「努力する人」と「努力しない人」の違いは何か

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

先日「日本に蔓延している「努力教」という病理について」という記事を書いたのですが、

この「努力」というテーマについてもっともっと掘り下げる必要があるなと思いました。

今回は、みんな一度は疑問に思ったことがありそうなテーマです。

「努力する人」と「努力しない人」には、なんの違いがあるのか?

考えていきましょう。

おさらい:日本的な「努力」の意味

前回の記事から引用します。

 

日本的な努力の意味

しかし、日本人が「努力」という言葉を使うとき、「自分のゴールを達成するために」という最重要部分が抜け落ちてしまっているように私には見えます。努力自体が目的化してしまっているようにしか見えないのです。

努力を目的にしたらこうなる

「自分は苦しくても努力するんだ」という認識をしている努力家(心当たりありませんか?)がことごとく途中で燃え尽きてしまうのは、ここまで述べてきた原理を理解できていないからです。「自分は苦しいことをやっている。だから成功するんだ」という思考法では、間違いなく目の前の「努力」という重量物に負けます。

本当の「努力」の意味

しつこいようですが、あくまでも「努力」とは、

「<ゴールを達成するために>自分がいまやっていなければいけないこと」を、周囲の人間から見たときにそう見える、というだけのことです。本人にとっては、自分の居心地の良い状態に居続けようとしているだけなのですから、苦しいことをやっている、努力しているという感覚はありません。

詳しく説明するとまた字数が増えるので、このくらいにしておきます。

 

「努力する人」と「努力しない人」のちがい

多くの場合、「自分は努力しない人である」と思っている人から見ると、自分よりはるかに「やっている人」のことはまるで理解不能なのです。

「努力する人としない人の違い」という問いに答えるには、3つのレベルがあります。

 

①「明確な方向性をもって努力する人」と「努力を極力避けて、なんとなく生きる人」の違いはどこにあるか

世の中には数多くの人がいますが、大きく分けて「明確な方向を目指して努力する人」と「努力を極力避けて、無難な道でなんとなく生きる人」に分かれます。

「努力をなるべく避けてなんとなく生きる」というとちょっときつい言い方かもしれませんが、大まかに言って、「他の人たち(親・友人・同僚など)と摩擦を起こさないように考えて方向を決める」「なるべく楽に、要領よく物事をこなそうとする」という傾向がある人です。

 

この両者の違いは、「後天的なゴール・目標を見つけたか」にあると思います。

たとえば、イチロー選手や本田圭佑選手のような人々は、野球やサッカーでトップになるという「後天的」なゴールを見つけた人です。後天的に見つけたゴールを達成するために、高いリスクを払ってでも努力できる人とも言えます。

 

その一方で、実は、「極力努力を避けるタイプの人」もゴールを持っています。

それは「自分の遺伝子を保存する」という、人間がもともと持っている目標で、この目標を効率よく達成するために、「世間的に見て無難な職に就いて、なるべく事を荒立てずに過ごす」という戦略をとると思われます。つまり、リスクを減らして、極力平坦な道を進んでいこうという志向を持っているということです。これは決して悪いことではなく、「リスクを減らす」という一つの選択をしたというだけです。

 

「なんとなく生きる人」がまったく努力をしていないということではなく、あくまでも、リスクを回避して効率よく生きるという道を選んだというだけです。

逆に、「後天的なゴール」を見つけた人は、高いリスクを払います。スポーツであればケガや日々の練習のキツさ、勉強や人助けであればかなり頭を酷使しなければなりません。リスクをとって大失敗するかもしれない代わりに、成功したときのリターン・充実感はかなりのものです。

 

「明確な方向を目指して努力する人」と「努力を極力避けて、無難な道でなんとなく生きる人」の違いは、

①先天的なゴールに従うか、後天的なゴールに従うか

②リスクを避けるか、リスクをとるか

の二点にあると私は思います。

 

②「めちゃくちゃ努力できる人」と「そこそこ努力できる人」の違いは何か

「その人の哲学がどれだけ練り上げられているか」だと思います。

 

「哲学」というのは大げさな言い方かもしれませんが、言い換えると「自分の中での考え」です。

他人にどう言われようと、どれだけ誘惑に出会おうと、「いや、自分としてはこう思うから、自分のやりたいことをやる」という反論をすることができれば、それは哲学を持っていると言えます。

つまり、「めちゃくちゃ努力できる人」は、「自分はこういうゴールを持っていて、そのためにはこういう障壁もあるけど、それはこういう風に乗り越えて…」「人生は一度きりなので、一生懸命に生きるか、適当に生きるか。適当に生きるのは誰でもできるけど、死ぬときに後悔するだろうな。なら一生懸命やってみよう」という論理の体系を持っているということです。

「そこそこやる人」は、まだこの論理体系が弱い人のことですが、これから哲学を練り上げていくという途上の人になります。そのうち「めちゃくちゃ努力できる人」になるかもしれません。

 

この哲学が強いほど、努力の度合いも高まっていきます。

 

③「死ぬほどやる人」と「そこまで行けない人」の違いは何か

「死ぬほどやる人」と「そこまで行けない人」の違いは、

①ゴールの高さ

②それをどれだけ強烈にイメージしているか

だと思います。

 

有名な話ですが、日本を代表するボディビルダーだった故・マッスル北村はコンテストに向けての減量をやりすぎて「餓死」しました。筋骨隆々の状態での餓死ですから、いかに過激なやり方をしていたかわかります。彼の過酷なトレーニングは、調べていただければどれほどのものかがおわかりになるでしょう。

あれだけの猛烈なトレーニングをこなすためには、相当高い志がなければならなかったはずです。そうでなかったら、「ま、この辺でいいか」という妥協が入り込みまくりだったでしょう。

実際、マッスル北村の『ボクの履歴書』には、彼が「世界で戦うためには~」という高いゴールを持っていたことを窺わせる描写が数多くあります。普段のトレーニングから「自分が世界で戦えるようになるには、ここで手を抜くわけにはいかない!」と思っていたことが推測できます。

ちなみに、練習を積んで上のレベルに行く人というのは「限界的練習」というトレーニングをしているそうで、これは「今の自分の限界をちょっとだけ更新し続ける」ものです。かなりキツいトレーニングになることは間違いないので、この限界的練習を続けるためには、高いゴールに対して強烈な臨場感を持っていなければなりません。

 

マッスル北村の例からわかるように、「死ぬほど努力できる人」は、

①「現状のままでは絶対に達成できない、高い高いゴールを持っている」

②「それを強烈にイメージし、現在の自分のあるべき姿を思い描いている」

という二つの条件をクリアしていると言えます。

 

まとめ + もっと上のレベルに行きたい人へ

さて、いかがでしたか。

「努力しろ!」と言う人は多いですが、そうやって他人に押し付ける人はだいたいの場合、どうやって努力するかは教えてくれません。どうやって努力すべきかもわからないのに努力しろというのも無理な相談でしょう。

 

適当な努力より、考え抜かれた努力をやっている人の方が充実しているはずです。

「努力努力ゥ!」と努力を目的にするのではなく、努力の方法論について一度考えてみると良いと思いますよ。

 

では、グッド・ラック!

 

★おまけ 「頭を良くしたい人」のためのおすすめ本★

・・先日も記事で書きましたが、私は苫米地英人氏の本を70冊近く読み切り、「ああ、この人はモノホンだ。うさんくさいのはアレだけど本物だ」と確信しました。この人の本を読むと、どんどん思考の盲点が外れて、今まで見えなかったものが見えてくるようになります。今回の記事で述べた理屈は、ほとんどこの人の理論を応用して考えたものです。

以下におすすめの本を挙げておきます。

・「立ち読みしなさい!~美しいほどシンプルな成功術

・「ディベートで超論理思考を手に入れる

・「苫米地英人、宇宙を語る

・「洗脳原論

・「思考停止という病

・「すべてを可能にする数学脳のつくり方

・「「生」と「死」の取り扱い説明書

・「君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する

 

大学教科書・専門書・医学書の買取サイト「専門書アカデミー」

 

――この記事をちょっとでも面白い・役に立ったとお思いになりましたら、ぜひFacebook・はてブ・ツイッター等で共有していただければとてもうれしいです――

 

 - 人生・生き方・心の迷い・邪念への対処・哲学, 有益な情報, 栗栖鳥太郎が学んだ・考えたこと, 頭が良くなる習慣, 頭の良い人だけが知っていること , ,