「常識マウンティング」今すぐやめよう!! #MacBookおじさん を叩くのは「常識マウンティング」以外の何モノでもない

   

「MacBookおじさん運動」に乗る人・叩く人・それを見て楽しむ人

いまツイッターで一大ムーブメントを引き起こしている「#MacBookおじさん」をご存知でしょうか。

MacBookおじさん.comの紹介文によれば、MacBookおじさんとは「才能ある若者の前に現れて、 MacBookを渡すおじさん達」。

 

また、CaptainJack氏のブログ記事「今話題の「MacBookおじさん」まとめ!ブロガーの節税・話題性・後進の育成すべてを叶える神企画です」から抜粋すると、

プロブロガーの間で、やる気も能力も将来性もあるけど若くてお金がないブロガーやクリエイターに対し、MacBookをプレゼントする「MacBookおじさん」が大流行しています。

イケハヤさんを皮切りにMacBookおじさんの数はどんどん増え続け、その数なんと23名!(2017年7月27日 21:45時点)

 

この「MacBookおじさん運動」は間違いなく、贈る側にとっても贈られる側にとってもメリットの大きい運動・・・のはずなんですが、

哀しいかな、当然のように、「それを叩く人」もさながらネットイナゴのように大量発生しています。

現代日本の息苦しさ・生きづらさの一端が垣間見える気がします。

 

いじめ問題のたびに教育評論家が湧き、政治でスキャンダルがあるたびに政治評論家が湧くように、

MacBookおじさんという運動が有名になり始めたのと機を同じくして「それは違うだろ」と断言する人が出る。

「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」という多様性を詠った短歌がありますが、これを今回の騒動用に改変すると

「MacBook タダでやる人 もらう人 それをひたすら叩く人」でしょうか。

 

今回は、MacBookおじさん運動を批判する彼らの「言い分」と「生態」と「非合理性」を指摘します。

 

自覚ないのがヤバイ。ゆがんだ正義感で他者を支配しようとする人たち

一応、彼らの言い分を聞いておきましょう。

代表的な「MacBookおじさん批判」はだいたい以下の通り。

15万くらい自分でどうにかして調達しろよ。そのくらいのお金を稼げないヤツが大成できるわけないだろ。

MacBookおじさんに寄生しようとするヤツなんて、どうせ大したことないに決まっている。

とか、

MacBookおじさんにむらがる奴らって、自分がMacも買えない雑魚だってアピールしているようなもの。

本当に優秀な若者なら、学生ローンでもクレジットカードでも使ってMacBookを購入してるはずだ。

MacBookくらい自分で買え。

とか、

本当にやる気がある若者なら、自分の武器であるPCやネット環境にはもうすでに投資してるはずだ。

MacBookおじさん運動はクレクレ君ホイホイにしかなってない。おれの大切なMacをあげてたまるか。

など。

 

こうしてみると、彼らは一見、「今回の状況を冷静に客観的に引いてみている自分」を演出できているように思えます。

「本当に優秀な若者はそうしないだろう」「今回の運動は○○でしかない」という、クールな目線で静観できているように見えます。

 

・・・しかし、実際に彼らがやっているのは

「自分のなかにある常識を振りかざしてマウンティングしている」

という愚行にすぎません(なぜ「愚」なのかは後ほど)。

 

自分の中にある「常識」、あるいは自分の周囲でのみ共有されている「常識」をタテにして、

他者を批判し、威圧し、見下し、屈服させようとする。

これこそが現代日本で蔓延している「常識マウンティング」です(私が勝手に名付けました)。

 

今回の「常識マウンティング」とは、

「優秀な若者とはこういうあるべきだ! お前はその基準を満たしていないから雑魚だ!」

「やる気があるなら借金してでも買うべきだ!」

といったもの。

こうした「その人のなかにある常識」にもとづいて、他の人にその常識を押し付けようとする。

その常識に従わない人を見下し、マウンティングする。

でも、自分がマウントされる側に回りたくはないから、自分は安全地帯からモノを言う。

 

一見「良識ある賢明な市民」の面を被っていますが、彼らの真の目的は、

「常識の力を借りて他人を屈服させようとすること」であり、

「他人を屈服させることにより、自分の満たされない自尊心を満足させること」です。

こんな感じ

 

今回のMacBookおじさん運動を批判している人は、ブラック居酒屋あたりの店長みたいなもんです。

実際、差し替えてみても違和感がありません。

「優秀な若者とはこういうあるべきだ! お前はその基準を満たしていないから雑魚だ!」

「やる気があるなら借金してでも買うべきだ! お前はやる気のある若者なんだろ!?」

「優秀な店員とはこうあるべきだ! お前はその基準を満たしていないからグズだ!」

「ノルマの未達成分があるなら借金してでも自腹で買い取るべきだ! お前はやる気のある店員なんだろ!?」

そして、その常識マウンティングで意のままにならない相手に対しては、お得意の捨て台詞である

「そんなんじゃ社会で通用しないぞ」

「常識を知らないヤツだな」

「ここで逃げたら一生変われないぞ」

とわめき散らす。怒鳴る。絡む。ネチネチ嫌味を言う。クソリプを送る。

常識マウンティングは、やめようね!

実にたちが悪い、としか言えません。

しかもこういう常識マウンティングが得意な人は、「自分は正義を遂行しているのだ」みたいな変な正義感を持ってます。

その人の中では「常識=正義」であり、「常識に従わない人=悪、叩くべき対象」なのです。

こういった常識マウンティングは確かに気持ちいいのですが、ぶっちゃけ「自尊心が満たされた気になる」以外の効果は特にありません。

 

なぜ「常識マウンティング」がバカらしいのか? を解説する

「常識」はとても頼れるように思えるが、実はまったくスッカスカのポンコツ

「常識」って、じつはそんなに頼れるものじゃないんです。

常識というものを切れ味鋭い伝家の宝刀だと勘違いしている人も多いんですが、

実際、「常識」というのは単に思考停止のこ

 

とを指しているに過ぎません。なまくらなんです。

(→参考になりそうな記事:「うわっ…私の常識、もろすぎ…? 「常識に頼る」と裏切られるし結局めちゃくちゃ損しますよ」

 

「常識」がなぜ、頼りにならないポンコツだと言えるのか?

 

わかりやすくするために、京野トピオ氏の記事「マウンティングするおっさんに会った話」から抜粋。

「なんでわざわざケンカを売るんですか?」

と聞いてみた。すると、

「西の人間というのはそういうもんや」

「やくざの世界や」

と言っていました。いきがりたいのでしょうかね。

「常識マウンティングする人」はこのように、やけに自信満々にモノを言います。

 

・・・しかしその割に、その「常識」って本当に頼れるモノなんですか? と突っ込んで聞くと、

「常識は常識だ」「そういうものなんだ」「○○はこうあるべきなんだ」

といった思考停止ワードを連発したり(→参考になりそうな記事:「洗脳され、思考停止した人」が好んで使う5つの言葉」)、

あるいは「やくざの世界や」などと抽象的な単語を使って逃げる。

彼らがよりどころにしている「常識」とは、その程度のものなんです。

なるべく常識に頼らずに生きている人であれば、突っ込んだ質問をしてもきちんとした整合性のある答えを返せるはずです。

 

極端な話、「それは常識だから」と思考停止して逃げる人は、

・中世だったら「魔女は存在する。魔女は始末すべきだ」と魔女狩りに加わりまくる

・ナチス政権下だったら「ユダヤ人=悪」という常識を疑わないでユダヤ人を迫害しまくる

・戦時中の日本だったら「日本には無限の精神力があるから勝てる」と確信している

でしょう。

 

「自分の頭を使って考えずに、常識に頼って思考停止し、常識マウンティングしまくる人」というのは、

社会全体の利益でみれば害悪でしかないのです。彼らが創造的な成果を生み出すことはまずありません。

もちろん、彼らの意識としては「自分は絶対的に正しいことをやっている」なので、自覚はありません。

 

・・・参考までに、「この世に絶対に正しいものなんてものは絶対存在しない」というのは、

ゲーデルというえらい数学者が証明済みです(→wiki:ゲーデルの不完全性定理)。

常識が絶対に正しい、常識に従ってモノを評価する自分は絶対に正しい――と思い込むことの愚かさは数学的にも証明されているのですね。

 

「常識に縛られて、新しい運動を批判する人」は、絶対に先行者利益を得られない

この記事の最初のほうで私は、

MacBookおじさんという運動が有名になり始めたのと機を同じくして「それは違うだろ」と断言する人が出る。

と言いましたが、「常識」に頼りっきりになるリスクはまさにここにあります。

 

つまり、

「常識にもとづいた判断をしている限り、絶対にファーストペンギンになることはできない」

「常識にもとづいてモノを考えることしかできない人は、常識の外に出ることができない」

のです。

要は、「常識に縛られるのをやめない限り、あなたは新しいものを生み出せませんよ」ということです。

 

ファーストペンギンとは、みんなが躊躇している中でいちばん最初に海に飛び込むペンギンのこと。

一番最初に飛び込むわけですから、海中で待ち構えているかもしれないアザラシやシャチの獲物になってしまうリスクもあるのですが、

逆に、まだほかのペンギンがいないので思う存分好きなだけ魚を食べることができるという先行者利益もあるのです。

これを人間社会にも当てはめて「リスクをとった人だけが先行者利益を享受できる」という意味で、ファーストペンギンと呼んでいます。

インベスターZより

 

しかし、「常識に縛られて安全地帯から出ようとしない人」は、この先行者利益を得ることはできません。

リスクをとらないとリターンはない。このトレードオフ関係は自然界のみならず人間界でも不変の原則です。

 

常識にもとづいて新しい動き=ファーストペンギンをあざ笑っている限り、自分がファーストペンギンになることはできない。

みんなが飛び込み始めたころになって、彼らのお得意の思考回路である「みんながやるから自分もやる」が作動する。

MacBookおじさんという新しい動きが出てきた。とりあえず常識にしたがって批判しよう!

おっ、みんながやり始めたぞ。どうやらMacBookをもらった人がかなりいるらしい。

よし、それなら自分もやってみよう! みんながやっているから自分もやるのだ。

 

常識マウンティング勢「おじさーん!MacBookくださーい!」

おじさん「もう無いよ」

~完~

新しいムーブメントというのは旧来の常識の外に出ているからこそ「新しい」と言われるんですから、

旧来の常識をもとにして考えれば、そりゃあ批判のタネはいくらでも見つかります。

 

「みんながやっている」という常識ができてからでないと行動しない。

これでは、ペンギンというよりはチキンです。

「常識マウンティング」をしている限り、先行者利益を享受することなんてどだい無理な話なのです。

 

そもそも、MacBookあげようがもらおうが個人の自由だよね?

私は根っからの「自由主義者」です。

「個人の行為は、それによって起こるすべての結果について自分が責任を負う限り、まったくの自由である」

というスタンスです。愚行をする権利だってある。高校野球の連帯責任とか、みんながやるから自分もやるとか、全くのナンセンス。

 

だから、「MacBookを若者にプレゼントする」のも個人の自由だし、

「おじさんにお願いしてMacBookをもらう」のも個人の自由だと考えています。

もちろん、今回の記事で非合理的だと指摘している「MacBookおじさん運動を叩く人」だって、それは個人の自由です。

「MacBookおじさん運動を叩く人を批判する」のも、私にクソリプを贈るのも、個人の自由。ブロックするのも同様。

 

そもそも、現実的に考えて「個人の自由を奪うこと」ってどだい無理なんですよ。

今回の場合、どれだけ常識マウンティングされようとも、

「みんなはそう言うけど、おれはMacBookあげるもんね。個人の自由でしょ」

「なんか批判されてるけど、ぼくMacBookほしいもんね。個人の自由でしょ」

でおしまいですから。基本的にはどんな炎上騒ぎでも同じことが成り立ちます。どう反応するかは完全に個人の自由。

 

自由主義を批判したところで、「でもおれはそう思わないよ。個人の自由でしょ」でバッサリ斬られておしまいです。

常識マウンティングしている人たちは、この「個人の自由という論理の強さ」に勝てるのでしょうか?

自由主義というのは論理としては相当強力なものです。常識主義者が自由主義者を論理で組み伏せるのは難しいでしょう。

 

「建設的な批判」と「常識マウンティング」をごっちゃにするな!

最後に、予想される「じゃあ、あらゆる批判はすべてバカらしいというのか? 常識にもとづいた批判は無価値なのか?」という反論に対する先手を打っておきます。

私は別に「すべての批判はバカらしい」と言っているわけではありません。

 

批判には二種類あると私は考えています。

感情と常識にもとづいた「常識マウンティング」と、理性と論理にもとづいた「建設的な批判」です。

前者はもうさんざん説明しました。後者はどんなものでしょうか。

 

後者の「建設的な批判」とは、たとえば「学会に提出された論文に対して論理的に突っ込みを入れること」です。

この「建設的な批判」がなければ、論理を適当に組み上げていったもん勝ちになってしまいます。

「常識だから正しい」といった論理的に破綻しているトンデモな物言いをはじき出すために「建設的な批判」は必要なのです。

 

当然ですが、建設的な批判においては、人格攻撃や罵詈雑言はタブーです。あくまでも論理のみにもとづいて冷徹に査読します。

感情的になって「MacBookをもらう人・あげる人はバカ!くれくれ君を集めているだけ!」と常識マウンティングするのとは大違いです。

 

もちろんこの記事でも極力そういうスタンスをとっています。

感情的に批判しても何にもならないので、論理論理で攻めていく。

「傷付いた自尊心を満たすために、他人に対して常識マウンティングをする」よりもよほど生産的です。

 

まとめ:それでもあなたは常識マウンティングを続けますか

今回の記事を読んで「自分がどのくらい常識に縛られているのか」を考えてみるのはあなたの自由ですし、

引き続きあらゆる運動を叩き回っていただくのも、それは本人の自由です。

私は干渉しません。

 

MacBookがほしいならお願いすればいいし、ほしくないならしなければいい。

常識マウンティングをするのも、常識マウンティングしないのも、完全に個人の自由です。

 

この記事を読んで「常識マウンティングってなんのメリットもないんだな」と思われたのであれば、

即刻常識マウンティングをやめていただくのが賢明ではないかな、とは思います。

そこは、あなたの自由にお任せしましょう。

(ついでにいえば、ツイッターやフェイスブックなどで共有してくださるのも個人の自由です・・・)

 

以上、栗栖鳥太郎(@Kuritoritarou)がお送りしました。

ではまた。

 

 - ネットの民の心理学, 脱洗脳