日本の学校の「個性を尊重」は真っ赤なウソだ!

   

こんにちは、栗栖鳥太郎(@Kuritoritarou)です。

今回は、日本の学校教育のおかしい点を指摘します。指摘だけで、改革案はここには書きません。

日本の学校では「個性を尊重する教育」が目標として重視されています。

少なくとも、「同じ性質の生徒をたくさん育てる」と言っているところはひとつもないはずですね。

しかし、個性を尊重とは言いながらも、その実態は正反対の「奴隷養成機関」なのです。

日本の学校の「個性を尊重」は真っ赤なウソだ!

日本の学校は「個性を尊重していては成り立たない」構造になっている

「個性を尊重する」は建前です

「生徒の個性を尊重した教育」

「自律・努力・創造」

「自主性のある人材を育てる」

・・・学校教育の現場では、耳障りのいい言葉が飛び交います。

特に最近聞かれるのが、「生徒の個性を尊重する」という言い回し。

国際的に個人主義が浸透してきている以上、個性を重視する風潮が育つのは当然です。

 

しかし、実際に学校の授業現場に身を置いてみればわかります。

現代日本の学校教育は、「なんじゃこりゃ、共産主義か? それとも全体主義国家か?」と言いたくなるようなものです。

同じ制服を身にまとい(官給の国民服か?)、髪型は厳しく規制され、

「廊下は走ってはいけない」「高校生はバイト禁止」といったよく意味の分からない校則が幅を利かせ、

生徒が教師に反論することは許されず、皆で同じ行動をとり、無機質な狭い教室のなかに押し込められて無断外出は許されず(刑務所か?)、

ガタガタの机と椅子があり、飛び級はできず(懲役6+3+3=12年の刑と何が違うのか?)、

いつも同じ面々と暮らす(隣組か?)。黒板の上に誰かの肖像画が置いてあっても違和感がないくらいです。

 

こんな状況ですから、日本の学生として平穏無事にやっていくために求められるのは

「一定の枠内に収まる人材であること」

これしかありません。

 

一定の枠内に収まるというのは、

・「目上・格上」とされる人々の話に素直に従う。決して疑わない

・ある教科が極端に不得意であることは許されない

・見た目や能力が平均値以上であること

・会議・講義・集会という退屈な行事のときに自分を押し殺してひたすら礼儀正しくふるまうこと

といったものです。

 

これでは個性もクソもあったもんではないでしょう。

学校が育てているのは「従順な奴隷」であり、「気が利く奴隷」であり、「指示通りに動く優秀な労働者」です。

そんな場所に6+3+3(+4)年間も押し込められ続ければ、ほとんどの人は洗脳されてしまいます。

 

教師の意識に関わらず、学校で育つのは「指示通りの作業を効率よくこなせる奴隷」である

もちろん、教師の意識としては微塵も「文句を言わない奴隷を育てている」とは思っていないでしょう。

「学校でこういうことを学んでおかないと社会で苦労する」

「生徒は人間として未熟だから、社会に出る前にわれわれ大人が常識を教える義務がある」

「学校できちんとふるまえないやつを社会に出すのは恥ずかしいし、本人のためにならないことだ」

くらいに思っているはずです。

 

しかし実際はどうなっているでしょうか?

 

「自己主張できない若者」が大量生産されています。文句を言わない奴隷のオンパレードです。

ひたすらレールから外れない安定した人生を希求し、レールから外れたとたんに絶望する人材。

学校教育で主体性を奪われたせいで「指示待ち族」になる人間。

 

学校教育がそもそも「個性を奪う」という方向性で行われているのですから、若者の自主性なんて、なくなって当然です。

自主性がなくなるということはつまり、誰かの意のままになるということでもあります。

学校教育で生徒の自主性が奪われるということは、将来的には「ほかのみんながそうしているから」といって独裁者の誕生を手助けするような群衆が育つということになりかねません。

今でこそ「なんで当時のドイツ国民はヒトラーなんかを応援したんだ」と思えますが、

当時のドイツにいる人からしてみれば「みんなが応援しているし、自分も応援しよう」という空気があったのでしょう。

 

教育がダメな国は衰退します。

なぜなら、国というのは結局そこにいる人々の地力によって支えられているから。

人々があまりにもバカだと社会が破たんします。

現行の日本の学校教育=「表向きは個性を重視すると言っておきながら、裏では全力で主体性を潰しに行く」教育がこのまま続く限り、

日本社会はどんどん悪いほうへ悪いほうへと進んでいくことになるでしょう。

 

まとめ

確かに、「子どもはまだ知識もないし、視野も狭い」というのは本当のことです。

しかし、「だから大人が責任を持って知識や常識をだな・・・」というのはウソです。

 

大人は責任を取れません。

子どもがどんな犯罪者に育とうと、「大人が責任をかぶる」というのは無理です。

責任をかぶった気にはなれるかもしれませんが、実際には何の解決にもなりません。

 

不平等なことに、子供の側から見れば、「大人が教育の責任を取ることはできない」のに、「大人の教育しだいで人生が大きく左右される」のです。

大人から子供への教育は一方通行です。子供が大人を教育することはありませんから。

もちろん大人の側に悪意があるのは教育として論外ですが、善意のつもりで子供の主体性を奪っているケースも多いものです。

 

教育で大切だと私が思うのは、

「子どもが徹底的に自分のやりたいことを主体的に追及できるような仕組みをつくること」

「その結果として社会に大きな貢献ができる人材になること」

です。

現在の日本の教育はこれの真逆を行っているので、今後の活動の中でこの現状をひっくり返したいと思います。

 

以上、栗栖鳥太郎(@Kuritoritarou)がお送りしました。

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