体育会系人間が「文武両道」を実践するためのコツ その1

   

体育会系人間が「文武両道」を実践するためのコツ その1

これまでの「勉強≠スポーツ」は間違い。正しくは「勉強≒スポーツ」だ!

「勉強も頑張りながら、スポーツもがんばる」のではない!

世間一般のイメージでは、「文武両道」というのはこういうイメージだと思います。

互いに相容れない「勉強」も「スポーツ」も、両方がんばる。

文武両道を実践できるのは、一握りの、ものすごいバイタリティのある人

文武両道と聞いてイメージされるのは、受験界でよく言われる「部活生は、引退後に伸びてくる」でしょうか。

あるいは、「東大で野球をやっている」とか、「甲子園に出場した選手が、学校の成績はオール5だった」といったイメージがあると思います。

 

論理としては、「文武両道の体育会系=勉強もスポーツも両方がんばれる根性のある人間」というものでしょう。

 

でも、実はこのイメージは誤りです。

本当の文武両道とは、

「勉強」と「スポーツ」が本質的には同一のものであることを見抜いて、

両者に相乗効果を発揮させながら、極限まで一石二鳥を狙いに行く姿勢のこと

だと私は考えています。

 

「勉強とスポーツに相乗効果を発揮させる」のがコツ

前項で述べた通り、本当の文武両道とは、

『「勉強」と「スポーツ」が本質的には同一のものであることを見抜いて、

両者に相乗効果を発揮させながら、極限まで一石二鳥を狙いに行く』

ということです。

 

この「相乗効果」とはどういうことかというと、以下のようなものを指します。

勉強にもスポーツにも良い影響を与える生活スタイルを採用する:十分な睡眠と、十分な栄養を確保する。

勉強とは「情報空間で運動すること」、スポーツは「物理空間で運動すること」である――ということを見抜く。その上で、「勉強のときは頭の中で運動」し、「スポーツのときは物理空間で運動」する。両者はともに運動であるという点で共通しているので、勉強→スポーツ→勉強→スポーツという生活スタイルを送れば、一日中運動していることになり、IQが高くなる

・「スポーツ・睡眠・栄養」で体が充実すれば、心も上向きになりやすくなる

・自分の脳に「スポーツと勉強」という二つのことを同時に処理させることによって、脳の情報処理能力が向上する

・勉強すれば、知識が増える。知識が増えれば増えるほど、スポーツでも新しい発想ができるようになる

 

これらの相乗効果を見ればわかりますが、旧来の日本的な発想、つまり

・勉強とスポーツはまったく別のものである

・「文武両道の体育会系=とても根性がある、バイタリティがすごい」

というのは間違い。

むしろ、

勉強とスポーツは本質的には同一のものである

「文武両道の体育会系=とても要領が良い、成長の速度が段違いで速い」

というのが本当のところです。

 

勉強とは「情報空間で運動すること」、スポーツは「物理空間で運動すること」。本質的にはスポーツも勉強も同質のもの

実は、「勉強」も「スポーツ」も、本質的にはまったく同質のものです。

なぜなら、

・勉強(思考)=情報空間で運動すること

・スポーツ=物理空間で運動すること

といえるからです。情報空間というとちょっと難しそうに聞こえますが、実際は単に「頭の中で考えるときに使うスペースのこと」くらいにとらえてください。

 

勉強とスポーツはまったく別々のものである、というのがいわゆる「常識」ですが、

実際には、勉強とスポーツは、空間が異なるだけで、本質的にはどちらも「運動」なのです。

 

ここで、「IQが高い人」「頭がいい人」の条件を考えてみましょう。

 

私が思うにその条件とは、「情報空間での運動能力が高いこと」です。

情報空間での運動能力が高いというのは、要は「頭の中で情報を処理することが得意」とか「イメージする能力が高い」「抽象的なことを体感的にイメージできる」といった能力のことを指します。

 

たとえば、情報空間での運動能力が高い人は、

・E=mc^2 という数式を見ると、頭の中でその数式が表すところのものを体感的にイメージできます。

・現代文の評論で「ポストモダン」という単語を見ると、頭の中で臨場感豊かに「ポストモダンに関連する種々の情報」が展開されます。

・あるいは、数学の得意な人がよく口にする「問題を見た瞬間に答えが見えた」というのも、まさに情報空間での運動能力が高いことの現れです。

こういう「情報空間での運動能力が高い人」こそが、一般的に言われるところの「頭のいい人・IQの高い人・天才・要領のいい人」であると私は考えています。

実際、↑こういった情報空間での運動能力が高い人々は、数学をやっても世界史をやっても、物理をやっても国語をやっても、すぐに学力が伸びます。なぜなら、どの教科であっても「情報を体感的にイメージできる能力」「抽象的なものを体感的にイメージする力」は必要不可欠のものだから。織田信長と聞いて即座にイメージを浮かべることのできる生徒と、それができない生徒との間には、想像もつかないほど大きな差がついていくわけなんですね。

 

「頭がいいか悪いか」というのは、こういった「情報的なもの・抽象的なものをイメージするのがどれだけ得意か」=「情報空間での運動能力がどれだけ高いか」にかなり左右されます。実際、難解な哲学書や高度な自然科学の本を読みこなすためには、単に知識量が多いだけでは歯が立たず、筆者の言っている内容を体感的にイメージとして理解できるかどうかが大切になってきます。

 

もちろん、「物理空間での運動能力」と、「情報空間での運動能力」との間にはかなり深い関連があります。

・物理空間で運動した経験が多ければ多いほど、情報空間での運動も得意になりやすい

・情報空間で運動した経験が多ければ多いほど、物理空間での運動も得意になりやすい

少なくとも理屈上はこうなります。

 

まとめ:理想の生活

一般的なイメージとしては「スポーツが得意なら勉強がダメ、勉強が得意ならスポーツがダメ」「勉強もスポーツも得意な人は稀」というイメージがあると思いますが、それは単に知識量とか勉強量が足りていないだけの話で、どちらも「運動」であることに変わりはないのですから、

本来は、

・スポーツができれば勉強もできる、勉強ができればスポーツもできる。

・勉強しかできないというのは、物理的な制約がある(=筋力が弱い、体が硬い、目が悪い、運動に不慣れなど)場合

・スポーツしかできないというのは、知識量・勉強量が足りていない場合

というのが本当のところです。

現在片方しかできていない人が両方できるようになりたいなら、↑の原因を除去すればいいし、

両方ともイマイチという人であれば、勉強かスポーツか、どちらか好きなほうから始めれば良いと思います。

 

こうしてみると、「勉強だけできるガリ勉」「スポーツだけできる脳筋」というのは、人間の能力の発達の仕方としてはどちらも非常にアンバランスです。情報空間か物理空間かという違いはあれど、どちらも同じ「運動」なのですから、本当は両方とも上手にできるのが当たり前なのです。

 

理想としては、

・スポーツと勉強はどちらも本質的には同一であるということを理解したうえで、一日中「スポーツ→勉強→スポーツ→勉強」を繰り返す

・よく眠る

・充実した食事をとる

こと。

 

結局、「文武両道の体育会系」になるには、「勉強という思考の運動」と「スポーツという身体の運動」という運動ずくめの生活を送ることが大切だ、という当たり前の結論になります。

どうせなら、体育会系のかっこよさと、文化系の頭のキレ、両方とも併せ持った人になりましょう。

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