「すぐ極論を言いたがる人」の心理とは?

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

今回は、「極端」というテーマで記事を書きます。

 

あなたの周りに、すぐ「極論だけど~」で片づけようとする人っていませんか?

あるいは、「○○だ! ○○に決まっている!」「これだから○○は・・・」という決めつけの激しい人。

 

きょうは、こういった「極端を好む人」がなぜ出現するのかについて考えていきましょう。

ヒトはなぜ「極端」が好きなのか?

「極論を言いたがる」のはなぜなのか

「極端」という概念のウラにあるのは、二分法的な思考法です。

「善⇔悪」、「男⇔女」、「味方⇔敵」、「有能⇔無能」・・・といった二分法的思考は、広く使われています。

 

この二分法的思考法は、「わかりやすい」「区別しやすい」という点においては優れているのですが、

一方で、「白か黒かという極端に振れやすい」「中間を想定できにくくなる」という欠点があります。

 

たとえば、「善か悪か」という二分法は、「われわれは善で、あいつらは悪だ」という決めつけに直結しますし、

「男か女か」という区別をすることによって、その境界線上にいる人々(たとえば性同一性障害の人など)が疎かにされます。

実際にはその「われわれ」が本当に善なのかはわからないし、「あいつら」がすべて悪かどうかも怪しいものです。

また、「男か女か」という二分法に囚われると、「男はこういう生き方をすべきで、女はこういう生き方をすべきである。男が女みたいなことをしてはいけないし、女が男のようなことをしてはならない」といった理不尽な決めつけが生まれます。

 

このように、二分法的な思考法は、すぐ「極論」に結びつきます。

一切の例外を認めず、単純でわかりやすい構図にしたがる傾向があります。

現実に起こっている事象というのは、たいていそんなに単純ではありません。

複数の要因が複雑に絡み合っていることもありますし、ほとんどの原理には例外が生じます。

 

その複雑なはずの現実を単純な図式に還元してしまうのは、もちろんある程度は必要でしょうが、たいていの場合は「やりすぎ」です。

わかりやすい極論というのは、「わかりやすい」ことだけが取り柄なのです。

現実というものが複雑な事象である以上、単純明快な二分法的極論(極論の「極」というのは、もともと「二つの極」を想定しています。プラスの極とマイナスの極、のように)は現実に即していないことが多いはずです。

 

そもそもなぜ極論を言いたがるのかといえば、

「あまり頭が良くないから」

ではないかと思います。

 

複雑な現実を十分に考え抜くだけの思考力、忍耐力、洞察力を持ち合わせていない人ほど、「極論」に走るように思えます。要は思考放棄であり、思考停止です。考えるのが面倒くさいがゆえに、わかりやすい「極論」に飛びつくのだと私は思います。

そういった「あまり頭の良くない場合」ほど、自分の頭で考えるという習慣に乏しいので、「常識、世間、慣習」といった「自分の頭で考えたものではないけど、みんなに支持されているもの」に頼ろうとします。もちろん「自分で考えたことはすべて正しい」と言うつもりはありませんし、みんなに合わせることが悪いわけではありませんが、自分の頭を働かせるのを面倒くさがると、騙されたり洗脳されやすくなったりするのもまた事実です。彼らこそがいわゆる小泉政権のときの「B層」であり、納豆ダイエットの翌日にスーパーで納豆を買い占める主犯だといえます。

 

では、「極論」の対極は何かと言えば、「中道」ではないでしょうか。

中道とはまさしく「あいだをとる」「双方を考え合わせたうえで答えを出す」というやり方で、西洋哲学ではヘーゲルの「テーゼ⇔アンチテーゼ ⇒ 止揚」に通じます。

要するに、「両方の良いところ悪いところを考えてから、その中間に位置する最善の策を選ぶ」ということになります。

 

この中道という思考法はもともと仏教に出自を持ちます。

たとえば、

「永久にものごとが存在する」という考え方(常見)と、「ものごとは一切存在しない」という考え方(断見)とがありますが、実はそのどちらも真実ではなく、「ものごとは、あるともないとも言える幻のようなものである」と考えます。

 

また、釈迦自身も「苦行」と「快楽主義」を両方とも否定しています。

あくまでも中道を往きなさい、と。

 

このような「中道を選択する」という態度は、「すぐ極論に行きたがる」という態度とは正反対です。

 

中道というのは、考えるものが二つに増えるので、それだけ脳の容量を必要とします。

それに対して、極論というのは、ひとつの視点だけを採ればいいわけですから、頭が強くない人でも容易にできます。

 

世の中に「極論好き」な人がずいぶんと多いのは、そういう理由があってのことなのでしょう。

 

まとめ + 中道を実践したい人のための本

というわけでこれからは、

すぐに「極論だけど~」「これだから○○は~」と言って来る人に会ったら、

「もしかするとこの人は頭の容量が足りないのかもしれないな」

「考えるのが面倒くさいタイプの人なのかな」

と思ってしまって構わないでしょう。

そう判断すべき理由は記事のなかで詳しく述べました。

実際、かなり当たります。

 

話をわかりやすく伝えるための方便として極論を用いるのならまだ理解できますが、

「ちょっと話が難しくなってくるとすぐに極論に頼る」というのはかなり危ういと思います。

その「極論」は、単なる思考放棄になってはいないか。

自他ともに気を付けるようにしましょう。

 

では、グッド・ラック!

 

 

★おまけ 「中道を実践したい人」のためのおすすめ本★

・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み、「ああ、この人は本物だ」と確信しました。この人の本を読むと、どんどん思考の盲点が外れ、とらわれから自由になり、今まで見えなかったものが見えてくるようになります。私がこのブログで言っていることの大半は、この人の理論を応用して考えたものです。仏教にも通暁している人なので、ぜひ読んでみてください。

以下におすすめの本を挙げておきます。

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「ディベートで超論理思考を手に入れる

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「洗脳原論

・「思考停止という病

・「すべてを可能にする数学脳のつくり方

・「「生」と「死」の取り扱い説明書

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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