「頭が良い奴は性格も良い」のはなぜなのか?

   

こんにちは、栗栖鳥太郎(@Kuritoritarou)です。

私は常々「人々の頭が良くなれば、世の中の大抵の問題は解決する」と言っています。

しかし、そう言うと決まって出てくる反論が

「頭が良いだけの人間は冷たい!人間性に欠ける!」とか

「頭の良いはずの官僚たちは人々から搾取しているじゃないか!」というものです。

そこで今回は、自説の補強のために

「頭がいい人ほど性格が良くなる理由」をお伝えします。

「頭が良い人ほど性格も良くなる」のはなぜなのか?

頭が良い人ほど「利他的」にふるまう

頭の良さ・性格の良さとは

議論の前に、前提をはっきりさせておきましょう。

私が言うところの「頭が良い」とは、「地頭が良い」ということを指します。地頭とは、「バランスよく能力が発達していること」を指します。「バランスが良く」というのは、H・ガードナーという偉い人が提唱したような、「複数の知能がどれもある程度のレベルにあること」を指します。コミュ力、数学・論理的思考力、国語力、メタ認知能力など。漠然とした定義かもしれませんが、「バランスがとれている=極端にならない」のが肝心です。

 

また、「性格が良い」とは、「利他的にふるまう度合いが比較的高い」ことを指します。

その人の本性は関係ありません。

本性が良かろうが悪かろうが、表向きの行動さえ一緒であれば、周りの人にとっては同じことです。

 

ですから「頭が良い奴は性格が良いのはなぜか、の理由を述べる」というのは、

「地頭の良い奴ほど利他的にふるまう度合いが強いのはなぜなのか、を説明する」ということです。

 

理由① 頭の良い人は有能→自尊心が確保できるから余裕がある→自分のこと以外にも気を配れる

まず単純に考えて、「地頭が良い=有能である」といえます。ほぼ同義反復ですが、少なくとも「地頭が良いほど、日常生活において良い思いをすることが多い」のは確かでしょう。

恋愛も勉強もコミュニケーションも部活もすべて、「地頭が良い人ほどうまくやれる」のですから。

そうすると、地頭の良い人ほど成功体験が多くなるはずです。小学校から中学校、高校、大学、社会人になってからも、成功しやすいのは圧倒的に「地頭がいい人」。

 

成功体験に恵まれているということは、自尊心が育ちやすいということでもあります。逆に失敗体験が多くなると「自分はダメな人間だ」というセルフイメージが強化されていきます。

「自分はうまくいって当然だ」と思うのか、

「どうせ自分なんか何をやってもあいつらには敵わないんだ」と思うのか。

このセルフイメージの違いが、積もり積もって大きな差になるのは明らかです。

 

「うまくいって当然」と思っている人は、自尊心が十分に満たされています。周囲からも尊重されますし、社会のなかで自分はうまくやっていけるという手応えがあるので、何をやるにしても自信をもって事に当たることができるのです。ですから、こういう人は自己中になることが少ないし、周りをしっかりと見て動けます。

対照的に、「どうせ自分なんか」と思っている人は、人間としての基本的な欲求である「承認欲求」が満たされていないといえます。すると、自分の存在意義が不安定になり、周りを見る余裕がなくなります。実存の危機というやつです。自己中になりやすい、と言ってもよいかもしれません。

 

早い話が、

「地頭が良い→成功体験に恵まれる→有能とみなされ尊重される→自尊心が上がる→周りを見る余裕がある→気配りができるので性格がよく見える」

「地頭が悪い→失敗体験が積み重なる→無能扱いされる→自尊心が下がる→周りに配慮する余裕がなくなる→気が利かない・気配りができないので性格が悪く見える」

というのが、「頭が良い奴は性格が良い」説が成り立つひとつの要因となっているのです。

 

理由② 頭が良い人は「人間関係をうまく続かせることのメリット」をよく知っているから、性格が良く見える

「金持ちは気前良くお金を使う」という通説があります。お金を気前良くばらまいたり使ったりすることによって、(あからさまな言い方をすれば)周囲に恩を売っておき、ヘタに恨みを買ったり妬まれたりするリスクを軽減するということです。

 

お金がある人ほど嫉妬の対象になりやすいのは自明のことです(特に日本では)から、お金持ちはお金を気前良く使うことによってリスクヘッジをしておくのです。

逆に、ケチケチすることにより恨まれてしまうと、悪い噂を流されたり、最悪の場合には殺されたりするリスクがあります。お金を持ってるヤツは悪いことをしているに違いないから天誅じゃ、と。

この「リスクヘッジ」と「利他的にふるまうことが巡りめぐって自分の利益になる」という二点は、

「頭が良い奴は性格が良い」説にもそのまま適用できます。

 

いろいろな得失を考慮すると、「性格が悪いやつだと思われる」のはリスクが高いのです。たとえば、新しい人間関係を構築しようとするときに「アイツ良い奴じゃないよ」という風評は邪魔になります。人からの好意を受ける機会も減るでしょう。悪口や陰口を叩かれるのは気持ち良いことではありません。

逆に、「アイツはめちゃくちゃ良い奴だよ」と周囲に思ってもらえれば、様々なメリットを享受できます。何をするにも応援してもらえますし、余計な邪魔が入ることも減ります。人間関係でストレスを感じることもありませんし、他人から好意を受ける機会も増えるでしょう。彼氏彼女ができやすくなり、勉強もはかどり、スポーツでも有利です。

 

人間は社会的な動物ですから、悟りでも開かない限り社会的な評価を気にせざるを得ません。

「社会的にうまくやること」と

「反社会的にふるまうこと」とでは雲泥の差です。

地頭の良い人ほど自分の利害を上手にコントロールします。そのうえ、たとえ一時的に自分に不利益があるとしても利他的にふるまうことが割りの良い投資だということをわかっています。

地頭の悪い人は目先の自分の利益しか見えていないため、遅かれ早かれ「あの人は自分のことしか考えていない。性格に難がある」という評価をされることになります。

 

その人がほんとうに性格がいいか悪いかはべつにして、

「性格が悪いと周囲に思われることのデメリット」と「あの人は利他的な人だと思われるメリット」を比べてみれば、

たいていの場合は、

「多少自分の短期的利益が減っても利他的にふるまっておくと、性格が良いと思われやすくなるので結局は大きなリターンを得る公算が大きい。だからわざわざ性格が悪いと思われるようなことをする意味はないよね」

という結論に行き着くのです。

 

ついでにいえばもちろん、周囲の人間からしてみれば、その人の本性がどうであろうとたいした違いはありません。計算された善意だろうが善人の善行だろうが、その人の行動自体は同じだからです。

 

理由③ 正のスパイラルがうまく回っているため、性格が良くなっていく

①でも触れましたが、基本的に地頭の良い人は

「地頭が良い→成功体験に恵まれる→有能とみなされ尊重される→自尊心が上がる→周りを見る余裕がある→気配りができるので性格がよく見える」(→そしてさらなる成功体験へ)

のような正のスパイラルに恵まれています。

 

不平等な真実ですが、

「イケメンほど経済的に成功しやすい」

「貧困家庭の出であるほど貧乏になりやすい」

といった数々の傾向(傾向ですから例外もあります)は、すべてこの「正のスパイラル」「負のスパイラル」でどんどん強化されていくことが多いのです。

 

したがって、「地頭が良い」「イケメン」「性格が良い」「経済的に有利」「スポーツが得意」「モテる」「勉強ができる」「コミュ力がある」「人生の幸福度が高い」「長生きする」といった要素の間には大なり小なり相関関係が出てきます。そして相関関係のもとになっているのは、正のスパイラルなのです。

逆向きのスパイラルは見るも無惨なものです。「地頭が悪い」「不細工」「性格が悪い」「経済的に不利」「スポーツが不得意」「モテない」「勉強がうまくいかない」「コミュ障」「人生の幸福度が低い」「早死にする」といった要素の集合体ですから。これらの間にもおそらく相関関係があるはずです(学術的調査は難しいですが)。

ちなみに、個人的に面白いと思ったのが、負のスパイラルのほうが2ちゃんねるで話題にされる頻度が高いようだ、ということです。現実の自分にマイナスのイメージを持っていて自尊心が満たされていないからこそ、匿名集団で「不幸自慢」とか「成功者の悪口を言う」とか「自分より下の人を見つけて叩く」というガス抜きを行う必要があるのかもしれません。「リア充爆発しろ」「イチローアンチ」「反韓嫌中」などは最たる例でしょう。

 

もちろん、「頭が良い奴は性格が良い」というのは、そうあってほしいという願望的思考ではありませんし、すぐに例が思い付くものほど頻繁に起こっているよう錯覚するというヒューリスティックな勘違いでもないと思います。

 

理由④ そもそも「頭が良くなる環境」と「性格が良くなる環境」との相関関係が強い

理由の四つ目は、「氏か育ちか」の「育ち」に関するものです。

つまり、「頭が良くなりやすい環境」(=育ち)と、「性格が良くなりやすい環境」(=育ち)はだいたい共通しているんじゃないか、という発想です。

 

最近よく見かける「育ちが良いヤツ」「育ちが悪いヤツ」みたいな議論ですね。

これは、「人が生まれ育った環境からその人自身の性質を判断できる」という決定論的な前提があって言われていることです。

 

実際、どの程度性格や頭脳が「育ち」に影響されるのかというと、かなり大きい部分が左右されるようです(過去が未来を決めるという思考法を採用する限りは、の話ですが)。

環境と遺伝の相互作用によって頭の良さ・性格の良さの大部分は決まってしまう(幼少期は特にそれが顕著)ということは、本人の「性格・地頭」と、本人の「生育環境=育ち + 遺伝」にかなり強い相関があるということになります。

 

「頭が良くなりやすい環境」はほとんど「性格が良くなりやすい環境」とイコールなのでは? と考えられるのです。

 

これは、実際「どういう教育をされれば性格が悪くなるか」を考えてみればわかりやすいでしょう。

・常に抑圧される

・親の言うことは絶対であり、子どもに拒否権はなく、反抗すれば徹底的に服従させられる

・親の言うことが二転三転する

・嫌味を言われたり、能力を否定されたりする

・がんばっても認めてもらえない

…このあたりの条件がそろった環境で育てばかなり高確率で「性格が悪い子ども」になるはずです。

 

そして容易に納得できることですが、これらの条件はみなそのまま、子どもの自尊心・やる気・思考力・自主性・コミュニケーション能力を削ぎ落とす教育法になっています。

つまり、「性格が悪くなりやすい環境」にいると、頭も悪くなりやすい。

 

「性格が悪くなりやすい環境」と「頭が悪くなりやすい環境」がこれほど一致しているということは、

やはり「性格が良くなりやすい環境」と「頭が良くなりやすい環境」もほとんど一致していると考えられます。

 

ただまあ、

性格が良くなりやすい環境/性格が悪くなりやすい環境

頭が良くなりやすい環境/頭が悪くなりやすい環境

というのはいずれも、本人の意志ではどうにもし難いことです。

子どもが自分で自分の環境を変えるというのは至難の業でしょう。

 

まとめ

非常に救いのない話ですが、「頭が良い奴は性格も良い」というのはかなり真実を突いている、といえそうです。逆もおそらくかなりの部分が「真」でしょう。

 

まとめると、「頭良い奴は性格良い説」について私が考えたのは、以下のような説明です。

「頭が良い奴は性格が良い」傾向があるように思われるのは、今回述べた四つの理由による。

 

・理由① 頭の良い人は有能→自尊心が確保できるから余裕がある→自分のこと以外にも気を配れる
・理由② 頭が良い人は「人間関係をうまく続かせることのメリット」をよく知っているから、性格が良く見える

・理由③ 頭が良い人ほど正のスパイラルがうまく回っているため、性格が良くなっていく

・理由④ そもそも「頭が良くなる環境」と「性格が良くなる環境」との相関関係が強い

 

もちろん例外も存在するが、「正のスパイラル」が存在すると考えられる以上、「頭が良い奴は性格も良い」という傾向があるのは否定できない。逆に「頭が悪い奴は性格が悪い」というのもまた傾向としては正しい。理由は上の四つをそのまま逆にしたものによる。

 

最近よく見かける「育ちが悪いから~」「両親から悪い遺伝子を~」みたいな話題は、おそらく「努力が報われるとは限らない」ことが皆の共通了解となったからこそ盛んになっている。努力という後天的な要素でどうにもならないなら、先天的なもの(遺伝・環境=育ち・遺伝子の良し悪し)を自慢し合うほかないはず。だからこそ「育ちが悪い奴の特徴」「育ちが良い奴の特徴」みたいなスレを見て一喜一憂するのでしょう。

 

ただし、繰り返しますが、この説明はあくまでも決定論的な思考法を採る場合のみ成立することです。時間の流れが「未来から過去へ」であることを理解すれば、このような決定論とはオサラバできます。

なぜなら、時間が未来→現在→過去へと流れていくということは、過去の出来事はどんどん遠くに流れ去っていくからです。過去の育ちが悪かったとしても、それは過去のことですからどんどん現在からは離れていきます。あらゆる過去は、現在とはどんどん無関係になっていくのです。ちなみに「過去が未来を決める」というのは哲学的に(もっといえば量子力学で)否定されていることでもあります。

さらにいえば、「未来に最高の状態でいる自分」を想定するとき、過去のどんな出来事・環境・遺伝(さらには後天的な努力が無駄になったことさえ)も「あれがあったからこそ」という形で正当化できるため、そもそも過去にこだわること自体が無駄なことになるのです。たとえ現在は年収150万円くらいの人でも、将来に大人物となれば今度は「あの苦境があったからこそ~」という話になります。

 

今回の記事では興味を引くためにわざと「過去が未来を決定するという立場」に立って考えましたが、

本当に私が言いたいのは「でも、そんなに過去とか育ちとか遺伝にこだわることって、結局、実利上なんの意味もないよね。過去にこだわるのってなんの得もないから、少しずつでもいいからやめりゃいいじゃん」ということです。

 

今回の記事を読んで「そうか、やっぱり自分は駄目なやつだ」と思うのか、

それとも「なんだ、一般的にはこう思われてるけど、実際はそうじゃないんだ」

と思うのかは各人の裁量によりますが、たぶん後者のほうが主体的だと思います。

 

なんだ、「残酷な現実」みたいな書き方してたけど、本当はそうでもないんじゃん。

時間は未来から過去に向かって流れるなら、過去なんてどうでもいいんじゃん。

今までは育ちとか環境とか親の遺伝子とかにとらわれてたんだな、少しずつ脱却していこう。

そう思ってくだされば、この記事を書いた意味があります。

ぜひ、ちょっとした思考法として頭の片隅に置いてみてください。

 

以上、栗栖鳥太郎(@Kuritoritarou)がお送りしました。

 

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