マインドフルネスの本質は「微分的思考法」である

   

こんにちは、栗栖鳥太郎(@Kuritoritarou)です。

今回は、最近よく聞く「マインドフルネス」について言いたいことがあります。

といっても、やり方を指南するとかそんなのじゃなくて、単に、

「マインドフルネスの本質」?みたいなものを見つけたので、皆さんと共有しようと思っただけです。

マインドフルネスの本質は「微分的思考法」である

マインドフルネスって本質的には数学的な思考法なんじゃないの?

そもそもマインドフルネスとは

「マインドフルネス」という言葉が書店の自己啓発本コーナーに現れたのは、ずいぶん前のことです。

マインドフルネスとは、過去や未来へ意識を向けるのではなく、「今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れること」を指します。

一般的には「マインドフルネス=瞑想」のイメージでしょうが、瞑想は単なる手段に過ぎません。現在に意識を向けることができれば何でもいいわけです。

 

ちなみに、この概念のルーツはといえば、仏教徒の心のあり方のことです。

いわゆる「一の矢はいいけど二の矢は駄目」(ex.痛い!という一の矢は感じて当然だが、痛い!→怒ったぞ! と二の矢を放つな)という仏教徒の基本的な心の持ちようのこと。

 

たいていの人は、突然殴られたら「やろう、ぶっ○してやる」と感情を乱します。

痛い → 頭の中にもうすでに相手を殴り返しているイメージが湧く → 仕返しにかかる わけです。

この「イメージが湧く」瞬間に、その人の意識は「現在・いまこの瞬間」から離れてしまうのです。

 

しかし、本当に熟達した僧侶は、「痛い」と感じてそれで終わりなのです。

なぜなら、僧侶は「いまこの瞬間」にしか意識を向けないため、「痛い」の次が出てこないようになっているからです。意識が「いまこの瞬間」から決して離れないということは、感情や欲望のとりこにもならないわけですね。「感情や欲望へのとらわれ」がないのです。

 

とりあえず、

未熟な人は「現在から心が離れて、過去や未来を見てしまう」

高僧たちは「現在の身に心を100%集中させる」

という違いを押さえておいてください。

 

数学との共通点

①現在から心を離してしまうA君の場合

「人生楽ありゃ苦もあるさ」という歌があります。

人生は山あり谷あり、ということです。

そこで、こんな図を用意してみました。

横の直線よりも↑が「楽しい」、↓が「苦しい」となっております。

そう、「人生の縮図」です。

 

 

いま、A君は↓の地点に差し掛かっているとします。

つまり、「これから苦しくなっていく」という時期です。A君はいわゆる五月病に苦しんでいるのです。

 

さて、この地点に差し掛かったとき、未熟な人であるA君は「現在から心を離して、未来を見てしまう」ので、こういうふうになります。

ちょっとわかりづらいかもしれませんが、

身体は「ここ」にあるのに、心は「未来」に向かってしまっています。

 

そして、注目していただきたいのは、「ここ」と「未来」の間にある部分の面積。

網掛け部分の面積は、「苦しさの量」を表していることになりますね。

 

そう、五月病のA君の心をノックアウトするのは、まさにこの

「ああ、まだしばらくは苦しいままでいなきゃいけないのか……」

という「網掛け部分の面積の広さ」なのです。

(私はこれを「積分的な思考法」と呼んでいます)

 

A君は、なまじ現在から心を離して未来へと目を向けてしまったがゆえに、

しばらく苦しい状況が続くという現実の「重さ」にやられてしまうのです。

大学生や社会人の五月病もまさに同じメカニズムです。

「まだこんな生活がしばらく続くのか……」という重圧。

耐えきれない人も多いでしょう。

 

②現在に心を集中させる高僧の場合

では、現在にだけ意識を置いている高僧はどうでしょうか?

こうなります。

 

そう、「現在にのみ意識を向けている」わけですから、

そもそも「未来との間の面積」自体が存在しないのです。

 

身体は「ここ」にあり、意識も「ここ」にある。

二点は極限まで重なり合い、面積は限りなくゼロに近づいていく。

すると、二点の間を結んだ線は、グラフの「接線」となります。

 

言うなれば、A君ほか凡人の「積分的思考法」とは真逆の、

「微分的思考法」

が、高僧たちの意識を成している!

これは、仏教でいう「刹那」じゃないか!?

 

……というふうに、私は思いました。

 

まとめ:仏教の科学性と、今回見た「マインドフルネス=微分」

科学にも哲学にもある程度詳しい人なら、

「釈迦がいかにすごいか」は嫌でも痛感するはずです。

 

釈迦が生まれたのは、今から2500年も前、しかも超未開の地であるネパールですよ?

そんな田舎にいた一人の人間が、現代の量子力学や数学を先取りしてました……進研ゼミも真っ青の予習っぷりです。一学期どころか2500年です。どれだけIQの高い人だったのか?

 

縁起の「すべてのものは他のものとの関係性の中で仮に存在する」とか、

空の「存在するとも存在しないともいえる」とか(こっちは龍樹っぽいですが)、

「すべてのものは無常である」とか、論理としてどれも最強クラスです。

 

釈迦は間違いなく、誰もがあきれるほどの天才だったのですが、残念ながら直接の教えは伝わっていません。弟子たちは釈迦ほどの天才ではなかったからです。当時のインドあたりの教育状況を考えると、「アインシュタインが猫に相対性理論を教える」ようなものだったのでしょう。

 

……ひとまず、今回の記事を実用的にまとめてみます。

凡人は、「現在から心を離して、過去や未来を気に病んでしまう」という積分思考をする。

凄い人は、「現在のみに心を100%集中させる」という微分思考をする。

積分思考は苦しみがどんどん増えていく。

微分思考は苦しみが極限までゼロに近づく。釈迦御用達。

 

なお、「現在のみに~」というのは、「未来のことを考えず傍若無人にふるまう」とは違います。

未来のこともいちおう考えはしますが、「現在に心を向けたまま考える」のです。

「現在のなかに未来を包摂した状態で考える」ような感覚……といえば良いのでしょうか?

 

ちなみに、コーチングでは「時間は未来から現在へと流れている」と考えます。

そのうえで、未来のゴールを高く設定して、現状のコンフォートゾーンを未来に合わせてどんどん上げていきます。先のグラフでいえば、こんな感じになります。

未来のゴールを「他の人に言ったら絶対無理と言われるレベル」にまで引き上げてやるのです。

そうすると、多少現在の状況が苦しくなろうと、

「未来のゴールを達成している自分からすればこんなのは蚊みたいなものだ」

という心持ちになれます。

実際、↑の図では「楽しい=赤い部分」の面積がかなり大きく、「苦しい=青の部分」が霞みます。

(なお、私は苫米地さんの本をよく読んでいるだけで、苫米地式コーチでも何でもありません)

 

積分思考は、凡人御用達。

とりあえず、人生が苦しいという人は

「マインドフルネス=微分的思考法」

「苫米地式コーチング=超洗練された積分的思考法」

のどちらかを頼ってみてはいかがでしょうか。

 

以上、栗栖鳥太郎(@Kuritoritarou)がお送りしました。

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