読書という手段が目的になってしまっている人へ。「ゴール本位の思考」をしよう

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

今回は、「読書」について考えましょう。

「年に〇〇〇〇冊読みます!」「月に〇〇〇冊読みます!」と豪語する人は多いですが、

では実際それだけ読めば本当に頭は良くなるのか?

頭が良いからそれだけ読めるというだけの話ではないのか?

というのが長年の疑問でした。

いうわけで今回は、「読書は手段か目的か」というテーマで考えます。

読書は手段か目的か? ゴール本位の思考をしよう

読書は目的になり得るのか → なる場合と、ならない場合がある

私見ですが、人間が犯す過ちのうちもっとも人気度が高いのは

「いつの間にか手段と目的が逆転している」

ということだと思います。

 

たとえば良く見る例で、

最初は「学年一位になるために勉強する!」だったのが、

勉強の過程で「まとめノートの鬼」や「付箋貼りの神」や「アンダーラインとマーカーの王様」になってしまう。

目的そっちのけで作業に没頭してしまう、という例があります。

これは目的と手段を取り違えた好例です。

(某戦争大好きデブなんかは「手段のためには目的を選ばない」と言ってのけましたが)

 

読書の場合も同じで、

①「読書の目的は何なのか? 手段としての読書をどうやっていくか?」

②「それとも、ただ単に楽しむために・読みたいから読むのか?」

というあたりをきっちりと考えておかないとドツボにはまります。

 

この二つはきちっと分けて考えねばなりません。

なぜなら、①は目的本位の思考であり、②はあえて読書を目的にする思考で、

両者はまったく異なる性質のものだからです。

 

①何かの目的のための手段として読書をする場合

この場合、「目的は何なのか」が大切になります。

 

たとえば私の場合、大きな目的として「理不尽な死のない世界にする」というのを持っています。

理不尽な死というのは私の造語で、「戦争・病気・飢餓・災害・事故・自殺・殺人」を指します。単純に、「自分がこうやって死んだらやだな」「どうせいつか死ぬなら、何もかも悟ってから納得した上で死にたいな」というだけの話です。

 

この「理不尽な死のない世界にするため」という目的を達成するための手段として「読書」があるわけです。

たくさん読書したから自動的にその目的が達せられるというわけではなく、あくまでも「その目的を達成するために読書という手段を利用する」のです。目的が主であり、手段が従です。ここが逆転しやすいので気を付けるようにすべきです。

 

この「理不尽な死のない世界」という目的を達成するためには、たとえば以下のような思考が必要です。

 

「単純に考えて、飢餓で苦しんでいる人の手元にダイレクトに食料が届けばいいじゃないか。途中で盗賊やら汚職政治家やらが介入するからダメというのであれば、正式な政治力を持った人々にガードを付けて現地に食料を配達すればいいのではないか。

そのためにはお金が要るな。お金を稼ぐためには、自分が詳しい〇〇の分野で収入を得るのが早いだろう」

 

「もっとも効率良く世界を変えていくには、世界的に影響力のある日本人の脳みそをまず改造するのが良いんじゃないか。

この国の人はだいたいみんな読み書きできるし、表向きは向上意欲ゼロに見える人でも本当は隠れたやる気がある。そして、世の中のたいていの悪は『バカ』に起因するはずだ。頭が良くないせいで視野が狭まり、目の前にある悪い選択肢に飛びついてしまう。

すると、まずは自分が優れた結果を出すことで説得力の裏付けを得てから、『こうやれば頭が良くなるよ~』というのをわかりやすく提示することが必要だな」

 

「理不尽な死のない世界にするためには英語圏・ヨーロッパとかのエリートたちの手も借りる必要があるよな。

ただ、たしかに言語の壁はあるけど、現時点で英文サイトはけっこう精度高く日本語訳してくれるし、たぶん2020~25年頃には高性能でお手頃な自動翻訳機が出る可能性が高いのではないか。すると、英語を勉強する意味が薄れていくのではないか。

『これからはグローバルな時代だ! 英語だ英語英語英語英語!』っていうけど、それは単なる英語業界の宣伝で、実は英語スキル自体は要らなくなっていくんじゃないか。

いますでに英語が得意であれば別だけど、現時点で英語が得意でない人はむしろ、母国語を使った思考訓練をする方が先決なのではないか。どの国の言語を使っても同じということになれば、まずは自分は日本語による思考訓練をしよう」

 

……といった目的本位の思考をしていくと、

「お金を稼ぐためには、〇〇の分野の本を読みまくるのが先決だな」

「優れた結果を出して実力をアピールするには、こういう本を読めばいいだろう」

「そうか、読書で思考訓練するべきなんだ」

という形で、「読書という手段がどう目的達成のために生きるのか」が見えてきます。

 

以上述べてきたように、「①目的を達する手段としての読書」において重要なのは、「どのように読書すれば目的の達成に近づけるのか」を明確にしておくことです。

 

②完全な趣味として読書をする場合

②は、まあ単なる「贅沢」ですね。

芸術や音楽と一緒で、この世界に生まれてきた記念として読書をする。

一月何冊とか、一日何冊とか言わず、一冊の本をじっくりと味わう。

「目的をもって~」などと無粋なことは言わず、ただこの世界の特産品として読書を楽しむ。

 

それも良いと思います。

精神の栄養補給にもなりますから。

 

②の「趣味としての読書」の場合は、時間も気にせず、ペースも気にせず、ひたすらそっちの世界に「没入して、楽しむ」こと。それだけで十分でしょう。

 

まとめ

読書をする人は、ぜひ一度、

「自分は目的のための読書をしているのか」

それとも

「純粋に楽しむための読書としているのか」

を考えてみましょう。

 

この二つをきっちり分けることで、読書がより一層楽しいものになりますよ。

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