【試験に苦しむ学生必見】最小の労力で最高の成績が獲れる! 「テスト前超音読」のススメ

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 つい先日センター試験が終わりましたが、私の大学でもこれからテストラッシュが始まります。 テストというのは典型的な「やらなきゃいけない」勉強なので、あまり好きではありません。 しかし、苦痛を最小限にするために最適なテスト対策法があります。 それが「テスト対策を音読で済ませる」という方法です。 そこで今回は、「なぜ音読がテスト対策として最適なのか」を語ります。 テスト対策として音読するメリット ①とにかく時間がかからない 授業で配られた、文字ビッシリのA3プリント裏表。 これ、わからないところにいちいち詰まりながら黙読していくと疲れますし、時間がかかりますよね。 「わかんねえなあ」「つまんねえなあ」と思いながらダラダラやっていると10分、20分、30分と時間が過ぎ・・・ 途中で「や~めた」となりそうです。   でも音読なら、あの「文字ビッシリのA3プリント裏表」が5~10分あれば一周できます。 半年かけてやった数多くの授業プリントを、音読で1~2時間で読めてしまうなどザラです。   音読はとにかく、時間がかかりません。 これまで数多くの勉強法を試してきましたが、間違いなく「音読で勉強する」のが時間効率ナンバーワンです。   テストの科目はいくつもあるでしょうから、黙読でチンタラやっている時間はありません。 音読でパッパとプリントの内容を頭に覚え込ませてしまいましょう。 音読で浮いた時間は、自分の好きなことをしていればいいのです。   ②ひたすら楽である 黙読では、「わからないところをひとまず飛ばす」ことが難しいですよね。 わからないところにウンウンとうなった挙句、そこで思考がストップしてしまって眠気が・・・という時間の浪費をしがちです。 (わからないので)辛いです。 黙ってプリントを読んでいると、どんどん気が滅入ってきます。   でも、音読は「ひたすら読み上げていく」だけなので、ストップしようがありません。 内容が全然チンプンカンプンでも、とりあえずは進んでいけます。音読で理解できないなら黙読したところで同じです。   一度読んでわからないところは、まず放っておいて、最後まで読み終えてからもう一度やるほうが良い。 全体像の中で推測しなおすのです。 「○ぬ」の○に何が入るか推測するのは難しいですが、「ポチという名前の○ぬ」という全体像がわかっていればだいたい見当が付きます。わからないところは放っておいて、あとから「ああ。あそこはああいう意味だったのだな」と納得するのを待てばいいのです。   そしてもう一つ、音読は「30分あれば30分バッチリ勉強できる」のです。 ふつう、「30分勉強した」というとき、実際には気が散ったりスマホをいじったり思考停止したりしているので実質的には10分とか15分しか勉強していないことが多いんですね。 でも音読なら、30分音読すればきっちり30分だけ音読したことになります。 「勉強したつもり」にならないのが音読なのです。   音読は、「ただ読み上げていくだけ」なので、黙読に比べて段違いに楽といえます。   ③なんかよくわかんないけど文章力が超ドーピングされる メカニズムはよくわからないんですが、音読すると文章力が爆上げされます。 これは私自身が実感しています。 一日三時間くらい音読していると、6000字くらいのレポートなんてクソ以下です。   音読しまくってからレポートに取り掛かると、 次々にポンポンと「次にこう書けばいい」という道筋が見えてきて、 「これを書いて、その後にあれを書いて、ここはこう説明して、こう結論して・・・よし、頭の中ではもう終わったな」という風に頭がフル回転します。 ものすごく気持ちいい体験です。   これは仮説ですが・・・ 音読は脳全体をものすごく使います。 特に、言語野と、論理的思考力をつかさどる前頭前野がバリバリ働きます。 また、「文章を声に出して読み上げる」と、人間の脳は「活字モード」みたいなスイッチが入るようです。   音読をひたすらやっていると、文章力も爆上げされる。これは保証します。   ④内容を理解しつつプリント丸暗記が可能 ①の「音読は時間がかからない」と、②の「音読は、わからないところで詰まったりしないからラク」を組み合わせて考えると、こういう結論になります。   「音読は時間がかからない」から、当然「テスト範囲を何度も繰り返すことができる」。 最初は内容がイマイチ理解できなかったプリントでも、何度も繰り返し読んでいればだいたい意味がわかってきます。だから、「わからないところに四苦八苦しながら黙読する」よりも「わからないところはひとまず置いといて音読しまくる」方が良いのです。   さらに、何度読んでも理解できないプリントなら、「音読で丸暗記してしまう」という手もあります。 丸暗記しようと思うのではなく、とりあえずわからないなりに何度も音読するのです。 この場合、テスト当日に解答欄を埋めるときになって「あれ? 理解してないのに覚えてる!」という体験をすることになります。   ・・・ついでに言っておけば、音読は「記憶力」も上げてくれます。 経験上、音読で上がるものは「文章力」「記憶力」「思考力」「高速で考える力」などです。   +α 音読のコツ ハイスピードツイートリーディングでやる 音読は「小さい声でつぶやく」かつ「なるべく高速で」でやった方がいいです。 理由はいくつかあって、 ①近所迷惑防止 ②のどにやさしい ③小さい声プラス高速音読だと、発声器官が細かい素早い動きをするので脳に刺激がいく ④高速でやった方が時間がかからない ためです。 目安としては、1日1時間は最低ラインかなと思います。 3時間くらいやれば物凄く脳が活性化するのを実感できるはずです。   手っ取り早く記憶に定着させるには「夜と朝に同じものをやる」 よく言われますが、人間は睡眠をとると記憶の整理・定着が行われます。 これをフルに活かしましょう。   プリントの音読は「夜にやって」から、次の日の「朝にもう一度」やるとガンガン記憶できます。 ④で触れた「プリント丸暗記」は、この「睡眠またぎ」を加えてやると簡単にできます。 前日まで何度か「睡眠またぎ」をやっておいて、テスト当日の朝イチで、丸暗記したいプリントをもう一度音読すれば良いでしょう。   音読が効くテストの種類と、逆に向いていないもの テストは、まず「穴埋め」「単語を選ぶもの」なら、音読で簡単に乗り切れます。 また、「授業で扱ったテーマについて、テスト当日に書き下ろす」タイプのものにも強いです。   音読は、 「プリントやレジュメ・パワポプリントに書いてあるものをある程度覚えておく必要があるもの」 「授業の知識をもとに論述するもの」 には抜群の効力を発揮します。 その一方で、当然ですが、レポート提出というタイプにはあまり役立ちません。   「音読すればテストに役立ちそうなプリントがあるかどうか」を基準に判断してください。   まとめ + もっと頭が良くなりたい人におすすめの本 さて、いかがでしたか。 テスト対策を音読中心に進めることのメリットは以下の通りです。 ①とにかく時間がかからない ②一般的なやり方に比べて、ひたすらラク ③なんかよくわかんないけど文章力(あと記憶力・思考力など)が超ドーピングされる ④内容を理解しつつプリント丸暗記が可能 の四点をおさえておいてください。   また音読のコツとして、 ①ハイスピードツイートリーディングでやる(小さな声でつぶやく、それを高速で)と、様々なメリットがあります。 ②睡眠による記憶整理・定着を利用するため、覚えたいものは「夜と朝」プラス「テスト当日の朝イチ」にやっておく。 ③「これを理解・記憶すればテストに役立つというプリントがあるかどうか」を基準に考える。 という三点。   この記事で私が述べてきたことを活かせば、まさに「最小の労力で、最高の成績」を獲ることができます。 音読という勉強法がいかに優れているかを体感してください。 では、グッド・ラック!   ★おまけ 「頭を良くする」ためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。うさんくさいのは、読みもしないひとが勝手に言っているだけです。この人のニコ生とか見たらわかりますよ。   以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――  

“授業を真面目に受ける”デメリットあれこれ

こんにちは! 栗栖鳥太郎です! 今回は、日本の教育現場で行われているいわゆる「授業」についての記事です。 授業を真面目に受けることのデメリットと、自学自習のメリットを考えます。 "授業を真面目に受ける"が時代遅れな理由あれこれ 講義形式で一冊のテキストをだらだらやる理由は「特にない」 いまの日本で行われている学校教育の基本形は、「講義形式」です。 「講義形式」とは、大人数の生徒に対して教師が一人で、テキストに沿って教えていくもののこと。 これは日本の教育が「義務教育」となって以来の伝統的方式です。 (余談ですが、"教育を受ける"のは子供の”権利”です。子供に教育を受ける義務があるわけではありません。義務教育という言葉は誤解を招きます。子女に教育を受けさせる義務があるのは、あくまでも「親」です)   実際に自分の学校生活を振り返ってみて、小中高いずれでもこの「講義形式」の授業が大半でした。 おそらく読者の方も、海外で育った人を除いては、大多数がこの「先生が、テキストに沿ってみんなに教える」という形式の授業を経験されていると思います。   さて、ここでちょっと考えてほしいのですが、「講義形式の授業」のメリットとして挙げられるものは、いったい何でしょうか? ・・・ 思い浮かびますか? 実のところ、少なくとも生徒の側からみればメリットは"ない"と思います。 次節で詳しく見ていきましょう。     「授業を真面目に受ける」 必要がない理由あれこれ まず、講義形式の授業は、「自学自習に比べて、圧倒的に進度が遅い」ことがデメリットです。   講義形式の授業では、生徒側になるべく脱落者を出さないように、スローペースで進むことが求められます。 本来はもっと早いペースで学習を進めていける生徒であっても、授業のペースに合わせることを求められます。 自分でやれば1週間から1か月で通読できるような内容の教科書を、講義形式では半年から1年かけてやるわけです。 これは単純に考えて、時間がもったいない。   アメリカと違い、日本には飛び級制度がありません。 横一列の教育が浸透しています。   教科書の内容を習得できた生徒は、どんどん先へ先へと進ませてあげるべきです。 また逆に、まだ習得ができていない生徒に対しては、そこでいったん立ち止まらせる必要があります。 講義形式というのは、そもそも「できる生徒」「できない生徒」の両方に配慮できるシステムではありません。 できる生徒・できていない生徒をいっしょくたのペースで管理しようとすること自体がおかしいのです。 できるやつは先へ。できていないやつはちょっとストップ。 それが本当のはずです。   さらに、「スローペースでやる」ということは、記憶の定着にとってはむしろ不利だとも言えます。 一見ゆっくり学習したほうが知識としてよく吸収されるように思えますが、逆です。 教科書は一気にガーッと勉強して、そのうえで勉強の中身を何度も反芻するほうが良い。   また、今ではわざわざ講義を受けなくても、書店・図書館にいけばいくらでも「わかりやすく解説する本」「本格的な内容に踏み込んだ本」が置いてあります。 講義に出席して先生の話を聞くより、何冊か入門書を読んだのちに専門書に当たるほうが得策です。 講義と違って、自学自習では「自分が理解できる最速のペース」で学ぶこともできます。 さらに、講義の題目として成立するようなポピュラーな分野の本は、かならず書店に入門書や専門書が置いてあります。 わざわざ授業に出席しなくても、書店や図書館に行けばその分野について勉強できるのです。   もっと言ってしまえば、「授業で一斉に教えられる程度の知識」なら、自分で本を読んで習得するほうが早い。 「先生の話を聞きながら」では、その先生による視点しか得られません。 しかし、特定の分野の本を何冊も読めば、さまざまな観点からの知識を得ることができます。 講義形式の授業で扱うテキストは、原則として一冊です。 教える先生も、一人です。 「この分野はこの先生に教えられながら、このテキストで勉強するんだ」という先入観を作るのではなく、図書館に行って、その分野に関する書籍がそろっている本棚を見てみるほうがよほど有意義です。   「指示待ち人間」にならないための能動的学習が必要 また、講義形式というのは本質的に「受動的」な学習です。 「先生やテキストが与えてくれる情報を一方的に受け取る」姿勢は、消極的な学習方法としか言えません。 消極的な学習方法を続けていると、「マニュアルによって情報が与えられるのを待つ」という姿勢が身に付くのではと思います。 いわゆる、「指示待ち人間」になってしまうのではないか。   指示待ち人間の悲しいところは、「いくらでも取り換えが利く」というところです。 マニュアルにしたがって受動的・消極的に動くだけの人材なら、いくらでも代わりがいます。 代わりが利く、ということはつまり「買い叩かれる」ということです。 できるだけ安く長くこき使ってやろうと目論む経済的強者に搾取されるだけの人生になりはしませんか?   むしろこれからの時代に必要なのは、「自分が興味を持った分野について、自力で調べて、自分で考えて、自分なりの考え方を構築する」という積極的な学習姿勢でしょう。 自分が好きでやる勉強は、「知識の吸収効率がいい」し、「いくらやっても疲れない」し、なにより「楽しい」でしょう。   仮に大学の学部生の場合、「つまらない」講義形式の時間が週に90分×10コマあるとすれば、合計で900分=15時間。 一年間でみれば、授業が30週あるとして、15時間×30週=375時間という莫大な時間になります。 これを4年間繰り返すとして、単純計算すると375×4=1500時間。   だいぶ大ざっぱな計算ではありますが、仮に授業中になにもしないで過ごす(スマホでソシャゲをやるとか、寝ているとか、友達と私語を交わすとか)場合、 4年間で1500時間をドブに捨てることになります。実にもったいない。   しかし、この1500時間を、ひたすら「自分の好きな分野についての勉強」に充てるとしたら、どうでしょうか? 1500時間も勉強すれば、それで商売ができるくらいの知識や情報を得ることができはしませんか? 自分の好きな分野ですから知識の吸収効率もいいし、やっていて楽しいし、そしてなにより「ほかのひとにはできなくて、自分にはできること」をつくることができます。 「この分野は、この人がいちばん詳しいよね」という希少価値が出ます。   1500時間近く勉強をすれば、自分の頭の中に相当な情報ネットワークが構築されるでしょう。 少なくとも、「やりたくもない勉強を嫌々やる」よりははるかにマシだと考えます。   「受動的に、やりたくもないものをやらされる」のは楽しくありませんし、非常に効率が悪い。   脳は強制を嫌います。 人間は強制されてなにかをやるとき、著しく手抜きをする傾向があります。 講義形式の授業という「真面目に受けなければならないもの」は、そもそもが脳にとって「ズレた」学習法であることは疑いようもありません。   さてここまで散々講義形式の授業の悪口を言ってきましたが、私はべつにすべての授業を否定するわけではありません。 たとえば、 「研究現場の最前線の情報など、希少価値の高い情報を伝えてくれる先生の授業」 「少人数形式でみっちり指導してくれる授業」 といった授業には、ぜひ参加すべきです。   あくまでも私が否定するのは、「先生が一人に対して生徒が大勢でテキストを使って行われる講義形式の授業」です。それは、以上見てきたように「百害あって一利なし」の方式だといえます。   授業はやめて、こうすればいい! さて、講義形式の授業を否定したからには代案を出したいと思います。   私が提案する学習の指針は、 ・自分の「やりたいこと」「興味のある分野」だけを徹底的に学習する ・能動的に、自分から情報を集めて、自分なりの考え方を養成することにつとめる。情報発信を試みる ・書店や図書館に足繁く通う。 この3点に集約されます。   このやり方であれば、まず「楽しい」し、「楽だ」し、「効率が良い」のです。 さらに、「マニュアル人間」からも脱することができます。 既存の古いやり方から脱却して、楽しく有意義な学習生活を送りましょう。   まとめ + 頭を良くしたい人向けのおすすめ本 さて、いかがでしたか。 今回の記事では、 講義形式の授業がいかに非効率か、 そして自分から能動的に学習することのメリットは何か、を述べてきました。   現行の教育制度は、いまの時代に明らかにそぐわないものです。 昭和の負の遺産と言ってもいいでしょう。   非効率的で足かせにしかならないような古臭い学習法を捨てて、 これからの時代に即した新しく楽しい学習をしていけば、あなたの人生はもっと彩り豊かで自由に満ちたものになるはずです。 一度きりの人生、どうせなら、楽しく、速く、有意義な勉強をしましょう。   では、グッド・ラック!     ★おまけ:もっと頭が良くなりたい人に贈るおすすめ本 苫米地さんは、いま日本でもっとも「頭の良い人」だと思います。 これからは、この人が「来る」と確信しています。   この人はたしかにうさん臭いですよ。 でも、「ほんとかいな」と疑ってみるまえに、Youtubeなどでこの人がしゃべっている場面をちょっとでも見てみるべきです。あるいはこの人が書いた本を書店で立ち読みしてみるべきです。批判する人の9割は、本も読まずにテキトーなことばかり言っています。 内容自体はぜんぜん難しくないうえ、とても面白いものばかりなので、ぜひ読んでみてください。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「全速脳 ~脳は鍛えると100倍加速する」 ・「洗脳原論」 ・「夢をかなえる PX2完全マスター」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――

コミュ障は治すな!! インターネットこそが「コミュ障の楽園」である

積年の恨みを爆発させます。レッツ・爆破。 「リアル」での内向的な人間の扱いはどんどんひどくなっている いまの社会はおかしいんです!!! ちょっと物申させてください。 現代日本において、いかに「社交的な人間」がもてはやされているかをちょっと考えてみましょう。 社交的な人間をバカにする単語って思いつきますか? ・・・パッと出てこないでしょう。せいぜい「八方美人」とか「脳筋」とかそのくらいでしょう。 ほらね。全然出てこない。社交的な人間イコール正義であり勝ち組であり望ましい姿と一般的に思われていることの証拠です。   では逆に、こんどは、「内向的な人間を馬鹿にするワード」をちょっと書き出してみましょうか。 陰キャ 無口 暗い キモイ 挙動不審 オタク キモオタ 何考えてるかわからない 不思議ちゃん ニート予備軍 無能 根暗 闇深そう はっきりしゃべれ 何言ってるかわからない コミュ障 ぼっち 友達いない人 スクールカースト最底辺・・・書いてて泣きそうになるのでここらでやめておきますが、ホラ、いくらでも出てくるじゃないですか!!!   外向的な人間をバカにする風潮は、はっきり言いましょう、ありません。 でも、内向的な人間はバカにしていいし、いくら揶揄してもいい。そうでしょう? なぜこうなってしまっているのか? なぜ、陰キャというだけで馬鹿にされなければならないのか? なぜ、「爽やかで明るい体育会系」は体育館でひとりバスケしてるだけで「カッコイイ・・・//」と思われて、 なぜ「陰キャ」が体育館でひとりバスケしてるだけで「不審者が構内に侵入した」と放送されなければならないのか?   答えは簡単です。社会の過半数を「外向的人間」が握っているからです。 そしてそれをいいことに、「外向的人間こそが人間として望ましい姿である」という価値観が国民の間に植え付けられているからです。 皮肉なことに、インターネットが普及することによってよりその傾向が強まったようです。ネットという媒体のパワーによって、「ぼっち」「リア充」「陰キャ」「勝ち組」「負け組」といった区分は、より身近なものとして定着しました。「あいつはぼっち」「あの人はリア充グループ」というレッテルは、日本全国で、いまこの瞬間も絶え間なく貼られ続けています。 いまや「食堂でぼっち飯をするのが恥ずかしいから」という理由で、なんと若者の5人に1人が「便所飯」を経験したことがあるといいます。 じつに、嘆かわしい。 コミュ障たちは、いうなればアメリカ西部開拓時代のネイティブインディアン・あるいはタスマニア島の原住民と一緒です。圧倒的な数の暴力の前になすすべもなく打ちのめされ、踏みにじられ、悔しい思いをしながら泣き寝入りを強いられる被抑圧者なのです。   ・・・しかし、愚痴っているだけではコトは前になど進みやしません。   「戦争反対!!平和!!」と叫んでも戦争がなくならないのと一緒で、 「リア充爆発しろ!!死ね!!」とボソボソつぶやいてもなにも変わりやしないのです。   では救いはないのか? いや、あります。 インターネットがあるじゃないですか。いまあなた、使ってるでしょ。それ。 いまあなたがこのブログを見るために使っているインターネット、実は「内向的人間のパラダイス」であることを、知っていましたか?   インターネットでは内向的な人間こそが成功する このコピペ、知っていますか? 2ちゃんねるの黎明期に貼られていたものです。 「自分の黒歴史を晒せ」というスレにて。 中学時代のパソコンの授業でインターネットを使った時 みんなが自分の好きな漫画や野球のページを見てる時に 自分だけこれみよがしに2chにつないでAAとかを周りに見せてたこと しかも「このページって何?」って聞かれた時に「ヤバイ奴らの集会所みたいなもん」とか答えたこと さらに友達に2chへの行きかたを教えるためにヤフーで2chって検索させて でてきたリンクをクリックして2chのトップページが表示された瞬間に そいつの耳元で「Welcome to Underground」ってささやいたこと ・・・耳の奥がなんとなくムズムズしてくるようなコピペですが、一理はあります。 インターネットと現実世界との間には、遠い距離があるのです。それこそ、光の当たる世界と、アンダーグラウンドの違いです。 なにせ距離が遠いので、現実世界で猛威をふるうリア充も、容易にインターネットでは活躍できません。   むしろ、インターネット上で成功するためには、内向的でないとダメな部分があるのです。 なぜなら、このインターネットでは「内向的な人が多数派」になっているからです。 ネットの多数派を占める人種の気持ちがわかる人間でないと、そこにいる人々にうまく呼びかけることができません。現実世界で傷ついた内向的な人々は、インターネットに「同志」を探し求めに来ているのです。傷のなめあいは、現実世界でやると「まーた陰キャグループが固まってるよ」と、一瞥もされませんから。 教室の隅で眠ったふりをしつづける人生・・・空しいもんです。 さらにいえば、インターネットに深入りするのは、外向的な人間にとってはまちがいなく「退屈な作業」にほかなりません。何時間もパソコンのまえでじいっと、自分から積極的に動かないで情報を受信し続けるというのは、外向的な人々のもっとも苦手とするところです。パソコンという動かないものを相手にするよりも、彼らは、活き活きとした友人たちと遊びに行きたいと思っていることでしょう。 もう一度言います。 内向的な人間の集団の中でいちばん成功できるのは、内向的な人間です。 もうひとつ。 インターネットではなんと、一切ほかの人とコミュニケーションをとらずとも大金を稼ぐことができます。 ・Youtubeへの動画投稿(顔出しなしでもOK) ・Naverまとめへの記事投稿 ・「転売」 ・クラウドソーシングサービスの利用 ・アフィリエイト ・なにか面白いことをやる などなど・・・いくらでもやりようはあるのです。 現実世界でお金を稼ごうとすれば、ある程度のコミュニケーション能力が必要ですね? どうしてもそこは避けて通れません。たいていのバイトには面接というものがあります。 それが「いらない」んですから、本当にありがたい。 ね、天国でしょ? どれだけコミュ障であろうとも、ネットを使えばいくらでも稼ぎ口はあるんですから。   「リア充が弱者」の世界へようこそ リア充がリア充たる最大の要因は「リアルに満足している」ことに違いありません。 かれらは、客観的に見れば大したこともない「自分の友達」のことを「濃いメンツ」と呼ぶことによってその人間的価値を水増しし、冷静に見ればただのブスでしかない「自分の彼女」のことを「サイコーの恋人💛」と表現することによって「自分たちこそが世界で一番幸せである」という満足感の砦に引きこもろうとしている、まさにコミュ障にとっては不倶戴天の敵なのであります。 だから、リア充がバカッターをやらかすとネットではあれほど徹底的に叩かれるのです。   リアルで何十年も踏みにじられ続けてきたぼっち・陰キャの怨恨・ルサンチマンはものすごいものがあります。 悲鳴を上げて燃え盛るツイッターから飛び出してきたリア充をなぎ倒したときの快感など、胸がすくような気持ちでしょう。   その意味で、このインターネットという世界はまさに、表社会・現実社会とはまったく異なる思想が支配している世界といえます。こっちの世界においては「リア充アピール→死ね」なのです。「ベトコン→死ね」「資本主義の犬→粛清」くらいのテンションでぶっ叩かれるのです。   まとめ 今回この記事を書こうと思い立ったのは、そもそも「陰キャ」というワードが自分の周囲の人間の口から何度も何度も発せられていることに気づいたからです。 べつに、怪しげな情報教材へのリンクへと誘導はしませんし、無料のメルマガに登録しようなんてことも言いません。ただ「いまの社会で、コミュ障は不遇すぎるだろ」と思ったからです。「コミュ障は自己責任」じゃありませんよ、倫理的には。明らかに本人の意思とはかかわりのないところで「コミュ障化」は進行するんですから。絶対貧困から抜け出せるひとがいないのと一緒です。 今回この記事を読んで感じ取ってもらいたいのは、「現実世界で成功できなくても、インターネットがまだあるじゃないか」という「残機を2にする」感性です。 べつに就活失敗しようが受験失敗しようが職を失おうが「どうでもいい」んですよ。いまの時代インターネットは誰でもタダで使えますから。家がなくてもなんとかなるし、金がなくてもなんとかなるし、食い物は他人に分けてもらえばいい。いくらでもやりようはあります。命だけ失わなきゃチャンスはいくらでも巡ってきます。 この記事を見て、インターネットで稼げるんだということを知っていただけりゃ、それだけでもう幸いです。 ありがとうございました。では、グッド・ラック。   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひツイッター等で共有していただきたいと存じます――  

人間関係・お金・周囲の評価…ハァ? あらゆることに「どうでもいい」を突き付ければ、世界が変わる

今回はちょっと哲学的な、人生訓的な話になります。 私が普段から心がけていることでもありますが、だからこそ断言できます。 「心をラクにする」ために、そして「人生を思い切り楽しむ」ために、「すべてはどうでもいい」以上の思考法はない。 では、「すべてはどうでもいい」の世界へと足を踏み入れてみましょう。レッツ・解脱。   「すべてはどうでもいい」って、どういう意味? ・文字通りです。 ・「すべてはどうでもいい」のです。お金も、異性も、世間体も、人間的つながりも、学歴も、身分も、親の仕事も、社会的地位も、努力も、他人も、すべては、「どうでもいい」のです。 ・もう少しわかりやすく言葉を補ってやると、「自分にとって、すべてのことは、本来、どうでもいい。そう考えてよい」となります。   「すべてはどうでもいい」のだ ・「えっ?」とか、「はぁ??」と思われた方、多いでしょう。おそらくたいていの人は反射的に、「すべてがどうでもいい? ンなわけ、あるか、ぼけ」と思われるでしょう。でも・・・ ・ちょっと考えてみてください。 ・現代の日本人は、「こういう状態でなければならない」という理想に縛られすぎではありませんか。たとえば、こういうの。   「大企業に内定しなければならない」 「無職は負け組だ」 「異性にモテないやつはダメだ」 「リア充になれないやつは一生負け組だ」 「有能でなければならない」 「コミュニケーション能力が高くなければならない」 「収入が少ない奴は負け組」 「負け組になるのは、人生の終わりだから、勝ち組のなかに入らねばならない」 「他人から嫌われるのではなく、好かれなければならない」 「スポーツは、得意でなければ恥ずかしい」 「イケメンじゃないと負け組だ」 「上位グループに所属していなければならない」 ・・・こういう類の。どれも、「一般的な価値観」です。 ・でも! でも・・・ちょっと冷静に考えてください。   ・上に挙げたもの、すべて、よく考えてみりゃ、「誰がそう決めたんだ」という話じゃありませんか?   ・ただみんななんとなく、「ほかのひとがこう言うから、自分もそうじゃなきゃいけないなのかな」という、「右に倣え方式」の「思考停止的固定観念」じゃありませんか? ・ほんとうに、誰が決めたです、そんなこと? 本当に、「そうでなきゃいけない」んですか? ・みんな気づいていない、あるいは気づいていないふりをしているだけで、ほんとは、上に挙げたこと全部、「どうでもいい」ことなんじゃないですか? ・だって、自分の人生って、自分以外の誰のものでもないでしょう? 自分の価値観じゃなくて社会の価値観に従わされたまま生きるなんて、それ、本当に、自分の人生って言えますか? 本当に、いったい、誰がこんなことを、いつの間に、われわれに勝手に刷り込んだんでしょう?   ・・・ですから、いったん頭を冷やしましょう。 ・呪縛から、洗脳から、思い込みから、自由になる薬をさしあげます。 ・「すべては」、「どうでもいい」のです。上にリストアップしたことも全部、本来、どうでもいいことです。 ・さらにいえば、自分自身の心がどう感じるかさえも、本来は「どうでもいい」ことなのです。 ・もちろん、周囲の人間がどう思うかということも、それを受けて自分の心がどう反応するかさえも、「どうでもいい」。   仏教も認める「すべてはどうでもいい」のパワー ・仏教の考え方に近いですね。チベットあたりの出家僧は、「子供を作らない」し、「名声を求めない」し、「お金も求めない」し、「死ぬことを怖いと思わない」ように長年にわたって修行します。日本人の真逆ですね。 ・「すべてはどうでもいい」は、仏教にも通じる考え方なのです。 ・「すべては空しい」とブッダは説きましたが、これは「宇宙全体の流れのなかで考えると、この世にあるすべては苦である」という意味です。思うに、ここでの「苦」は、「苦しい」というより「空しい」の意味に近いものです。「すべてのことは、どうにもならない。だから、どうでもよい」というロジックです。 ・ただ、ちょっと気を付けてくださいね。「すべて〈が〉どうでもいい」ではないんです。「すべて〈は〉どうでもいい」であることに注意してください。 ・「すべてがどうでもいい」は、いわゆる捨て鉢、単なる無気力、現実逃避、リアルから目を背けているだけです。いったんはすべてから解放された気になるかもしれませんが、やがてかならずしっぺ返しを食らう羽目になります。クレジットカードを使いまくって月末に青ざめるのと同じです。 ・「すべてがどうでもいい」と言う人は、行動することを放り投げているだけです。しかも、一時的に。なにも変わっていやしません。「すべてがどうでもいい」と開き直ろうとはしていますが、単なる「強がり」に過ぎないのです。 ・それに対して、「すべてはどうでもいい」というのは、物事の本質を確実に捉えた表現です。不変ですし、すべての事柄に適用できますし、後悔も生まない考え方です。   知らず知らずの間にかけられていた「洗脳」を解く効果がある ・陰謀論めいてきますが、現代日本に住む人の99%は「洗脳」されています。 ・誰に? ……「経済的強者」「社会的強者」にです。 ・資本主義社会では、たくさんの消費者がたくさん買ってくれないと、多くの会社がつぶれてしまいます。そうならないように、バカにどんどんお金を出させているのです。そして、バカばかりのほうが搾取に都合がいいので、たとえば公立の学校教育も「バカを量産する」ようにしています。「強者」は、みんな進学校の私立へと自分の子供を通わせます。子供を「負け組」にしないために。 買わなきゃハド損 ・「流行しているものを買ってしまう」のは、「買わないと恥ずかしい」と洗脳されているからです。「流行しているものを買わなければいけない」なんて、誰が決めたんですか? ・「大手企業に就職しなければならない」のは、「学生の就活をエサにする人々」に洗脳されているからです。なんで大手じゃないとダメなんですか? ・同様に、「ソシャゲについ課金してしまう」のも、「食べ過ぎてはいけないとわかっているのに、ついたくさん食べてしまう」のも、「芸能人やスポーツ選手のスキャンダルに過剰反応してしまう」のも、「洗脳」されているからです。だって、買ったり、消費したりされないと経済が回らないんですもの。   「すべてはどうでもいい」思考を身に着ける、おすすめの方法 ・「そんなこといっても、理屈はわかるけれども、実行できないよ」という人のために、私なりのやり方を紹介しておきます。 ・難しいやり方ではありません。 目を閉じて、心の中で、「すべては、どうでもいい」と、最大限できる速さで繰り返しつぶやく これともう一つ、 自分が執着していることを思い浮かべ、「どうでもいいどうでもいいどうでもいい…」というラベルを心の中でペタペタ貼り付けて見えなくする これだけです。 ・ちょっとやってみてください。二秒あればできます。しかも効果抜群です。 ・一番目のやり方では、「ほかに考える余地がなくなる速さで」、「すべてはどうでもいい」とつぶやきます。 ・ものすごい速さで唱えることによって、プチ催眠状態に入ることができます。人によってはちょっと「フワッ」とするかもしれません。心のなかに、強烈にインプットできる方法です。これは効きますよ。 ・二番目のやりかたは、「すべてに貼ってあるラベルをはがす」のではなく、「その上から、『どうでもいい』のラベルをペタペタペタペタ貼っていくイメージである」ことがミソです。この方法だと、簡単に執着を断ち切ることができます。   「すべてはどうでもいい」の見方をすれば、人生が楽しくなる―まとめ― ・「すべてはどうでもいい」の思考法が身についてくると・・・「自分にとって、本当に価値のあるもの」が見えます。 ・先ほど述べたブッダについて言えば、彼にとっての「本当に価値があること」は、「自分を含め、なるべく多くの衆生を、解脱へとみちびくこと」でした。「すべては空しい」と説いたブッダにとって、その「みんなを救う」という使命だけが、「ほんとうに大切なもの」だったのです。 ・だから、「すべてはどうでもいい」は、決して「自己中心的な生き方」とイコールではありません。「すべてはどうでもいい」という視点からすべてをとらえなおすことによって、本当に大切なものがハッキリします。その「本当に大切なもの」は、かならず「自分だけでなく、周囲の人にもいい影響を与える」ものになるでしょう。 ・どうしても「すべてはどうでもいい」に納得できない人は、逆に、「なぜどうでもよくないのか? 本当にどうでもよくないことなのか? どうでもいい、と考えるほうが筋が通っているんじゃないのか?」というテーマを考えてみてください。やがて納得することになります。   ・今回は、「すべてはどうでもいい」という思考法について述べさせていただきました。 ・自分で自分の首を絞めているひとが、本当に多いんです。「すべてはどうでもいい」ことを心に刻むだけで、もっともっと楽しい人生を手に入れることができます。ぜひすべてのことに「どうでもいいのだ」と突き付けてやってくださいね。 ・では、グッド・ラック!   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひツイッター等で共有していただきたいと存じます――    

高学歴大学に棲息する「頭がいい人」には、2種類ある!

私はいま、大学生として生活しています。 これを書いているのは夏休みの終わりです。 受験戦争を勝ち抜き、カースト戦線でも何とか生き抜き、部活に終われる日々を送っております。そんな自称多忙な私が、大学にきて一番感じたのは・・・ 大学には本当にいろいろな人種がおり、まさに万国博覧会の様相を呈している ことです。 そして、 あまりレベルが高くないとはいえ仮にも旧帝大に在籍しているので、否応なしに「頭がいい人たち」に会う(または遭う)ことになります。 きょうはその中でも「頭がいい人」について、自分が思ったこと・考えたことをぶちまけます。     ①.「ふつうにできる、温和な優等生」タイプの、「温室栽培型」 ※イメージです ・比較的経済事情に恵まれた家庭の出身である …親が退職間近の公務員とかの場合が多い。「学費は自分で稼いで出せ」とか言われない家庭に育つ。   ・ふつうのことをふつうにできる。バイト等も無難にこなす ・だいたいのことを同じくらいのレベルでこなす …この「温室栽培型」の一番の特徴。「ふつうのことを、ふつうにする」能力がとてつもなく高い。「指示されたことを覚えていない」とか、「気が利かないやつだと怒鳴られてしまう」というようなことがほとんどない。なんでもソツなく、とにかくふつうに無難にこなす。   ・高校までの友人が「デキるやつ」ばかりだった ・比較的穏やかな性格、協調性もあり、人好きのする感じ …「自分よりはるかにデキるやつ」と日常的に接触してきたため、「こいつらにはかなわないな」という線引きが自分の中でできている。自分の実力に関して、高望みしない。変なコンプレックスやしがらみはとうの昔に捨て去っているので、心中もおだやか。お人よしすぎてカルトなどに引っかかりそうになることもある。内面の平和さが外面に反映され、「良い人そうなオーラ」が出る。   ・・・総じて、「平和な人生」を歩んでいけそうな感じのする人々はこの「温室栽培型」に入ります。   ②「人に流されないのは素敵なんだけど、ちょっと近寄りがたいかも」タイプの「下剋上」型 アイシールド21の一コマ ・「自己啓発能力」「努力」「メタ認知能力」をフルに使ってのし上がってきた …自分の部屋の壁に「○○絶対合格!」「かならず○○になる!」などという張り紙をしているタイプ。書店に行けばなんとなく自己啓発本のコーナーに入ってしまう。   ・偏差値でいえばあまり頭がいいとはいえない高校の出身である ・高校のなかでは上位クラスだった …「まわりはデキないやつだらけ」の環境でも頑張れるだけのガッツを持っているが、いかんせんお山の大将で、プライドが高め。大学に入るとさまざまな地域から学生が集まってくるため、「世の中にはこんなにできるやつがいるのか・・・」と衝撃を受ける。学歴コンプレックスをこじらせやすい。   ・ネタキャラになりやすい ・ふつうのことをするべき場面でとんでもないことをしでかす場合がある …「周囲と違った行動をとる」ことに長けているのがこのタイプで、「温室栽培型」とは真逆。みんなと違うことをやりにいってしまうので、周囲からネタキャラとして扱われ、物真似のえじきか飲み会の話のネタになる。「重宝される」か、「馬鹿にされる」かはその人の人柄しだい。   ・コンプレックスを原動力にする ・初見でちょっと近寄りがたい印象がある …コンプレックスというのは非常に強力なエネルギーになるのだが、コンプレックスばかりに頼りすぎると「ひねくれた」人間になる場合も多い。なにかを猛烈に敵視するのもこのタイプの特徴。「イケメンでスポーツマンでコミュ力抜群で勉強もできる」タイプにいちばん嫉妬するのが「下剋上型」のさだめです。嫉妬してばかりで内面がすさみ、それが外面に出てしまって「なんとなく近寄りがたいオーラ」を出してしまう。   まとめ ・ちなみに私自身はあきらかに「下剋上型」で、コンプレックスや嫉妬にまみれながら生きるタイプです。 ・こうやって、周囲にいる人々を観察して共通項を見つけだす作業はなかなかに楽しいものです。ぜひ自分でもやってみてください。周囲の人々にありがちなことは、意外と簡単に見つかるものですよ。     ――この記事をちょっとでも面白いとお思いになれば、ぜひツイッター等で共有していただきたいと存じます――  

自分は内向的な人間だ、と思う人が知っておくべきこと

「内向的な人」は少数派、「外向的な人」は多数派であるという事実 ・ここでいう「内向的」とは、思考や感情のベクトルが「自分のなか」に向いている、という意味です。自分の考えや自分のペースに高い優先順位を与える人のことを指します。 ・個人の気質には、「内向的」という極と、「外向的」という極があり、ある人間は、その端から端までの間のどこかに位置づけられます。極端に内向的な人もいれば、極端に外向的な人もいるし、中間型もいる。ただひとつ言えるのは、内向的な人というのは少数派(3人に1人)であるということ。 ・工夫しだいで、内向的な人であっても外向的にふるまうことは可能である。ただし、そのようにふるまうことは、エネルギーの消耗が激しい。   外向的か内向的かによって、活力の充電方法がまったく正反対である 内向的な人は自分の内部からエネルギーを汲み上げる ・自分のなかの感情、理想、信念といったものから充電する必要がある ・人数が多い場所ではエネルギーの充電が困難であるから、一人でゆったりと過ごすことが必要 ・現代という時代では、「速さ」が求められ、他人との素早いコミュニケーションが必須である。だから内向型の人にとってはストレスになりやすい環境。外向的な人ばかりの世界への対応適応を迫られて消耗する。 外向的な人は自分の外部からエネルギーを充電する (画像は偏見に基づくイメージです) ・週末に人の多い場所に出かけたり、数多くの友人と一緒に過ごす(バーベキューや飲み会)ことによってリフレッシュを図る。 ・外向的な人からみれば、内向的な人の休日の過ごし方は「退屈で、刺激の少ないもの」にしか見えない。 内向的でも外向的でも共通すること ・自分の能力を最大限に発揮できる場所がどこなのかを知っておくべきである。内向的な人は人気の多い場所で休息できないし、逆に、外向的な人は独りでいると逆にストレスを感じることになる。   内向的な人にとって有益な情報 内向的な人に向いた環境 ・外からの刺激に弱く、すぐに「もう手一杯だよ」というお手上げ状態になる。内向的な人が集中するには、刺激の少ない環境が必要。 刺激の少ない環境とは、「視覚的に刺激が少ない」「動きが少なく、動きが急でない」「うるさくない」「人が少ない」「広くない」環境のこと。内向型の人がラスベガスのカジノ(うるさい、速い、チカチカする、人が多い)みたいなところに行ってしまうと大変な疲労を覚える。 一人だと孤独感 二人だと劣等感 三人だと疎外感 ・三人に一人は内向型ということは・・・ →一人だと孤独感 二人だと劣等感 三人だと疎外感 というあの有名な表現は、実に的確だといえる。 三人集まれば、ひとりは内向型である可能性が高いのですから。 こういう表現を考え付く、というのは内向型の人間の得意とするところでしょう。 ・ついでに、こじつけっぽくもありますが、 「三人寄れば文殊の知恵」という有名なことわざも、「三人いれば一人は内向的な思慮深い人間が混ざっていて、そいつが口を開くと意外といいことを言うものだ」という背景が(もしかしたら)あるのかもしれません。 内向的な人間は作家向き? ・外向的な人々が社会の多数派なので、当然、外向的であることが望ましいとされる価値観が根強いです。この場合、左利きが不便な思いをするように、少数派である内向的な人々も不便なことになりやすい。不便や苦痛を強いられると、内向的な人は「自分の中の考え方」を変更することでそれに対処しようとするから、ますます思慮深く、哲学的抽象的な考えを持つようになっていく。内向的な人というのは、表面だけ見ると「なにを考えているのか、いまいちわからない」と思われることが多いが、実のところ、たとえばそのような人々に筆を執らせてみると、「これ、本当にあなたが書いたの?」とビックリされるくらいのものを書き上げることがしばしばある(と思います)。 ・内向的な人は、「自分のなかで考えていることを、みんなにも知ってもらいたい」という欲求がかえって強いのかもしれないですね。そういう人は文筆業が向いています。 内向外向でみる、大学生の分類 ・次のような分類ができるかもしれない。 リア充とは「外向的そのもの」か、「内向型の特徴を活かした上で、外向的な人々の間で上手に振る舞っている」人々 非リア充は、「内向的そのもの」か、「内向的な特徴を持っているが、外向的な人々にはなじめそうにない」人々 キョロ充(注:リア充軍団に入りきれないが、入るチャンスを窺ってリア充の動向をキョロキョロ気にする人たちのこと)は「外向的ではあるが、外向的な人々の間では孤立しがちな」人々 どっちの人間でも、バランスが大事 ・外にでることも必要、自分の内部と向き合うのも必要。極端に内向的でも、極端に外向的でも、「自分が何をしたいのかはっきりしない」という状況に陥る可能性が高いです。    まとめ ・この記事を読む気になった人の多くは内向型の人でしょう。かくいう私も典型的な内向的人間です。内向型の人は現代社会では生きづらさを感じるかもしれませんが、外向型の人々の間で活躍することもできますし、内向型の人に向いているものもたくさんあります。小学校の通信簿で「おとなしい」と書かれたからといって、一生干物みたいに過ごす必要はありません。自分の強みと弱みを把握した上で行動できる人間になりましょう。そういう人間こそが、一番強い人間だと、私は思っています。  

コミュ障に悩む大学生は、ちょっとでいいから「嫌われる勇気」を読んでみよう!

  スクールカーストの被害者はどうすればいい? ・自分が、非リア、コミュ障、陰キャ、ぼっちといった属性を持っていると思っている人は、どこの大学にでも一定数います。そして彼らの多くは、「できることなら対人関係を改善して、充実した大学生活を送りたい」と願っています。 ・彼らは一体、どうすれば良いのでしょうか? 欝々とした大学生活を送り、リア充たちにうだつが上がらないまま卑屈な態度で社会に出るのでしょうか? それがいやなら、そうならないためには、どうすればいいのか?   まあ、ちょっとこの本読んでみよう ・この本を読んで、自分の思考回路にメスを入れることをおすすめします。 たいへんヒットした本であり、売れたからには売れた理由があります。 おすすめするだけの理由 ・コミュ障とか陰キャが悩んでいることがかなり網羅されており、それぞれについてのハッとする箴言あり。対人関係に難のある人間は、一読すべし。たとえ現実の人間関係自体はなかなか変えられないとしても、その人間関係に対する自分の誤った料簡・無知を相当修正することができます。 ・さすがに売れているだけある。説得力もあるし、何よりも「異常なまでにズバズバ当たる」というのがいちばん怖い。あまりに痛いところばかりを容赦なくついてくるので、読むのが恐ろしい感じもする。でも、止められない。本当のことをきちんと言ってくれるし、問題に対する解決策もきちんと提示してくれます。サポートの厚い本といった印象。   読み終えた感想 ・一見して外向的に見える欧米人も、日本人の非リアたちと同じような悩みを抱えて生きているのだなというのを知って、ちょっと感傷的になった。人類皆兄弟って本当なんだな、人種問わず共通するものというのがあるんだな、という印象を受けた。ちなみに、日本には2ちゃんねるというものがあって、そこは現実の対人関係に悩む人々が集う場所みたいになっているけど、アメリカにも4Chanという匿名掲示板があるそうです。やっぱり人類皆兄弟だ。間違いない。   とくに目新しいと思ったところの抜粋 ・トラウマは、現在の消極的な態度を正当化するために作為的に選択されたもの、つまりサボりの理由としてでっちあげられたものである、とアドラー心理学では考える。 ・すべての悩みは、対人関係をその根底にもつ。容姿に関する悩み、学歴についての悩みなど、すべて対人関係をその根っこに持っている。 ・他者の課題と、自己の課題を切り分けて考える。われわれは他者のやることに介入しがちなので注意する。よそはよそ、うちはうちということ。 ・一般的に「他者のことを思ってやったこと」はだいたい自己中心的である。 ・過去も未来も、考える必要はない。人生を、将来までの見通しが利くという意味の「線」で考えるな。人生を、ただいまこの一瞬だけを生き抜くのだという「点」で考えよ。人生は刹那の連続でしかない。 ・人生における最大の嘘とは、「いま、ここ」を真剣に生きないこと、すなわち、現在から離れて未来や過去のことにばかりウジウジこだわって、いま注意を向けるべきことから逃げることである。「いま、ここ」を真剣に生きることさえできれば、それでいい。   まとめ ・アドラー心理学の思考法を採用するかしないかは別にして、ひとつの考え方のパターンとして頭に入れる価値は十分にある。心理学と銘打ってはいるが、内容は哲学や倫理学に近いように思える。 ・絶対にあなたの人生・大学生活に影響を与えてくれる本である。これだけは間違いない。 ・なお、あまりにも対人関係が不安定であると悩んでいる人は、アスペルガー症候群や自閉症に関する本も読んでおくとよい。アスペルガー症候群という概念が有名になったのは1900年代の後半なので、アドラー心理学ではアスペルガー症候群の特徴を持つ人々について言及されていないからである。 ・これを読めば、対人関係において劇的に気が楽になるし、実際にどう他人に接すればいいのかが明確になります。おすすめ!  

大学生をカースト別・人種別にまとめてみた

女子のことはよくわからんので、男子のみです。   意識高い系 ・Mac率高し。学食のボックス席に四人ぐらいで座って談義している。 ・だいたい9分丈のスキニーパンツを愛用。 ・カタカナ語を多用するが、最近意識高い系という言葉が普及してきたので気にして、控えめにしている。でもやっぱり使う。   特技が傍観の真面目系クズ ・授業中は絶対に発言しない。教授に当てられると顔真っ赤にしてキョドる。気持ちが悪い。 ・ぼっち率高し。性根が腐りきっているので友達ができないし、できたところで一月しないうちに「よっ友」になる。 ・教室で堂々と見る勇気がないため、トイレの個室にこもって2chを見ていることがあるので迷惑。 ・Twitterでは弁慶。あと小説をコソコソ書いてたりする。人間観察が趣味のやつを軽蔑しているが自分自身も特技は人間観察。   育ちのいいイケメンリア充 よさそう ・地方の公立進学校出身率が(なぜか)高い。 ・ストレートで合格している。 ・高校時代は運動部か、積極的に活動するタイプの帰宅部のことが多い。 ・親の地位がほどほどに高いことが多く、経済的に余裕あり ・イケメン。 ・いい奴。というか心に余計な雑念がなさそうに見える。   リア充体育会系 ・さわやか。 ・体育会系の他のクラブの部員とも仲がいい。 ・要領がいい。テスト前だけ勉強するタイプが大多数。   体育会系キチガイ ・常に「自分が入っている部活のジャージ・スウェット・パーカー」などを身に着けている。クラブ名が入ったものを身に着けていないと不安になる。 ・体育会系ではあるものの、クラブの中でも浮いている率が高い。   ウェーイ(キョロ充) ・心に余裕がない。 ・キョロキョロと「どっかに友達いないかな」と視線をさまよわせる。 ・混雑時の学食で席をいくつも確保するという暴挙に出る。 ・陰キャを馬鹿にする。   格闘系DQN ・学内のトレーニング室で幅を利かせている。 ・常に2~4人の少数グループでつるみながら学内を闊歩している。 ・短髪のチビマッチョが一人はいる。   勉強ガチ勢 ・メガネ率が高いが、たるんだ顔の奴は少ない。シュッとした顔立ちのことが多い。 ・講義の時は前から2~3列目に座っていることが多い。 ・ガチ勢の気の合う奴同士でゆるやかにつながっている。   ネットで真実に目覚めたけど学内では目立たないキモオタ ・思想が右翼。普段は大人しい。というか臆病。その反動がネットでの態度に表れている。 ・自己顕示のため肩をいからせてズンズン歩いているが、視線が据わっていないので単なる挙動不審。 ・くさい   ソロ充 ・友達は、いるっちゃいるんだけれども、ダラダラと喋って過ごすのが嫌いなのであまりつるまない。 ・友達を「作れない」のではなく、自分の趣味にかける時間を削られるのが嫌だから「作らない」。 ・ある意味ぼっちのあこがれの的。 ・趣味にとてつもなく打ち込んでいる。将来の大成率高し。   あとがき 今回は学内カーストを明確化してみましたが、どうだったでしょうか。 もちろんすべてのパターンは網羅できていないし、複数のパターンの融合という場合もあり得るでしょう。 しかしネット全盛のいま、人はみな「レッテルを貼られる」ことからは絶対に逃れることができません。 自分がだいたい学内のカーストでいえばどこらへんに属しているのかを把握しておけば、きっと役に立ちます。 ぜひ活用してください。 (ちなみに私は真面目系クズです)  

コミュ障にありがちな思考回路と、コミュ障の末路

コミュ障が陥りがちな思考回路 ・自分が他人からどう見られるかを異様なまでに気にする。ただし、「どこをどう見られるか」に関してはずれていることが多い。 ・たとえば、「あいつきもいよな」と見られていはしないかと神経過敏になっている人間は、周囲の人間が自分に対して冷笑・侮蔑を向けてきているのではないかと、そればかり気にする(往々にしてそれは単なる被害妄想である)。そのわりには、その根本原因となっているもの(たとえば太りすぎとか、しゃべるときの態度だとか)を改善しようとする努力はしない。自分がどう見られているかを気にするあまり、それをどう改善するかについてまでは考えが及ばないのだ。 ・だから、「きもい(客観的に見て)のに、それを放っておいて、そのわりには自意識過剰でコンプレックスの塊」という輩が大量生産される。 ・一方で、自分に対する周囲の反応が良いものである場合、「醜い自分・無能な自分」に対する余計なコンプレックスにエネルギーを浪費しないし、がんばって変わろうとする自分への冷たい反応というものを怖れないから、自分を高めていくことに成功する。かくして。「リア充」と「非リア充」との格差は、自意識という燃料を得て余計に広まっていく。正しいものの見方を妨げる要因があって、それから生じる行動へのバイアスというものが主要因になっている。 ・自意識過剰な人間・内向的な人間の受け皿になってきたのが、小説とか学問の分野なのではないだろうか。社会の中には一定数、「ある分野についてはかなり有能であるが、対人関係はからっきし不得手である」という人々が存在する。彼らは規則性・網羅性・正確性を好む。不変なもの、理屈が通ってわかりやすいものが好物なのであり、そしてその代表格となるのが「文字の世界」なのである。文字は動かない。文章はめまぐるしく変わったりはしない。文学は没入できる。彼らが苦手とするのは、常に変幻自在、機知と度胸が求められる、油断も隙も無い、一瞬ごとに変わりゆく現実の世界(とくにそのなかでも人間関係)である。   コミュ障の末路 ・なお、ひとつ着目すべき事実として、「コミュ障が陥る道というのは、決して少なくない数の人が通る道である」ということについて触れておく。コミュ障の人間は往々にして、「自分は高貴で特殊な思考回路を持っており、そのためにあえて周囲の、自分とは価値観が合わないバカどもと距離を置いているのだ」という見せかけの因果律を持っている。 ・要するに、他者に承認されたという経験が乏しいコミュ障は、防衛機制として、自分は特殊であると根拠なしに思い込むことによって自己の存在意義を確保しようとするのだ。 ・……しかしこの思考回路は陳腐なものであるどころか極めて時代遅れですらあることを認識した方が自分のためである。 ・第一に、内向的な人々というのはコミュ障の人間が頭の中で算出するよりはるかに多い数存在している(アドラー心理学の本がどれほど爆発的に売れたかを考えてみるといい)。一見して外向的で完璧なように見える人間も、実はもともときわめて内向的自省的な視点を持っていたがために自分自身に対する改良を重ねることができたのだということもある。 ・第二に、世間でいう「デキるやつ」「頭のいいやつ」「自律のできる人間」「努力のできる人間」の多くは、おそらく思考のベクトルが本質的に自己に対して向いている人間であるということを知るべきである。彼らは思考のベクトルが内向きであるからこそ、自分という存在にまつわる矛盾をひとつひとつ解決しようと試み、その結果自分を上手に統制する術を磨くことができた、といえるのだ。その中には、もともとコミュ障やぼっちであったが、自分を変えるために奮闘した結果そのような状態から脱することができた人間もいる。 ・その場合、コミュ障の「自己を特別なものとみなす思考回路」は、内省的な能力の高いリア充にとっては「とっくの昔に通り過ぎた道」に過ぎない。コミュ障が自己の存在理由を補強しようとしてこしらえた理屈は、実は彼らを「ただの根暗」に貶める原因となってしまうという、実に皮肉な結果が生じる。 ・当然のことながら、彼らの能力は高い。外部に対して発揮する頭の良さを、自己の内面に向けても利用できると考えるべきである(もともとその頭の良さは、内省的な経験から培われたものだともいえるが)。 ・そうなると少なくとも見かけ上、彼らは「外部に対して頭脳を使う」と「内部に対して頭脳を使う」という二つのエンジンを積んでいることになる。つまり二馬力である。 ・それに対して、外部環境に対応するために能力を使わない(使おうとする一歩が踏み出せない)コミュ障は「一馬力」といえるだろう。二馬力のリア充と、一馬力のコミュ障。人間が生まれつき持っている能力に、そうそう二倍もの差が生じるとは考えにくい。では、コミュ障の失われた一馬力は、いったいどこに行ってしまったのだろう? 行方の候補はふたつある。 ・ひとつ、あくまでも内省的なコミュ障は、その一馬力を、さらに自己の内面に向けて用いる。彼らは哲学や小説といったもの、あるいはスピリチュアルなものや能力開発に没頭するかもしれない。 ・ふたつ、自己を変革する勇気のないコミュ障は、その一馬力を、他人に対する「罵倒・嫉妬」に使う。彼らは自己を変えようと努力することを面倒臭いこととみなし、「どうせやっても変わらないから」という理屈をこねて結局行動はしない。その分の余ったエネルギーは他人に対する責任転嫁の炎の燃料となる。     <補足:アドラー心理学的な観点からいえばコミュ障はこうとらえられる> ・「コミュ障だから対人関係が苦手」という考えは誤っている。実際は「対人関係で傷つきたくない」という目的がまずあって、その手段として、いまの自分に対して「コミュ障だから」というレッテルを貼りつける。さらにいえば、彼らがなぜそのような行為に甘んじるかといえば、「変わるのは怖いから」であり、「変わらないことは楽だから」である。 ・自分を変えるということは、自分の乗っている車を新しいものに変えるということに例えられる。新しい車に乗り換えるのは大変だろう。勝手が違うので自分が自分を調節しなければならないし、もしかしたら慣れない運転で事故に巻き込まれるかもしれない。しかし新しい車を買わなければ、違った乗り心地や景色を手に入れることはできないのである。自分を変える勇気を持つことが先決であり、そのためには自分自身との相談からはじめるべきだ。 ・したがって、「そもそも自意識過剰になった理由が、小さい頃・思春期に周りから受けた差別的な扱いであることが大半だ」というような因果関係は成立し得ないとするのである。逆に、傷つきたくないという目的のもとに、コミュ障という理由を作り出し、その補強として「小さいころにまわりの人間から邪険な扱いを受けた」というトラウマを創出しているに過ぎない、ということになる。 ・コミュ障を改善したいと願う人間には『嫌われる勇気』をおすすめしよう。新しい見方が獲得できる。

アスぺ・コミュ障持ちが現代日本で生き抜くには――『隠れアスペルガーという才能』(ベスト新書) その1

「リア充爆発しろ!」があれほど流行ったわけ 今さらですが、「リア充」とは、リアルの生活がとっても充実している人々のことを指します。 彼らは例えば、彼女持ち、部活やサークルの支配者、要領がいい、勉強もできる、イケメン、スポーツ万能、性格がいいなど、いろいろなステータスを持っていて、「ああきっとこの人は、どこに行っても輝くタイプの人なんだな」という人々です。いわば神々です。 そして現代社会において、「リア充」というのは羨望の的です。 アメリカ発のSNS・フェイスブックやTwitterなどでは、日々リア充さんたちがその充実した生活ぶりを公開していらっしゃいます。 今の日本には確実に、リア充こそ至高、リア充じゃない人間は一生惨めな思いをして生きていかねばならない――そういう風潮があります。 ですから、「リア充になろうとする人間」というのが多いわけなんですね。 しかし、みんながみんなリア充になれるわけではありません。 当然です。 どうしてもリア充になれない人々――彼らは、「コミュ障」「ぼっち」「オタク」「根暗」「陰キャ」などといったくくりをされます。 「リア充爆発しろ」などと言っているのはだいたい彼らなんですね。どの社会であろうとも、一定数、そういう人々は存在するということなのです。   リア充じゃない人々は、「アスぺ」の特質が強い ところで、ここでひとつ言っておきたいのですが、彼ら「コミュ障」も、「ぼっち」も、根っこをたどっていくと「アスペルガー症候群」というものが根本になっていることが多いんですね。 アスペルガー症候群というのは、脳の器質的な病気で、ほぼ遺伝性のものです。自閉症の一種ということです。 症状としては、 「ふつうの人なら難なくできる当たり前のことができない」 「他の人から見るとすごくズレたやりとりをする」 「自分のことばかりしゃべるわりに、他人のことは大して気にしない」 「天然というかむしろ半分痴呆症レベルの能力しかない」 「複数のことを同時にこなすのが苦手で、その代わり一つのことを集中してやるのは得意」・・・といったあたり。 もちろんアスぺ的な要素というものはどの人間にも多少は備わっています。 しかし「コミュ障」「ぼっち」といった人々は、特にその影響が強くみられる人々です。 何を隠そう、僕自身もそういう感じのコミュ障系の人なので(ただし、面と向かって話すのではなく、文章を書くのはむしろ得意です)、今回この『隠れアスペルガーという才能』(吉濱ツトム,ベスト新書)は思わずタイトルで買っちゃいました。 で、読み終えて「とても興味深い」と感じました。以下、参考になった部分です。(たくさんありますので、今回は前編と後編に分けることにします。ご了承ください)   アスぺの人々の参考になりそうな部分の抜粋   アスぺは、「ふつうに考えればできること」ができない アスぺあるあるですが、アスぺの人が「できると言われてやったのに、○○ができない。おかしい」といった文句を垂れている場合、大抵はものすごくくだらないミスをしでかしています。実はコンセントが抜けてる、とか。 もうひとつ、「スキーマ」が歪んでいることも大きな特徴です。スキーマとは、さまざまな分野で「定義」や「概念」を意味する用語ですが、ここでは自動判断能力のことを指します。 人間の日々の生活は、何気ない判断の連続です。たとえば、扉にドアノブが付いていれば「握って、回して、引っ張る」。引き手があれば「指をかけて、水平に動かす」。こう判断しながら開けていますが、いちいち考えていたら大変なので、判断が自動化されているのです。その自動化された判断内容がスキーマです。 ところが、アスペルガー人のスキーマは歪んでいて、誤った判断をしてしまいます。ドアノブが出っ張っているのに、水平に動かそうとして「あれ? 動かない」。これは、はたから見ると「天然」以外の何者でもありません。 ・・・たしかにそうです。他の人からみれば「どうしてそれがわからないんだ!」と怒鳴りたくもなるようなことをアスぺルガー持ちの人々は平気でやらかします。私もその節があります。   アスぺの人々の顔に共通するもの 人の生き方は顔に出る、と言います。 たとえば苦労を乗り越えて来た人の顔は老成している、逆にニートなどの苦労知らずの人の顔は幼い、など。 ・・・確かに一理あるとは思いますが、私はむしろ「脳の中の状況が、顔に表れる」という風に思っています。 たとえば、ダウン症の方について、筆者はこう述べています。 ダウン症も先天性の脳の機能障害ですが、みんな同じような顔をしているのは、やはり表情筋が引っ張られているからです。 ダウン症の赤ちゃんの顔。平坦な顔と、つり上がって見える目という特徴があります。 ・・・確かにそんな感じはあります。顔に関してとやかく言うことはタブーになりやすいのであまり触れませんが、自分の実感として、人間の性格や能力はかなりの割合で顔に表れる、というのは確かにあります。みなさんも心当たりはないでしょうか。   アスぺと音読の関係 このブログでは何度も「音読をするとコミュ障が改善されるよ!」という記事を出しています。 コミュニケーション能力を司るのは脳で言えば前頭葉ですが、その前頭葉にたくさん血流を送り込むのは「音読」が一番効果バツグンなんだ、ということです。 著者も同じようなことを言っています。 また、アスペルガー人は脳の前側にある前頭葉という部分の血流が悪く、これも心の安定を妨げる要因となっています。 ・・・ということはやはり、音読しまくって前頭葉をガチムチに鍛えることができれば、アスペルガー症候群の改善には一役買えそうですね。音読の効果恐るべし。   アスぺの脳の特質 偉大な芸術家・学者の八割はアスペルガー症候群と著者は言っています。 音楽や絵画など、芸術面で優れた才能を発揮するアスペの人は、その能力に関連する組織の神経密度が異常に高いのではないかと言われています。 ・・・というのは、アスぺが脳の器質的な病気であることに関係しています。 著者が言うには、脳のどこかが物理的にイカれているとき、脳はその部分の「周辺部位」を活性化することで、駄目な場所をカバーしようとする、とのこと。 つまり、前頭葉などがイカれてしまっている場合、そこをカバーするために補強されるところがたまたま、「芸術などのために使われる分野」なのではないか、という話です。 うーん、確かにそういわれてみれば、それっぽいことが起きているような気がします。   「なぜ偉大な芸術家・学者の大半はアスペルガー症候群なのか」という疑問は確かにある、このことは否定しようもありません。確かにそうだ。 ・・・とすると、やはりアスぺ持ちの人々には必ずといっていいほど何らかの優れた点があると言えそうですね。   後編に続きます。  

「あごの角度」で、リア充と非リアを区別できる

リア充と非リアの境界線、それは「あごの角度」 「リア充」と「非リア」は、そのたたずまいから見分けることができます。 特に注目してほしいのが、「あご」の角度。   リア充のあごの角度は、「カンペルライン」というあごの角度を保持していることが圧倒的に多いんです。   リア充御用達のあごの角度、「カンペルライン」とは? 「カンペルライン」というのは、「鼻の先」と「耳の穴」が揃ったラインのことです。 こころもち、あごをクイッと上げる感じ。つまりカンペルラインとは、ちょっとあごを上げた感じの姿勢です。 このカンペルラインを保持すると(実際にやってみるとわかります)、目の筋肉や全身の筋肉がリラックスし、視野が広くなり、物事に対する反応が素早くなります。   カンペルラインの参考画像。お見事。 マイク・タイソン 参考画像その2 特に左のヤツが典型的 あごを上げるといいことが沢山ある   あごの角度を上げると、視野が広くなりますから、周囲に対する目配りが簡単になります。 頭の回転が速いというのはリア充の必須条件でしょうから、それともつながりますね。 あごのラインを意識的に上げることによって、周囲に対する素早い目配り気配りができるようになるわけです。   なお補足ですが、日本人はアングロサクソン系の人種と比べて、顔の中での鼻の位置そのものが低い傾向があるので、「鼻の先と耳の穴が水平になる」カンペルラインまではいかずとも、「鼻の柱の真ん中あたりと、耳の穴」が水平になるくらいでもいいかもしれません。先ほどの画像2でいえば、真ん中のリア充がそうです。 そのくらいの角度でも、十分にあごは上がっているように見えます。   非リア・ぼっち・陰キャの「あごの角度」 ・・・では、ぼっちとか非リアのあごの角度はどうなのかといえば、これはもう断然わかりやすい。 カンペルラインより、あごの角度が低いんです。 参考までに、大学の「ぼっち席」の画像。 みんな、ものの見事にあごを引いていますね。   あごを引く、という姿勢が示すもの あごを引くというのは、1.視野を絞って、目の前のことに集中する(勉強するとき、スマホをいじるときなど)と同時に、 2.全身を緊張させて外からのショックに備える、いわば「受け身」の姿勢です。   2.については、ボクシングのガードを思い出すとわかりやすいでしょう。 もう一度マイク・タイソン。先ほどの画像よりも明らかにあごの角度が低い   「あごを引く」という姿勢は、ガード姿勢です。 突然「危ない! そっちにボール行ったよ!」と言われたら、誰だってあごを引いて身を固めます。 つまり、あごを引くというのは、他者・外部に対する拒絶の姿勢といえます。 視野も狭くなり、身体は緊張します。 また、「あごを引いたまま他の人を見る目つき」というのは、「不良がメンチを切る目つき」とほとんど同一です。 初対面の人にこんな目で見られたら敬遠待ったなし     リア充になりたいなら、あごの角度を変えてみよう   ぼっちや非リアが「自分に自信がないから顔を下に向ける」のか、「顔を下向きにするから自信がなくなる」のか、どちらが先なのかはちょっと答えが出しにくい問題です。 ただ、ここで確実に言えるのは、あごの角度が適度に上がっていると、目の筋肉がリラックスするので周囲の物事に対する反応がよくなるということ、そして少なくとももうひとつ、自分に自信があるように見えるということです。 ここまで考えたら、あとはもう「あごを意識的に上げるようにしてみる」のを試してみましょう。 リア充に一歩近付けますよ。 最後にもう一枚、歴史上の人物のなかでもっとも見事にあごを上げて自信たっぷりの様子だった独裁者の画像を貼って終わりましょう。 アドルフ・ヒトラー。いまのドイツの状況を憂うときはあごを引き、群衆を力強く鼓舞するときにはこのようにカンペルラインを作って、自信たっぷりなように見せていた   ・・・あごをあまりにも上げすぎるとこうなります。気を付けましょう。

「教養を付ける」ためには、英語を勉強するだけでよい

英語を勉強すれば勝手に「教養」がつく ・英語を習得するには、何度も音読・黙読するなどしてテキストの内容を血肉にせねばなりません。何回も何回も繰り返すわけですから、当然のこととして、英文のなかで扱ったテーマについての知識が一通り自分のものとなります。専門用語も覚えますし、ある分野においてどのような考え方がされているのかがわかります。また、そのテーマについて英語で語れるようにもなります。一石二鳥です。 ・英語ができる、流暢に喋れるようになりゃそれだけである意味「教養人」の仲間入りです。ちなみに、学問の世界での共通語は英語です。世界のどこかでなにかが起きたとき、一番反応が速いのも英語です。   その他のメリット ・意識高い系の人にひけめを感じなくなります。どうでもいいや。 ・英語は単純に、脳のトレーニングになります。毎日コツコツと勉強しなければいけない類のものですから、計画力がメキメキと伸びます。忍耐力が養われます。一番いいこととして、英語を習得するために行う音読によって、脳(とくに前頭前野)に刺激がいくので、頭の回転が速くなります。日本語を扱うだけじゃ得られない効果があるようです。   ・英語文化を学ぶことによって、日本文化に対する理解が深まります。文化を相対的に理解する、というやつができます。楽しいですよ。   「教養」を身につけるのにおすすめの教材 (英語をある程度、大学受験程度までやった人向けです) 知識と教養の英会話シリーズ(全三冊) ・ギリシャ神話、保険制度、落語、国家意識、医療、芸術、建築、などなど・・・幅広い話題、「教養のある人たちが好みそうな話題」が網羅されています。 ・大学受験の続きくらいの文章難易度。そんなに難しくはありません。 ・シリーズ三冊をきっちりやり抜けば、相当の知識(教養)と自信が手に入ります。     テーマ別英単語 Academicシリーズ(全五冊) ・ ・上の「知識と教養」シリーズの一歩上、というくらいの難易度。速読英単語の上級編とかリンガメタリカよりもレベルとしては高めかも。でも、全五冊でまんべんなくガッチリ固めることができます。つまりは良心的。大学生が、院受験のために使うようなものです。 ・ナポレオンヒルとか、ノーベル賞受賞者の話とか、ビジネス、心理学、経済、なんでもござれ。 ・日本語の部分だけでも面白い。(私はこの言葉がいけ好かないのですが)「知的好奇心」が満たされます。 ・五冊全部やり抜けば、宮廷の学部生としてはトップクラス、というぐらいの実力が手に入ります。  英語を食わず嫌いすんなよ、という話 ・英語は、単純に面白いです。 ・英語は、知っていて得をすることこそあれ、知っていて損をすることはありません。 ・英語ができるというだけで、何がしかのチャンスが生まれます。やらなければ、それまでです。   ・・・デメリットとしては、せいぜい面倒くさいということだけです。 やって損はないですよ。ぜひやってみましょう。

タグ付けされる若者たち―リア充、勝ち組負け組、ぼっち、コミュ障―

タグ付けされる若者たち 『ぼっち、リア充、勝ち組、負け組、コミュ障、…』 朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』のp.89-90にはこんな一節があります。 上か下か。 目立つ人は目立つ人と仲良くなり、目立たない人は目立たない人と仲良くなる。目立つ人は同じ制服でもかっこよく着られるし、髪の毛だって凝っていいし、染めていいし、大きな声で話していいし行事でも騒いでいい。目立たない人は、全部だめだ。 「上」とは、要するに「リア充」、つまり、イケメンだとかスポーツが得意だとかいうステータスを持っていて、いつも目立ち、リアルの生活が充実している人のこと。 逆に、 「下」とは、リア充でない「非リア」や、「ぼっち」、「コミュ障」などの、いわば月見草軍団、目立たない日陰者のことを指します。 ここでは、「タグ付け」がなされていることがわかります。 「あいつはリア充だ」と他人のことを評するとき、その評された側の人物には「リア充」というタグが付けられることになります。 また、自分で自分にタグ付けをする場合もあり、 「今日たまたまグループワークがあったけど、みんなの輪に入れなくて、ずっとうつむいたままだった。コミュ障すぎる」といった悲観をするとき、自分で自分に「コミュ障」というタグを付けていることになります。 そしてこの「タグ付け」行為は、他人の手でされる場合でも自分の手でされる場合のいずれにおいても、その人の人格形成や、ふるまい方、行動選択などに絶大な影響を及ぼします。 ピグマリオン効果、プラシーボ効果、引き寄せの法則、自己暗示など・・・「思い込みによって、現実が変わる」という法則を表したものはたくさんありますが、タグ付けがなされることによって、確実にその人は影響を受けます。 さらに言えば、これに「正のスパイラル・負のスパイラル」も加わることになります。 どういうことか。 極端な話になりますが、ひとつわかりやすい例を挙げましょう。 小さいころから「イケメンだね」と言われながら育ってきた子どもは、「ぼくはイケメンなんだ」というタグが付くことになります。この「イケメン」というタグが、その子の恋愛経験にどう影響していくか? (想像図) まず、「イケメン」というのは間違いなく「プラスの評価」です。自分自身にプラスの評価が与えられることになりますから、当然、「ブサイク」というマイナス評価のタグが付いた子どもに比べると、自分自身に対する確固たる自信・確信が築きやすくなります。 自分に対する自信があると、その子の行動には思いきりのよさがともなうでしょう。また、「自分はどうせブサイクですよ、イケメンに生まれたかったなあ」などといった負の感情に煩わされることも少ないと予想できます。つまり、容姿に劣等感がないので、素直な性格になりやすい。   さらに、イケメンの子の周りには女の子が必然的に集まってきます。 すると女の子に対する対処の仕方・会話の仕方が自然に養われますから、ここでもブサイクな子どもとの間に差が付いてしまうわけです。ブサイクな子のまわりに女の子はなかなか寄り付きません。 このとき、イケメンな子には「正のスパイラル」が、ブサイクな子には「負のスパイラル」が働いています。 イケメンな子は恋愛に関してもともとリードしていますから、恋が成就しやすく、経験値がたまっていく。 ブサイクな子は、それに比べると相当のハンディがあります。恋は実りにくく、経験値が低いまま。 こうして二者の差はどんどんどんどん開いていきます。 . . 書いてて悲しくなってきましたので、今回はここまでにしましょう。 「タグ付けされる若者たち」と銘打ったこのシリーズは、不定期にはなりますが続けていきます。  

ノスタルジックな青春を、理想の仲間たちとともに――坂木司『夜の光』

夏が近くなってまいりました。 夏といえば夏休み、夏休みといえば青春、そして私は青春といえば青春小説を思い浮かべます。 てなわけで今回は、最近本屋で手に取った、ちょっとこれ以上ないほど質の良い青春小説を紹介しましょう。   まあ人間っていう存在はじつに根元から罪深いもんで、自分が歩める人生はたった一つの一回限りの一本道でしかありえないのに、「夕焼けをバックに、河川敷で女の子と戯れる。あんな青春が送りたかったなあ」とか、「今の知識と運動能力を持ったまま小学校一年生に戻れたらなあ」とか、いろいろと不目的な妄想をしてしまう動物なんです。   学生時代の思い出に乏しい人であればあるほど、そういう妄想をよくする傾向があり、したがって「あるようでない世界」を自在に作り出せる小説・マンガ等の創作の道に憧れたりするんです。リアルの生活に対してそんなに不平不満を抱かないような境遇の人だったら、そういう想像が膨らむことは少ないはずですから。 どうです妄想癖のあるひと。 否定できないでしょう。   (イメージです)   「ノスタルジックな画像スレ」が根強い人気を誇るのは、「自分が過ごしたかった、でも過ごせなかった風景」をそこに容易に見出すことができるからでしょうね。 過去の自分、あるいは今の自分に対する否定の度合いが強い人ほど、そういう感傷に浸りやすいものなんです。 そういう人は、この『夜の光』を甘酸っぱい味のするドリンクとして楽しめるはずです。     夜の光というタイトル、そして表紙に描かれているのは天体望遠鏡。 カンのいい人であればこれまでの情報でもうおわかりでしょうが、この小説でメインとなっているのは『天文部』です。   (天文部?)   ちょこっと異色な感じがしますね。青春モノといえば、野球・サッカー・陸上といった外でやるスポーツか、あるいはほのぼのと活動するインドア派の同好会が題材として取り扱われることが多い(気がする)のですが、よりにもよって天文部ですよ天文部。 とは言いましたけれども、この作者はまことに絶妙なチョイスをしてのけたと思います。 参考までに天文部という言葉から連想されるものを並べてみると、 夏、夜空、星占い、星空、学校の屋上、君は指さす夏の大三角、天体望遠鏡、星座を探す、観測会ついでにハンゴウスイサン… 青春の代名詞がズラリとガン首そろえてお出ましです。 一番から九番まで全員場外ホームラン打てるキューバ並みの超強力打線じゃないか!   さてそんな天文部を舞台にして、主な登場人物は四人。 詳しいこと言っちゃうとすぐネタバレになるので、簡単に紹介します。   クールな黒髪のお嬢様、ジョー。 能天気で明るくて、でも心配性な少年ゲージ。 戦闘力高そうな、ギャルのギィ。 でっかい背中で語る、心優しいブッチ。   夜の星空のもとで、こいつらが様々な事件に足を突っ込みながらも躍動します。 事件を一つずつ解決していくごとに、各キャラクターには味が出てきます。 この「成長成分」もこの物語の醍醐味の一つです。   決して「ありきたりのキャラクター」で終わらない四人の生きた登場人物。 文章も平易で読みやすいし、分量も丁度良い。 ミステリーチックな謎解きがところどころにちりばめられていて、グイグイと惹き込まれていきます。 この作者の、ほかの作品も読んでみようと思います。 なお、 イマドキ流行っているあの陳腐な「絆」とかいうものはこの小説には出てきません。   若者たちの葛藤と、それぞれの物語。 失われた青春を求めてやまない人々のために。 おすすめ。

リア充とぼっち、将来勝ち組になるのは・・・ぼっち!? ―『内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える』(講談社+α文庫)のツボ

  スマートフォンの圧倒的普及率を背景にして、ネット文化が日本の隅々にまで行きわたる時代がやってきました。 いまや電車の中、教室の中、家の中、トイレの中、いつでもどこからでも気軽に簡単に「インターネット」に接続できる時代です。そんなインターネットの恩恵と害毒をいちばん受けているのは、間違いなく「ぼっち」の方々でしょう。 ぼっちに対する世間の視線(イメージ) たとえ現実では少数の友人しかいない人間であっても、直接顔を合わせるやりとりが必要とされないネット上では思う存分自分の存在をアピールしてヒーローになることができます。「ネット弁慶」と俗に言われる人々の中には、自分が現実の人間関係にうまく溶け込めないことを原動力にしてインターネットに打ち込み、時には数千万人のネット住民に向けて文字を使った大演説を繰り広げることができる人もいます。 ただしその一方で、いきおい「ぼっちタイプ」の人間がどうしても多いネット上の意見に毒されすぎてしまうと、現実の人間関係を構築するのに尋常ならざる悪影響(勝ち組負け組や、学歴の優劣、リア充とぼっちの区分など、余計な考えをするようになる)が出ることも確かではあります。   そんな「教室の斜め後ろあたりに座っていて、休み時間は寝ているかスマホでネットをしている、友だちの少ない人たち」に焦点を当てたのがこの「内向的人間のすごい力」です。 タイトルからわかる通り、この本では、いわゆる「リア充」でもなく、「人気者」でもない、ふだんは「大人しい人」と形容される「ぼっち」たちに秘められた能力が解き明かされます。   この本を読み終えるころには、「リア充はなんでもできるスーパーマンだから俺たちぼっちとは違うレベルの人間なんだ、ぼっちにできてリア充にできないことなんてない」という悲劇的な考えが間違いであることに気が付くでしょう。   当たり前のことではありますが、現代では見過ごされがちな事実です。 リア充にとって得意でも、ぼっちにとっては苦手なことがあるのと同様に、 ぼっちにとっては得意でも、リア充にとっては苦手なことがある。   すべての能力においてリア充が優れているわけがない。     この本の中では、次のような話題が取り扱われています。 ・内向型人間とはどのような人々か? ・内向型として成功を収めた人々 ・内向型人間にありがちなこと ・内向型人間に対する偏見 ・外向型人間と内向型人間が衝突するケース ・外向型人間と内向型人間がうまくいくケース ・内向型人間が外向型人間として生きることができるケース   このリストで、「内向型人間」を「ぼっち」あるいは「コミュ障」などと置き換えて、同時に「外向型人間」を「リア充」と読み替えてみると、よくネットで話題になるようなテーマばかりであることがわかります。 人間が人間である以上、自分が「群れ」の中でどのような立場にあり、どのような役目を果たすことができるのかが気になるのは当然ということなのでしょう。 邦題も、「『ぼっち』が世界を変える」と訳した方が現代日本ではウケたんじゃなかろうかと思います。 . . さて結びになりますが、この本の中でもっとも「ぼっち」を勇気づける意見で締めてしまいましょう。   内向型人間が淘汰されずに現代まで生き残ってきたということは、人類にとって内向型人間が不可欠な存在であることを示している。 もし外向型人間ばかりが生き残るようであれば、人類はスマートフォンも小説も存在しない、現在よりもっともっと低い水準の文明で生きる羽目になっていたであろう。   ぼっち万歳!

APLICATIONS

「学問のしくみ事典」を読む

こんにちは、栗栖鳥太郎です。 「勉強しなさい」と言われると「やだ」と言いたくなるのが人間ですが、 その一方で、みずから進んで何かを調べたり考えたりするのはとても楽しいものです。 そこで今回は、私が今しがた読み終わった、日本実業出版社の「学問のしくみ事典」について、 ①この本の特徴 ②おすすめの読み方 をサーッ!と解説します。とてもいい本です。 だいたいすべての学問が時系列+関係性で網羅されている稀有な本 どんな内容なのか、目次を見てみよう 「あらゆる「学」の歴史とつながりがわかる 学問のしくみ事典」という本です。 こんな表紙。 監修は茂木さんとありますが、もちろん茂木さんが全部書いたわけではありません。 帯にも書いてありますが、学問の分野を36に分けて、その歴史と、主要な人物・主な概念・学問の歴史・学派同士の関係などが体系的に網羅されています。 どんな内容なのか簡単に把握するために、目次を抜粋してみます。 第一章 人文科学・・・哲学、歴史学、宗教学、言語学、心理学、精神分析学、文化人類学、神話学、民俗学、考古学 第二章 社会科学・・・政治学、経済学、社会学、法学、教育学、統計学、経営学 第三章 自然科学・・・物理学、生物学、化学、数学、医学、工学、情報工学、航空宇宙工学、地理学 第四章 文化芸術・・・文学、近代日本文学、近代日本建築、音楽、美術、映画、日本映画、写真、日本写真 この世に存在する主な学問がほとんど網羅されていることがわかります。 ちなみにそれぞれの章末には、扱った学問分野について学ぶためのブックガイドまで付いています。これで1600円とは、なかなかお買い得。   こういう「世の中にある学問をだいたい網羅する」本って、ありそうでなかったんですよね。 岩波講座の本もありますが、アレは高いし重いし多いしハードルが高い。 それぞれの分野の入門書を読むのも良いとは思いますが、「社会学はこれ買って、医学はこれ買って・・・」とやるとまずお金がかかるし、膨大な冊数を読まねばなりません。   ちなみに、世の中にある学問の分野をザーッと見渡したいときには、「日本十進分類法(wikipedia)」を活用するのがおすすめです。学問は書籍との関係が密接ですから、書籍を分類するやり方がそのまま学問の見取り図にもなります。   おすすめの使い方 この本は「あらゆる学問に精通するための下準備」になる これからの時代は、圧倒的な知識量をベースにして新しいものを生み出せる人の価値がどんどん上がっていくはずです。本来学問は純粋に「楽しいからやる」ものですが、副次的効果として「その分野の体系的な知識が得られる」ことも見逃せません。つまり、新しいものを創り出すための下準備として、あらゆる学問の知識を得るという選択肢もあるのです。 今の時代は平均寿命が80歳を超えているので、たとえば40歳くらいまではひたすらいろんな学問をやってやってやりまくるという生き方も十分許容されるはずです。 もちろん、「専門は一つまでだよ」と決まっているわけではありません。 専門分野はいくつあっても良いのですから、できるだけ多くの分野に触れて、それらの学問分野同士の化学反応を引き起こすことも考えていいはずです。   この意味で、この「学問のしくみ事典」を読んで、世の中に存在する学問のほとんどに触れておくことによって、将来バンバン新しいことを発明できる人になるための下地ができるということになります。 したがって、この本は「あらゆる学問を学ぶためのとっかかり」という読み方をすることができます。   (ちなみに、私のゴールの一つは「すべての学問を極める」ことです。「物理的にムリだ!」と思われる方も多いでしょうが、このくらい高いゴールでやっていれば、どんな学問にも素直に入っていくことができます。また、将来の技術革新で不可能が可能になることもありえますから、決して達成不可能ではないと思うのです)   学問を学ぶときに「歴史から入る」のはかなり使える たとえばあなたが「哲学」を学ぶとしましょう。   哲学では、だいたい、最初のころにある思想ほど直感的に理解することができます。 最初のころに生まれた思想は単純明快です。「イデア」とか、「万物の根源とは何か」とか。   しかし、それが時代を経るにしたがって、 分派したり、融合したり、統合されたり、分析されたり、回帰したりすることによって、 どんどんどんどん複雑になっていきます。   最初のギリシャ哲学あたりは簡単にわかるのに、時が進んで現代哲学になると、表現や概念が複雑になっているので、わかりにくいのです。 つまり、基本的に「昔やっていたことほど簡単で、今やっていることほど難しい」のです。 なぜなら、後に続く思想というのは、それの前までの思想を踏まえたうえで考えだされているから。   ・・・ということは、学問を学ぼうと思ったら、「最初の方から順に学ぶ」ことが正当なのです。 最初の方から学んでいくことによって、「まずプラトンが○○と言った」「アリストテレスはそれに反対して○○と唱えた」...といったような、「この学問は、論理的に見ればこうやって発展してきたんだなあ」「この人はこう言って、あの人はそれに反対してこう言ったんだなあ」という情報がつかめます。哲学というのはあくまでも人間がやってきたことですから、「どの人間がどう考えたか」を押さえておけばいいわけです。   その意味で、この「学問のしくみ事典」はかなり良心的。 ↑こんな感じで、この人はこの学派で、中世にはこういう考え方が現れて・・・というフローチャートが示されています。 たとえば、実際に哲学を学ぶときには、この図を念頭に置きながら読む本を選んでいくと良いでしょう。 少なくとも、「哲学の必読書○○選」にしたがってひたすら読んでいくよりは、この図に書かれているような順序で学習していく方がはるかに効率的です。   まとめ + もっと頭を良くしたい人のための本の紹介 さて、いかがでしたか。 この「学問のしくみ事典」は、持っておくとかなり便利です。 あらゆる学問の見取り図が書いてあるので、なにか新しい分野の勉強をしようと思ったときに参照できますし、他にも、大学の予習なんかにも使えるでしょう。   こういう本があると知っておくだけでも、いざというときに頼る手段がひとつ増えることになりますから、たとえ買わないとしても、頭の片隅には置いておくと良いと思います。 私はまだ学問の世界で言えば生まれたての小鹿みたいなものですが、この本をうまく使って生き残っていこうと思います。みなさんもがんばってください。 では、グッド・ラック!   ★おまけ 「頭を良くしたい人」のためのおすすめ本★ ・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。この人の本を読むと、どんどん思考の盲点が外れて、今まで見えなかったものが見えてくるようになります。感情や論理についての認識も改まります。論理思考についてもっと学びたい方は「ディベートで超論理思考を手に入れる」が特におすすめです。 以下におすすめの本を挙げておきます。 ・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術」 ・「ディベートで超論理思考を手に入れる」 ・「苫米地英人、宇宙を語る」 ・「洗脳原論」 ・「思考停止という病」 ・「すべてを可能にする数学脳のつくり方」 ・「「生」と「死」の取り扱い説明書」 ・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する」   大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」   ――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――    

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