「洗脳され、思考停止した人」が好んで使う5つの言葉

      2017/01/12

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

今回は、「これを言われるとおしまいな言葉」について特集します。

たとえば、「そんなの常識だろ!」の”常識”、「みんなやっている」の”みんな”、「世間に顔向けができない」

の”世間”など、「その単語が出ると、途端にそれ以上追及してはいけない状態になる」という不思議なワードのことです。

いかに日本人が”洗脳”されているのか、日本語という言葉を分析しつつ読み解いていきましょう。

洗脳・思考停止ワードその① 「常識」

類義語としては、「当たり前」「マナー」「暗黙のルール」など。

用例は、

徒歩30分以内なら歩いてくるのが常識だろ。車で来るヤツは非常識だ。」(教えてgooより拝借)
上司が2次会行くぞと言うなら最後まで付き合うのが当たり前だろ。」(同)

など。よくブラック企業で聞きそうなフレーズ。

「目上とされる人」が「目下とされる人」に対してなにかを強制しようとするときに頻出する言葉です。

先生から子どもへ、親から子どもへ、上司から部下へ、先輩から後輩へ・・という関係性のなかでかなり頻繁に使われます。

みなさんも耳にしたことがあるか、もしくは口にしたことがあるでしょう。

 

でも、残念なことに、大抵の場合、

「常識」というのは思考停止ワードです。

なぜなら、常識とは、「なぜそうするのか」について考えることをやめたときに頼りになる言葉だからです。

 

根拠が見つからないから「常識だろ?」でごまかすことが多いのではないでしょうか。

「これは、自分が考え抜いた末に結論した純度100パーセントの意見じゃないけど、そのようにみんなが思っている(気がする)から」という根拠のない希望的観測に基づいて「常識だろ!」で片づけてしまうことが多いのではないでしょうか。

 

論理的な根拠が見つからないとき、「常識」という言葉が格好の隠れ蓑になるのです。

 

上の例でいえば、

「徒歩30分」→「歩いていくべきだ」となっていますが、「→」が意味不明なのです。

「徒歩30分である」ことがなぜ、「歩いていくべき」であることの根拠になるのでしょうか

 

同じく、

「上司が2次会行くぞと言うなら最後まで付き合うのが当たり前だろ。」の例では、

「上司が二次会行くぞと言う」→「最後まで付き合う」の、「→」が根拠薄弱です。

「上司が二次会に行くぞと言う」ことと「最後まで付き合う」の間には、なんの脈絡もありません

 

日本人は論理的思考能力を鍛える機会が与えられていないに等しい(すくなくとも義務教育過程では全く触れられません)といわれますが、その発端はここらへんにあると思います。

 

ディベートでいうと、「事実」→「主張」を成り立たせるカギである「→」は、「論拠」といいます。

これをそのまま英語にすると「データ」→「クレーム」で、「→」は「ワラント」と言います。

 

上の例だと、本来であれば上司は、

「徒歩30分である」という「事実(データ)」が、なぜ「徒歩で行くべき」という「主張(クレーム)」につながるのか? を示さなければならないのです。

つまり上司は、「論拠(ワラント)」なき物言いをしてしまっているのです。

事実から主張を展開するための「論拠」がないからこそ、不安に駆られて「常識」という言葉の重りを担保にするのでしょう。

 

したがって、

例のような「常識だろ!」の物言いは、この「事実・主張・論拠」「データ・クレーム・ワラント」で対処できます。

繰り返しますが、

あることを説得力を持って言うときには、

「なぜその事実(データ)から、その主張(クレーム)が導き出されるのか?」という「論拠(ワラント)」が必要なのです。

 

ついでに言っておけば、常識とされていることが間違っていることなんてザラなんです。

たとえば、一昔前までの野球界では「練習中に水を飲んではいけない」が「常識」でした。

また、天動説が常識とされ、地動説は非常識とされた時代もありましたね。

今やどちらも非常識ですね。

 

「常識」という言葉を使う人には気を付けましょう。

往々にして、その人が言うことは、常識という皮をかぶった「あなたに要求していること」なのですから。

 

洗脳・思考停止ワードその② 「普通」

類義語としては、平凡、典型的、人並み、十人並み、なんの変哲もない、など。

 

普通という言葉について、村上龍の小説「希望の国のエクソダス」にはこんな一節があります。

“普通”の中学生である中村君が語った言葉です。

「ずっと言われてきたんですよ。親と話したことでよく憶えているのはそれだけです。普通というのがぼくはわからなかったし、今もわかりません。みんなと同じようにすることだと親が言ったこともあるけど、みんな一人一人違うじゃないですか」…

「普通という概念は一定のものじゃないとぼくは思います」…

「だから普通でいなさいと言われてもよくわからないんです」

 

「普通」を定義できますか?

自分にとっては普通でも、他の人にとっては普通でない可能性があります。

自分の国では普通でも、他の国では普通でない可能性があります。

普通というのは、どこまでいっても相対的なものなのです。

 

ぶっちゃけた言い方をすれば、世の中で言われている”普通”とは、「幻想」にすぎません。

あるような気もしますが、ないような気もします。空なんです。

 

つまり「普通」とは、解釈次第でどうにでも言えるわけです。

だから、自分の意見を正当化して人に押し付けるときに非常に役に立つんですね。

「それが普通だから、そうしなさい」というように。

思考停止していることを隠したいときにも使える言葉ですね。

用例としては、

「普通に就職して、普通の人生を送る」

「なにかにチャレンジするのはつかれるから、普通の人生を送りたい」

「わが子が普通に育ちますように」

など。

 

ちょっと怖い話をしましょう。

「普通」というのは、「作れる」ものです。

どうやって作るかといえば簡単で、テレビや新聞・雑誌などを利用すればいい。

しかもその時つくられる「普通」とは、権力のある人にとって都合のよい「普通」です。

 

たとえば、最近の日本の家庭は「核家族」が大半です。

核家族とは、「父と母と子ども」という、家族として成立する最小単位の核だけを持っている家庭のことです。

いまの日本で”普通”なのは、核家族です。

しかし、その”普通”は、数十年さかのぼると普通ではありませんでした。

今となっては、おじいちゃんやおばあちゃん、いとこなども一緒に住んでいるというのは少数派ですが、昔はそうではありませんでした。戦後間もないころの日本や明治・大正・昭和期の一般家庭を思い浮かべていただくと納得できると思います。

 

では、なぜ核家族化が進んだのでしょうか?

おそらく、家電メーカーや車業界、住宅建築業界の要請があったのではないかと私はにらんでいます。

 

たとえば核家族が増えれば増えるほど、洗濯機はそれだけ需要が増えます。

テレビもそうですし、冷蔵庫も一家に一台ですから需要増です。

また核家族が増えるほど、車の需要も伸びます。

一戸建てに住む核家族が増えるほど、住宅需要も伸びます。

それらの業界にとっては、「核家族をもっと増やしてくれ」なのです。

 

これを陰謀論だと言うのは勝手ですが、事実それらの業界にとっては核家族化は利益になっているのです。

 

最近でいえば、大学生のイメージする普通の人生とは

「普通に就職する」

「公務員になって普通に暮らす」

「30代になったら普通に結婚する」

などでしょうか。

 

これらの「普通」も、”つくられたもの”である可能性が高いです。

普通に就職活動をすればリクルートがボロ儲けしますし、

普通に公務員になろうとすれば就職の大原が儲かりますし、

30代になって普通に結婚しようとすればブライダル業界と婚活業者がウッハウハです。

 

普通であろうとすること自体は悪いことだとは思いませんが、その「普通」とは、誰かに洗脳された結果「普通だ」と思っているのではないか? と疑ってみることをおすすめします。

 

洗脳・思考停止ワードその③ 「恥ずかしい」

「恥ずかしい」という言葉も、論理的に考える能力を衰えさせます。

 

アメリカの文化人類学者ルース・ベネティクトは、日本の文化を「恥の文化」と評しました。

それが正しいかどうかはともかくとして、日本人の行動原理には「恥ずかしいことは嫌だ」がガッチリ組み込まれているようです。

「恥ずかしい行いをしてしまった。人様に顔向けができない」

「授業で発言するのは恥ずかしい」

「こんなんじゃ恥ずかしくて同窓会に行けない」

「恥ずかしいからやめろ!」

とまあ、こんな使い方をします。

 

「恥ずかしい」というのは、「情動記憶」と深いかかわりがあります。

「恥ずかしい」が厄介なのもまさにここです。

「恥ずかしい」というトリガーが引かれると、人間は論理モードから情動モードへと切り替えさせられてしまうのです。

 

日本人であれば、小さいころから親や周囲の環境によって、「これは恥ずかしいこと」「あのひとは恥ずかしいことをした」「あれをするのは恥ずかしいことである」といった「恥ずかしいもの」の刷り込みが行われます。

そのうち子どもの方でも一般化する能力が身に付いてくると、「恥ずかしいもの」を自分で判断するようになります。

「授業で発言して間違えたら恥ずかしい」

「就職に失敗してニートになったら恥ずかしい」

といった判断をするようになります。

 

論理的に考えれば「授業で発言して間違えること」→「恥ずかしい」はまったく成立しないはずなのですが、情動記憶に結びついている分、脳が自動的に反応してしまうのです。

「ニートになる」ことが「恥ずかしい」というのも本来成り立たないはずなのですが、小さいころから地道に形成されてきた「これは問答無用で恥ずかしい」というパターンの中に入ってしまう。

 

だから厄介なのです。

論理が抑え込まれてしまって、情動が前に出てくる。

これを解除するにはけっこうな時間が要ります。

 

対処法としては、情動モードになっていないときに徹底的に論理でやっつけるほかないと思います。

一度情動モードに切り替わってしまうと対処が難しいので、冷静なときに「待てよ、ニートであることがなぜ恥ずかしいんだ?まったく根拠がないのになぜ?」といった問答をやってみることが近道でしょう。

 

洗脳・思考停止ワードその④ 「~してはいけない」

年末になるとやっている「○○てはいけない」シリーズは大人気ですが、これも思考停止ワード。要注意です。

 

たとえば、

「留年してはいけない」

はどうでしょう。一見もっともに聞こえますが・・・

 

これもやはり、論理的におかしいのです。

「留年すること」→「いけないことである」の「→」はかならずしも成立しませんから。

たとえば自分で学費を稼げるような人であれば、留年による経済的損失はそれほど大ダメージにはなりません。

また、ストレートで大学を卒業することにとくにメリットがなければ留年してもかまわないでしょう。

 

もちろん「親が出してくれるからいくらでも留年しよう」はそもそも倫理的にまずい(親には扶養義務があるとはいえ、親の幸福を妨げる可能性があります)のですが。

 

もちろん、「人を殺してはいけない」といった命題については、論理で片づけてしまえるような類のものではありません。社会を成立させるために必要な分の「○○てはいけない」を取り払ってしまうと治安悪化や秩序崩壊につながりかねないですから、保持すべきです。

 

しかしそれ以外の場合、「○○てはいけない」というのは、まったく根拠がない無条件の禁止であることで多いのです。

個人の責任においてやる場合、かつ他人に害を与えないような場合であれば、個人の行動は「○○てはいけない」にしばられる理由がありません。

「ホームレスになってはいけない」なんてこともありませんし、

「上司に反論してはいけない」なんてこともありません。

 

「○○てはいけない」は、個人をおとなしくさせておくための鎖としてかなり強力なものであるといえます。

 

洗脳・思考停止ワードその⑤ 「みんな」

「みんなやっている」と言われると無条件で硬直してしまう人は、多いのではないでしょうか。

 

人間は群れをなして生きる生物ですから、自分にはみんながついていると思えるだけで、途端に強気になれます。

「みんなそうしてるんだぞ」「みんな我慢してるんだ」「みんなつらいんだぞ」…

たとえそれが「脳内みんな」であっても、これらの主張は一見、説得力があるように見えます。

 

集団で相互に助け合いながら生活するのは人間の本性ですから否定はしません。

しかし、「みんながそうしている」からといって自分もそうする必要があるのかどうかについては一度考えてみる必要がありそうです。

「みんなが逃げないから、自分も逃げない」という判断をして災害から逃げ遅れてしまう人もいます。

 

また、「自分は、”みんな”の一員である」=「自分が多数派であること」は裏返して言えば、

「自分が存在しなくても、他のみんなで事足りる」

「自分という存在は、いくらでも取り換えが利く」ということにもつながります。

 

自分がいなくても、ほかのみんながやってくれる。

これが多数派に属する人の強みであり、同時に弱みでもあります。

 

・・「みんな」についてもう一言。

 

民主主義とは、「みんな」の合意に基づいてやる政治だと教えられますが、実際そうではありません。

むしろ逆。

なぜなら民主主義は、多数決を基本原理としているからです。

 

多数決で決まるということは、なにか意見を通そうとするときには、多数の人々を操る力を持っている人が有利ですね?

自分の意見に賛同する人をたくさん味方に引き入れるほど、勝つ可能性が高くなります。

 

そう、民主主義とは、「多数を操る手段を持っている人」のための制度なのです。

わかりやすくいえば、いまの民主政治は、マスコミに影響力を行使できる人々のためのものです。あきらかに大衆のためのものではありません。

新聞やテレビが主要な情報源である日本の国民を思いのままに動かすためには、その新聞やテレビを自分に都合の良いように動かせばいいのです。

 

ここでもやはり「みんな」というのは洗脳ワードです。

「みんながそう言っている」「みんなそう思ってる」というときの「みんな」とはいったい誰なのか。

「みんな」をコントロールしているのは誰なのか。

 

洗脳されている人は、自分が洗脳されていることになかなか気づけません、

「みんながそうしている」と言っている人を見たら、「ほんとうにそれは”みんな”なのか」「みんながそうしているからといって、自分もそうする必要はあるのか」を考えてみてください。

 

おわりに + “脱洗脳したい人”のためのおすすめ本

さて、いかがだったでしょうか。

基本的に、以下の言葉には気を付けましょう。

「常識」

「普通」

「恥ずかしい」

「○○てはいけない」

「みんな」

 

上に挙げた言葉を使ってしまったら、「あっ、俺、考えるのをやめている」と考えた方がよく、

上に挙げた言葉を使っている人を見たら、「ああ、この人は洗脳されて思考停止してる人なんだな」と思った方が良いです。

 

この記事で散々述べてきたように、どの言葉も「自分が思考停止しているのを隠して、もっともらしく聞こえるようにするため」に非常に都合の良い言葉だからです。

また、多くの人をコントロールできる立場にある人が利用している言葉でもあるからです。

 

これらの言葉に神経を張っておくことで、

自分がいかに洗脳されていたか、自分がいかに思考停止してきたかがよくわかると思います。

無駄なとらわれから脱して、自由自在に生きてください。

 

では、グッド・ラック!

 

★おまけ 「脱洗脳のスペシャリスト」のおすすめ本★

毎回恒例。

 

・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信するに至りました。うさんくさいのは、読みもしないひとが勝手に言っているだけです。

今回この記事で書いたことは、かなりの部分が苫米地氏の知見を基にしたものです。

 

以下におすすめの本を挙げておきます。

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「ディベートで超論理思考を手に入れる

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「洗脳原論

・「思考停止という病

・「「生」と「死」の取り扱い説明書

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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