「その高学歴、役立ってますか?」 学歴という幻想を斬る

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

今回は、「学歴トーク」をしましょうか。

一応自分自身、世間一般では旧帝と呼ばれる大学に所属しているので、学歴でいえば「高い」部類に入る(はず)。

そして、わが大学の学生は学歴トークが大好きなんです。

「うちは早稲田よりは上」とか「理系では○○に勝ってる」とか、よく聞きます。

ネットでもよく「これだから○学歴は~」みたいな物言いを見かけます。

では実際のところ、「学歴から判断できること」というのは本当にあるんでしょうか?

学歴についていくつか言っておきたいこと

「高学歴はプライドが高い」の本当の意味

どこかで何度か、

「高学歴のヤツはプライドが高くて、扱いにくいしウザい」と言う記事を見た記憶があります。

ウザいとか扱いにくいとかいうのはあくまでも個人の主観なのでそれについては何も言えませんが、

「高学歴はプライドが高い」については、一言言っておかねばならないことがあります。

 

それは、

その「高学歴な人」が持っているプライドというのは、「自分が所属する組織へのプライド」であって、「自分自身に対して」持っているプライドではないということです。

ここを勘違いしているから、いろいろと不都合が起こるのです。

 

私は、「プライド」には二種類あると思っています。

それは「自分ではないものへのプライド」と「自分自身へのプライド」です。

 

たとえば、心の中で

「自分は○○大卒だからすごいんだ」と思っているのは、「自分ではないものへのプライド」です。

いくら○○大卒であることを誇っても、それは自分自身ではありません

「あなたは人間であって、大学ではないでしょう」で終わり。自分ではないものを誇っても空しいだけです。

むしろ、「○○大卒である自分」を誇れば誇るほど、「もし○○大卒じゃなければ価値のない自分」を誇ることになります。

後述しますが、「○○大学出身⇒すごい」という論理は成り立たないのです。

 

一方で、「自分自身に対して持っているプライド」はどうでしょうか。

この場合、「○○大卒」といったわかりやすい担保はありません。

というより、そういった担保は邪魔なだけで、必要ないのです。

 

「自分自身に持っているプライド」をもっと具体的に言い換えれば、「自己能力への絶対的な自己評価」です。

これは、たとえ周囲が敵だらけになっても(炎上とか、親族一同の反対とか)、「いや、おれは自分のことをすごいとしか思わない人間だから、お前らが何と言おうが”できる”んだよ」と思えるくらいの、無条件の自己肯定です。

 

プライドを持つのなら、自分の卒業した大学にではなく、自分自身という存在に対して絶対のプライドを持つべきなのです。

変な言い方ですが、学歴はあの世に持っていけません。

学歴を誇るのは空しいだけなので、やめた方が賢明です。

 

どっちもどっち。学歴を問題にすると、第三の選択肢が見えなくなる

以下の画像は、2017/1/21時点での「高学歴」「低学歴」というキーワードのサジェストです。

「低学歴」の下のほうにあまりにストレートな言葉が書いてあるのには思わず笑ってしまったのですが、

少なくとも私には、この検索結果を見るかぎり、「どっちもどっちだのう」としか思えません。

 

洗脳の手法で「ダブルバインド」というのがあります。

「○○しろ!」と命令しておきながら、いざ○○すると「ふざけるな!」と全力で否定するというものです。

たとえば、上司に遅刻の理由を問い詰められたとき。

「どうして遅れたんだ!」と言っておきながら、いざ理由を言おうとすると「言い訳するな!」と怒鳴られる。

 

この場合、本当の狙いは、「○○させること」ではありません。

相手に要求しておきながら、要求を実行した相手に強烈な否定の言葉を浴びせて

「相手を混乱させて思考停止させ、相手を支配下に置くこと」なのです。

さきの例でいえば、上司の真意は「どうして遅れたんだ!」ではなくて、「俺の言うことを聞け!」ということです。

 

低学歴か高学歴かという二項対立は、このダブルバインドの手法と似ています。

「低学歴か、高学歴か」という物差ししか使えなくなるのです。

もっと言えば、「学歴にとらわれない」という第三の選択肢に気付かなくなってしまうということ。

 

 

もしも目の前にわかりやすい二項対立が現れたら、「これは、誰かが自分の視野を狭めようとしているのではないか?」と疑ってかかるほうが賢明です。

「日本人⇔外国人」、「白人⇔黒人」、「愛国者⇔売国奴」といったわかりやすい二項対立にとらわれていると、

「みんな同じヒトという種じゃないか!」という一段抽象度の高い視点があることに気付くことができません。

 

高学歴だろうが低学歴だろうが、同じ霊長類ヒト科のホモサピエンスであることを忘れないようにしましょう。

 

「学歴で競争する」ことは奴隷の入り口

もっと言えば、私は「学歴論争は奴隷の入り口だ」と思っているのです。

「競争」というのは、本質的に言えば「順番を付けること」に他なりません。

 

順番を付けられた人の中で勝者と言えるのは、「一位」の人だけです。

競争というのは、「二位の人は、一位の人に劣る。同じように、三位の人は、二位の人に劣る。四位の人は…」という考え方です。

競争者の数はたくさんなのに、勝利するのは一人だけ。

 

これだけでも十分いびつですが、皮肉なことに、その「勝利した一人」でさえも、その順位が通用しない世界に放り出されればまたゼロからスタートです。

これは日本で言えば、日本で一番偏差値の高い東大理3の学生は、ひとまず日本国内ではトップクラスと言えるけれども、

海外に出たらどうなるかわからないし、全世代のなかで考えればどうなのかはわからないということです。

 

このように、結局、順位にとらわれるのもまた空しいのです。

そして、順位を物差しとして採用しているうちは、「順位にとらわれないでものを考える」ことができません。

人々が競争すればするほど、競争させることで食っているリクルートや進研ゼミが儲かるというだけです。

 

競争から離脱しない限り、「自分が本当にやりたいことをやる」という選択肢は見えません。

「自分が本当にやりたいことをやる」なかで順位付けが必要になった! というならまだ理解可能ですが、

競争に参加している中で自分の本当にやりたいことをやるというのは非常に難しいのです。

受験を嫌々やっている限りは学問の面白さに目覚めないのと同じです。

 

そういえば、順位付け関係ではこんなツイートがあったなということで載せておきます。

1番じゃないとダメな理由は、「あなたは日本で一番高い山、はご存じですよね?」「バカにするな、富士山だろう?」「その通り。では日本で二番目に高い山は?」「えっ…えっと…」「人の記憶に残るためには、1番でないとダメなんですよ。ちなみに正解は北岳、標高3193mです」 に尽きると思う。

 

 

もし学歴を誇りたいのなら、こいつに勝ってから言え

ここまで長々と書いてきましたが、それでも納得できないという方のために、

「学歴を誇りたいのなら、このくらいやってから言え」というのを出しておきましょう。

はい、ご明察の通り、苫米地先生です。

すごいですね。

駒場東邦は進学校ですが、「自宅に近いから」行ったとのこと。

マサチューセッツ大学、上智を経て、

イェール大学、そしてコンピュータサイエンスで世界ナンバーワンの座を譲らないカーネギーメロン大学へ。

このくらい圧巻だと言葉も出ないですね。

 

学歴を誇るのは無駄だと散々述べてきたのですが、それでもあくまで学歴を追求したいという方は、このくらいやってみましょう。

 

まとめ + とらわれから解放されるための本

さて、いかがでしたか。

学歴について私が言いたいと思ったことはだいたいこのくらいです。

 

当然ですが、高学歴と言われる大学を出たからといって無条件で素晴らしいわけではないし、

低学歴と言われるような人だからといって無条件でダメだというわけではありません。

そもそも学歴という観点そのものが頼りない、ということです。

 

自分を縛っているものはどんどん外していきましょう。

自由になればなるほど、楽しい人生が歩めるはずです。

では、グッド・ラック!

 

 

★おまけ 「奴隷状態から脱したい人」のためのおすすめ本★

・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。奴隷状態から脱するには、この人の本を読むのをおすすめします。

 

以下におすすめの本を挙げておきます。

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「ディベートで超論理思考を手に入れる

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「洗脳原論

・「思考停止という病

・「「生」と「死」の取り扱い説明書

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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