日本の野球を世界一にするためには「勉強」が絶対必要だ! 「野球」と「ゲシュタルト」と「知識量」の話

   

日本の野球を世界一にするためには「勉強」が絶対必要だ! 「野球」と「ゲシュタルト」と「知識量」の話

知識偏重主義は誤りだが、そもそもモノを考えるうえで知識量は前提条件になる

ゲシュタルトとは、「全体像をつかむ」ということ

これは私個人の好みの問題なのですが、

「端から端までミクロな分析を積み重ねていけばすべてがわかる」

という考え方はあまり好きではありません。

 

なぜなら、それは「ゲシュタルト」を無視しているから。

 

私は野球について語るとき、この「ゲシュタルト」をとても重視します。

私なりの表現ですが、野球界には、「野球についてのゲシュタルトを構築できている人」があまりにも少ないように思うのです。

 

いま、ゲシュタルトという耳慣れない言葉に「???」マークが浮かんでいる人が大半でしょうから、ここで「ゲシュタルト」という概念について解説しておきます。

 

ゲシュタルトと聞いてまず真っ先に思い浮かぶものといえば、「ゲシュタルト崩壊」。

 

たとえば、「呪」という字をじいっと見つめていると……

そのうち「アレ、この文字ってこんな形だったっけ……?」とか、

「何だ、四角形が横にふたつ並んでいて、右側の四角形の下に曲線が二本くっついているだけじゃないか。なんで自分はこんな図形を見ただけで、その意味が『恨みのある人に悪い事が起こるように祈る=のろう』だなんてわかるんだろう……?」と思い始めます。

それまで大づかみに把握できていたものが、崩壊する。これが「ゲシュタルト崩壊」です。

 

「呪」は、分解してみれば、たかだか「四角形二つと曲線二本」に過ぎません。

なんで人間は、こんな単純な構造の文字を「呪う」という意味だと理解できるのでしょうか?

さながら、1+1=2のはずなのに、1+1=7くらいになっているような違和感があります。

 

このような「単なる部分の寄せ集め以上の意味を持つ」というのが、「ゲシュタルト」という言葉の一つの意味です。

 

ゲシュタルトに関する例、もう一つご紹介しましょう。

という画像を目にしたとき、よほど語学力に乏しい人でない限り、「THE CAT」と読むはずです。

しかし、よく見てください。

左の「H」と、右の「A」とは、実はまったく同じ形をしています。

取り出してみればわかりますが、どちらも本当は「H」です。

 

それなのに、なぜ「一番目のHはそのままHと読み、二番目のHはAと読み替えた」のでしょうか?

 

実は、われわれの認知システムには、「足りないところ・おかしいところを自動的に推測して補う能力」が組み込まれているのです。

 

人間の脳には、「英語だし、たぶんこの単語の並びはTHE CATだろう。THE CHTは見たことないけど、THE CATなら見たことがあるぞ。やっぱり二個目のHは、Aなんだろう」と判断し、「H」を「A」に読み替える能力があるのです。

つまり、全体像を先に把握しておいて、その全体像をもとにして推測をおこなう。この「全体像をもとにして、足りないところを勝手に推測して補う能力」のことを、「ゲシュタルト能力」と呼びます。

先ほどの「呪」という字にみたようなゲシュタルト崩壊というのは、その「全体像がぶっ壊れた」という意味で、「崩壊」なのです。

普段は意識していないかもしれませんが、我々の認知を支えているのはこの「ゲシュタルト能力」です。

 

話が込み入ってきたので、ここらでいっぺん整理しましょう。

ゲシュタルトとは:「単なる寄せ集め以上の意味」を見出すこと。つまり、「個々のパーツをすべて足し合わせた以上の意味」を持つこと。たとえば、「呪」という文字は、分解してみれば四角形二つと曲線二本に過ぎないのに、「のろい」という意味であると把握できる。大切なのは「全体像として把握できる」というポイント。

ゲシュタルト能力とは:全体をおおづかみにする能力。また、知らない部分について推測する能力。一を聞いて十を知る。

もっとわかりやすくするために、例を出しておきましょう。

 

「数学についてのゲシュタルトを構築できている」
→数学に関することならば、自分が直接知っていることでなくても、だいたいのところを推測して答えることができる。

「数学についてのゲシュタルトを構築できていない」
→数学についての質問をされても答えることができない。推測して答えることもできない。

「お医者さんのゲシュタルト能力」
→患者の症状の訴えを断片的に聞いただけで、「ああ、きっとこの人は体のなかの○○が悪いんだな」と瞬時に推測することができる。

…こういったものが、ゲシュタルト能力です。だいたい理解できたでしょうか?

要は、「全体像が把握できているかどうか」の話になります。

 

ゲシュタルト構築の前提は、「圧倒的な知識量」のほかにない!

実はこの「ある分野についてのゲシュタルト」は、意識的に身に付けることができます。

どうすればいいかといえば、方法はたった一つ。

「その分野に関する圧倒的な知識量を獲得する」、これだけです。

 

具体的には、

知識を圧倒的な量インプットする → 知識量が一定のラインを超える → ある時突然、「わかったぞ!!」という感じで、知識の総和以上の高度な理解が得られる=その分野についてのゲシュタルトが構築される

というものです。

 

ゲシュタルト構築の具体例を見てみましょう。

 

池上彰氏(多分)が言っていたことですが、学問の世界で言われることとして
「ある専門分野について説明するとき、上手い順に並べると『教授>>>学部生>>>大学院生』になる」
のだとか。

単純な経験年数からいえば学部生よりも大学院生のほうがキャリアが長いのですから、「教授>>>大学院生>>>学部生」になるんじゃないかと推測したいところですが、実際はそうならないんだ、と。

 

なぜなら、その専門分野について本格的に学び始めた大学院生のゲシュタルトが、いったん崩壊してしまうからです。ゲシュタルトが崩壊するということは、その分野についての質問をされても答えられない・説明がうまくできない、ということ。だから、大学院生は学部生よりも説明がヘタになるのだ、と。

学部生の場合はかえって、浅い理解でも大丈夫だから、ゲシュタルトは壊れないのです。ゲシュタルトが壊れないので、説明させるとわりとすらすら説明する。教授から見ると穴だらけの説明ですが、本人はわかったつもりで得意満面に説明します。

しかし、その学部生が大学院生になると、教授は情け容赦なく突っ込みを入れていきます。当然、本人のこれまでの理解は木っ端みじんに打ち砕かれます。ゲシュタルト崩壊です。

 

そして、いったんそれまでのゲシュタルトを崩壊させて、長時間の学習によって圧倒的な知識を詰め込んでいく。論文を読みまくり、辞書を引きまくり、教授や同級生と繰り返し議論し、学会でコテンパンにやられていくうちに、だんだん知識量が増えていきます。

 

そういう生活を送っていくうちに、ある時突然「わかった!!」という瞬間が訪れます。

圧倒的な知識量が積み重なった結果、その「知識の寄せ集めの総和」よりも高次の理解ができる瞬間が来る。

これこそ、「ゲシュタルトが再構築された」瞬間です。

一度この境地に達しさえすれば、あとはその専門分野に関することならばだいたい何でも説明できるようになります。

 

……つまり、ゲシュタルトを構築するには何よりもまず「圧倒的な知識量を得ること」が必要なのです。知識量が乏しければゲシュタルトの構築は起こりません。ゲシュタルトとは総和以上のものを生み出すことですが、そもそもその「足し合わされるもの」が用意されている必要があります。(もちろん、学問の世界で生きていこうとするなら、知識量は単なる前提条件に過ぎません)

 

「野球についてのゲシュタルトを構築する」ためには、野球に関する圧倒的な知識量・勉強量が不可欠だ!

ということは、「野球についてのゲシュタルトを構築」するためには、「野球に関する圧倒的な知識量」が必要である、ということになります。つまり、「野球のことなら何でもわかる状態」になるためには、圧倒的な勉強量が必要である、ということ。

 

……ここでちょっと風呂敷を広げさせてください。私は「野球における勉強量・知識量」については一家言を持っています。

 

ズバリ言えば、

「現時点における日本球界とメジャーリーグの差は、知識量の差だ」

と私は思っています。

 

私が見る限り、日本の野球界の弱いところはまさに「野球に関する全体的な知識量の乏しさ・研究の未熟さ」です。というか、旧態依然という言葉がお似合いな日本球界が、進歩的な取り組みを次々に打ち出すアメリカ球界にどんどん水をあけられているおおもとの原因は「日本球界にいる人々の勉強不足」以外に考えられません。

 

ひるがえって、アメリカの野球の優れているところを挙げるとすれば、とにかく「知識があって、野球をよく研究していること」「知識を持った人たちが野球界をリードしていること」に尽きます。

最近話題になったトラックマンをはじめとして、各種セイバーメトリクスの活用、公式Webサイトの充実化、野球技術の研究、優れた選手の分析、日本の球団とはけた違いの収益を生み出すビジネスモデルの構築、MLBブランドを生かしたマーケティング戦略、先進的なトレーニングの導入など……これらの取り組みを見ている限り、「データおたく」や「学者・研究者」や「理論家」や「ビジネス関係の知識を豊富に持った人々」といった人々も球団の運営に参画しているようです。

 

一方の日本は今のところ、「アメリカで試されたものを後追いで導入している」に過ぎません。欧米でやっていることを輸入するだけという意味では、明治維新の頃からそのメンタリティは変わっていないのです。では、なぜこのような「猿真似」になってしまうのかといえば、それこそが「知識量の差」なのです。

野球に関する知識量が積み重ねられて「野球のゲシュタルト」が構築できさえすれば、メジャーリーグの後追いではなく、むしろメジャーリーグよりも先端的な取り組みをすることができるようになります。

 

日本の野球界はそもそも、根本的に知識や学問を軽視しています。

たとえば、未だに「勉強は適当にやって、朝から晩まで野球漬け」を是とする風潮があり、アマチュア・プロ関係なく根性論・精神論に基づいた非論理的なトレーニングが行われています。

おまけに、選手のみならず指導者も勉強不足。朝練と夜練でヘトヘトになって、「学業軽視」「選手も指導者も勉強しない」ことが正当化・武勇伝化される。学生時代にはスポーツ以外やってこなかったと胸を張る人々が世にはばかる。

もしも機会があれば、「ウチは野球につながるトレーニングをやっている」と言っている指導者に「じゃあ、なんでそのトレーニングが野球の動作改善につながるのか、きちっと根拠づけながら説明できますか」と聞いてみたいものです。(私自身まだ勉強し始めたばかりですが)解剖学のカの字も、スポーツ科学のスの字も知らないような圧倒的知識不足・勉強不足の指導者がトレーニングを語っている――という事態が、プロ・アマを問わずに起きています。

 

野球というスポーツそのものを研究しようと試みる人は、球界全体の中のほんの一握り。日本にも素晴らしい理論はいくつかあるのですが、野球界全体の「知識軽視」の風潮のせいでまったく浸透していません。

実際、書店の「野球コーナー」の品ぞろえの薄さ、一つ一つの書籍の内容の軽さを見ていても、日本球界全体の勉強不足・知識不足は明らかです。

あまつさえ、野球を理論的に分析しようとする人を「机上の空論」と皮肉る指導者すらいます。現場に出たこともない人間が口を出すな、と。これはあまりにも視野が狭い。もっともっと野球というスポーツそのものが詳細に分析・調査・研究されるべきですし、その「机上の空論」を実際の現場改革に役立てているのが、日本野球よりも(現時点では)先を行っているメジャーリーグである、ということを自覚すべきだと思います。

 

本当であれば、日本の野球人は「野球も勉強もできて当然」であるべきです。野球に一生懸命になるのはいいけれど、「勉強もできて当然」くらいが日本人にはふさわしいはず。なんせ識字率99.0%の国であり、国民に無料で図書館が解放されている国なのですから。

進学校が甲子園に出ると文武両道が取りざたされますが、そもそも「文武両道」なんて当たり前でしかるべきです。私は、日本の球児たち・プロ野球選手たちには「オレは学問や勉強はできて当然だし、野球もうまくて当たり前。野球も学業も一生進化し続けるのがオレらしい」くらいの自己評価をしてほしいと思っています。

 

指導者であれば、「解剖学やスポーツ科学・生理学の基礎知識はあらかた持っていて当たり前、最新の論文や学会の動向をチェックするのは日課、毎日必ず2時間くらいは集中して読書する」程度のレベルが最低でも求められると思います。

 

球児たち、プロ選手たち、そして指導者たちがもっともっと知識量を獲得し、野球についてのゲシュタルトを構築することに成功すれば、今度は逆に「日本の野球をメジャーが必死に学ぶ」という状態にも持っていけるはずです。

 

少なくとも、現在やっているような「メジャーでやっていることはすべて正しい」式の鵜呑みをこのまま続ける限り、間違いなく日本の野球は時代遅れになっていきます。

なぜなら、これからの情報社会では、「知識の差」というのはそのまま野球の力の差になっていくから。知識面・情報面で負けている側は、圧倒的な差を付けられてお終いです。さながら、インカ帝国とアステカ帝国が、知識面・技術面においてはるかに進歩していた欧米の軍隊にあっという間に征服されてしまったように。

 

具体的に言えば、「知識の差」を放置したままだと、トレーニングの知識が遅れている日本球界はまず身体面でメジャーに後れを取り、さらに情報面での知識が不足しているため戦略面でも後れを取ることになってしまいます。これでは勝てるはずがないでしょう。

 

極端な話、日本の野球のレベルを本気で上げたいと思うなら、野球界からノーベル賞受賞者をたくさん出すレベルで学問をやることが必要である、とさえ私は考えています。

 

まとめ代わりに:「野球」と「学問」の関係

私はたまたま「日本のレベルでは割と頭が良いほうの大学の、硬式野球部」に所属していますので、この立場を上手に活かして今後活動していきたいと思います。たぶん、野球界に片足を突っ込みつつ、残りの足は学問や研究のほうに突っ込むことになるでしょう。

 

自分で言うのもなんですが、私は日本の体育会系クラブに所属している学生のなかで間違いなく一番勉強しているという確信があります。さらに、「本当に意識の高い学生たち」と比べても相当勉強している自信があります。アメリカの大学生よりもやっているだろうな、というくらいです。

たとえば、2018年3月までに「仏教経典の主なもの(華厳経とか中論とか)・新約聖書と旧約聖書・コーラン・三島由紀夫全集全42巻・世界の名著シリーズ10~20巻分」は読み終える目算を立てています。ついでにいえば、30歳までには「世界の名著シリーズ全巻・人類の知的遺産全巻・中公の世界の歴史シリーズ・中公の日本の歴史シリーズ・日本国語大辞典全13巻・六法全書・戦後日本思想大系・現代日本思想大系・近代日本思想大系・世界文学全集1シリーズ・日本文学全集1シリーズ」は読破するという計画です。

この「語彙と知識を増やし、一般教養をあらかたマスターする」ための読書と並行しつつ、言語学・心理学・認知科学・プログラミング・コンピュータサイエンス・スポーツ科学・栄養学・生理学・解剖学あたりもお勉強するつもりです。というか現在まさにやっています。

 

やること自体は非常に多岐にわたりますが、「抽象度」さえ上げてしまえばどれも同じようなものですから、意外と楽なものです。

こんなに大量の本を読もうと思うのは、欧米やアジアのトップエリートたちをやり込めるくらいの教養を身に付けるのが目的というのもありますが、単に「自分の実現したいものを実現させるには最低限このくらいの勉強はしておきたいな」と思うからです。圧倒的な知識量を得て、抽象的なものに対するセンスを上げておかないと、世の中にものすごいインパクトを与える書物は書けないし、情報発信も「軽いもの」になってしまいます。

理想は、「めちゃくちゃ知識も学識もあるんだけど、気取った横文字を使わずに要点をサラッと突ける人」ですね。

 

野球関係者の方、もし本気で学問をやろうというのなら、このくらいはぜひ読んでみてください。私のような若造でも読もうと思えるのですから、誰にだってできるはずです。

 

…啓蒙風の自慢はこのくらいにして、実際的な話をします。

「野球のために活かせる知識としては、どのようなものがあるのか?」

について。簡単なリストを作ってみました。

 

「すぐに野球のために活かせそうなもの一覧」
・スポーツ科学
・運動生理学
・栄養学(山本義徳氏の書籍など)

・プロ野球選手の伝記
・解剖学(簡単なもので大丈夫です)
・トレーニングの理論(おすすめは初動負荷理論)
・野球動作の理論(こちらも初動負荷がおすすめ。ほかにはトップハンドトルク・4スタンス・宮川理論・クオメソッドなど)
・野球の戦術面の研究
・プロ野球選手やメジャーリーガーの動作分析
・脳科学
・心理学(特に認知心理学・社会心理学)
・コーチング(TPIE・PX2・苫米地式コーチングなど)

↑など。

この記事をお読みになって、「日本の野球を世界一にするためにこれから勉強しよう!」と思った野球人の方は、ぜひ「野球」よりも先に「学問」から取り組み始めてください。

なぜなら、「野球をやっている人が学問で通用するとは限らない」のに対して、「学問をしっかりとやってきた人は、野球についても質の高い思考ができる」と思われるからです。

 

なぜそうなるのかといえば、両者の間にある「抽象度」の差ゆえです。

抽象度という概念を使って考えると、明らかに「学問>>>野球」なのです。

つまり、「学問」と「野球」、どちらのほうが抽象度が高いかといえば、「学問」のほうが圧倒的に抽象度が高いといえます。

 

抽象度というのはわかりづらい概念かもしれませんが、とりあえず「抽象度が高い=より応用が利く、広い範囲に役立てることができる」くらいにとらえてください。

繰り返しますが、抽象度の高さは「学問>>>野球」。

なぜなら、学問は野球を含みますが、野球は学問を含まないからです。

つまり、学問のいち応用分野として野球があるわけで、「野球の一分野が学問である」のではありません。

 

野球一筋で生きてきた方には残念なお知らせですが、野球よりも学問のほうが抽象度が高い。だから、「野球をやっている人が学問で通用するとは限らない」のに対して、「学問をしっかりとやってきた人は、野球についても質の高い思考ができる」。早い話が、ガリ勉をバカにしちゃいけないのです。

 

・・・というわけで、とりあえず「野球を究めたいと思うなら、野球だけじゃだめだ。勉強して学問して知識を増やさなければ」という認識をまず持ってほしいと思います。いったんそうやって意識してしまえば、脳が勝手にそういう情報を集めてくれます。

 

以上、栗山ただよしがお送りしました。

勉強頑張ってください。

では。

 - 教育, 野球