現代日本では「やらされる活動」が能力の低い人をもっとダメにしている!勉強でも部活でも仕事でも。

   

こんにちは、栗栖鳥太郎です。

今回は、最近気になっている「やりたくてやる」と「やらされる」の違いについてお話しします。

現代日本では「やらされる活動」が能力の低い人をもっとダメにしている!勉強でも部活でも仕事でも。

「やらされる」は悪い結果しか招かないし、「やらされる」に甘んじる人はこれからどんどん淘汰されていく

「現時点で能力の低い人」に「やらせる」のは、最悪の組み合わせ

たとえば、「物事に対する集中力がない」と言われている人のことを考えてみましょう。

バイトでしょっちゅうミスをする。勉強が続かない。指示通りに物事を進めることが苦手。

こういった人は「注意散漫」というレッテルを貼られ、無力感に苦しむことになります。

 

しかし、本当にその人は無能なのでしょうか?

集中力がない、にも二通りあります。

①ほんとうに集中力がない人。脳の機能がそうなっている人

②自分の好きなことであれば集中力がある人。やる気のわかないことに魅力を感じない人

もしもその人が①のタイプであれば、まずは集中力をつけるための脳改造に取り組むべきです。

このブログでも過去に扱ったテーマですが、たとえば「食事、運動、瞑想、音読」などによって物理的に脳を変えて集中力をつけるアプローチがあります。集中力がない、と嘆く時間があるのなら、そういったアプローチを試してみるべきです。

 

一方で、もしその人が②のタイプだったとしたら、その人は決して無能ではありません。

本人が集中力を発揮できるものであれば、集中できるのです。いまやっているものが合わないというだけです。

レジ打ちがまるでできない人が実は日本一のトレーニングインストラクターかもしれませんし、授業をまるで聞いていない子どもは実は物理学の偉人になるのかもしれません。

イチロー選手はバスケの練習を長時間できるような精神構造になっていないでしょうし、マイクタイソンが将棋に長時間集中できるかといえば怪しい気がします。

どの分野であっても、「本人に自発的なやる気があるか」がかなり重要なのです。

やる気がないことに集中するのは困難なのに、それを無理やりやろうとするところに矛盾があります。

 

「やらされると、ダメになる」理由その1:脳内のネガティブな反応

実際に、「やらされる」と、人間のパフォーマンスはダダ下がりするのです。

 

まず、「やらされる」ときの脳にはストレスがかかります。

ストレスがかかると、脳内ではコルチゾールとノルアドレナリンが大量に分泌されることが確認されています。

コルチゾールは人間の気分を鬱っぽくします。

ノルアドレナリンは人間に不安や恐怖の気持ちを起こさせる神経伝達物質です。

どちらもストレスに反応して分泌されます。

(ちなみにコルチゾールは、朝に目覚ましの大音量で起きることによって(強制覚醒)出ることが確認されており、

さらに、コルチゾールが分泌されることによって筋肉が分解されることも有名)

 

「やらされる→ストレスがかかる→コルチゾールやノルアドレナリンが多く出る→鬱っぽくなる→ますます集中力がなくなる」

という順序になります。「やらされる」と、脳の機能がますます下がるということです。

 

「やらされると、ダメになる」理由その2:学習性無気力に似た状態を引き起こす

日常的に「やる気がないことをやらされる→集中できず、無能というレッテルを貼られ続ける」というサイクルを経験していると、

そのうち「どうせ自分はなにをやってもうまくいかない人間なんですよ~だ」という学習性無気力に陥る可能性もあります。

 

問題なのは、その人が実際には有能なのかもしれないのに、無条件で能力が封じられてしまうことです。

「やりたくないことをやらされてうまくいかない経験」が転移して、

「やりたいこともやらなくなってしまう」可能性があります。

 

 

「その人が本来のパフォーマンスを発揮できないこと」=「やりたくないこと」

をやらされ続けていると、その人の能力は「全体的に」衰えていく可能性があるのです。

 

さきほどの例でいえば、②のタイプ。

ほんとうは有能かもしれないのに、やりたくないことをやらされつづけることによって学習性無気力に陥り、無能化してしまう、というわけです。

 

「教育」をがんばればがんばるほど無能な子どもが育つ、という皮肉

「やりたいことをやる」ならばその人が本来持っている能力を発揮できるはずなのに。

実にもったいない。潜在的な損失は相当なものです。

 

いまの日本では、ほとんどすべての子どもたちが、

「それをやらなければならないという常識があるから」という漠然とした理由のもと、

「やりたくないことをやらされ続ける」というhave toの教育を受けています。

全国の0~15歳の人口は、だいたい1700万人。

この1700万人の大半が、15年かけた「have to」の教育により、「常識に無条件で従うように」洗脳されているのです。

 

「義務教育できちんと社会の常識を身につけなければロクな大人にはならない」と言いますが、

本当はwant toのことだけをやるほうがはるかに教養も知識も身に付くし、

逆にhave toで強制されればされるほど子どもは反発するのです。

どうしてもある程度はついてまわる「やらなければいけないこと」を克服する手段も、want toをやっていくなかで自然に身につくものだと私は考えています。

 

明らかに、社会の利益という点で見ても、子どもの主観的幸福度という面で見ても、大人が教育にかける手間という点で見ても、

「want toを存分にやらせる」のほうがはるかにローコストで、ハイリターンで、「子どもの将来のため」になるのです。

have toで頭を押さえつけ続けるこれまでの教育は、「子どもが言うことを聞くようになる」という奴隷の適性を身につけさせること以外の効果をもたらしません。

 

それを妨げているのは、「教育者」を自認する日本の大人たちの頭の悪さだと私は考えています。

「自分たちはこうして教育されてきた。だから子供たちも同様に教育すべきだ」という思考停止、頭の固さ。

なぜ「本当に子どもの能力を最大限に伸ばす教育は何なのだろうか」と問い続けないのでしょうか?

 

具体的にはどうすればいいのか

この状況は正直、かなりマズいと思います。

私が考えているそこそこ現実的な解決策としては、役人にはたらきかけて教育改革をさせるよりも、

「圧倒的に効果が実証された、画期的な子どもの教育法」を資本主義のルートにのせて確実に提供することが先決だと思います。

たとえば、比較的フットワークの軽い中小の個人塾などで「want to」(や、「瞑想・運動・音読・読書・食事などによる能力開発」)を中心にした観察実験を行い、

その詳細な方法やデータを、オープンに手軽に誰でも閲覧できるようにしつつ、これを「これだけの効果が実証された○○式」といったわかりやすいネーミングで大々的に売り出して、

キャッチーな見た目の宣伝役を配置しつつ、テレビ・新聞・ラジオに加えてSNSなどでもツボを押さえて宣伝し(+自然な口コミ)、

日本国内のわりと情報に敏感な1000万人~2000万人程度を取り込む

(……書いていて気が付いたのですが、実はこれはほとんど「苫米地式コーチング」の広がり方と似ているような気もします)

 

現在は昔に比べてはるかに情報のめぐりが早い(もちろん、かなりの情報弱者も残存していますが)のですから、

情報に敏感な少数の人による情報の拡散はかなりのパワーを持ちます。

 

さらに、日本人を行動に駆り立てるもっとも簡単な方法は、例のジョークで有名な通り「みんなやっているぞ!」なので、

だいたい人口の一割くらいに普及させれば、「みんな」と感じるようになります。

テレビばかり見ている情報に鈍感な層であっても、その頃になれば「ちょっと気になる」くらいにはなっているはずです。

 

ただ、「国民が賢くなると困る人たち」がもしもいるとすれば、彼らによる妨害が入らないとも限らないのですが……。

 

現在の日本では「やらされる」が氾濫している。部活・勉強・仕事・・・

基本的に、現在の日本は全体として「have to」のカルチャーです。

部活も勉強も仕事も、基本的には「やらなければならない」が常識とされています。

・部活を欠席したら吊るし上げを食らうか嫌味を言われる(とくに体育会系)

・勉強しない子どもは不良扱いされて説教される

・仕事をさぼったら上司に説教される

こういう「常識から逸脱したら咎められる」のシステムがあるから、多くの人は「やらされる」に甘んじているのです。

 

しかし本当のことを言えば、

自分の意志で部活を欠席するのは本人の自由(責任は本人に帰されます)だし、

自分の意志で勉強しないならこれも本人の自由(義務教育の『義務』とは親が子どもに教育を受けさせる義務です)だし、

自分の意志で仕事をしないのも本人の自由です(そういう社員は解雇か左遷すればいい。それはその人の責任にしかなりません)。

 

「責任が本人だけに降りかかる」ものである限り、その人がどんな愚行をしようともそれはその人の権利であり自由なのです。

「自己責任である限り、自由にふるまってよい」という原則をわかっていれば、

常識を逸脱した人間に対する「あいつはどうしようもない」という非難はすべて的外れになります。

本人の自由なのですから、他人が言ってどうなるものでもありません。

 

現代日本に生きづらさを感じるという人は、上の例のような「○○しなさい・××してはいけないという常識」にがんじがらめにされていると思われます。

「やらなきゃいけない」が生活のメインなんだから、生きづらさを感じて当然です。

 

「やらなきゃいけない」から解放されるための現実的な対応策としては、まずは「やらされる・やらなきゃいけない」を生活の中からどんどん排除していくこと。

それと同時に、生産性の高い「やりたいこと」をやる時間を確保して、それをどうやってマネタイズしていくかを考えることです。

 

つまり、「have toを減らしつつ」「want toを増やす」こと。単純ですが、効果は絶大です。

 

まとめ:「やらされる」を減らしたほうが社会にとっては好影響

結局のところ、生産性でも創造性でも「やりたいからやる>>>>>やらされる」であることは自明の理です。

「やりたいことをやっているときの集中力の続き方・アイディアの出やすさ」と

「やりたくもないことをやらされるときの集中の切れ方・頭の働かなさ」を

 

「やりたいことをやれなんて甘えだ」と言っている人は、どんどん自分の首を絞めていることを自覚していない。

極端な話、「やりたいことをやる人が1万人いる場合に生まれる付加価値」は、「やりたくないことをやらされる人が100万人いる場合に生まれる付加価値」と同じくらいだと思います。

 

「やりたいからやる」を支援する環境がだんだん揃い始めている(VALUの登場、各種格安サービスの浸透、クラウドファンディングなど)以上、

これからは「(やらされることを最小限に抑えつつ)やりたいことをやる」人のほうが経済的には有利になっていくと予想されます。社会がそういう方向に向かっているので。

 

いまは「やりたいことをやって生きるなんて甘えだ!」みたいな風潮ですが、

将来的には「やりたくないことをやるなんて甘えだ」と言われる日が来るかもしれません。

 

以上、栗栖鳥太郎がお送りしました。

 

 

 

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