「学びたいものを学ぶ」と「勉強したくないけど必要だから学ぶ」の越えられない差

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

今回は、「やりたいことをやればいいじゃんシリーズ」の最新作となります。

「学びたいものを学ぶ」と「勉強したくないけど必要だから学ぶ」の越えられない差

勉強は基本的に「want toのみ」で通すべき。いかに「have to」を減らせるかで勉強の成果がまるで変わる

「学びたいものを存分に学ぶ」

「学びたいものを存分に学ぶ」

「自分が追究したいものに徹底的に没頭する」

「やりたいことを死ぬほどやる」

…どれも、その道の成功者であればやっていることです。

 

「ぶっ倒れるくらい研究や練習に熱中する」エネルギーを供給してくれるのは、

あなたが本当に「これは自分にとってまぎれもなくwant toである」と感じるものだけです。

「want to」つまり「心からやりたいこと」に没頭する。

変な例ですが、ギャンブル中毒やスマホ中毒やゲーム中毒もある意味では「want to」です。

want toでなければ、自分の生活が破綻するレベルまではのめり込めません。途中でやめてしまいます。

 

そういえば前回の記事で紹介した苫米地氏・小山裕史氏には、こんなエピソードがあります。

・苫米地氏:大学院時代、一日24時間のうち睡眠時間4時間以外のすべての時間(つまりほぼ20時間)を読書に充てていた

・小山氏:自らが打ち立てた「初動負荷理論」の検証作業に没頭するあまり、睡眠不足が重なり、食事もろくに摂れず、ついにぶっ倒れる。医者からは「普通の人だったらとっくに死んでいますよ!」と止められたが、動作改善を求めてやってくる人々には関係ないということでそのまま現場に出続けた

両氏とも、完全に「自分のやりたいことの追究」のためにこのレベルのことをやっていたと思われます。

決して「20時間勉強しなさい」と言われたわけではないし、ぶっ倒れるまで研究しろと言われたわけでもありません。あまりにも自分のやりたいことに熱中しすぎた結果なのでしょう。

 

<番外編>

・ボディービルダーの北村克己氏(マッスル北村氏):コンテストに向けての減量が肉体の限界を超え、筋肉隆々の身体のまま「餓死」してしまった

・ワタミの渡辺社長:社員向けに配った小冊子に「24時間死ぬまで働け」と書いた

 

「成功者の共通項」としてよく「一万時間の法則」が引き合いに出されますが、一万時間というのはあくまでも、やりたいことを徹底的にやり込んでいたらいつの間にかそのレベルの練習量になっていた――という話であって、

はじめから「よし、一万時間やればうまくなるらしい。だから毎日10時間を三年間やろう」と計画を立てるのは本末転倒なのです。

 

あくまでも、意識としては「これだ!! と思った、自分のやりたいことをやる」だけ。

努力の人であるとか、一万時間の法則とか、そんなものは結果として言われるだけのことです。

 

「勉強したくないけど必要だから学ぶ」は不合理

一方で、「have to」=やらねばならぬ勉強 はどうでしょうか?

 

一番わかりやすいのが、受験勉強を頑張って大学に合格したはいいが燃え尽きてしまった人。

彼らの勉強は、見事なまでに「have to」です。

彼らが勉強する動機は、すべて外部から与えられたものになっています。

・親から「○○さんちの××くんは◇◇大学に合格したらしいわよ。すごいわねえ」「いま勉強しておかないと、将来困るよ」といった刷り込み

・メディアによる「高学歴・高収入=勝ち組」「低学歴・低収入=負け組」という刷り込み

・先生方による「できるやつ=勝ち組」「できないやつ=負け組」的な刷り込み

・同級生たちの「センター試験○○点とったすごい人が知り合いにいる」「おれこないだの試験○○点だった。おまえは?」のような言動

・塾や予備校の「今年は○○大学に××名合格!!合格した彼らはすごい!!素晴らしい!!」

 

 

参考までに申せば、「have to」のことをやらせるのにいちばん手っ取り早いのは「競争」と「ご褒美」です。

上記の洗脳系の刷り込みに加えて、

・同級生たちにテストの点で負けたくないという「競争原理」

・良い大学に入って、良い所(官僚や外資など)に就職すれば、ほかの人たちよりも社会的・経済的に優位に立てるという「ご褒美」

をプラスしてやれば、外部から与えられた(⇔自分の内的な「やりたい」を大事にする)動機としてはかなり強固になります。

もちろん、これを応用すれば、自分がどうしてもやらなければならないことが出てきたら「競争とご褒美」を使って気持ちを奮い立たせることも可能です。

 

ただ問題なのは、「have to」は結局、外部から与えられた動機に過ぎないということです。

親に「これがいいよ」と刷り込まれ、メディアに「これがいいんだよ」と刷り込まれ、

友人たちの価値観に反発することもできず、社会の常識とやらに呑まれていく……。

人間が本来持っているはずの主体性はどこへ行ったのでしょう?

 

私が「現代日本人は洗脳されている」とさんざん指摘するのも、それが一因です。

「レールの上を走る人生はいやだ」と感じる人がいるのも当然でしょう。

現代日本で一般的に言われる「理想の生活」はすべて、勝手に作り上げられた幻想なのです。

 

話を戻すと、「燃え尽きる」というのは「have to」の特権です。

そもそも、本当にやりたいことをやっているのであれば「燃え尽きる」なんてありえませんし、

「○○大学絶対合格!」なんて張り紙をして気合を入れる必要性もないのです。

 

生活のほとんどが「want to」であれば、これほど楽しいことはないでしょう。

しかも「want to」なら効率の良い努力ができるので、経済的にも有利になって当然なのです。

 

「学校の授業」の欠点もわかる

余談ですが、現代日本の「学校」でやっているほとんどの活動はことごとく「have to」です。

 

もしあなたが学校の授業をサボったとしたら、どうなりますか?

創作モノでよくあるように、屋上に逃げて日向ぼっこでもしているとしましょう。

 

おそらく、先生が血相を変えて飛んでくるはずです。

家に連絡が行って、親御さんからもこっぴどく説教されることでしょう。

「素行不良」の烙印も押されるはずです。

 

まるでアレルギー反応でも起こしたように、学校の先生はヒステリックに反応します。

なぜでしょうか?

たかが一人の生徒が授業を欠席してどこかに行っただけのことです。別に誘拐されたわけでも何でもなく。

 

「映画がつまらないから映画館を出る」と「授業がつまらないから教室を出る」はいったい何が異なるのでしょうか? 学校において個人の自由を制限しているものの正体は一体なんでしょうか?

 

それこそが、

「学校の授業はまじめに受けなければならない」

「先生に反抗するのは不良であるから何としても先生に服従するように指導せねばならない」

「不登校は悪いことである」といった暗黙の前提、

つまり「社会の常識」です。

 

われわれ日本人を縛っているのは、この「常識」なのです。

思考停止した人が困ったときに使うのが「常識だろ!」という魔法の合言葉であることからもわかります。日本人はもう体中常識まみれです。

 

「これは常識だから従え!」は一見正しい態度のように思えます。

しかし、「常識=みんなが正しいと思っていることだから正しい、正しいものには従うべきだ」という論理にはある重大な欠点があります。

それは、もしもその「常識」が操作可能だった場合、常識に従うことが習性になっている人は簡単にコントロールされてしまうということ。最近「ワイドショーをコントロールすれば主婦層はコロッと意見を変える」といった趣旨のことを言った政治家がいましたが、まさにその通り。人間の常識なんていくらでも書き換えることができます。たとえば、「ユダヤ人=悪」のように。

 

常識に無条件に従う人々はさながら、集団で崖から落ちて死ぬレミングの群れのようです。

その常識が正しい方向へ向いているものなのかどうかを自分で考える頭を持たず、

「みんながこっちに行くから」と流れに身をまかせ、そのまま崖から落ちる。

落ちるついでに、「常識に従わない人々」をも道連れにしようとするスレイヤー属性。

なんと性質の悪いことでしょうか。

 

「常識に縛られない人」になるには、「自分だけのwant to」を一刻も早く見つけることです。

自分のwant toに没頭しているうちに、だんだん脱常識されてきます。

社会によって刷り込まれた「見せかけのwant to」に騙されてはいけません。

 

「自分のやりたいことを徹底的にやること」こそが、常識に足をとられずに充実した人生を送るためのカギなのです。

 

まとめ:「やりたいことをやるだと? 学問をなめるな!」と言いたくなった人へ

なぜか、「やりたいことをやる=悪、甘え、世の中をなめている」という図式を持っている人がいます。

特に現時点でご自身が「やりたくもないことをやってイライラしている」人ほどその傾向が顕著な気がします。

have toに縛られている人からすれば、want toで自由闊達に動き回る人がうらやましいのでしょう。

 

しかし、ちょっと考えてみればわかることで、

「自分が本当にやりたいことをやる」スタイルを採用しない限り、

ある道を究めるだけの努力量も積み重ねられないし、

効率よく&集中力高く知識や技術を習得することもできないのです。

要は、want toをやっていれば成功しやすく、have toだとかなり苦しくなる。

 

ということは、むしろ「have toの道で生きていこうとする」ことのほうが世の中をなめているのです。

want toよりも圧倒的に低い効率でコトに臨もうとしているのですから。

want toという文明の利器が使えるのに、わざわざ火打ち石を使うことはないでしょう。

 

私は、これからの時代、生産性の低い人・創造性の低い人はどんどん淘汰されていってしまうと予測しています。言うまでもなくwant toが生産性・創造性の高い筆頭で、逆にhave toはどちらも落第点となります。

 

生活の中からできるだけhave toを減らす努力をしましょう。

want toをやっているときのほうが幸せで楽しいはずです。

わざわざ不幸になりに行く意味はありません。

もっと気兼ねなくwant toをやりまくっていいのです。

 

今のところこの国の憲法も「公共の利益に反しないかぎりの個人の自由」は認めてくれています。

憲法という「常識会の大物」のお墨付きです。もっとwant toをやりましょう。

 

以上、栗栖鳥太郎がお送りしました。

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