【ぼっち論】「リア充」より「ぼっち」のほうが強くなれる、と断言できる5つの理由

      2016/11/28

こんにちは!

クリストリタロウです!

今回は、「ぼっち」ならではの強みについて語ります。

僕はいわゆる”ぼっち”ですが、むしろぼっちにしかできないことを沢山見つけています。

今回は、なにかと迫害される(気がする)「ぼっち」が、実はとんでもなく恵まれた状態にあることを存分に示します。

 

①クソ食らえ、スクールカースト

 スクールカーストを気に病むやつはバカ

スクールカースト、という言葉がありますね。

教室内カースト」(鈴木翔、光文社新書)や「スクールカーストの闇」(和田秀樹、祥伝社黄金文庫)といった書籍が出ているように、かなり広く使われている言葉です。

“スクールカースト”は、まあ大雑把に言えば「リア充」とか「ぼっち」という言葉に代表されます。

 

ぶっちゃけた話、「リア充がすごくて勝ち組」、「ぼっちはダメで負け組」という区別自体がナンセンスです。

なぜなら、「勝ち組/負け組」という二分法は、そもそもとてつもなく”抽象度が低い”から

(抽象度が低いというのは、簡単に言えば「レベルが低い・視野が狭い・程度が低い」ことです)

 

この二分法のアホらしさを証明するために、

ちょっと、抽象度の低いところから、抽象度の高いところまで一緒に上がっていってみましょう。

 

たとえば「○○高校の3年1組の勝ち組グループ」と「負け組グループ」という区分けを想定してみます。

一見して「勝ち組は永遠に勝ち続ける」「負け組は永遠に負け続けの人生をおくる」ように思えますが・・・

 

空間的に抽象度を上げてみます。

 

いまここで行われている勝ち組か負け組かの区別というのは、

そのクラスのなかでだけ、あるいはその高校の中でしか通用しないものです。

 

「ウチの高校の伝説級のヤツ」「すごい友達」は、全国区でみればゴロゴロいます。

 

その高校の中では絶対的な勝ち組のように見えても、日本には高校が約5000校もありますから、日本全体で見ても相対的に「勝ち組」であるかどうかは怪しいですね。

 

空間的に抽象度を上げます。

 

さらに、世界全体で見れば、同世代の人間の数は数億人います。

「○○高校の3年1組の勝ち組」という、せいぜい「40人のなかの1番」クラスの人間は、果たして、この同世代数億人のなかでも同じように”勝ち組”でしょうか?

たとえばアメリカの名家出身で、名門私立小学校→アイビーリーグ卒みたいな同世代の人間とくらべても勝ち組でしょうか? ロックフェラー家の跡継ぎと目されるような人間と比べても勝ち組といえますか?

 

ついでに、その「○○高校の3年1組の勝ち組」と「負け組」グループの差なんて、世界レベルで見たらもうほんとに目くそ鼻くそみたいなもんじゃないでしょうか?

 

↓今度は、時間的な抽象度をグンと上げてみます。

 

もっといえば、宇宙全体の長い長~い歴史(約100億年程度と言われています)からみれば、たかだか数十年しか生きることのできない人間同士の優劣なんて、それこそ「塵」みたいなもんでしょう。

たかが高校時代の3年間程度を気に病んだり、逆に誇ったりするのは、あまりにも「抽象度が低い」と言わざるを得ません。

 

「オレの友達にすごいのがいてさ~」という自慢や、「アイツってさ、インキャのくせに優等生ぶっててキモいよね」みたいな悪口、「○○大学に受かったからアイツは天才だ」といった物言いは、いずれも「抽象度が低い」ものです。

もっと高い視点から見れば、どれもまったく取るに足らないことです。

 

・・・ちなみに、仏教はこういったカーストに反抗する宗教です(特に原始仏教)。

 

古代インドではバラモン教にもとづくカースト制度が根付いていましたが、釈迦はシュードラ(隷属民)の女性を出家させるなどしてカースト制度に反抗(したと受け取られた)。

仏陀が現代に生きていればスクールカーストなんぞ「バカじゃないの? とらわれすぎだろ君ら」てな感じで否定するでしょう。

 

仏教の観点からいえば、人類はみな平等です。

仏教はとてつもなく抽象度の高い教えなので、ぼっちとかリア充とかいったレベルの低い区別はしません。

前述のようにカースト制度そのものを否定しています。

 

自分がぼっちだと思う人には、原始仏教がおすすめ。

 

②ぼっちと言われることは悪くない! 自爆しなければぼっちはサイコーの環境

 まずは「ぼっちは悪」という洗脳から脱しなさい

かつての自分もそうでしたが、どうも日本の学校では「ぼっち=悪」「リア充=正義」という思い込みがまかり通っているみたいです。

ちょっと立ち止まって、考えてみてください。

 

なぜ、ぼっちは「悪い」んでしょうか?

なぜ、リア充は「望ましい」んでしょうか?

 

みんながそう言ってる・思ってるみたいだから、なんとなく自分もそう思う・・・という程度のものじゃありませんか?

 

「ぼっちでも」成功した人はいます。当たり前です。

逆に、「リア充でも」失敗する人はいます。

「ぼっちだから」失敗した人もいるでしょう。

「リア充だから」成功する人も、当然いますね。

 

「リア充-ぼっち」「成功-失敗」というマトリックスでみれば、かならず上記の四者が存在しているのです。

 

「ぼっちだから失敗する! リア充だから成功する!」、そんな道理はありません。

リア充でもダメな場合はダメ、ぼっちでも良いときは良い。

これを肝に銘じるべきです。

 

そもそも「群れていないと不安」というのは、周囲の言葉に洗脳されてしまっている証です。

洗脳されているというのは、つまりそれが「自分自身のなかから出た考えではない」ということ。

「自分なりの考えがない」ということは、あなたはほかの人と取り換え可能な人材です。

いくらでも替えがききますから、没個性で、没価値です。

 

みんな群れているから、なんとなく自分も群れに入れてもらおうとする――

そこに「自分なりの意思」はありません。

他人と同じように、他人より目立たないように・・・まさに奴隷の発想です。ムラ社会の思考です。

 

「自分はぼっちだからダメなんだ」「リア充になりたいなあ、成功できるだろうし」という抽象度の低い思考からさっさと脱しましょう。

自分がぼっち=ダメなやつだ、という自爆思考は、ほんとうにレベルが低い。

 

成功か失敗かでいえば、本当に失敗するのはまさにその「レベルが低い思考にとらわれた」人ですよ。

 

ぼっちという最高の環境

これは僕の持論ですが、「人間がいちばん伸びるのは、ひとりで自分と向き合っているとき」だと思います。

 

勉強をみんなでワイワイやるのは頭に入ってこないでしょう。時間潰しにはなるでしょうが。

 

ひとりでやる、といえば仏教の瞑想なんかそうですね。

釈迦が悟ったのは、ひとり静かに菩提樹の下で瞑想をつづけていたときでした。

瞑想のときは、ほかの人とおしゃべりはしないでしょう。

ひとりで黙々と、ひたすら自分の内部と向き合い続けるという形こそが瞑想のいいところです。

 

もし仮に、ひとりではできないことをやるためにどうしても他の人が介在するとしても、「その相手もまた真剣である」ことが大前提です。相手がふざけていたり、やる気がなかったりすると、こちらも引きずられてテキトーになりますから。

 

ぼっちというのは、ひとりでいる時間が圧倒的に長い。

すなわち、自分と徹底的に対話できる。しかも、いくらでも長い時間をとれる。

自分がやることの責任は、すべて自分にある。

その実感をいちばん持ちやすいのがぼっちではないでしょうか。

 

「ひとりで自分とじっくり向き合える」

これがぼっちとしての最大のメリットです。

 

内省する能力が高い人は、人生をうまくいかせるための下地ができているといえます。

 

イチロー選手は、ほかの選手とワイワイしゃべりながら楽しく素振りをしていたと思いますか?

将棋の羽生さんは、ほかの棋士とおしゃべりしながら将棋の研究をしていたでしょうか?

 

ぼっちに必要なのは、「よきライバル」「師匠」「理解者」といった「自分の目標達成のためのサポートをしてくれる存在」であって、「なんとなくの付き合いがある友だち」ではありません

 

もっと言えば、友達付き合いには「時間」もかかります。

飲み会の二時間、カラオケの二時間、友達の家でグダグダしょうもないことをしゃべっている時間・・・なにも生まない、ただ時間と金を消費するだけのひとときが、それほど貴重なものだとは思えません。

 

その「あなたが友だちとなんとなく過ごしているひととき」は、人生を本当に豊かにしたいと思っているひとであれば、一体何に使うでしょうか?

 

はた目では一見充実しているように見えても、当人の心のどこかで「なんか物足りないんだよなあ」という虚無感があるようでは、人生の終わり、目を閉じなければならないその時になってから「ああ、もっと自分のやりたいことを思いっきりやっておけばよかった」という後悔をすることになりはしませんか?

 

自分の能力の限界に挑戦するという気持ちよさは、ぼっちでないと味わえません。

 

もう一度言います。

 

ぼっちは悪じゃありません。

むしろ、

ぼっちこそが、人間にとって最高の生き方です。

 

――後編(アップしました)に続きます――

 

 

まとめ + ぼっち向けの本

さて、いかがだったでしょうか。

 

ぼっちであることは悪ではありません。

昔や今がぼっちであっても、未来で大成功すれば「あのころぼっちだったからこそ、頑張ろうと思えた」と言えます。過去の自分に対するとらえ方は、未来と今の自分の状態によって変わります。

 

ぼっちだからこそ頑張れた――あなたがそう胸を張って言える日を、僕は待っています。

 

後編(アップしました)もお楽しみください。

では、グッド・ラック!

 

★おまけ①:スクールカーストを知る

・「教室内カースト」(鈴木翔、光文社新書)

・「スクールカーストの闇」(和田秀樹、祥伝社黄金文庫)

・「スクールカーストの正体: キレイゴト抜きのいじめ対応」(堀裕嗣、小学館新書)

・「友だち幻想―人と人の“つながり”を考える」(菅野仁、ちくまプリマー新書)

 

 

★おまけ②:苫米地英人氏関連のおすすめ本

思考の抽象度を高くしたいなら、思考の抽象度の高い人の本を読むのが一番です。

苫米地英人氏の本は、内容自体がぜんぜん難しくないうえ、とても面白いものばかりなので、ぜひ読んでみてください。人生が変わるといって大げさではありませんから。

 

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する

・「洗脳原論

・「夢をかなえる PX2完全マスター

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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