【ぼっち論】「リア充」より「ぼっち」のほうが強くなれる、と断言できる5つの理由 後編

   

こんにちは!

クリストリタロウです!

今回は、前回の「【ぼっち論】「リア充」より「ぼっち」のほうが強くなれる、と断言できる5つの理由」の後編です。

では、お楽しみください。

 

③友達は、少なければ少ないほど良い

この国の教育制度はいろいろな面において破綻しています。

たとえば、こんな歌がありますね。

 

「いちねんせいになったら

いちねんせいになったら

ともだちひゃくにんできるかな…」

 

多分聞いたことがあるでしょう。

しかしこれは、ある種の洗脳です。

友だちが百人いたところで大して良いことはありません。

 

この歌の対象として想定されるのは、歌詞からして幼稚園・保育園の年長あたりでしょう。

日本の子どもは、幼稚園・保育園の年長のころからすでに「友だちは多ければ多いほどいい」という価値観を徹底的に刷り込まれているといえるのです。

 

「ともだちは多ければ多いほどいい」

という言葉は、裏返してみれば

「友人が少ないやつは人間の屑だ」

の意味をはらんでいます。

 

このような、朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ」や、山田詠美の「ぼくは勉強ができない」にみられるような、「友だちが多くて、異性に人気があって、気の利いたことを言えるやつが上」というリア充絶対主義的価値判断は間違っています

 

第一、「人間関係の(表面的な)充実度」というたった一つの尺度でもって人間としての価値など判断できるはずがない。

第二に、「人間としての魅力」などというものはそもそも存在しない。幻想です。

 

むしろ、友だちを無理に多くしようとすることには害悪があります。

 

たとえば、もしあなたが「リアルの交友関係が充実している」状態を求めようとして、

・付き合いたくもない友達と無理に付き合い、顔色をうかがうという精神的ストレスを抱えている

・友達のあいだでできるだけ上位に立とうとする悪癖がある

・周囲のグループより自分たちのほうが優れていることを示そうと必死になる

・他者の悪口を言いまくって、自分の思考の抽象度を下げる

 

・・・ということをやっているなら、それは自分で自分の首をガンガン絞めていることになります。

自分のやりたいことを殺してまで周りに合わせるのは、楽しい人生だと言えますか?

周囲の顔色や、自分の評判や、自尊心ばかりを気にしながら生きるのは、「生きがいのある人生」だと言えますか?

 

もしもそのような人間関係をダラダラ続けている場合、あなたのそれは友達でも何でもなく、単なる娯楽の道具でしょう。やめると不安になるから続けているだけで、タバコや酒と何ら変わりはありません。

 

そのような人間関係はスッパリとやめて、

むしろ、

「少数」かつ「互恵的」な友だちを持つべきです。

 

東進の林先生も、大ヒットした著書「いつやつか? 今でしょ!」の中で、「友だちは少ないほうがいい」と言っています。示唆に富む文章なので、引用します。

 

僕は授業でよく、「友だちは少ないほうがいいよ」と言います。(中略)

お互いに理解しあえ、かつ本当に尊敬できるような人間がそんなに数多くいるはずもないだろう、とも思っています。多くの「友だち」、仲間がいるという人が、どこかで自分を殺して合わせていたり、なんとなく引きずりまわされているような感覚を持ってはいませんか?

一番問題なのは、友だちと過ごす時間が、1人で過ごす貴重な時間を奪ってしまうことです。

特に若いうちは、1人で過ごす、孤独に耐える時間の中で養われる貴重なものがあると思います。

(中略)

僕もかつて、人が自分のことをわかってくれない、という感覚を抱いていました。でも、まったく気になりませんでしたね。「いつかわかってくれるヤツに出会うにきまっている、少しでもすごい奴にわかってもらうために、自分を磨いておこう」、と。

 

友だちは多いほどいいなんて、幻想です。

「将来は社交的な仕事に就きたいから、いまのうちに、多くの友達をとりまとめる能力を養っておきたい」というならわかりますが、多くの人は、心の底から望んでいない「ともだち」との付き合いに時間をかけるあまり、本当に大切な「自分自身とじっくり向き合う時間」を失っています。

こうして、主体性のない人間、自分の意見を主張することのない人間ができあがります。

 

「互恵的な友達」というのは、つまり「自分にとっても相手にとっても、『こいつとの付き合いから得られるものは多い』」と思えるような関係です。

ありきたりな言葉ですが、「濃い関係」ともいえます。

 

要は、その友達が「自分のゴールに関係のあるかどうか」です。

 

「そんな、友達を選別するなんて考えられない」と拒絶反応を起こす方もいるでしょうが、

自分にとっても相手にとっても大した実りがない付き合いよりも、

互いに「こいつと話すのはタメになる」と感じられる関係のほうが自然なのではないでしょうか?

 

「少数」かつ「互恵的」な友人を持ちましょう。

どのみち「あなたのことをほんとうにわかってくれる人」は、百人にひとり、千人にひとりなのですから。

 

④ぼっちなら、「洗脳」を受けない

こういうと「胡散臭いやつだな」と思われるかもしれませんが、言っておかねばなりません。

あなたのなかにある「常識」や「あたりまえ」の9割は、「他人から刷り込まれたもの」です。

 

たとえば、あなたが喫茶店に入って「コーヒーにする? 紅茶にする?」と訊かれたとき、

ほぼ無意識的にどちらかを選択すると思います。

 

もしあなたの親がコーヒーをよく飲んでいる場合はコーヒー。

紅茶好きな親なら、あなたも紅茶を頼む確率が高い。

 

このとき、無意識のなかに、親によって「コーヒーをとるか、紅茶をとるか」が刷り込まれているといえます。

怖いのは、このような刷り込みは「意識されないうちに行われている」ということ。

 

ほかにも、

「神社の境内で立ち小便をすると罰があたる」

「北枕すると縁起が悪い」

「就職しないでぶらぶらしているのはみっともない」

「世間に顔向けができない」

・・・・すべて「他人」や「メディア」などによる刷り込みの結果です。

これらは、あなた自身の考えではありません。他人のものです。

 

では、これはどうでしょうか。

「ぼっちは、格好悪い」

・・・これも、周囲やメディアによる刷り込みの結果ですね。

 

「ぼっち=きもい、格好悪い、ださい、みっともない、恥ずかしいetc」

という連想をしてしまうことは、あなたが周囲の環境や人間によって「洗脳されている」ことを示します。

 

そしてこの洗脳は、友達付き合いにのめりこむほど強烈になっていきます。

当然です。

 

いつも群れて行動していれば、

「群れからはぶられるのが怖い」

「自分が群れの中にいることを確認したい」

「ぼっちである人間を馬鹿にすることによって、精神の平衡を保つ」

という行動パターンがどんどん習性化されるからです。

 

この思考法を続けている限り、あなたは「掃いて捨てるほどいる一人」のままであり続けます。

なぜなら、周囲の考えを無批判に受け入れて付和雷同する人間は、世の中の多数派ですから。

多数派ということは、「いくらでも代わりがいる」ことと同義です。わざわざ自分を殺しているようなものです。

 

「いくらでも代わりがいる一人」「掃いて捨てるほどいるその他大勢」から脱するには、「群れる」ことをやめるべきです。

一度「ぼっち」状態を経験しない限り、あなたはいつまでも「その他大勢」です。

 

「ぼっちは恥ずかしい」という洗脳を無批判に受け入れる奴隷のような精神から脱するには、

一度ぼっちになってみる――これこそが、”最短の逃げ道”です。

 

⑤「ひとりだからこそできること」ができるのはぼっちの特権

 

ひとりじゃないとできないこと・ひとりだとはかどることをザッと挙げてみます。

・勉強

・読書

・妄想

・ひとり旅行

・好きな時に好きなように行動する

・自己との対話

・オタク趣味(収集など)

・哲学的思索

・・・他にもいろいろありますが、僕の想像力ではこの程度です。

 

読書や勉強なんか、集団ではできないでしょう。

ワイワイ勉強をやるにしても、参考書や教科書を読むこと自体は結局一人じゃないとできません。

 

そしてぼっちにとってうれしいことに、上のリストにあるものはどれも「やっておくと、強みになる」ことばかりです。

一人じゃないとできないことの多くは、「みんながやりたがらないけど、やっておくと得するもの」なのです。

 

ぼっちは、それを好きなだけやれる権利があります。

友だちが多い人に比べて、圧倒的に多くの時間を投下することができます。

ぼっちだからこそできる、まさに特権です。

 

・・・そもそも、みんながみんな「友だちとつながっていたがる」現代において、

もはや「一人でいること」自体が希少価値といえます。

 

集団に属して自分の色を殺すのは、たしかに楽です。

でもその代償として、一体なにを支払うことになるのか?

よく考えてみるべきです。

 

ぼっちであることのメリットは以上の通りです。

 

ぜひ、「ぼっちだからこそ光り輝いてかっこいい自分」を理想にすることをお勧めします。

 

ぼっちであるにしても、どのみち「宇宙の因果関係のなかで役割を果たすことになる」のは変わらないのです。

人間死ぬときは一人で死にます。

どうせなら、「ぼっちとして大成」する道を選びましょう。

 

まとめ+ぼっちにおすすめの書籍

さて、いかがでしたか。

僕自身筋金入りのぼっちなので、ぼっちの何たるかは十分に知っているつもりです。

 

ぼっちであることは、悪でもなんでもありません。

恥ずかしいことでもないし、むしろ誇るべきこととさえ思っています。

 

人間は、本質的には”一人”です。

どれだけ友達が多いように見えても、それは抽象度を上げてみれば結局「ひとり」です。

 

しかし悲観することはありません。

ひとりでないとできないことは、いくらでもあるのです。

 

人類という大きな集団に対して貢献するためには、友達の数は関係ありません。

むしろぼっちであることのパワーを活かして最大限の貢献をするほうが、スケールの大きなことができます。

 

Stay Hungry, Stay ぼっち.

あなたが、世界最高のぼっちになれることを願っています。

 

 

★おまけ①:スクールカーストを知って「ぼっち」の偉大さを知る

・「教室内カースト」(鈴木翔、光文社新書)

・「スクールカーストの闇」(和田秀樹、祥伝社黄金文庫)

・「スクールカーストの正体: キレイゴト抜きのいじめ対応」(堀裕嗣、小学館新書)

・「友だち幻想―人と人の“つながり”を考える」(菅野仁、ちくまプリマー新書)

 

★おまけ②:苫米地英人氏関連のおすすめ本

ぼっちであり続けるためには、「ぼっちは格好悪い」という抽象度の低い思考から自由になる必要があります。

で、

思考の抽象度を高くしたいなら、思考の抽象度の高い人の本を読むのが一番です。

ステマめいてきましたが、おすすめすべきものはおすすめすべきです。

 

僕が過去に出会った人間の中で最も「頭がいい」人である苫米地英人氏の本は、内容自体がぜんぜん難しくないうえ、とても面白いものばかりなので、ぜひ読んでみてください。

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する

・「洗脳原論

・「夢をかなえる PX2完全マスター

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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 - コミュ障・ぼっち・非リア, ネットの民の心理学, 人生・生き方・心の迷い・邪念への対処・哲学, 栗栖鳥太郎が学んだ・考えたこと