うわっ、私の人生、儚すぎ・・・? 「自分は死なないと思っているヒトへ」(養老孟司・だいわ文庫)書評もどき

   

こんにちは!クリストリタロウです!
先日、養老孟司さんの『自分は死なないと思っているヒトへ』を読み終えました。
非常におもしろく読みやすい、それでいて深みのある本で、現代に生きる悩み多き人々にとって目からウロコな表現が多々ありましたので、紹介していきます。
では、レッツ・読書。

 

現代日本では『ヒトがかならず死ぬということ』が隠蔽されている

ヒトは死にます。

この記事を読んでいるあなたは、その実感がありますか?

いまは生きているあなたも、かならず死にますよ。

 

どんな死に方をするんでしょうね。

死んだらどうなるんでしょうね。

あなたが死んでいなくなったあとの世界は、どういうふうに回っていくのでしょうね。

 

「死ぬ」のは、怖いですか?

いくら科学技術が進歩しようとも、いくらお金や権力を持っていようとも、人間は、生物である以上かならずいつか死を迎えます。

秦の始皇帝なんかは、不老不死を欲するあまり、猛毒の水銀を飲んで死んじゃいました。

どれほど権力があろうともおかまいなく、死はひとしくやってきます。

死の恐怖は、生物である人間にとって根源的な感情です。なまじ理性というものを持っているだけに、いろいろ考えてしまう。

 

「死んだらどうなるんだろう」

「死ぬときに後悔しないように生きるにはどうしたらいいのだろう」

 

残念ながら、その問いに対する答えはありません。

まあ、とりあえずの、暫定的な答えは「宗教」が与えてくれますが、それに納得できるかどうかはあなた次第です。カルト宗教の勧誘では、よく「あなたは死ぬことを怖いと思いますか」という質問をするといいます。そこで「怖いな」と思ってしまう人が多いから、そういう訊き方をするのです。

 

死ぬのは、みんな怖いのです。

 

なぜ怖いかといえば、われわれの日常生活には「死」がないからです。

 

かつての日本においては、「生老病死は、すべて家の中で」が常識でした。

生まれるときも家の中、老いるのも家の中、病を得るのも家の中、死ぬときも家の中。

身近なひとが死ぬという現実を、かつての日本では当然のものとして、日常的なものとして受けて入れていました。

 

・・・しかし、現代社会においてはその「死」という現象が、見えないところに隠されてしまっているのではないでしょうか

現代の人は、9割が「病院の中で死ぬ」のです。

現代は、社会からも家からも、死ということを締めだしてしまいました。

たとえば建物がいい例です。ある建設会社から「あなたの考える普通の建物」というアンケートに400字で答えるように依頼された。私はそのとき、「その中で生老病死が起こる建物」と答えました。人が生まれて、年を取って、病になり、死ぬことができる建物を、私は普通の建物と呼びたい。

昔の家はそうだったのです。家は人が生まれ、死ぬところでした。現代はそうではありません。

 

家の中から排除された「死」は、いまや病院に外部委託されています。

生老病死すべてが、家の外へと放り出されてしまった。

生まれるのは病院、老いるのは老人ホーム、病気すれば病院に行く、そして病院で死ぬ。

すべて外部委託です。つまり、自分たちの目の届かないところに「死」を持って行ってしまった。

 

現代人とは、自分は死なない、と思っている人のことです…(中略)

現代人は、意識できるもの、つまり自分の頭で考えられることだけを現実として受け止めてきた。

――本文p.26より抜粋

 

そんなありふれたはずの「死」から、現代人は目を背けている。

 

現代とは、都市の時代です。

都市は、人工のものだけで構成されています。

人工とは、「意識によって生み出されたもの」のこと。

つまり、都市とは「意識のかたまり」です。

したがって都市には、意識できないものや、コントロールできないものはありません。

言い換えれば、都市には生老病死といった「自然の現象」がありません。自然の現象は意識もコントロールも及ばないですから。

 

死ぬことについて考えるためのヒントになる書籍としては、手塚治虫の「ブッダ」や、中村天風の「運命を拓く」

キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間―死とその過程について」

などがおすすめです。

また、死ぬことについて考えた哲学者は、ハイデガーや、ソクラテス、エピクロスなどが有名です。かれらの考え方にも触れてみてください。

「死の恐怖を克服するにはどうすればいいか」「死んだらどうなるのか」は、答えの決して出ない問いですが、それだけに考える価値があります。

 

死ぬことについて語るときに僕の語ること

これまでの読書経験の中で、「死」についての考えにたくさん触れてきたので、印象的なものを一部紹介してみます。

 

・死後の世界があるかどうかは、わからない。ただし、心が脳から生じるという事実を考えると、死ぬときには脳も死ぬから、そこで意識は途絶える。

・いつ死ぬかどうかは、あまりわからない。もしかしたら次の瞬間には落ちてきた隕石でお陀仏かもしれない。

・多くの人に感謝されるような人生を送った人は、自分の人生に意味を見出した状態で死を迎えることができる。

・個人の生は、どれだけ不毛なものだったとしても、宇宙全体の流れに多少の影響を与える。

・人間は、孤独でいると「死」の恐怖に襲われる。集団での団らんは、死の恐怖をやわらげる。

・「死後の世界で自分は救われる」という確信を持つか、「これまでに死んだみんなが、あっちで待っている」という考えを持てば、死の恐怖は緩和される。

・死ぬことについて考えるのが怖ければ、ほかのことに集中していればよい。

・死ぬ瞬間の苦痛が少ない死に方が理想ではないか。首吊りや溺死・焼死などはキッツい。できることなら爆発で粉みじんになるか、ライフルで頭を吹き飛ばされるか、ワイヤーで瞬時に細切れにされるか。ちなみに、現実的に可能性が高い中でもっともキッツいのはおそらく「放射能を浴びて、体がボロボロになっていくのを自覚しながら死ぬ」ではないか。

 

 

まとめ

書評といいながらぜんぜん本の内容に触れませんでしたね。申し訳ない。

 

「死」について考えるのはムダだと釈迦は言っていますし、孔子も「われ未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」と言っています。

しかし「死への恐怖」は、人類にさまざまなイマジネーションを与えてきたのもまた事実です。

今夜、寝るまえに、ベッドの中で考えてみてください。

 

自分はいつか死ぬけど、それまでになにをしたいのか。

 

死ぬことは変えられませんが、それに至るまでの生き方はなんとか変えることが可能です。

有意義な人生を送りましょう。

では、グッド・ラック!

 

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