日本人へ告ぐ。群れを捨てよ、”少数派”になろう。

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

今回は、「ぼっち推奨のためのエッセイ」となっております。

ふだんの記事とはちょっと違ったテイストで、随筆的な文章を書きました。

読み物としてお楽しみください。

群れを捨てよ、少数派になろう。

「最近の若者は群れてばかりで、一人で行動しない。どうしたものか。」

 聞き飽きたフレーズだが、半分は正しい。「最近の若者」はたしかに、”ぼっち”でいることを極度に恐れている。独りぼっちは、恥ずかしい。講義を受けるのも、食事をするのも、休日を過ごすのも、一人では気後れする。それはひとつの傾向として、間違いなく存在する。

 

 ただし、それは若者に限った話ではない、ということだ。

 

 たとえば、老人だってゲートボールをしながら群れているし、小学生だって公園で仲良くゲームをしている。OLだってランチメイトを欲しがるし、政治家だって派閥を作って群れている。外国人でも日本人でも、群れをなすのは変わらない。

 ひとりでは気弱でも、集団になれば態度が大きくなる。それは、自分に降りかかる身の危険を回避できる確率が高くなるからだ。人間が生物の一種である以上、当然、群れを好む性質がある。群れていれば、襲撃者や捕食者の魔の手から逃れる可能性が高くなる。群れていれば、食料だって確保しやすくなる。数の力で圧倒することができるし、相互に助け合うこともできる。

 人間は個としては貧弱な生物だが、群れをなせば強い。これは人間だけではなく、ほとんどの生物に当てはまることだ。

 

 群れは強し、個は弱し。

 野生の世界の掟である。

 

 ・・・しかし、それは現代日本という社会でもそのまま通用するだろうか?

 国民の生命が憲法で保障され、もはや捕食者などいなくなったこの社会でもなお、「群れをつくる」ことは生存に有利と言えるだろうか?

 

 「群れている」ということを言い換えるなら、「誰もが、他者と同じようにあり続ける」ということだろう。閉鎖的な集団でサバイバルするための掟はたった一つ。

「群れの秩序に背かない」こと。

 群れの存続のために歓迎される性質は、「目立たない、協調性がある、空気が読める」。出る杭は打たれ、去る者は中傷され、新参者は拒まれる。そのコミュニティの中でしか通用しない「内輪ネタ」が蔓延し、狭い・近い世界しか見えなくなっていく。群れの成員は、ますます均質化されていく。

 

 集団内では誰もが同質である――これは、もう一つ恐ろしいことを示唆する。

 実は、誰もが同質であるということはそのまま、”誰もが取り換えが利く”ことなのだ。

 端的に言えば、「あなたの代わりはいくらでもいます」の一言に尽きる。

 

 たとえその集団においてはただ一人しか存在しないリーダー格の人物であっても、「グループを束ねる」という役割さえ果たせるならば、取り換えが利くのだ。群れの中における「ネタキャラ」もそうだし、「頭が切れるキャラ」や「ギャンブル好きキャラ」などでも同様である。群れの中にいる限り、その役割さえ果たせるのであれば誰とでも交換可能なのだ。

 つまり、多数派のなかの一人であり続けることは、「木を隠すなら森の中」方式の生存戦略には適っているものの、その一方で、「特別な木」として尊重され伐採を免れるのもまた難しくなる、ということを意味する。

 

 では逆に、「ひとりで行動する」ことが多い人は?

 

 もちろん、ひとりでいることは、リスクを伴う。たとえば、大学の講義で代返をしてもらうのは難しいし、数多くの人がいる場所での孤独感もなおさら強くなる。多くの場合、心理的なストレスがかなり増すことになるのは間違いない。「ぼっち飯」「便所飯」という言葉が象徴するように、一人でいることに慣れないうちは、かなり精神的に苦悶することになる。

 しかし、ひとりで行動する人は、当然ながら、上記のような「多数派の論理」「集団の論理」の外にある。「他人の顔をうかがいながら、あるいは排除されることを恐れながら、自分の本当にやりたいことを押し殺して、周囲から浮かないように生きる」――その面倒さを捨てることができる。他人に合わせる生き方はひとつの生き方として賢明だが、ひとりで生きる楽しさにはかなわない。

 

 ひとりでいることの最大のメリットは、「煩雑な気遣いをせずに、ひたすら自分の世界に没入できること」。

 これに尽きる。

 いや、むしろ、これ以外には一切存在しないとすら言える。

 

 読書でも映画鑑賞でも、スポーツでもネットサーフィンでも店巡りでも何でもいい。自分の心の深いところにアクセスして、贅沢な自己対話を楽しむのが「ひとり」の醍醐味なのだ。人間がもっとも深い思考をすることができるのは、間違いなくこの、一人でいる時間である。

 このひとりきりの時間で、なにかを学び、考え、作ればいい。ひとりでいる時間の質が高まるほど、そこから生み出されるものも、おのずと質の高いものとなっていく。

 群れをつくる必要はない。本当に共感できる親友が一人か二人、多くて数人いればそれで事足りる。自分の世界に没入し、本当に満足のいくものを作り上げることができれば、自然とそういった共感者も集まってくるはずだ。その方が結局は、心理的充足度も高いだろう。

 

 ”ひとりぼっち”は、悪い生き方じゃない。

 

 だから、冒頭の一文は、正確には、こう訂正されるべきだ。

 「最近の人間は群れてばかりで、一人で行動しない。どうしたものか。」

 

 群れを捨てよ。

 そして少数派になろう。

 

まとめ + ぼっちでも強く生きるための書籍のまとめ

さて、いかがでしたか。

エッセイではありますが、主張自体は私が普段言っていることと同じです。

 

実際のところ、人間は生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで一人です。

たとえば、どれだけ多くの人にかこまれていようが、恋人と無理心中しようが、生命体としての死を迎えるとき、人はかならず孤独状態にあります。

群れであってもぼっちであっても、そこにいるのはひとりひとりの人間です。

それを忘れないようにしましょう。

 

また、自分がぼっちで悩んでいる方には、カウンセラー的な本として「内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える」もおすすめします。

読書の皆様方、良い「おひとりさま」になってください。

では、グッド・ラック!

 

★おまけ 「ぼっちに悩む人」のためのおすすめ本★

・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。この人の本を読むと、「あ、そうか。ぼっちでなんの問題もないんだ」と確信できます。

以下におすすめの本を挙げておきます。

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「ディベートで超論理思考を手に入れる

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「洗脳原論

・「思考停止という病

・「「生」と「死」の取り扱い説明書

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

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