野球選手がバッティング・ピッチングの理屈をある程度正確に知っておくことのメリット

   

野球選手がバッティング・ピッチングの理屈をある程度正確に知っておくことのメリット

「正確な知識とは何か」? → 自然科学の法則・身体運動の法則に沿った理屈のこと。

理屈を知っていれば、「目指す方向はあっちじゃね?」とわかる。または「あっちじゃなくね?」とも方向転換できる。

動作の理屈について知っておけば、

「自分はいったいどうすればいいか、という方向性がわかりやすくなる」

というメリットがあります。

 

たとえば、

「軸足股関節が内旋すると骨盤が回転する」

「スムーズに身体を回転させるためには、軸足からは体重が抜けていることが望ましい」

という知識を持っていれば、軸足の使い方についてあれこれ悩む必要性は減ります。

「内旋させればいい」のですから、わざわざ「外旋させるように軸足を使う」方向に行く必要性は薄く(これはおかしいよね、という確認くらいでしょう)、「体重が残りすぎているのはまずい」のですから、わざわざ「軸足に体重を残す」を実際にやる必要性は薄くなります。

 

もちろん、本人の感覚としては「軸足はその場に残しておくほうが打球が飛ぶ」というのはあっても構わないのです。そういった「<実際の動作>と<意識・感覚・イメージ>とのズレ」まで含めて、理屈として理解しておけばいいのです。

 

 

「理論に裏付けされた感覚」は強い

「感覚だけでやってきた人」にとっての感覚と、

「理論と感覚を両方バランスよく使いながら感覚を磨いてきた人」にとっての感覚。

 

どちらも「感覚」であることには変わりありません。

 

「理論に裏付けされた感覚」には、

・「身体運動の法則」(バイオメカニクス・運動学・機能解剖学・運動生理学など)

・「自然科学の法則」(古典物理学・動力学・工学的ロジックなど)

という強力なバックアップがあります。これらの法則は科学的手法(仮説と実験と検証サイクルによる絶えざる修正によって組み上げられた理論体系)によって正しさが担保されています。

 

それに比べると、「自分の感覚だけが頼り」というのは、何とも頼りなく見えてしまいます。せいぜい「プロの人もこういう感覚を持っている」とか、「自分の調子がいい時にはこういう感覚だったような気がする」くらいが関の山だと思います。

 

確かに「最終的にはすべて本人の感覚の話になる」のは間違いない…のですが、

そこに至るまでに「理論と感覚」を両立させながら試行錯誤を続けるほうが、感覚だけに頼るよりは良いだろう…と私は思います。

 

「変な方向へ行くことによる時間のロス」が防げる。これだけでもかなりデカい

あとは単純に、

「基本的な理屈を知っておくと、変な方向に走りにくい」

「おかしな理論に染まって時間を無駄にすることがなくなる」

というのも特筆されます。

 

先ほどの軸足の例でいうと、

「軸足を外旋させる」

「軸足から体重を抜かない」

という方向に間違って走ってしまうと、とんでもない時間のロスをすることになります。

 

バッティング・ピッチングの理屈を知っていれば、そういった時間のロスが減りますから、長期的に見ればかなり有利です。場合によっては1年とか、10年単位で時間をトクできることもあるでしょう。

 

「変な方向性に走ることによるケガ」が防ぎやすくなる。

「変な方向性に走る」ことの代償が「時間をむだにする」だけなら、まだマシです。

 

一番たちが悪いのが

「変な方向性に走った結果、選手生命が絶たれるくらいのケガをする」

ということでしょう。

 

再三引き合いに出している

「軸足に体重を残す」

という例でいえば、

軸足に体重を残したまま軸足の膝を思いっきりねじると、膝にヨコ方向のねじる力が加わります。

これが積み重なると、やがて「膝に爆弾を抱えている状態」になっていきます。

 

軸足から体重がうまく抜けている人はそういったケガをしにくいのです…が、

逆に、軸足にしっかりと体重を残して振っている人ほど、膝のケガに悩まされることになります。

最悪の場合、「膝のケガがもとで引退する」ということにもなりかねません。

膝のケガがなければあと数年はできたかもしれないのに…。

 

「変な方向性に走った結果、選手生命が絶たれるくらいのケガをする」

という悲劇を生まないためにも、「基本的な動作の理屈を知っておく」ことは大切だ、と私は考えます。

 

「感覚だけで登り詰められる人」はほんの一握り。感覚は「リトマス試験紙」のように使おう

人間の感覚器というのは繊細なんだか大雑把なんだかよくわからない性質を持っているのですが、

少なくとも野球という競技においては、

「気持ちよく打てるフォーム=良いフォーム」

「気持ちよく投げられるフォーム=良いフォーム」

という原則が存在します。

 

<運動エネルギーがうまく伝達されて末端加速がスムーズに行われるから>とか、

<余計な「つまり感」や「力み」が少なく、力感が少ないのに大きな仕事ができるから>とか、

<身体各部の筋肉が運動連鎖しながら伸張ー短縮サイクルにより適切にストレッチされるから>とか、

いろいろな理由を挙げることができますが、基本的には

「良い感覚があるならば、だいたいオッケー」

です。

 

ただし、これまで述べてきた通り

「感覚をコンパス代わりに使う」

のはあまりおすすめできません。時間のロスやケガのリスクが比較的高いからです。

むしろ、

「感覚をリトマス試験紙代わりに使う」

ほうが利口です。

 

基本的には理論と理屈に基づいた合理的な練習を反復する。

「良い感覚」がつかめたら、その練習は良い方向性でできていると言えそう。だから、よりいっそう反復する。

「良くない感覚」があるなら、アプローチを変えてみる。感覚が良くないような練習はさっさとやめてしまう。

 

そういうやり方が上達のためには必要だと思います。

 

最終的に打席の中・マウンドの上では感覚の勝負になる。その感覚を磨くために理論を用いる

練習の段階できっちりと

「理論と理屈に基づいていて、なおかつ感覚によりきちんと良し悪しが判定されている練習」

や、

「感覚的に良いものを掴みやすいと感じた練習をひたすら反復する」

ということをやっておきます。

 

そうしていよいよ試合に臨むわけですが、基本的には

「打席の中・マウンドの上では自分ひとりしか頼れる人がいない」

という状況です。

 

そして、そのときに唯一頼りにできるのは、

「これまでの練習で培ってきた感覚」だけ

のはずです。

 

確固たる理屈に基づいた練習を長い間積み重ねてきて、

その練習のなかで「良い感覚」をひたすら磨き続け、定着させ、無意識でも再現できるための努力を続けてきた選手なら、

試合で緊張するなかでも、なんだかんだ一定のパフォーマンスは出せるでしょう。

 

逆に、そういった積み重ねをしてこなかった人は、

試合の肝心なところ=プレッシャーのかかるところで「あっ…」というプレーをしてしまう確率が高まります。

見切れるはずの高めのボール球をつい振ってしまったり、思わぬ暴投をしてしまったり、と。無意識的にでもできるくらいまでプレーのクオリティが上がっていないゆえのミスです。

そういうプレーをしてしまう人は、メンタルが弱いのでも普段の行いが悪いのでもなく、

単に「普段の練習の取り組み方が甘かった」のです。

 

私はよく「たいていの選手は、練習した気になっているだけ」という言い方をしますが、

それは

「本番でも無意識レベルで簡単にこなせるまで自動化を済ませていない」

と思うからです。精神論を離れて理屈で考えると、こういう結論になります。

 

本番で変なミスをする・力が出せないというのは、メンタル面の問題というより、そもそも練習の合理性と反復度が足りていないケースがほとんどだと思います。

 

 

…以上のような理由から、私は

「理論に裏付けされた感覚」推し

です。いろいろ考えてみたすえ、こういう結論に至りました。

 

では、また明日お会いしましょう。

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