野球のバッティングを考えるときには、「物理の法則」と「身体の法則」をもとにして考えると良いかも

   

野球のバッティングを考えるときには、「物理の法則」と「身体の法則」をもとにして考えると良いかも

「理論だけの人」にならないために

「理論バカ」にならないためには、「完璧な理論なんて存在しない」「自分の考えは間違っているかもしれない」と思っておくことが必要。

 バッティングを考えるうえで、あるいは何か特定の物事について考えるときに人間が一番犯しやすい過ちは、

「自分の考えが絶対正しいと思ってしまうこと」

だと私は思っています。

 

「自分の考えが絶対正しいと思ってしまうこと」のどこがどのように危ういのかというと、

 

1.その時点で進化が止まる。進化のスピードが遅くなる

2.ほかの人の理論や意見を無視したり攻撃したりしやすくなる

3.自分に都合のいい証拠だけ集めて、都合の悪い証拠は意図的に無視しがちになる

4.他人に自分の考えを押し付けやすくなる

 

 という点です。

 

「自分の考えは正しいと確信している人ほど危ない」と言い切ってしまって良いと思います。

たとえば、「オレには実績がある」とふんぞり返っている指導者の方や、自分の構築した理論で全てが説明できそうな感覚を持っている人など。

 

 逆に言えば、「自分の意見が正しいとは限らない。自分がどこかで間違っていて、ほかの人が言っていることのほうが正解なのかもしれない」と思っている人は、以下のようなメリットを享受することができる、ということでもあります。

 

1.進化が止まらない。進化の速度自体も上がる

2.ほかの人の理論や意見を尊重し、自分の成長のために役立てることができるようになる

3.自分に都合のいい証拠だけ集めるようなことはしなくなる。都合の悪い証拠は、自分の考えをより進歩させるための材料になる

4.ほかの人に自分の理論を押し付けることはなくなる

 

 このことをバッティングに当てはめて考えてみると、

「自分の考えが絶対正しいと思ってしまうこと」

=「自分のバッティング理論が絶対に正しいと思ってしまうこと」

 となります。

 つまり、「自分のバッティング理論は正しいに違いない!」と思えば思うほどドツボにはまってしまうわけです。

 

 ですから、

「それだけで全てを説明することのできるバッティング理論は、存在しない」

 ……と考えておくほうが良いと思います。むしろ、「自分の考えはどこかしらで間違っている可能性がある」ということを常に念頭に置いておくべきでしょう。

そうするほうがより速いスピードで進化できますし、思考停止による時間のロスも避けられます。

 

このことからすると、「理論ありきでバッティングを考えようとすることの危うさ」もわかります。バッティングというものを考えるときに、「○○理論」は確かに頼りになりますが、ともすれば「自分の理論が絶対に正しいと思い込む」という落とし穴にはまり込む可能性が高いのです。自分の理論が正しいと確信してしまえば、その時点で進歩はストップします。

 

「理論が先にあって、それにしたがって動作が行われる」のではなく、

「まず動作があって、それを説明したり改善したりするための道具として理論がある」

のだ、ということを忘れるべきではありません。

 この点では自然科学と同じです。

「数式や法則が先にあって、それにしたがって実際の現象が起きる」のではなく、

「まず実際の現象があって、それを説明したり解明したりするための道具として数式や法則がある」

のです。

 

 むしろ、「自分では完璧に思える理論」ほど危ういといえます。なぜなら、完璧に思えてしまうということは、思考がそこでストップしていることを指すからです。「自分の理論ですべてが説明できる!」という万能感を持っている人は、どこかしらで論理のこじれを無視しているか、例外を排除してしまっている可能性が高いのです。

 

 ですから、「バッティングとは何か」を徹底的に追求するには、

 

・「完璧な理論など存在しない」と思っておくこと

・「自分が間違っている可能性」を常に考えておくこと

 

の二つが必要だと私は考えています。この2つを押さえておけば、「机上の空論を振り回す理論バカ」にはならないで済むでしょう。

 

「完璧な理論」を求めるのではなく、「人間が運動するときにかならず従っている法則」をもとに考えていくべきだ。それは「身体の法則」と「物理の法則」である

 前項では、「理論に頼り切りになるのは危険」であると書きました。そのためには「完璧な理論など存在しないと思っておくこと」「自分が間違っている可能性を常に考えておくこと」が必要、とも述べました。

 

 しかし、バッティングというものを考えるためには、どうしても「考えるための道具」が必要になります。バッティングについて考えるための材料がなければ、考えをうまくまとめることができません。「バッティングについて考えるための道具」、つまり思考の基礎になるような何かが必要です。

 そこで、私はいつも、以下の2つを道具として使いながらバッティングを考えています。

 

 それは、

1.身体の法則

2.物理の法則

 という、2つの「自然科学の法則」です。

 ピンと来ない方も多いでしょうから、それぞれを軽く説明します。

 

1.身体の法則

…人間が運動するときに従っている身体の法則のこと。人間の筋肉の付き方や、力を発揮する仕組み、効率よく身体を動かすための法則、関節の構造 など。学問でいえばスポーツ科学や解剖学などが該当。五体満足の人間であれば、すべての人に共通する

2.物理の法則

…地球上にある運動する物体がことごとく従う法則のこと。たとえば慣性の法則、エネルギー保存則、運動方程式、作用反作用の法則 など。学問でいえば物理学が該当。野球を宇宙でやらない限り、かならず適用される

 

 理論と法則の違いは、理論が「それだけですべてを包括的に説明できる(と想定される)体系」なのに対して、法則は「それだけではすべてを説明しきれないが、正しさはかなり保証されている」という点にあります。

 

 「理論」というのは内部に論理的な矛盾を含んでいたり、あるいはどこか一か所が論理的に破綻すると連鎖的に全体が瓦解する危険性があったりします。せっかく壮大な理論を組み立てたのに、初歩的なところで間違いを犯しているせいで全体が破綻した……という悲惨なケースもあるのです。危なくてやっていられません。

 

 それと比較すると、「法則をもとにして考える」のは、手間と労力こそかかりますが、かなり安全です。なにせ、自然科学の法則というのはそう簡単にはひっくり返りませんし(少なくとも私が先ほど挙げた法則は、長い科学の歴史のなかで通用し続けているものばかりです)、論理が飛躍することも少ないのですから。

 

 ……というわけで、「身体の法則」「物理の法則」という2つを臨機応変に使い分けながら、バッティングについて考えていくことが必要である、と私は考えています。

 

まとめ

今回の記事を簡単にまとめると、

「自分の考えが絶対正しいと思ってしまうこと」さえしなければ、

1.進化が止まらない。進化の速度自体も上がる

2.ほかの人の理論や意見を尊重し、自分の成長のために役立てることができるようになる

3.自分に都合のいい証拠だけ集めるようなことはしなくなる。都合の悪い証拠は、自分の考えをより進歩させるための材料になる

4.ほかの人に自分の理論を押し付けることはなくなる

というメリットを享受できる。

 

バッティングについて考えるときは、

・「完璧な理論など存在しない」と思っておく

・「自分が間違っている可能性」を常に考えておく

とよい。進歩のスピードが速くなるし、思考停止もしないで済む。

 

もしも「考えるための道具」が欲しいのなら、完璧な理論を求めるのではなく、自然科学の法則をもとにして考えるとよい。

1.身体の法則:特殊な条件下にある人以外の、すべての人に共通する

2.物理の法則:野球を宇宙でやらない限り、かならず適用される

ということになります。

 

あくまでも私の個人的な考えではありますが、そこそこ使える方法だと感じています。

少なくとも、思考停止することは劇的に減りました。

 

野球について考えてみたい方は、ぜひ参考にしてみてください。

 - バッティング, 動作, 野球