つ」ことができれば格段に楽になります。ですから、第一にやることはゴールを設定する」こと。これを徹底してください。

 

まとめ + やる気がなくても努力できる人になるための本

さて、いかがでしたか。

今回述べてきたように、「やる気があるヤツが成功する」というのはかなり怪しいと言わざるをえません。

そうではなく、もっとスマートな「やる気がなくても成功する」方法を採用すれば、もっともっと楽しく、かつやりがいのある努力を続けていくことができます。苦しみに苦しみぬく人生よりも、楽しみに楽しみぬく人生の方が生きがいがあると思うのですが、どうでしょうか。

 

ぜひ一度、今回の記事で述べたことを参考にして「やる気」「努力」「モチベーション」といったものの本質を考えてみてください。

では、グッド・ラック!

 

以下におすすめの本を挙げておきます。

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「ディベートで超論理思考を手に入れる

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「洗脳原論

・「思考停止という病

・「まずは親を超えなさい!

・「すべてを可能にする数学脳のつくり方

・「「生」と「死」の取り扱い説明書

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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