すべての学問と知識はつながっている:たとえば「数学と物理学と化学と生物学」はどのように連続しているのか?

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すべての学問と知識はつながっている:たとえば「数学と物理学と化学と生物学」はどのように連続しているのか?

「すべての学問と知識を極めている」状態のために

「大学に入ると、物理は数学になり、化学は物理になり、生物は化学になる」と言われるけど…

よく耳にする言い回しですが、

「大学に入ると、物理は数学になり、化学は物理になり、生物は化学になる」

と言われるそうです。

 

どういう意味かというと、

・物理は数学になる→高校までの物理では「実際に図を書いて、矢印を引っ張って…」というわりと実務的な作業(これぞ物理!という感じがします)が多いのに対して、大学からの物理(たとえば量子論・相対論・材料力学や流体力学など)では、ただひたすら抽象的な概念と数式を追うことが増える。つまり、物理が数学と化す

・化学は物理になる→同じく。抽象的な概念を扱うことが増える

・生物は化学になる→生化学や生理学や分子生物学が入ってくるから。生物としての肉感があるコンテンツは減り、化学的な(生物よりも抽象的な)操作をすることが多くなる

という意味です。

 

だから、大学ではよく

「高校までは○○という科目が楽しかったのに、大学に入ってから急につまらなくなった…」

といった人が生産されます。

 

私自身は一応「文系」の学部に所属している(文学部の哲学倫理学講座)のですが、そういった理系の方々の高尚な愚痴を何度か聞いているうち、「ハッ」とするところがありました。

それは、

「そうか、そういえば学問って互いに連続してるんだった」

という当たり前の事実です。

あれ? 学問って互いに連続してて当然じゃん。なんで忘れてたんだろ…

物理が数学になり、化学が物理になり、生物が化学になる…ということは、

「学問は互いにつながっている」

ということにほかなりません(仮につながっていなかったとしたら、そもそも物理が数学と化すことなんてありませんね)。

 

なぜ私がそのことを忘れていたか? というと、おそらく大学受験の影響が大きかったと思われます。

大学受験では基本的に「国語」「数学」「英語」「歴史」という感じで、勉強すべき内容は科目ごとに互いに「隔離」されています。

たとえば、高校の物理の教科書には数学の微分積分の記述は出てきません。発展的で良心的な参考書であれば詳しく書いてありますが、基本的には「教科書などで、物理現象を、微分積分を使って説明するのはご法度である」とされているようです。本当は微分積分を用いて運動方程式などを記述するほうがよほどスマートでわかりやすいのですが……。

 

それどころか、大学受験では「文系」「理系」という区別が当たり前になっています。たとえば、文系は数学は1Aと2Bで終わり。数学3をやるのは理系だけ。あるいは、理系の人が「生物化学物理地学のうち1-2科目」をガッツリやるのに対して、文系の人はせいぜいセンター試験対策として理系1科目をちょろっとやって終わりです。

 

私は受験生時代、そういった「各科目を互いに異なるものとみなす」「文系理系を区別する」という受験業界の常識?をまるで疑わず鵜呑みにしていました。

それもあって、

「すべての学問は互いに連続している」

という当たり前の事実をすっかり忘却の彼方へと押しやってしまっていたのです。

 

しかし、よく「海外の大学では経済学は理系の学問である」とか「そもそも文系理系という区分があるのは日本くらい」とも聞きます。

 

あるいは、東進でもらった東大合格体験談集?に、

「英語で書かれた世界史の本を読んでいた。かなり効率よく勉強できた」

という体験記があって、「あ、良いなこれ」と思ったこともありました(英語を勉強しながらついでに○○を学ぶという意味では、CNNやアルジャジーラ・ワシントンポストなどのニュースサイトを読んでみたり、英語版wikipediaを読んでみたりしていました)。この場合は「英語と世界史を連続したものととらえて」いますね。

 

また、同じく東進つながりで、林修先生(だったかな?)が、「数学ができれば現代文もできる」というようなことを仰っていて、これもまた「数学と国語を連続したものととらえて」います。

 

たとえば:「数学、物理、化学、生物」をどう捉えるか

「すべての学問は連続している」のであれば、こういうことが言えそうです。

 

・「数学があるからこそ、物理がある」

…数学によって「式変形してもいいよ」「文字を使って計算できるよ」といった裏付けが与えられているからこそ、物理が成り立つ

・「物理があるからこそ、化学がある」

…化学で扱う諸現象は、結局「陽子や電子の動き」とか「粒子の挙動」といった物理(原子論や量子力学)の話に還元される

・「化学があるからこそ、生物がある」

…生物の体内で起こっていることは、DNA関連の現象や代謝機能・恒常性維持機能をはじめとして、みな結局は化学のことである。DNAの転写の仕組みは結局化学の話だし、代謝も化学の話。恒常性維持機能は化学平衡の話

 

ただ、逆に「生物があるから数学がある」「生物があるから物理がある」とは言えなさそうです。何らかの形で関係はあるでしょうが、「数学と生物、どちらがより応用が利くか」と考えると、明らかに数学です。

 

ところで、そのほかの学問はどうなのでしょうか?

 

たとえば、今のところ最上流にある数学は何によって支えられているのか?

→たぶん、言語学や論理学や哲学が基礎になっている(または互いに相補関係にある)のかなと思います。

それか、数学をやるのは結局「脳(人間の認知システム)」ですから、脳科学や認知科学とも関係が深いでしょう。

 

あるいは、文学や言語学や倫理学や医学や地球惑星科学はどうなのか?

文学は言語学や歴史・哲学と関係が深いでしょうし、医学は生物学や化学を基にしていますし、地球惑星科学は化学や生物学や物理や数学と相互に関連しています。

 

こまごました話が多くなってしまいましたが、

・「すべての学問は互いにつながっている」

・「それぞれの学問は、ほかの学問によって支えられている」

・「ある学問と関係する学問と関係する学問と関係する学問と…という感じで辿っていけば、どんなに離れた学問同士でも必ずつながっている」

ということを私は言いたいのです。

 

これを応用すると、

「見かけ上は数学を勉強しているんだけど、同時に頭の中では言語学・論理学・物理学・哲学などを走らせている」

「数学も物理学も化学も言語学も生物学も哲学も宇宙科学も脳科学も音響学も生態学も社会学もetc…という感じで、あらゆる学問について詳しくなれる」

という感じのことができるでしょうか。

 

おわりに:じゃあ「すべての学問と知識を極めている状態」って…?

私事ですが、私は最終的に「すべての学問と知識を極めている状態」に到達すべく日々勉強しています。

 

そして、今回の記事で述べたことからすると、「すべての学問と知識を極める」というのは、実は原理的には可能です。

なぜなら、すべての学問は必ず何らかの形でつながっているということは、裏返せば、どんな学問であっても、それを理解するに足る知識を集めていけば、「既存の知識と結び付けて理解」できるはずだからです。自分が持っている知識量が多ければ多いほど、その理解の速度は上がっていくでしょう。

そこで「数学なんて難しいから自分には…」とか「うわっ、難しい用語が並んでいる。頭のよさそうな人がたくさんいる…」とあきらめてしまうことさえしなければ、原理的には「すべての学問と知識を極める」ことは可能です。

 

ただ、「物理的制約」がやはりネックになってきます。

世の中に学問で生きている人はたくさんいますし、ものすごい業績を挙げている研究者の方もたくさんいらっしゃいます。ということは、それらの人々による研究成果が日々世の中にどんどん放流され続けているわけです。一年間に出る論文は全世界で数百万本(学士論文なども含む)と言われているみたいですし、一日に出版される書籍は日本だけで200冊。おまけに、それらの情報の「過去のぶん」までカバーする必要があります。インターネットなどまで含めて考えると、ものすごい情報量です。

 

しかしそれに反して、私は(きちんと)人間なので、目は二つ、耳は二つ、手は二つ、脳は一つです。脳がいっぺんに処理できる情報量にも上限があります(情報処理速度はまだまだ速くなるとは思いますが)。物理的制約がボトルネックとなっているのです。

この「自分が処理できる情報量<<<<世の中で日々生み出される情報量」という関係を何とかしないといけません。そうしないとどんどん離されるばかりです。未来永劫追いつけません。ここさえ解決できれば……というところです。

 

早い話が、「世の中に出回っている超大量の知識・情報をどう処理するか?」という実用的な方法さえひらめけばいい。そうすれば、あとは量との勝負、速度の勝負に持ち込めます。

(こんな言い方をするのもアレですが、情報を処理する技術という意味では、Googleはなかなか良いことをやってくれていると思っています。たぶん、Googleを作った人々のなかには私と同じようなことを考えている人がいるのでは? と思います)

 

とにかく、今回私がお伝えしたかったのは

「すべての学問って、互いにつながってるんじゃん」

という本当に当たり前のことです。月並みですが、それが結論です。

 

では、また明日お会いしましょう。

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