いまの知能のまま、小学生からやり直せたなら……『スターティング・オーヴァー』(三秋縋) その2《完》

      2016/08/31

えっ? 非リア充の人々が否応なしに惹きつけられる展開があるんですか!?

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あります。「スターティング・オーヴァー」の中には、そのような展開のエッセンスがてんこ盛りです。

ひとつひとつ、順を追って見ていきましょう。

 

 

非リア充の男が、(リア充の)彼女によって、論破される

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非リアの男が、鋭い直感を持つ女の子に、その嘘を完膚なきまでに暴かれるという展開

→否応なしに面白いです。聞かれていやな質問を次々にぶつけてくる、親しい女の子。

非リアの男はその場しのぎの嘘を積み重ねていきますが、やがて瓦解します。

嘘がばれ(そうにな)ることによって、非リアの男の自尊心は危機に陥ります。

女性を敵とみなすような思考方法を採る(なぜなら女性は、彼らにとって「酸っぱい葡萄」に違いないから)のは陰キャ・非リアの特質です。

「格下」と思っていた女の子、意のままに操れるとすら思っていた女の子から思いもよらない逆襲を受ける、という展開。

特にその女の子が、完璧超人のリア充の彼女なんかだとより一層刺激的になります。

「リア充くんはあんなに努力してんのに、あんたは底辺を這いまわってブツクサ言ってるだけじゃないの」という対比が使えるんですね。

 

リア充に喧嘩をふっかけた非リア充が、完膚なきまでに粉砕される

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人間観察が趣味、という感じの主人公が、完璧な友達(リア充)を観察し、嫉妬の末に、危害を加えようとする。けれどもリア充は、とっくのとうにお見通し。

あえて泳がされ、利用されていたということが、後々になって判明する。能力の差、地頭や人望の差が露骨に出るようなやりかたで叩きのめされる。

→リア充との対比を使う、ということです。これも、否応なしに面白くなります。

「あくどいことをするやつ」が「本当に強いやつにこてんぱんにされる」のは爽快です。「正義は悪に克つ」の図式です。アメコミ的。

その一方で見逃してならないのが、以上のような図式は、非リア充からすると「とてつもなく尊厳を傷つけられる展開」だということなんですね。

リア充サイドの読者、非リア充サイドの読者の双方を引き込む展開と言えます。三秋縋さんはおそらく、直感的かつ論理的にこの展開を練り上げたはずです。優れた嗅覚をお持ちの方のようです。

・・・余談ですが、2ちゃんねるを長年やっていると、「いいぞもっとやれ」の感覚が身につく上に、「どのような展開だと人は熱狂するか」というパターンが体の中に染み込みます。煽情的な小説を書きたいと思うのなら、「論争スレ」を参照するクセをつけるのもいいでしょう。

 

趣味人間観察マンが、痛いところをグサッと突かれて致命傷を負う

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人間観察の趣味が高じて、自分自身までも執拗に観察する主人公。醒めた目で見ているうちに、自分がまわりの人間たちの輝きに比べて、いかに鈍い光しか放っていないかを痛感する。

自分が変わりたいと本心では思っているのに、腰を上げる面倒さにかまけて、行動に移さない。自分自身の弱さゆえにそうしていることは明らかなのに、前置きやいいわけをして罪逃れをしようとする。リア充や、リア充の彼女など「勝ち組」の人々から、「それは卑劣だよ」と指摘され、ぐうの音も出ない。

→心当たりある人、いるでしょう? 現実では「リア充や~」以下の場面が訪れることはそうそうないでしょうけれども、創作の世界ではそれができます。

「すでに高い地位にいる人々によりズバッと痛いところを突かれる」というのがミソです。

自分自身を観察することはできるのにいっこうに行動に移さない人というのは、リア充さんサイドからすれば、「無知で、卑怯で、かわいそう」な人であり、

観察趣味さんサイドからすれば「言い繕っているのはわかっている。でも、行動に移すのは面倒なんだ」ということになります。

どちらの視点に立つかによって、正義のある場所も変わります。行動に移さないのは個人の自由であるともいえますから、結局は「正義対正義」の闘いになっています。

「どちらが正義かわからない」という現実を突きつけられると、人間はどちらかに肩入れしようとします。

そしていったん肩入れしてしまうと、「敵をぶっつぶせ!」という感情が湧いてきます。

あとはもう、勝手に熱戦になっちゃいます。

懐かしいあの日、二度と戻れないあの青春を、体験する

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・やり直せない青春、懐かしいあの日、高校時代・・・というテーマ

・カタカナで日本人の名前を表記する、または、ちょいひねった漢字で名前を表記する・・・ほどよく現実、ほどよく現実乖離感を出すスパイス

→非リア充の人々とは、「恵まれない青春時代を送って来た」、あるいは「いままさに恵まれない環境にある」人々です。

当然の理屈として、彼らが掴みそこなったのは、「二度とやり直しの利かない青春を思いきり楽しむこと」ですね。ですから、作品の舞台や展開のほうをそれに合わせてやるといいんです。そうすると簡単に、読者は惹きつけられます。「学園もの」というジャンルがライトノベル界で確固たる地位を築き上げているのは、このためですな。

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毎年、冬になると「田舎の画像ください」「夏っぽい青春とか風景の画像くれ」「ノスタルジックな画像スレ」などといったスレッドが乱立しますが、これはまさに、「現実にそこで青春時代を送るということはもう絶対にありえないんだけど、とりあえずそこで過ごしていたような気分になりたい」という欲求の表れです。

「夏の田舎の画像」や「夕暮れ時の校舎の画像」なんかを見ると私もなんとなくしみじみした気持ちになりますが、日本人の心に共鳴する原風景のようなものが、やはりあるんでしょうね。

・・・ちなみに、キャラの名前をカタカナで表記してやると、簡単にノスタルジック感が出せます。ご参考までに。

 

 

まとめ

以上見てきましたように、「スターティング・オーヴァー」には、非・リア充の気持ちを否応なしに惹きつける仕掛けがたくさん施されているんですね。

小説を書きたい人は特に、参考にすべきではないでしょうか。ぜひこれを活かして、素晴らしい「青春小説」を生み出してください。

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