ひょっとすると十年以内に、「英語スキル」は一般人にとって不要になるのでは? その1

      2017/05/12

ひょっとすると十年以内に「英語スキル」は一般人にとって不要になるのでは? その1

空前の英語ブーム

「駅前留学NOVA」に挫折した日本人が次に向かうのは一体どこなのか。

2020年のオリンピックが東京で開催されることを反映してか、空前の「英語ブーム」が続いている。

 

「聞くだけで英語が口からあふれ出す」、「英語は音読だ」、「英語だって言葉なんだ、こんなのやれば誰だってできるようになる」…

 

英語熱を煽りに煽る広告やメディアの影響を受けて、現代日本に生きる人の多くは無意識のうちにこう考えていることだろう。

 

「英語は出来なきゃだめなんだ」

「英語をペラペラしゃべることができる人はかっこいい。能力が高い」

「これからは英語の時代だ」

「グローバルに活躍するためには英語は必須だ」

「日本語だけじゃもう駄目なんだ」

「日本人は先進国のわりに英語が不得意だ」

 

…明治維新で欧米の文化が流入したせいなのか、それとも敗戦とGHQによる占領のせいなのか、

戦後の日本では常に、「英語を巧みに操ることができる人」に対しては尊敬と嫉妬の入り混じったまなざしが向けられてきた。

 

今や、就活や院試を控える学生たちはこぞってTOEICやTOEFLを受験してスコアを競い合う。

2011年春からは、小学校の第5・6学年で年間35単位時間の「外国語活動」が必修化された。

幼稚園児ですらも、教育熱心な両親によってバイリンガル教育を受けさせられる時代である。

 

昨今は、猫も杓子も英語スキルを身につけようとして躍起になっているように思える。

 

「自動翻訳機」の衝撃

しかし、そんな英語ブームを一気にぶち壊すかのようなニュースが飛び込んできた。

 

「言語の壁なくす」――話した言葉を自動翻訳するペンダント型端末、パナソニックが試作 20年までに実用化へ

 

…単純な言葉でいえば、

Panasonicが「自動翻訳機」の開発を急ピッチで進めています。その技術は2020年の東京オリンピックまでに一応の完成をみる予定ですよ。

ということだ。

 

そこで、今回の特集では、この「自動翻訳技術の進歩」というテーマを中心にしながら、

「今後、日本人は本当に英語を必要とするのか?」

を考えていく。

 

もはや自動翻訳技術は、ドラえもんの「翻訳こんにゃく」のような夢物語ではない

自動翻訳技術というものが完成すればきっと、こんなことができるようになるだろう。

 

「日本人の友人とおしゃべりをする感覚で、そのまま外国人と正確にコミュニケーションがとれる」

「英語の文章が勝手に日本語化されて表示される」

「日本語で書いた文章が、勝手に各国語に翻訳される」

 

想像は膨らむ。

これが実現すれば、日本人の生活は一変する。

 

我々はもう、洋書を読むときにわざわざ英和辞典を引かなくても良くなるだろう。

通訳者や英会話学校の教師はほとんど失業してしまうに違いない。

学校から英語という科目が消えて、九割九分の日本人は日本語ですべての用を済ませるようになるだろう。

書店の一角を占領していた「英語の試験対策本」コーナー、そして英会話教材の広告などは跡形もなくなるはずだ。

 

我々は自動翻訳技術を用いて海の向こうの人たちと気軽にコンタクトをとり、会議やブレインストーミングを行い、

彼らと直に対面するときですら「英語が通じなかったらどうしよう」という重圧を一切感じなくなっているだろう。

 

こんな書き方をすると、特に英語畑にかかわりの深い人ほど、

「いや、いくら翻訳技術が進歩しているとはいっても、まだまだ日本人は英語を勉強すべきだよ。英語で異文化を理解することもできるのだし」

「まだまだ機械翻訳の精度は粗いだろう。人間が丁寧に翻訳するという仕事はなくならないはずだ」

と反論をしたくなるだろう。

 

音声認識技術・翻訳技術に注力する理由がある

しかし、Panasonicがペンダント型自動翻訳機を「試作」することに決定したことの意味を考えると、そうも言えなくなってくる。

 

まず、「東京オリンピックまでに実用化を目指す」と大々的に公表したということは、この自動翻訳機を実現させるというプロジェクトに対してPanasonicとしてはかなりの勝算がある、ということになる。少なくとも、現段階で試作機がある程度モノになっているがゆえの自信だろう。

 

現時点でさえ、Google音声検索やSiRiの精度の高さには驚くべきものがある。

私は翻訳技術・音声認識技術に関しては門外漢だが、それでもここ数年の音声聞き取り技術の進歩には、

「いつの間にこんなに進歩していたのだ。もうここまで来ているのか」という気持ちを抱かざるをえない。

 

聞き取りが高精度でできるようになった、ということは、あとはその文章を正確に翻訳できればよいというだけの話だ。

そして後述するように、文章の翻訳技術は現時点でもかなりのレベルにある。

 

さらにいえば、このような「言語の壁を取り払う」事業には、大きなニーズがある。

 

たとえば、GoogleやFacebookは開発途上国のインターネットインフラを積極的に整備している。

米国Googleの会長であるエリック・シュミットは、『第五の権力』(ダイヤモンド社)のなかでこう述べる。

これまでリアルな情報を手に入れる手段をほとんどもたなかった世界中の大多数の人が、たったひと世代のうちに、手のひらに収まる端末を使って、世界中の全情報にアクセスできるようになる。技術イノベーションが今のペースで続けば、2025年には、80億に達すると推定される世界人口のほとんどが、オンラインでつながるだろう。

社会のどんな階層の人たちも、「コネクティビティ」(インターネットへの接続性)をますます手軽に使いこなすようになる。誰もが無線インターネット網に、今の数分の1の料金で、いつでもどこでもアクセスできるようになり、より効率的、生産的、創造的な方法で仕事をするだろう。

彼らは、現在インターネットに「接続」されていない人々をも取り込んで、全世界規模でのネットワークを完成させる目論見だ。

世界がフラット化すると叫ばれて久しいが、まさに「アマゾンの奥地の住人ですら、インターネットを介して全世界にはたらきかけることができる」ようになる。

 

そうなれば、異なる言語を使用する人々の間に「言語的障壁」があることは極めて不都合だろう。

IT業界で広く使われているアメリカ→インド・中国のようなオフショアのルートをさらに開拓したり、異なる言語圏に属する人同士が共同して何かの作業をしたりする際には、言語の壁は単なる障害物でしかない。

 

これは私の推測だが、

「2020年辺りまでに世界の主要言語同士の自動翻訳技術を開発したのち、その技術を応用して、全世界がインターネットに接続される2025年頃までには全世界の言語障壁を取り払う」

という青写真があるのではないだろうか。

 

この推測が的を射たものかどうかはさておき、

「言語の壁を打ち壊せ」という明確なプレッシャーがある以上、

翻訳技術の開発には今後、より一層の資金と労力がつぎ込まれるに違いない。

 

 

現在の技術革新のペースを考えると、英語業界の人々は笑っていられない

一昔前のインターネットでは、「再翻訳シリーズ」が流行った。

これは、インターネット上の無料翻訳サービスを用いて「日本語→〇〇語」といった翻訳を行ったのち、

その〇〇語の文章をもう一度日本語に翻訳しなおす、というものだ。

 

たとえば、昔話の「浦島太郎」を再翻訳すると、こうなってしまう。

背面ストライプのタロイモと命名される空気ダンディズムの好青年がカメを助けて竜宮城へ招待されると、そこは、メデューサのひらめ筋大会。そこでドリームライクな日を過ごし、3日はうっかり過ぎました。プリンセス・オブ・ザ・ドラゴンパレスから、ギフトの秘蔵ボックスを受け取りますが「帽子は持ち上げないでください。」と言われたにもかかわらず、背面ストライプは、秘蔵ボックスを開けてしまうとサルガッソー・イン・ザ・スカイ。毛がジャンキーに拡張した純白高齢者になってしまいました。

 

日本語の原文がまじめなものであったとしても、質の低い翻訳を二度も通すわけだから、再翻訳された結果は原文とはまるで異なった内容になってしまう。

そのギャップを楽しむ、という遊びだ。

 

しかし、最近は以前ほどこのような「再翻訳遊び」が盛んではない。

 

というのも、最近の無料翻訳はかなりレベルが上がっている。

そのため、以前ほど面白い誤訳・珍訳は出なくなってしまっているのだ。

 

Googleが開発したブラウザ「Chrome」の無料翻訳機能を使って英語のニュースサイト(アルジャジーラ)を訳してみると、以下のようになる。

やや細かい点に難はあれど、記事の内容を大づかみにする分にはまったく問題はない。

少なくとも、原文のまま辞書を片手にウンウン唸るよりは、Chromeの翻訳機能にあらかた任せてしまうほうがはるかに効率的に思える。

 

コンピュータの性能が伸びるほど、翻訳技術の完成度は上がっていく

先ほど引用した『第五の権力』には、こんなことも書かれている。

テクノロジー業界の経験則であるムーアの法則によれば、プロセッサチップの処理速度は、24カ月ごとに倍増し続けるという。つまり、2025年のコンピュータは、2013年のコンピュータの64倍速くなっているというわけだ。

もちろんどこかで自然の限界にぶつかることは間違いないだろうが、それでも「コンピュータの性能が指数関数的に向上し続ける」のは確実だろう。

 

さらに、第三次人工知能ブームを後押しするディープラーニングといったAIの学習技術や、

年々積み重なっていくビッグデータからパターンを習得する技術なども役に立つに違いない。

 

こうした状況を加味して考えると、2017年から先の数年間は、

「コンピュータの性能が上がり」

「AIの学習能力・学習効率が向上し」

「翻訳技術への資金注入・労力動員が活発になる」

という条件のもとで自動翻訳技術の開発が進むことになる。

 

ここまで好条件がそろっているのはめずらしい。

 

自動翻訳が実現しない理由がない

…となると、おそらく2020年頃には「自動翻訳技術が民間人にも普及し始める」のではないだろうか。

遅くても2025年頃には、人々は「母国語を話している感覚で、他の言語圏の人と会話する」ようになっているのではと思う。

これよりも早く実現することはあれど、遅くなることはないだろうと感じる。

 

ペンダント型になるのか、アプリ型になるのか、あるいは「ほんやくコンニャク型」になるのかは未知数だが、

私には、「自動翻訳技術が実現しない」と考える方が非現実的であるように思える。

ドラえもんの世界で描かれていることはもはや夢物語ではないのだ。

 

 

次回は、「2020~2025頃には自動翻訳技術が普及している」という前提を立てたうえで、

「日本人にとっての『英語』のあり方は、今後どのように変容していくのか」

「『英語がいらなくなる』という一大ショックに備えて、いまのうちに何をするべきなのか」

を考えていく。

 

後編→「ひょっとすると十年以内に、「英語スキル」は一般人にとって不要になるのでは? その2

 - 栗栖鳥太郎が学んだ・考えたこと