頭の良い人はみんなやっている。「三法界瞑想」で、自分の可能性に気付く

   

こんにちは!

クリストリタロウです!

いまぼくは、『思うままに夢がかなう 超瞑想法』(苫米地英人)という本を読んでいます。

タイトルがちょっと胡散くさい感じもしますが、確実にIQを高めるための瞑想ドリルが多数紹介されています。

今回はそのなかから、「三法界瞑想」なる瞑想法を紹介します。

今回は、確実に「頭を良くする」瞑想の特集です。

 

思うがままの存在になる! 「三法界瞑想」とは?

原始仏教で「瞑想」は重要な位置を占めています。

そもそも、仏教の開祖である釈迦が悟りを開いたのも、瞑想の最中だったくらいですから。

 

瞑想には、いろいろな方法があります。

とくに、「我というものが実在しないことを悟る」ために行う瞑想のなかには「六道瞑想」や「十法界瞑想」なるものが存在します。

 

仏教でいう”六道”とは、「天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」のこと。有名ですね。

で、この六道の上に「声聞、緑覚、菩薩、仏」の四界を加えたものが、”十法界”です。

 

(以下、『思うがままに夢がかなう 超瞑想法』より引用)

人によっては、六道や十法界を「生まれ変わり(輪廻転生)の法則」だと解釈していますが、そもそも釈迦は輪廻転生を否定しており、六道や十法界を輪廻転生と結びつけることは仏教的な考えではありません。

では、六道や十法界とは何かといえば、どちらもナートマン瞑想の方法論なのです。

 

(注:自我=アートマンに、サンスクリット語で否定を表す”n”をくっつけた言葉。つまりナートマンとは『自我が存在しないこと』を表す)

 

つまり、六道や十法界という考え方は、瞑想のときにだけ使うべきものである、ということですね。

 

そして、六道瞑想や十法界瞑想では、

「自分の中には餓鬼もいれば、仏陀もいること」

「自分のなかに、あらゆる可能性が存在していること」

「その可能性の中から、自分が『何を選ぶか』によって、自分という存在が決まること」

をしっかり認識し、最終的に「じゃあ、自分は○○を選ぼう」と、なりたい自分を自分の心(自分の意思)で選びます。

 

注意すべきなのは、人間という存在を「悪い人」「良い人」「犯罪をする人」「犯罪をしない人」といった単純なタグ付けでもって定義することはできない、ということです。

そういった判断は、「その人がえらんだ行動」によって左右されてしまうからです。

 

たとえば、ふだんは優しい人としてふるまっている人間が、凶悪な犯罪を犯したときのことを考えてみればわかりやすいでしょう。

そういう事件について聞いたとき、私たちは

「ふだんの優しい彼と、凶悪な犯罪を犯した彼。どちらが彼の本性なのか?」

と考えがちです。

しかし、その問いかけ自体がナンセンスです。

なぜなら、優しさも凶悪性も、どちらもその都度何を選んだかが、その人のあり方を決めているのです。

その選択の結果、あるときは「優しい人」になり、あるときは「凶悪な犯罪者」になってしまうだけなのです。

あくまでも、

「ひとりの人間の心に相反するすべての人間性があり、心が何を選んだかによってその人の存在や生き方が決まる」

のです。

 

ちょっと長くなったのでまとめましょう。

 

要するに、「自分という存在は、あらゆる可能性の中から選び取った行動・思考・言動といったものによって定義される」ということ。

で、その「選択可能性」しだいで人間は仏にも悪魔にもなれる――という事実を瞑想するのが、「六道瞑想」であり「十法界瞑想」です。

 

氏は言います。

あとは、あなた自身がどんな自分を選ぶのかの問題です。

餓鬼を選ぶこともできますし、人間を選ぶこともできます。仏陀になることだってできるのです。

 

・・・しかし、六道瞑想や十法界瞑想は、仏教へのなじみが薄い一般人にとっては、正直言ってハードルが高いのも事実です。

正直言って、まだ地獄道や人間道はわかるかもしれませんが、緑覚や声聞など「ハァ?」って感じでしょう。

 

苫米地英人氏の「三法界瞑想」は、その難しい「六道瞑想」「十法界瞑想」をより一般向けに、カンタンにしたものです。

 

「三法界瞑想」のやり方と具体例

前置きが長くなりました。

ここからは単刀直入に行きましょう。

 

三法界瞑想とは、「異なる3つの世界で、まったく違った生き方をしている自分を思い描く」瞑想法です。

 

わかりやすいように、「貧乏人の自分」と「お金持ちの自分」と「仏陀になった自分」を例にとりましょう。

 

「貧乏人の自分」を瞑想する

まずは、「貧乏人の自分」を想像します。

「銀行の預金口座に入っている金が現在の100分の1になった生活」をイメージしてみましょう。

 

たとえば、こんな感じ。

「当面の生活費をかせぐためにいくつかの仕事に就き、必死で働く自分」

「日々の生活費を工面するためにサラ金でお金を借りる自分」

「お金欲しさに窃盗や強盗などの犯罪に手を染める自分」

「公園のベンチに寝泊まりしているところを知人に見られてしまった自分」

などなど。お金がついに無一文になってしまったら、自分は一体何を思い、何を考え、どう行動するのか。

そこまで徹底的に思い描きます。

 

「お金持ちの自分」を瞑想する

次に、「お金持ちの自分」を瞑想しましょう。

わかりやすいように、「銀行の預金口座に1000億円くらい入っている」状態をイメージします。

 

さて、これだけのお金があればどういう生活ができるのか。

たとえば、

「仕事を辞めて、資産運用で不労所得を得ようとする自分」

「車や家などほしいものを買い、食べたいものを食べ、世界中を旅して、放蕩三昧の生活をする自分」

「世界中の恵まれない人々のために全額寄付したいと考える自分」

などなど。

とにかく徹底的にリアルに、五感を使って臨場感たっぷりにイメージしてください。

イメージは、リアルであればあるほど良しです。

 

「仏陀になった自分」を瞑想する

さて、三法界のラストは「仏陀になった自分」の瞑想です

 

3つ目の「仏陀になった自分」はこれまでの2つよりも抽象度が高く、金額そのものをまったく気にしません。

「仏陀」といわれると難しそうですが、実はこれがいちばん簡単です。

 

数字をまったく気にしない人ですから、預金通帳のゼロが増えようが、「それが何?」と思い、ゼロが減ろうが「それが何?」と考えます。

そして、預金通帳の金額に関わらず、自分がどんな生活を送りたいかを考えて、その通りの生活をします。

仏陀ならばお金になんて縛られないでしょう。

「貧乏人の自分」「お金持ちの自分」のどちらも、所詮はお金にがんじがらめにされた存在です。

悟りきった自分、お金云々という次元を超越した生活をしている自分を想像してください。

 

お金に縛られない発想ができるのは、この「仏陀になった自分」だけです。

この瞑想をやっていくうちに、お金が唯一の価値尺度になってしまっている現代資本主義社会の洗脳から脱することができます。

 

いままでは「金がなければ人生終わり」「年収〇○○万円はないと人生詰みだよね」といった迷信に陥っていたことでしょう。

でも、本当は「えっ、意外とカネがなくても生きていけるじゃん」「アレ、自分が本当にやりたいことは、お金でどうこうなるものじゃなかったんだ」――そういうものです。今までがお金に縛られすぎていただけです。

 

三法界瞑想のテーマは、別に今回見てきたような「お金のある-ない-関心がない」でなくても可です。

なんでも良いから、とにかく「自分の行動と思考しだいで、自分という存在が決まるんだ」という思考の柔軟性を獲得すること。

これが大事です。

 

 

まとめ + おすすめの苫米地本

さて、いかがだったでしょうか。

この三法界瞑想、授業中でも通勤中でも寝る前でもできます。

リラックスした状態で、じっくり「可能性としての自分」を瞑想することは楽しいものです。

 

とにかく、「自分の選択ですべてが決まるんだ」という事実をよく考えること。

当たり前すぎてみんな意識しないのですが、「今の自分は、過去の自分のした選択の積み重ね」であることを自覚すべきです。

 

それを自覚すれば、すくなくとも「ただなんとなく、惰性で生きている自分」から脱するための第一歩を踏み出せたことになるのですから。

 

では、グッド・ラック!

 

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★おまけ:苫米地英人氏関連のおすすめ本★

この分類法を提唱した苫米地英人氏の本は、実利的なものが多く参考になります(すごすぎて胡散臭ささえ漂っていますが)。

IQを高くしたいなら、IQの高い人の本を読むのが一番です。

本の内容自体はぜんぜん難しくないうえ、内容的にとても面白いものばかりなので、ぜひ読んでみてください。

 

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する

・「洗脳原論

・「夢をかなえる PX2完全マスター

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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