目次
「コミュ障って音読で治るの?」という質問への回答 後編
(前編はこちら!)
物理的なアプローチ つづき
食事

カップ麺やコンビニ弁当ばかり食べている人は、気分が不安定になりますし、うつになりやすくなります。
なぜなら、
①あなたの脳を動かすエネルギーになるのは、あなたが食べたものだけだから
②あなたの脳をつくる材料になるのは、あなたが食べたものだけだから
③あなたの感情を作り出す神経伝達物質の原料になるのは、あなたが食べたものだけだから
です。
つまり、
「あなたが食べたものによって、あなたは心が上向きになったり落ち込んだり、頭の回転が速くなったり遅くなったりする」
ということです。
この事実からすると、
「いま自分の頭の悪さやうつや発達障害やコミュ障に苦しんでいる人も、
食事を変えてやれば、脳が物理的に改良されるから、改善される可能性がある」
ということになります。
というのも、
たとえばコミュ障の人は、
「不安を感じさせる脳内物質であるノルアドレナリン」
がかなり多目に分泌されていることが多いのです。
私は勝手にノルアドレナリンのことを「キョドり物質」と呼んでいます。
ということは、そのノルアドレナリンが過剰に出ない食事に変えてやれば、
対人関係における不安も軽減され、コミュ障改善に役立つと考えられます。
このように、
食事を変える → 脳内物質や脳内神経細胞が変わる → 日常生活のふるまいが変わる
という道筋も存在するのです。
瞑想

最近「マインドフルネス」という言葉をよく聞きます。
もともと瞑想は東洋のものでしたが、
それが欧米のエリートたちの目に留まり、「マインドフルネス」として流行しているのです。
瞑想にはいくつかの種類がありますが、
たとえば、「自分の呼吸・身体感覚だけに意識を集中する」というタイプの瞑想を続けていると、恐怖や不安をコントロールする脳部位である扁桃体のはたらきが弱くなります。
簡単に言えば、
瞑想を継続することによって、
コミュ障特有の「キョドり」が軽減され、「胆力のある人」になれるのです。
欧米のエリートはおそらく、取引などの大舞台でびびらないために瞑想をしている面もあるのでしょう。
早い話が、
瞑想をしていると、コミュ障特有の
「嫌われたらしたらどうしよう。恐ろしい」
の「どうしよう、恐ろしい」の部分が消滅していくということ。
これにより「キョドり」が改善されます。
実際、瞑想をした人々の扁桃体は、明らかに働きが抑制されています。
恐怖を感じたり不安になったりといった「脳の中のマイナスの感情を司る部分」が弱まるのです。
さらにいえば、瞑想は、物理的に脳にはたらきかけると同時に、情報的にもはたらきかけます。
情報的にはたらきかける方法については後述しますが、瞑想はかなり有能なライフハックの手段です。
ちなみに、瞑想についてはまだこのブログのなかで詳しく触れたことはありませんので、今後記事にする予定です。
ひとまずいまのところは、瞑想について知り足りない人は以下の記事(外部サイト)をご覧ください。
「瞑想って本当にいいの? 脳の中で何がおきているのか究明してみた」
②脳を情報的に変えてやる
人間の脳というのは、
「情報レベルで見れば、刺激 → 演算&思考 → 反応 という情報処理を行うもの」です。
情報的な意味での脳 = 心 といっても正解です。
前項では「運動・食事・瞑想(・音読)」といった物理手段について触れましたが、
今度は「脳を情報的に変革してコミュ障を改善する」手段についてお話しします。
苫米地式コーチングを学ぶ
脳を情報的に変革するとは簡単に言いましたが、ではどうやればいいのか。
それにはまず、「脳のOS」を変えてやる必要があります。
「パソコンのOS」はWindowsやMac、Linuxなどがありますが、
人間でも同じようなことが言えます。
コミュ障の人に乗っかっているOSは、「コミュ障的思考法」「2ちゃんねる的思考法」「陰キャ的思考法」です。
私は、それらのOSではなく、
「苫米地式コーチング」というOS(オペレーティングシステム)を導入することが先決だと考えます。
いきなり「脳のOS」と言われても何のことだかわからないかもしれません
しかし実は簡単なことです。
キリスト教を信奉する人は、キリスト教的なものの見方・考え方をします。「キリスト教的思考法」というOSを持っているのです。
2ちゃんねるを長年やっている人は、2ちゃんねる的なものの見方・考え方をします。「2ちゃんねる的思考法」というOSを持っているわけです。
それと同じく、苫米地式コーチングを学んでいけば、自分のなかに「苫米地式コーチング的なものの見方」というひとつのシステムが構築されるのです。
「ちょっと待て、なんでわざわざその苫米地式コーチングとやらを導入せねばならんのだ」
という疑問が浮かぶかもしれません。
それは本当にそれだけの価値があるものなのか? と。
ほかにもっと良いのがあるのでは?
それについては、私はこう答えます。
①これまでに開発されてきた数々の自己啓発手法より、数段レベルの高いものに仕上がっている。単なる「プラス思考で毎日元気に!」式の思考法よりもはるかに完成度が高い
②生活上のありとあらゆる場面に応用できる。日常生活で直面する数々の課題を容易に解決できる
③私が自分で実践してみて、「これなら間違いないな」という感触がある
④責任者である苫米地氏が、史上類を見ないほどに有能である
私がここで言葉を尽くしても伝わらないものもあるので、詳しいことは、ぜひAmazonやYoutubeやニコニコ生放送で氏の書籍を読んだり動画を観たりしていただきたい。別に怪しい宗教とかマルチとか詐欺ではありません。
氏の本を読んだり動画を観たりすれば、私がなぜ苫米地式コーチングを「脳のOS」におすすめするのかがわかると思います。
そういえば、最近見つけた苫米地氏のインタビュー記事がありますので、一度読んでみてください。生活の密度やスケールに度肝を抜かれますよ。
瞑想
再びの登場です。
先ほどは「脳を物理的に変える手段(偏桃体を抑制したり、前頭前野を休息させたりする)としての瞑想」について述べましたが、
瞑想は、個人の脳を情報的に変える役にも立ちます。
どのように瞑想するのかというと、それは
「抽象的なことを頭の中で考える」
「自分のあるべき姿をイメージする」
という方法です。
たとえば、
釈迦の説いた「この世は縁起の法で成り立っている」という言葉をもとに、
実際の現実世界のあり方を考えてみたり。
あるいは、
コミュ障から完全に脱却して多くの人々と心の底から信頼し合っている未来の自分の姿や、
そのときに見えているであろうものを、五感をフル活用してイメージしてみたり。
このようにして、抽象度の高いものを瞑想することで想像力を鍛えることができるようになると、
「コミュ障とはすでに無縁になった未来の自分の状態」や、
「過去のとらわれから脱却して、未来だけを見ている自分」といった
ポジティブなセルフイメージを確保することができるようになるのです。
コミュ障の人がコミュ障の人であり続けているのは、結局、
「コミュ障である状態が自分らしい。リア充らしい生活は自分にとって不自然である」
と脳が判断しているからに他なりません。
そこを書き換えてあげることができれば、コミュ障らしいふるまいをだんだんしなくなっていきます。
この「書き換え」を容易にするためにも、抽象的なことを瞑想するということが有効なのです。
なお、具体的な書き換えの方法論としては、
まだこのブログには書いていない(書く予定はあります)のですが、
それまでの「コミュニケーション=つらい、いやだ、面倒くさい、恥ずかしい」という信念を、
「人と接すること=楽しい、やりがいがある、気持ちいい、好きだ」という風に書き換えてやることです。
(ついでに。
従来の”ポジティブに考えよう!”式の自己啓発や、”コミュ障を克服する本”がなぜ効果薄なのか?
→そういった方法では、コミュ障を情報的に書き換えようとするだけで、
物理的なアプローチを軽視していたからです。
あくまでも物理的な下地を作ってから、情報的に書き換えるべきだったのです)
生活のなかでの改善体験
以上の、
「物理的に”コミュ障な脳”を克服するアプローチ」→音読、瞑想、食事、運動
「情報的に”コミュ障な脳”を克服するアプローチ」→苫米地式コーチング、瞑想によるセルフイメージの書き換え
を、日々の生活のなかに取り入れていきます。
するとどうなるか。
まず、物理的なアプローチによって、脳が物理的に変革されていきます。
これまで支離滅裂な生活を送っていた人ほど効果が出ます。
運動・食事の変革によって、脳内物質のバランスが整えられます。
「安心物質」であるセロトニンが出やすくなり、
快楽物質であるドーパミンも出やすくなります。
食事の改善・運動の習慣化によって気分の上下がなくなるのです。
さらに、音読で頭の回転が速くなり、
瞑想によって不安感や恐怖感が減ります。
対人恐怖の「恐怖」が劇的に軽減されるのです。
「不安物質」であるノルアドレナリンも抑えられます。
これに加えて、「情報的に脳を変革するアプローチ」の効果も出てきます。
苫米地式コーチングという超有能なOSを導入したことによって、日々の生活に張り合いが出ます。
これまで過去にこだわっていたのが変革され、セルフイメージもガンガン変わっていきます。
さらに瞑想の力も借りてやれば、
だんだんと「人とかかわること=楽しい」「社会の役に立つこと=おもしろい」
という信念が強固なものとなっていきます。
もちろん、これまではコミュ障生活だったわけですから、
完全にコミュ障を脱却するには少々時間がかかります。
それでも、三カ月あれば別人のようになります。
食事・運動・音読・瞑想&苫米地式コーチング が互いに相乗効果を発揮して、
気が付いたら「コミュ障だった自分」は遠い過去のものとなっています。
…以上が、私が現段階で考えうる限り最善の「コミュ障脱却プログラム」です。
まだまだ改善の余地はあるのでしょうが、現時点のこの形でも、十分な効果が得られると思います。
コミュ障であることから目を逸らしている人、コミュ障に悩んでいる人、
ちょっとやってみてはどうでしょう?
だいたいの方法論はこのブログに揃っていますし、今後もさらに情報を充実させていくつもりです。
「ちょっとやってみる」くらいならだれにもバレないし、
むしろ自分を良くしようと試みるのはすばらしいことだと私は思います。
もしも、コミュ障という状態をあなたがいやなものだと感じているのであれば、
やってみる価値はあると思いますよ。
(前編はこちら)