効率が悪い&つまらない「講義形式の授業」は即刻廃止せよ!代わりにやるべきなのは「音読+議論」だ! その2

   

こんにちは、栗栖鳥太郎(@Kuritoritarou)です。

「大学の授業はつまらない」とよく言われます。

受けている人がつまらないからつまらないと感じる訳ではなく、もう純粋につまらない、と。

学問の中身そのものは面白くても、授業はつまらない、と。

 

一部の熱心な先生は面白い・生徒の興味を引き付ける授業をされていますが、

大概の先生方は、

「授業とはつまらない・難しいものである。しかし学生諸君、それについてくるのが君たちに求められる仕事だ」

とでも言いたげな、それはもう眠たくなる講義をされています。

こんなのはおかしいじゃないか! と思ったので、

今回の記事では、

①「講義形式の授業」の代わりになるものを提案

②その方法にはどんなメリットがあるかを紹介

します。

効率が悪い&つまらない「講義形式の授業」は即刻廃止せよ!代わりにやるべきなのは「音読+議論」だ! その2

知識を習得できる速度は圧倒的に「音読>>>授業」だ

「音読」なら「小学校で1000冊・中学校で500冊・高校で500冊・大学で1000冊」を楽しく読めてしまう

音読の一つの長所として、

「音読自体にゲーム的な要素が強いため、楽しい」

という点があります。音読は「口を動かす」「速いスピードで処理する」といった身体的な要素も含んでいるのです。音読であれば、意味がわからなくてもとりあえず進んでいけます。逆に、「教科書のような堅い本を黙読する」というのは、学生にとっては相当な苦行のはずです。

 

たとえば「三時間教科書を黙読しつづける」というのは、たとえ休憩を適宜とったとしても相当ハードだといえます。

しかし、「三時間教科書を音読し続ける」のであれば、慣れてしまえば簡単にできることです。音読はゲーム感覚で続けられるということですから。

 

さらに、「音読していれば、読んだ内容が勝手に頭に入ってくる」わけです。

理解する・しないにかかわらず、一度字面として読み上げたものは、人間の脳に引っかかります。

 

……ということは、音読には

「長時間、楽しみながらやることができる」

「勝手に内容が頭に入ってくる」

という長所がある、という話になりますね。

 

では、「講義形式で教科書をゆっくりと進んでいく」従来の形式と、

「教科書を音読していく」という私がおすすめする方式とでは、

どちらが「知識の習得」に向いているでしょうか?

 

まず、「講義形式」「音読」の進むスピードを比べてみましょう。

 

一科目当たり、講義形式であれば「一学期=100日で一冊」くらいのペースです。

 

しかし、音読なら、教科書くらいの厚さの本は数日~一週間あれば読み切れます。

教科書を一冊当たり300ページとすると、一日三時間音読すれば「100ページ/日」は読めます。

すると、300ページの分厚い教科書が、音読だと三日で一周できてしまうわけです。

仮に、一学期=約100日とすると、音読なら一冊の教科書を30周もできることになります(やるかどうかは別として)。

 

講義形式の場合はだいたい6~7科目程度の教科書をそれぞれ一冊ずつ、というところでしょう。したがって、一学期あたりにこなせる教科書の冊数はだいたい「5冊」ほどです(通年で一冊終わらせる科目もあるので)。これは私の学生時代の実感にも合いますし、よほどの進学校でない限り皆さんの学校でもこのくらいのペースだったはずです。

しかし、音読であれば、一学期あたり「30冊分」は読み切ることができます。もちろん、音読の時間を増やせばもっともっと読み切れるし、音読に慣れるほど読む速度も上がっていきますから、潜在的には「一学期で50冊分読み終える」のも可能です。

 

したがって、音読を一日三時間として、講義形式を一日六時間とすると、だいたい

「講義形式:音読=1:5」

くらいの差になります。講義形式が5冊進む間に、音読では30冊進むのですから。

さらに、時間当たりの学習総量でいえば、講義形式の方が時間が二倍かかるわけで、効率の差はもっと開きます。

 

最終的には、

「講義形式:一日三時間の音読=1:10」

くらいの差になります。

 

そう、「音読」は、従来の講義形式よりも10倍の速度で学習を進めていくことができる学習法なのです!

これは決して誇張でもでまかせでもハッタリでもなく、「普通に考えればこうなる」という話です。

 

さらにさらに、小学校から大学までの6+3+3+4=16年間でこなすテキストの冊数で比較してみると、もっと差が歴然とします。

講義形式だと、平均すると一年間で15冊程度の教科書が終わります。

ですから、15冊*16年間=240冊 というのが講義形式の読書量ですね。

 

それに対して、音読だと、一年間で100冊分は読破できます。一日100ページ、二~三日で一冊読破ですから。

したがって、ずっと音読形式で育ってきた子どもは、100*16=1600冊 を高等教育修了までに読み終えることになります。

もちろんこれは「平均的な子ども」を想定したもので、音読が好きな子であれば「小学校で1000冊・中学校で500冊・高校で500冊・大学で1000冊=計3000冊」は音読破できるでしょう。本当に読書好きの子であれば、音読に加えて黙読もしますから、さらに読書量は増えます。

 

講義形式と音読教育。

240冊と1600冊。

その差はあまりにも大きいですね。

 

だいたい「1000冊読めば本を一冊書ける」と言われますから、音読教育で育ってきた子どもたちは、大学終了時にはすでに本を出版できるレベルの知識量が身に付いているのです。音読で文章力・国語力・思考力も向上していますし、音読する本のチョイスに自主性があるので知識の吸収効率も良い。頭の回転も速いし、弁も立ちます。

このくらいの読書量・知識量・地頭の良さを持つ人ならば、野垂れ死にすることもないでしょう。

 

私が「音読教育が普及すれば日本は良くなる」といつも言っているのは、決して絵空事ではないのです。

頭の良い人が増えれば増えるほど、政府や権力に上手な対処のできる人が増えます→政治の健全化。

頭の良い人が増えれば増えるほど、健康に気を遣う人・利他的に振る舞う人が増えます→医療費削減・社会のモラル向上。

頭の良い人が増えれば増えるほど、外国のエリートたちと対等or互角以上に交渉できる人が増えます→日本という国が不利益を被ることが減る。

 

国民の頭の良さとはそのまま、いわゆる「国力」につながるのです。

 

もちろん、日本人全員が頭が良くなる必要はありません。優生思想とは違います。

頭が良くなりたい人だけが良くなればいい。人間は基本的に「良くなりたい」という向上心を持っている生物なので、方法さえ開示してやれば、かなり多くの人が頭を良くしようとするはずです。

 

ちょっとひねくれた言い方をすると、「頭の悪さ」を許容するのは多様性の確保にもつながります。

頭が良い人が100%の社会だとかえって不都合が生じるかもしれませんから、適応力を担保するためにある程度は「頭が良くなりたくない人」を許容することが必須です。

 

話が逸れましたが、とにかく「講義形式にくらべて、音読は10倍のペースで学習が進む」のです。講義形式なら200冊前後のところを、音読だと2000冊前後こなすことになります。

 

さらに、音読にはほかにも「講義形式の授業では絶対に得ることのできないメリット」もあります。

次の項で解説しましょう。

 

音読なら、「地頭を鍛えつつ、知識も身に付く」という一石二鳥。授業では地頭を鍛えられないし、知識が入る速度も遅い

私がこのブログで何度かお伝えしているように、

ふつうの授業=学校の授業・予備校の授業・大学の授業 を、

まじめに受ける=先生の話をノートにまとめる・板書をノートに写す・みんなと一緒に教科書を読んでいく

 

という「ふつうの生徒」をやっている限り、あなたの地頭は伸びません。

「地頭なんて伸びなくていいもん。一生この古いOSで我慢するもん」

というのであれば個人の勝手ですが、

あなたの頭が良くならないことで損をするのは結局あなたですし、

あなたの頭が良くならないことで社会的にもマイナスの影響があるかもしれません。

 

よく「中途半端に頭が良くなるくらいなら愚鈍な方がマシだ」みたいなことを言う人もいますが、愚鈍な人は搾取される運命にあります。社会の多様性という意味では愚鈍な人がいてもいいのでしょうが、あまりにも頭を使わない人が増えると政治や医療といった公共の機能が麻痺する可能性があります。少なくとも「頭を良くしようとする姿勢は持ってほしい」と思います。自分のためにも、社会のためにも。

 

さて、先の項では音読で教科書を読んでいく方がスムーズだという話をしました。

スムーズさという点においても音読は優れているのですが、

実は、講義形式の代わりに音読を採用することには、あと二つばかりメリットがあります。

それは、

①「音読は脳の機能そのものを引き上げる」

②「音読の教材をうまく選べば、知識習得も同時にできる」

という点です。

 

①「音読は脳の機能そのものを引き上げる」というのは、要するに、

音読すればするほど・音読を続ければ続けるほど、あなたの地頭(=思考力・国語力・頭の回転・発想力など)がどんどんレベルアップしていきますよ、ということです。

音読以外の勉強法では、なかなか地頭は伸びません。いくら黙読しても、いくら記憶術を練習しても、いくら参考書にアンダーラインを引く速度が上がっても、地頭そのものを鍛えることはできないのです。

地頭が伸びるというのは、音読という勉強法のいちばん素晴らしいところでもあります。

 

②知識習得も同時にできる というのは、文字通りです。

たとえばちょっと前に『声に出して読みたい日本語』という本が大ヒットしたことがありました。

あの本は、平家物語などの日本の名作をアンソロジー形式で綴じ込んだものです。

 

そんな感じで、音読の対象をうまく選んでやることによって、知識習得の効率がバリバリ上がります。

たとえば……

世界史について詳しくなりたい人は、世界史の入門書5冊と、わりと専門的な本を10冊くらい、三カ月かけて音読する

文章を書くのがうまくなりたい人は、自分が好きな作家の全集を買ってきて、それを片っ端から音読していく。暗誦してしまう

という感じです。

 

これを教育現場に応用すれば、たとえば……

国語の時間は、生徒が気に入った作家の本をずっと音読する

必修科目にプラスして、現代社会を生き抜くのに必須な知識である「お金・IT・法律」といった分野の本をたくさん音読してもらう

ということもできます。

生徒の興味に合わせて教材を選ぶこともできますし、先生が「これだけは知っておかないと将来困る」というものをおすすめすることもできます。音読には、こういう柔軟性もあるのです。

 

ちなみに、「講義形式」の起源は、19世紀のイギリスです。

19世紀のイギリスといえば、ちょうど産業革命の時期。

工場で働く労働者を効率よく養成するための装置として、いわゆる「学校」と「講義形式」は生み出されました。もともと、「上司の言うことを正確にこなし、時間を守り、長い時間安定したパフォーマンスを発揮できる人間」を育てるための装置として開発されたのです。

「一斉教授」を特色とするこの授業方式は、ベル・ランカスター方式とも呼ばれます。

 

講義形式というのは、そもそもの目的が「目上の人に逆らわない指示待ち人間」を量産するためのものです。現代の先生方は、意外とこれを忘れているのではないでしょうか。

「最近の生徒は自主性がなくなってきた」と言っている人は、まさにそこを忘れています。

講義形式という方式を採用している限り、自主性のある生徒なんてまず育ちません。なんせ、講義を聞くという行為そのものが自主性をスポイルする原因なのですから。講義を聞かないというのは反抗であり、不良というレッテルを貼られる格好の口実です。自主性のある生徒ほど授業を聞かないのは当然なのです。

 

まとめ

今回お伝えした「講義形式の授業よりも音読を優先すべき理由」は、以下の三つです。

1.音読は、講義形式の10倍の学習効率である。講義形式の授業では小学校~大学の16年間で200冊前後の読書量だが、音読教育であれば16年間で2000冊前後は読み切ることができる

2.音読することによって、「思考力・想像力・知識量・頭の回転の速さ・コミュニケーション能力」といった地頭が鍛えられる。地頭を鍛えるのは、講義形式だと無理

3.音読の教材をうまく選べば、地頭を鍛えながら、知識習得も同時にすることができて、一石二鳥

もちろん、「講義形式でないとできないこと」も存在します。

最先端の研究者のナマの話を聞けるとか、めちゃくちゃ雑談がおもしろいとか、

そういった講義形式特有のメリットももちろんあります。

 

私が言いたいのは、

「講義形式じゃなくてもできることを、わざわざ講義形式でやる必要はないよね。今の日本の教育はそれをやってしまっているから、効率が悪いし、つまらないし、生徒も先生も苦しくなっているんだよ」

ということです。

 

少なくとも、学校の教科書レベルのことをわざわざ授業でやる意味はありません。書店に行けばいくらでもわかりやすい本・本格的な本が置いてあります。それを選んで読んだ方がよほど有意義に時間を使えます。

「子どもは授業で強制しないと勉強できない」というのは乱暴な決め付けであり、子どもを甘く見ています。「やらされてやる」と「やりたいことをやる」のでは、幸福度も、習熟のペースもまるで違います。

 

子どもになにかを強制するというのは、大人としての責任を果たしているように見えますが、実際にそうとは限りません。子どもになにかを強制したところで、不利益・利益を担うのは結局子ども本人であって大人ではないからです。人間は、他人の責任をとることはできません。とることができるように錯覚しているだけです。

強制したことがプラスに出る場合も確かにあるのですが、強制したことによって子どもが何かしらの不利益を被ることもあります。親の行為が子どもに与える影響は非常に大きいのです。軽々しく扱うべきではありません。できるだけ最善の判断を積み重ね続ける必要があります。

 

次回(その3)は、「音読」にプラスして「議論」をやることのメリットをお伝えします。

 

以上、栗栖鳥太郎(@Kuritoritarou)がお送りしました。

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