「科学的に証明されている」の意外な落とし穴。ハッキリ言って「科学万能主義」はヤバい!

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

私はよく本を読むのですが、

「○○ということは科学的に証明されている」とか

「科学的に考えて、○○である」といった言い回しをよく目にします。

もちろん「まっとうな科学的態度=真理のみを純粋に探求しようとする人々」もいるのですが、

その一方では「『科学的に』と言っておけば説得力が得やすいから」くらいに考えている不届き者もいるようです。

今回は、そんな「科学」の裏と表について考えてみましょう。

「科学的に証明されている」の意外な落とし穴。ハッキリ言って「科学万能主義」はヤバい!

「科学は有能だが、信用には足りぬ」

科学は、「純粋な真理探究」を動機とする

「科学のテーマは、真理を探究することである」と私は考えています。

役に立つかどうか・政治的に使えるかどうかといったことはひとまず置いておいて、

真理というものが存在するのかどうかも置いといて、

「どういうメカニズムで世界は動いているのか」というのを探る。

 

それが神のためであれ人類の進歩のためであれ、

「この世界を成り立たせているシステムを明らかにする」ことを目指す。

この「真理への純粋な態度を保持する人」を科学者と呼ぶわけです。

 

科学を盲信することは、常識に洗脳されることと同じ思考停止

ですからもちろん、

「科学者が言っている。だから正しいのだろう」

という論理は成り立ちません。

 

たしかに科学者は、態度としては「真理を追究する」ことを目的としていることが多いのですが、

①科学者は、その時代の科学の常識に立脚してモノを考えているケースが大半である

②「科学界ではないところ」からの圧力がかけられるケースがある

③「科学的手法」そのものの持つ限界性

という事情を考えてみれば、

「科学者が言っている」=「だから正しいのだ!」

と無条件に信じることのばかばかしさもわかるはずです。

 

以下、これらの①~③の事情について順に見ていきます。

 

①科学の常識がひっくり返されることなんていくらでもある

科学では、「仮説を立てて、事実を観察し・データをとって、仮説を証明する」という手続きが欠かせません。これに加えて、「既に科学的手続きの下で証明されたものを事実とみなして、新たな仮説を考えていく」ことも欠かせないのです。

 

つまり、科学では事実をコツコツと積み上げ、仮説を考えていくわけですね。

ですから、あまりにも論理が飛躍しているものは、それは科学界から「トンデモだ」という批判を受けることになります。事実が積み上がってないのにあたかも科学的に証明されているように見せかけるのが「トンデモ」なのです。

 

……ただし、トンデモ扱いされている側からすれば「科学がノロマなだけ」とも言えます。

現在科学界からトンデモとされていることが、本当は真実を突いていることもありますから。

 

科学は事実をコツコツと積み上げるという意味で「鈍足」であり、

(トンデモ)「理論」や「思索」との追いかけっこには絶対に勝てない。

「釈迦の考えていることが現代の量子力学に通じていた!」というのはその極端な例です。

 

さて、科学の性質からすると以下のことが疑問になります。

1.現時点の科学が事実とみなしていること=科学的常識は、本当に妥当なのか?

2.科学が「事実→仮説の積み重ね」であるなら、「仮説を証明するために事実を捻じ曲げる人」が出てくるんじゃないか?

 

1.科学的常識は覆ることがある

①については、「ガリレオが生きていた頃には天動説が科学の常識だった」ことがわかりやすいでしょう。現在正しいとみなされている常識が覆されることなんていくらでもあります。パラダイムシフトっていう概念もありますしね。

 

現に、科学哲学者のカール・ポパーは科学をこう定義しています。

「反証可能性(=間違いだ! と反論できる可能性)が残っているものが科学である」。

これによって、トンデモ理論や疑似科学、あるいは宗教が科学とはみなせない、という線引きが(一応)できます。「神がそう定めているんだからそうに決まっている!」と言い張られたら反証もクソもありませんから。

 

科学というのは「修正されること」と不可分なのです。「常識は覆る」ことを心しておきましょう。

昭和の野球界では常識だった「水を飲むな」が平成になって否定されたように、

「常識だから正しいのだ!」というのはまさに「常識なんだからそうに決まっている!」と言うのと同じ。常識って宗教と大して変わらないよな、と私が思うのもそのせいです。

 

2.仮説ありきの事実収集がされることがある

とくに心理学で問題とされている「追試しても同じ結果が得られない=再現性の問題」です。

 

本来、科学的な態度としては「仮説に反する実験結果が得られたら、仮説を修正する」のが妥当なはずなんですが、逆に「仮説に反する実験結果が得られたら、実験結果のほうを捻じ曲げてしまう」人がいるのです。

 

どうやるかといえば、例えば「実験のサンプル数nを増加させる」とか「選択肢を恣意的に偏向させる」とか、いろいろやりようはあります。そういった実験結果の意図的コントロールをやっておけば、実験結果としてはたしかにその通りになります。

でも、その実験結果には「ほかの科学者が同じように実験して(追試)、同じような結果が得られる=再現性」がありません。

 

心理学では、「老人に関連する単語を提示された人の歩く速度が老人に近くなった」という有名なプライミング効果を証明した実験が「追試しても同じ結果が出ないんだけど・・・」と問題になったり、

「学会誌に提出された論文のうち何割かが追試しても同じ結果にならない」という論文が出されたりして、いろいろと大騒動になったみたいです。

 

仮説への愛しさあまりに、事実をねじまげる科学者の存在。

やはり「科学だから信用できる」はおかしいのです。

 

 

②科学が政治的に悪用されることがしばしばある

 

これはまあ、3.11で嫌というほど実感された方も多いでしょう。

たとえ肩書に「東大教授」とある人であっても、無条件で信頼するのはおかしいということです。

「御用学者」という言葉も出ましたし、政府と学者に利害関係があるんじゃないかとも言われました。

 

科学の成果物を権力が悪用したり(例えば原爆や人種差別政策)、

権力が人民を洗脳する手段として科学を使ったり(例えば原発神話)。

科学そのものに悪意はないとしても、科学を道具として悪用したい人もいるのです。

 

科学を盲信するという態度をやめない限り、「科学と権力が癒着していたときに洗脳されてしまうリスク」を回避することは難しいでしょう。

 

③科学が提供するのは「科学界で妥当と認められた一定の条件のもとで得られたデータ」であって、そのデータはいかようにも解釈できる

「科学的な手法のもとで採られたデータをどう解釈するか」も問題です。

 

たとえば、「スマホをいじる時間と学力の関係」については科学的にデータが出ています。

下の図を見ればわかるように、たしかに「スマホをいじる時間が長い子どもほど平均正答率が低い傾向がある」という相関関係があります。

勉強しても台無しに!? 「スマホと学力低下の因果関係」が最新研究で明らかに より)

このデータが「科学的に正しいもの」である、としましょう。

 

では、このデータをどう解釈すべきでしょうか?

このデータからどんなことが言えるでしょうか?

1.記事のタイトル通り、「スマホをいじるから学力が低下する」という因果関係を認める。

2.実験で測られた「学力」の定義そのものが「スマホを使っていると育つ能力」とミスマッチしているのかもしれない。たとえば、ネットの記事の要点を素早くつかみ取る能力を「学力」とするなら、「学力」はスマホを長時間使っている人の方が優れているだろう。つまり、「学力」の定義そのものが間違っている。これからの時代に役に立つ学力はむしろスマホで養われる。

3.スマホをいじる→学力が低下する のではなく、学力が低下するからスマホをいじるようになる。勉強がつまらないから、スマホでヒマつぶししている。

パッと思いついたのだけでも、以上の三通りのことが言えます。

これらのどの解釈が正しいのか? を明らかにするには、また実験データを集める必要があります(もちろん、その実験データの解釈にも揺れがあるのですが)

データはデータとして、それをどう解釈するかは自由なのです。

 

ですから少なくとも、データだけを見て

「スマホをいじれば頭が悪くなる!! 脳科学的に証明されている!!」

と断じるのは明らかな早とちり。

 

「科学的に証明されている」という文言を鵜呑みにしちゃいけないよ、ということですね。

 

まとめ:メタ的な視点(=抽象度を上げた視点)をとれる人がいなければ、科学は悪用される

科学を盲信する人の中には、「脳科学的に~」とか「科学的に~」という枕詞にコロッとやられる人が多いみたいです。

 

逆に、科学を否定する人の中にも「科学は信用できない! だから私は自然のままに生きる!」と言いながらトンデモ理論か新興宗教の教祖か詐欺師に傾倒する人もいます。

 

要は、「○○を絶対視する」のは良くないよ、ということですね。

「科学を絶対視する」のも良くないし、「宗教を絶対視する」のも良くない。

絶対視するというのは、「中道」の反対です。

 

科学が進歩したとはいっても、それを使う人間の方は大して進歩していません。

依然として核兵器はたくさんあるし、戦争もなくなっていない。

現在の人類の知恵というのは、その程度のものです。

 

科学を盲信すると、科学にとらわれることになります。

「コーヒーを飲めば頭が良くなることが脳科学的に証明された」かと思えば、

今度は「コーヒーが脳に悪影響を与えることが脳科学的に証明される」のです。

そのたびにコーヒーを飲んだりやめたりするのはばかばかしいとしか言えません。

 

科学のみならず、「○○を盲信する」のは、もうやめにしましょう。

 

以上、栗栖鳥太郎がお送りしました。

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